スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ラットレースを抜け出す方法

「ニュー・アース」について書く前に、
もう少し、私が各種気付きに至った背景について書いておこうと思います。

「とある出来事」には書きませんでしたが(長文+複雑になるので割愛しました)、
実は同時期に、主人の身に多数の不運な出来事が連続で起こっていました。
時期は全てことし1月中で、毎週何かがおこるという感じで気味が悪かったのです。
仕事における大きなトラブル・主人の個人的な過失により警察からお尋ね・とどめは出先で
物損事故をおこし、本人無傷でしたが愛車が廃車になりました。
1月といえば、義母さんの大きなウソ2点が発覚し、私のトリガースイッチが入った時期です。
そんな、(私が)精神的に盛大にざわついている時期に、毎週のようにトラブルが起きる。
もう、この人(=主人)はどうしてここまで運が悪いの?
誰かに呪詛でもされたの? 何なの?と、主人に対し信じがたい気持が生まれていました。
特に個人的な過失に関しては、私の理解の範疇を超えており、怒りや悲しみの感情も湧いてこず
「失望」し、静かに離婚が頭をよぎるほどでした。

↑これだけのことがあっても、私がこれらを「仏罰だ!」「信心に戻らねば!」と捉えずに
済んだ事が本当に幸いでした。 
実際「罰」ではなく、結果私の思い通りになったというだけなのです。それは次回の記事で
書きます。

幸い、仕事のトラブルは周囲の協力を得て早期解決しました・・が、
今年春の異動で、主人は長年務めてきた事業から外れ、別部門に移りました。
待遇面は変わらなかったものの、主人はショックだった様子です。
(私的には、長期の出張がなくなり・主人が子供達を朝送って行ける職場環境にもなって
非常~にありがたいことでした)
個人的過失に関しても裁判沙汰になるんじゃないか?と不安視していましたが、
おおごとにならずに無事済み。
事故に関して、完全なる主人の趣味車で、私は前々から手放してほしかったので
(他にも保有しており、維持費過大だった為です)
期せずして(私の)願望成就でしたが、主人は愛着をもっており、相当ショックが大きい様子でした。

3月初めに義母さんの件も含め、大半の出来事が落ち着き・無事過ぎる見通しも立ったのですが
私の心はまったくもって晴れやかではなく。
全てが思いのほか早く片付いた、ラッキー!と、本来なら喜ばしく思うところですが、
皮肉にも精神的な昂ぶりから落ち着きへ移ったところで、冷静に考えてしまう事が増えたのです。
起きたトラブルについてこまごまと疑問を持ち、「過去」を持ち出して考え、重苦しい気分でいました。
「主人にこれだけ集中してアクシデントが起こるってどういう事だろう?」
「なにか意味があるのではないか・この流れは、止まったように見えるがまだ続くのではないか?」
(そう思ってしまうほど、トラブルの類とは無縁で、穏やかなこれまでを送ってきた人でした)

また、義実家の家族の関係性についても、自分が見て見ぬふりを十数年続けていた事について
改めて考え。
とくに義母さんに関してはキツネに抓まれたような思いを抱いていました。
「この結婚生活十数年は、いったいなんだったんだろう?」 そんな思いも湧いてき。
主人と結婚を決めた当時の私は、バリバリの創価脳で女子部長でしたから
「創価脳だった私は、判断を誤ったのではないか?」などと、果ては今さらどうしようもないことまで
悩むようになり。

ごちゃごちゃ書きましたが、軽く受け流して次に進もう!ってノリには到底なれなかったのです。
まさに「苦悩」という言葉がぴったりの状況。
しかし、目の前からすでに「問題」らしきことは全部消え去っているのです。
出来事は過ぎ去り、平穏な・普通の毎日は戻ってきていたのです。
にもかかわらず、私は変えようのない「過去」にひきずられ、
その「過去」を下敷きにした「未来」しか描くことが出来ず、
下敷きが不味いために、見通しが良いと言えない「未来」しか浮かんでこなくて、
苦しくて仕方ありませんでした。

50年近く生きてきて、初めてと言えるほどの苦悩。人生について「謎解き」を求めたくなった私。
特に、順風満帆におもえた主人がここへきていろんなものを「失う」という状況について疑問で、
占い師にでも見てもらう?と、興味半分でネット検索しました。
ただ、居住地付近限定で探したせいもあるのか、胡散臭い対象しか見つからず。
この謎を解きたい。同じ悩みを持つ人はどう解決しているんだろう・・と調べていったら
たまたま行き当たったのが、心理カウンセラーのブログでした。
そこに書いてあった言葉に不思議とひきつけられ、関係する本やブログを読みあさるようになりました。
これが心理学に答えを求めたきっかけでした。
そこで創価脳ならではな「思考のくせ」に気付き、私自身が自分に嘘をついて周囲に接していたこと・
「他人軸」で生きてきた事を知って、驚いたと同時に謎も解けていきました・・が、
すぐに気持ちがスッキリしたわけではなかったのです。

「ニュー・アース」に出遭ったのは4月の初めです。
この頃まだ「過去」への問いかけがとまらず、苦しい思いをしていました。
苫米地氏の時間軸について調べていた時、行きあたったブログで紹介されており、
いわゆる精神世界の本か・・と最初はそれほど惹かれず。
私は「引き寄せ」だとか「宇宙からのメッセージ」的なものを
創価脳時代も・覚醒後も拒否し続けていたので(なんとなく怪しいと思っていた故です・・)。
後日、たまたま別件で調べていた時にまた「ニュー・アース」のレビュー記事に出遭い。
そちらを読むと怪しい本でもなさそうだ、と感じたのと・なんとなくこの本に私の求める答えが書いて
あるんじゃないかーという直感で、DLしました。
2日かけて読みましたが、いきなりすべてが腑に落ちたというわけでもありません。
意味がわからない・・というか、何度か繰り返して読まないと入ってこない内容もありました。
数か月経過して最近やっと「そう言う事か!」とわかった内容もあります。

最近、エックハルトトール氏の動画(講演やインタビュー)をよく見ているのですが
その中でエックハルト氏が、自身の教えについて
「目覚めの為の準備の整った人には理解できる」(趣旨)、
目覚めの準備に至るためには「”これ以上もういい”という位、苦悩する経験」が必要であり
「苦悩こそが、 私たちにとってもっとも大切な教師」と語っていました。
(この動画 1時間ほどあり長いのですが上記内容が含まれています)



ああ、全くその通りだ! と、納得してしまいました。
私においても、昨年末からの一連の出来事からなる
「50年近く生きてきて初めてレベルの苦悩」がなければ
「ニュー・アース」をはじめとした、エックハルトトール氏の教えは、ここまでしっかりと
入ってこず・理解もできなかったと思います。

「ニュー・アース」読みました・難しくて解りづらかったです・・という感想もいただいてます。
そういった方々は幸いにも、まだ「”これ以上もういい”というレベルの苦悩」が訪れていないのかも
しれません。
本当に悩み過ぎてわからなくなった時・人生のなぞ解きをしたくなる時まで、本棚に寝かせておくと
良いかと思います。

で、「ニュー・アース」を読むのも勿論いいのですが、動画を見るとよりわかりやすいので
(YouTubeに多数上がっています「エックハルトトール」で検索)
興味のある方はご覧になってください。
どっかの耄碌したおじーちゃん指導者の「私が全てやったんです!」的傲慢な態度は皆無で、
好々爺といった雰囲気をもつ氏の、落ち着いた(時に眠くなる)語りは、心穏やかに見ることが
できますv

先日なにげなく見ていたエックハルト氏の動画で、耳に刺さった言葉がありました。

「思考は過去からの条件反射」 というものです。

創価脳を抜けてもなお、悩んでいる方がいたら、ちょっと振り返ってみてほしいのです
「自分責め」してませんか?
自分が悪い、自分がすべての原因・・これ全部、創価時代の刷り込みです。
そうして自分自身を「悪の元凶」とすることによって、罪を滅さなければ・私がやらなければ・
私が変わらなければ! と、自分を追い込ませる。
自分を追い込んだバリ活時代、何をしていたか? 外部拡大・内がため・票取りでしたね。
そうやって「無罪の人」を「有罪だよ、救われたきゃ頑張りな」って追い込んで、
組織の「利益」としていく・・これが宗教団体の手口です。
もう、創価の活動は一切やめていても、この「自分を責める癖」が抜けていない人は
わりに多いと思うのです(←そしてこれこそ「過去からの条件反射」です)。
私自身がそうでした。
そして、自分を責め・自分に厳しくある人は、実は他人にも厳しい。
他人と言っても全ての他人というわけではなく、それが「特定の対象」に向かう事があります。
自分責めからくる無意識のストレスが、「特定の対象」に向かうのです。
これがあらたな不満やストレスをうむことになり、無限ループに陥ります。

「ニュー・アース」を読んでも・心理を学んでも、同じ結論に行きつきます。
”「自分責め」は、ラットレースを抜け出せない無限の罠”なんだな、と。
組織にいた当時のことを思い出してみると、常に問題意識を持たされていました。
体験(悩みを信仰で乗り越えた)が無いことが、女子部では「恥」のような風潮も
私が若かった当時はあったほどですw (どんな組織なんだ・・異常ですよね)。
そのような、体験のない幸せな部員にむかって「信心の確心を掴ませてくださいって祈れ!」
と、行き遅れのおばさん幹部は檄を飛ばしていました・・。
つまり「信心で乗り越えるための不幸ください」と祈れ!と、指導されていたわけですw
きっと、こんなエピソードをお持ちの方は、山ほどいるはずです。
やたら仕事で勝て!生活面で勝て!信心で勝て!・・と、これも「自分」との闘いをけしかけられて
いたのですが、実際のところ、「自分と争え」って言われてたわけです。
これも形を変えた「自分責め」であり、今のままの己じゃだめだ!と、無意味にたきつけられて
いただけ。
そんなことを、年がら年中やらされていたのですから、この癖は相当に気をつけないと
抜けませんし、ふと顔を出してくることがきっとあると思います。
これらは全部、苦悩の元凶です。
自分を責めている間は一生不幸感がつきまとうし、充足感とも無縁の人生を送ることになります。
組織はそこを意図的に利用しているのです。
ラットレースから抜け出せない無限の罠とは、そういうことです。

じゃあ、抜け出すにはどうすればいいのか。

自分を絶対に責めない事です。

自分を責めることは、百害あって一利なしです。
無意識のうちに「自分が悪い」が頭をよぎったり・責任を背負いこみそうになった時
これは、組織や親から刷り込まれたものであると自覚してください。
なんの根拠もない、思いこまされた無実の罪だと認識し、
「自分は悪くない」に入れ変えるだけで、OKです。
ふとしたとき、自分を責めそうになったら思いだしてください。

そして、悪しき古い思考は捨て去り・”いま”思考を止めることです。
これは「ニュー・アース」に終始書かれている、大切な習慣でもあります。

「思考を捨て去るって・”いま”思考を止めるって何言ってんだ?!」と、
私も当初、相当な抵抗がありました。
そんなこと出来ないよ!そんなことしたら人間としてダメになってしまうじゃないか!!と。

でも、大丈夫でした。
そしてすごく楽になり、自分も周囲もいい感じで、心地よく暮らせています。

次回、ひとつ別記事を挟んで、(やっと)「ニュー・アース」について書いて行きます。

スポンサーサイト
Category: Notice&Replace
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。