契約

初めての折伏が実ったのは、20代前半で白蓮をやっていたときです。
学生時代のバイト仲間で、彼女は芸能関係の仕事を目指しておりフリーターをしながら
一人暮らしで頑張っていました。
彼女に仏法の話をすると、スピリチュアルな世界に興味を持っていたと関心を示してくれ
対話を重ねて行く中、組織で青年部中心のイベントが開催されることになりました。
会友さんも参加してよいとのことで、私は彼女に出演者として出てみない?と持ちかけます。
舞台に上がる事を熱望していた彼女は大喜びでOKしました。
会員と合同の練習なので、必ず開始時にごん行唱題をします。練習場所は創価の会館でした。
彼女はそれも抵抗感なく受け止め、御経を読んでみたかったんだ~なんて言っていました。
イベント後、何名かの会友さんが入会希望し本流に至りました。彼女もその一人。
じっくりひざ詰めで話しあってからというよりは、ほぼイベント後の勢いだったのです。
私はもう少し先でもいいと思ってましたが、状況を知る幹部から「時が来てるんだよ・
あなたの腹が決まれば彼女の腹もすんなり決まる」と後押しもあり、本流となりました。
暫くは遠方(電車で1時間かかるところに彼女は住んでました)から私の地域に通い、各種会合に参加。
彼女が来ると地域のメンバーは大歓迎で、ちやほやされていました。
数カ月もたつと彼女が会合の場に居る事は日常になります。
そして、地域の幹部が彼女の統監カードを居住地域へ移そうと言ってきました。
私はまだ時期が早いんじゃ?と抵抗しましたが、翌年に選挙を控えていたのです。
「一日も早く地元で馴染んでもらうことが、彼女のためにも地域組織のためにもなる」と押し切られました。
彼女にその旨を説明すると、不安そうではありましたが了承してくれました。

その後、彼女には時折手紙を書いたり電話を入れていました。いつも元気そうでしたが、
地元組織の活動には出ていない様子で、知り合いが誰も居ないから面白くないという回答でした。
彼女としては、私の地域にいた時のような「歓迎感」がなかったのも、つまらなかったようです。
次第に電話にでなくなり、手紙は送るものの返事は来ません。
そして選挙直前、彼女の地域の女子部長から私に連絡が入ります。
全く会うことができません・電話も通じないし、新聞が溜まってます。何かあったんじゃないですか?と。
当時は携帯電話も普及していません。驚いて家を訪ねると既に引っ越していました。
即、幹部に指導を受けると「とにかく相手を探しなさい。そして御本尊様の所在を確認しなさい。
まだ彼女の手元にあるようなら、預かって来なさい。とにかく不敬だけは絶対に阻止です。
不敬があれば、あなたも友人も不幸になってしまう」と言われたのです。
すぐに交友関係をあたり、引っ越し先を突き止めて家をたずねました(ストーカーっぽいですが・・)。
ドア越しの会話しか許されず、御本尊様をもう信じていないなら私が持って帰るから渡して欲しいと伝えると 
彼女は「引っ越し荷物の中にあると思うがほどいていないので、見つかったら送る」と言いました。
その言葉を信じたのですが、待てど暮らせど送って来ません。
電話番号を教えてもらえなかったので、何度も何度も手紙を送りましたがなしのつぶてです。

数年後、共通の友人の結婚式で再会することができ、直接御本尊様はどうなったのかを聞きました。
彼女は「実は引っ越しの際中に紛失していた」と答えました。
私はひどく落胆しました。だったら何でもっと早く言ってくれなかったの?
紛失では無く、自分で捨てたんじゃないの?(それが一番怖い)と質問。
彼女の答えは
「捨てたんじゃないよ、本当に紛失した。早く言えばよかったのに言い辛くて、ごめんね。
 本当に申し訳ないと思っている」怯えたような話し方でした。
私は、この結果に心底がっかりしたし、相手との温度差を思い知って愕然としました。
私にとっては命より大事な御本尊様。うっかり紛失なんて絶対考えられない。
だけど彼女にとっては「ただの曼荼羅・巻き物」でしかなかったんでしょう。
その後、彼女は他県へ引っ越して行きました。以降、どうしているのか知りません。
私は御本尊様を紛失した彼女を許す事はできず、これからも変わらぬ友情を、なんてこと言えませんでした。
仏法に照らすとどうなるのか・自身の振る舞いについて、じっくり考える事もなく
組織がやっていたように彼女を「反逆・退転者」扱いし、切り捨てました。
(もっとも、彼女のほうが私と連絡を絶ち・共通の知人にも所在は絶対に言わないでと口止めしました。
それほど私は嫌われ・厄介がられたということです。
覚醒した今は、彼女がどこでどうしているか気になります。もし会う事が出来たら、追い詰めてしまった事など
謝罪がしたいです)

この顛末を幹部に報告すると
「そうなってしまったものは仕方が無い。
相手の分もあなたが罪滅ぼしと恩返しをしていかなければいけない」と、さらに活動に励むよう指導を
受けました。

この経験で、私は二度と折伏本流なんてしないでおこうと思いました。
「友を幸せに」と思ってやった行動が、場合によっては自他ともどもの不幸を呼ぶなんて恐ろしすぎると
思ったのです。
また折伏相手が結果的に不敬をした、という事実は、覚醒後もしばらく私にとって脅威でありつづけました。
生活の中で少しでもネガティブな出来事があると「あの時の罪業がでたのか?」と考えたり。

覚醒後に宗教史の本を読んでいて、海外の一神教が「神との契約」で成り立っていると知りました。
また、日本の宗教においては稲荷信仰がそれと近い気がします。
あくまでも「契約」なので、反故にするとそれなりのペナルティがあるよということです。

創価における、御本尊様をたもつ・信心をたもつということもこの「契約」なんだなと
覚醒後に解りました。

ただその「ペナルティ」は、本当にあるのかどうか?
若い時は母や組織幹部や先輩に聞かされる「退転後」談を、ただただ恐れていましたが
40代を過ぎ一般社会と・組織内と、様々な人間模様を見て行くうち、なんとも言えないと感じるようになりました。
いま現在の答えは「ペナルティかどうかを決めるのは自分の心」だということです。
他人や外野が決める事じゃないんです。
そう思えるようになったら、創価でいわれている「仏罰」は怖くなくなりました。

この考えに至るまでのことは次の記事に書きます。
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