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「ニュー・アース」第一章(2)

人間に固有の機能不全

古い宗教やスピリチュアルな伝統をよくよく見れば、表面的な違いはどうあれ、
その多くに共通する二つの中心的な洞察がある事に気付くだろう。

一つはほとんどの人間の「ふつう」の精神状態には機能不全、もっと言えば
狂気と呼べるような強力な要素が含まれていることだ。


とくに手厳しいのはヒンズー教の中核となる教えの一つで、この機能不全を集団的な
精神病とみなし、マーヤー、妄想のベールと呼ぶ。
インドの偉大な賢者の一人ラマナ・マハリシは「心とは妄想である」と言いきっている。
(中略)ブッダによれば、ふつうの状態の人間の心はドゥッカ、苦を生み出す。
苦、不満、惨めさである。仏陀はそれが人間の置かれた状況の特徴だと見た。
どこにいても、何をしていても、あなたはドゥッカにぶつかるし、ドゥッカは遅かれ早かれ
あらゆる状況に現れる、とブッダは言う。
キリスト教の教えでは、人類という集団の普通の状態が「原罪」である。(中略)
罪とは的外れな人間の生き方を意味する。先を見ないで不器用に生きて苦しみ、
人をも苦しませるのが罪なのだ。文化的な覆いや誤解をはぎ取ってみると、ここでも人類の
状況に固有の機能不全を指している事が解る。

人類が目覚ましい発展をしてきたことは否定できない。(中略)
人類は大変に知的なのだ。だがその知性は狂気を帯びている。
科学技術は人類の精神に付きまとう機能不全が地球に、他の生命体に、
そして人類自身に及ぼす破壊的影響をさらに拡大してきた。
だからその機能不全、集団的狂気は二十世紀の歴史で最もあらわになった。
しかもこの機能不全は現実に強化、加速されている。(中略)

二十世紀の終わりまでに、同じ人類の手で暴力的な死を遂げた人々の数は一億人を
上回った。国家間の戦争だけでなく、スターリン統治下のソ連で「階級の敵、スパイ、
裏切り者」として殺された二千万人や、ナチス・ドイツによる筆舌に尽くしがたい恐怖の
ホロコーストの犠牲者たちのように、大量殺戮や集団虐殺によって死んでいった人々もいる。
(中略)
このような狂気が衰えるどころか二十一世紀の今も続いている事は、日々のテレビニュースを
見るだけですぐに解る。
人類の集団的な機能不全のもう一つの側面は、他の生命体と地球そのものに人間たちが
振るっている暴力だ。酸素を生み出す森林や植物、動物の破壊と殺害。
工場式農場における動物虐待。河川や海、大気の汚染。
人間達は欲にかられ、自分と全体のつながりを理解せず、ほうっておけば自滅に繋がるだけの
行動を今も続けている。

人間の存在の核心に在る集団的狂気が引き起こす出来事は、人類史の大きな部分を
占めている。人類の歴史は、大まかにいえば狂気の歴史なのである。

恐怖、貪欲さ、権力欲は、国家や民族、宗教、イデオロギー間の戦争と暴力の心理的動機と
なっているだけでなく、個人の人間関係の絶え間ない葛藤の原因でもある。



(中略)しましたが、2000年間にわたる、人類における機能不全がゆえの
全世界における狂気の歴史(殺戮・戦争など)が、詳細に書かれています。

機能不全とは、エゴにとりつかれた状態のことを指していると私は解釈しています。
「我を忘れる」という言葉のとおり、感情・情動・欲に振り回された振舞いのこと。

機能不全の元になる要素とは一体何か? そのひとつが「恐怖」です。
古代から現代にいたるまで、人間はずーっと「恐怖」と闘い続けている。
「恐れ」の心が、さまざまなものを生み出してきました。 宗教文化もそのひとつ。
日本に仏教が入ってきたのは、死後の世界への恐れ・ケガレを嫌う平安貴族の不安を
掃うためでした(神道には死後の世界に関する教え的な物が何もないから)。
美術、芸術、建築も、恐れのエネルギーの昇華といえたと思います。
(霊魂を鎮めるために建てられた建造物・造られた像・描かれた絵画などなど)
これら見えない世界に対する「恐れ」の思いを芸術の形にすることは、まだクリエイティブで
許される(?)範囲かもしれません・・。
が、見えない世界にとどまらず、実際に見える世界に敵を作り、恐れから攻撃・排除する・・
それが侵略戦争や殺戮に繋がってきたことは、過去の歴史に在るとおりです。
そして現代世界(社会)も全く同じ構図があります(軍備・核の保有もそのひとつですね)。

環境汚染・破壊にもエックハルトは触れています。
これも「食べられない事=死への恐怖(食糧危機)」が発端となっている思います。
過去に読んだ本(百姓暮らしの思想 筧次郎著)に、実は農業が環境破壊だとの内容が
あったのを思い出しました。
環境破壊といえば、農薬や遺伝子組み換え問題が頭に浮かびますが、それ以前の話で
山野を切り開いて畑にし、維持するーそれがもう「環境破壊」だと、私は知らなかったので
読んだ当時、たいそう驚いたことを覚えています。 
このサイトにも説明があります。
工業汚染も、つきつめれば「儲けなければ食べられない(=生きられない)」という恐れからくる、
過当競争のなれの果てです。

恐れを原動力にした貪欲さや権利・支配欲が、狂気の歴史を作り上げてきた。
そしていまなお、無差別暴力(テロ)や侵略戦争は続いている。
地球上生命体で唯一人間だけが「思考」をもったばかりに、エゴに操られ続けているー
どれだけテクノロジーが進化を遂げても、「心」の部分では全く進化できていない・・
「目覚め」ていないことを、エックハルトはこの章で明確に指摘しています。

しかしこの恐怖と貪欲さと権力欲は此処でいう機能不全そのものではなく、
それぞれの人間の心の中に深く根を下ろした集団的妄想と言う機能不全の結果である。
多くのスピリチュアルな教えは、恐怖と欲望を捨てなさいと言う。だがこの試みはたいていは
うまくいかない。機能不全の根源に取り組んでいないからだ。

もっと良い人間になろうと努力するのは確かに立派でほめられるべきことのようだが、
当人の意識に変化が起こらない限り、結局は成功しない。
良い人間になろうとするのもまた同じ機能不全の一部で、微妙で判りにくい形ながら、
やはりエゴイスティックな高揚感、自意識や自己イメージの強化を求める欲であることに
変わりは無い。

良い人間、それは、なろうとしてなれるものではない。すでに自分の中にある善を発見し、
その善を引き出すことでしか、善い人間にはなれない。だがその善を引き出すためには、
意識に根本的な変化が起こる必要がある。

もともとは高潔な理想から始まった共産主義の歴史は、人々がまず自分の意識状態という
内なる現実を変化させようとせずに、ただ外部的現実を変えようとー新しい地を創造しようとー
試みる時に何がおこるかを明白にしている。
共産主義者は、すべての人間が持っている機能不全の青写真を考慮せずに行動計画を
立てた。その機能不全とはエゴである。
(p34-42抜粋)


地球人ひとりひとり、各個人の、「意識の目覚め」がなければ、恐怖や欲望を捨てたところで
同じ事の繰り返しだとエックハルトは説いています。
「良い人間になろうとすること」も、エゴの下においては単なる「承認欲求」「自己顕示欲」に
終わってしまう事があるという指摘は、鋭い!!と思いました。
誉められたくてやってる人は、誉められなければ拗ねが生じる。
親切な行動の裏で、見返りを求めるタイプがこれに当たるかと思います。
こんなに尽くしたのに・やってあげたのに・・的な。
または「いい人と思われたい」が為の行動も当てはまるかと(創価脳にもありがちなタイプw)。

共産主義のくだりについては、読んだ時点では全くピンとこなかったのですが、
5月2日放送のTV番組「しくじり先生」の「しくじり偉人伝 カール・マルクスの資本論」を見て
「そういう事か!!」と、初めて意味が解りました。
(興味のある方はぐぐってください)
共産主義は「性善説」に基づいた理想論、実際やってみたら大コケしたーという
ソ連崩壊までの流れが実に簡潔にわかりやすく説明された番組内容でした。 
理想を掲げ、新しい国の枠組みを作り上げてみたところで、国民ひとりひとりの意識状態が
エゴに支配された状態だった故、「性善説」が成り立たず。崩壊に至った・・という。

ここまで「思考=エゴ」に振り回され続けてきた人類史の解説を読み、
時代は変われども確かに人間は同じことを繰り返してきてるよな・・と、歴史的観点から見ても
理解が出来ました。
ひとつひとつの時代が終わり・新たにはじまり・・の理由まで考えた事はなかったけれど、
(それまでは単純に「流れ」だとしか思ってきませんでした)
エックハルトが初めて「エゴ」がそうさせてきたのだ、と教えてくれたように思い、凄い!と
シンプルに私は感動したのです。

全ての人がおなじもの(宗教)を信じる事で平和が訪れるーというような無茶を
エックハルトは言いません。 
それ(一つの宗教で統一)こそが「エゴ」の望みなんでしょうし、全世界のあらゆる宗派が
そこを目指している限り、そんなことは永遠に成し遂げられず、平和になる道理がないのです。
これまでの歴史を見ていれば、簡単に解る事ですね。
だからもう宗教は、ただ「各個人の心の修養」や「拠り所」「祭祀」としてあればいいと私は思います。
あくまでも自己完結で。
「宗教」の名のもとに、みんなで何かを目指す必要は無い。
集団で力を持つような事とは、違うのではないかと。
そこにエゴがある限り、ろくなことにならないし・ならなかった事は周知のとおりです。

エックハルトは、一人ひとりの意識状態が大切だと説いています。
わかりやすい動画です↓


機能不全は、ごく身近なところにあるものです。
身の回りにもいませんか?不愉快をまき散らすタイプの人。
不愉快ならその物事から離れればいいのに、執着し離れず、グチグチネチネチ・・。
こういった状態も、短期間ならまだいいのです。
その人にとって、次の段階へ進む必要なプロセスの場合もあります。
しかし数年間に渡って続くとなると、確実にその人自身が不愉快を引き寄せるように
なります。 動画の中でエックハルトが教示している通りです。 
そうならないためにどうするか、といえば「自分を俯瞰で見る」これに尽きると思います。
不愉快な思いや攻撃心・酷い落ち込みや恨みなど、ネガティブ感情が上がってきたら
「あ、今自分はネガティブに陥ってるな」と、一段上から自分を見て、その感情に陥っている
自分に気付いて観察する。
その感情に対して「いい・悪い」という評価はしません。
ただ、自分がどのような状態に在るか、そこに気付くだけでOKです。
この繰り返しで、エゴに振り回される「機能不全」を回避できるようになります。
「自分責め」も、機能不全の一つだと思いますが、この方法で止める事ができます。
機能不全状態(自分責め含む)は、百害あって一利なしです。
パフォーマンスを下げるだけで、何一ついい事はありません。

是非、この「自分を俯瞰で見る」やったことのない方はお試しください。

大仰に世界情勢や世間の「問題」を憂う前に、まず自身の「内面状態」に目を向ける。
外世界の物騒が気になって仕方が無い時は、内面が物騒なのです、だいたい。
そこに目を向けないで、目をそらすがため「外界」を糾弾・攻撃する事で納めようと
しているけれど、これは機能不全のサイクルに巻かれている状態。ラットレースです。
そして、すでに創価から離れ覚醒した人間に対し、未練がましく講釈をたれる創価脳な人も
同じですねw 
自身の内面状態に問題があるのに、外に憂さ晴らしの種を求めている。
このブログなど、創価脳が読んだらイライラするだけなのですw
だったら読まなければいいのに、わざわざやってきては自分の内面を更に波立たせて
何かひとこと言ってやらなければ気が済まない!と。 ←これこそが、エゴの働きです。
たぶんご本人はそれを「破折」のつもり・・正義感でやっているとは思うのですが、
言うまでも無くそれもエゴですw
「目覚めていない」から、エゴに囚われているからそうなるわけで、自分で気付かなければ
なかなかその行動の非礼さ・恥ずかしさには気付かないものです。
トンチンカンな拍手コメントが目障りだから消したらどうですか?というコメントを頂いたのですが、
敢えて全部残しています。
件のお方が目覚めた時に自分で見直したら、ものすごく恥ずかしいことになるでしょう&
過去の自分は馬鹿だったなぁと、笑い飛ばしてもらえれば幸いだと思っています。

新しい意識

人類にとって最大の成果は芸術作品でも科学でも技術でもなく、自らの機能不全、
狂気の認識だ。遠い昔に既にこの認識に到達していた人々がいた。(中略)
二千六百年前のインドにいたゴータマ・シッダルタ(釈迦)である。
ほぼ同時に中国にも目覚めた人類の教師が現れた。その名を老子と言う。
老子は最も深い霊的な書物の一つである「道徳経」という形で、その教えを遺した。

勿論自らの狂気を認識することが正気の台頭であり、治癒と変容の始まりである。
既に地球上には意識の新たな次元が現れ、最初の花々が少しずつ開きだしている。
これまでごく少数ではあるが、同時代人に語りかけた人たちがいた。
彼らは罪について、苦しみについて、妄想について語った。「自分の生き方を見てごらん。
自分が何をしているか、どんな苦しみを生み出しているかを見てごらん」と。
それから彼らは「”ふつうの”人間存在と言う集団的な悪夢から目覚めることができるのだよ」
と指摘した。彼らは道を示した。
この人たちは人類の目覚めに必要不可欠だったが、世界の側の準備はまだできていなかった。
だからたいていは同時代人に、そして後世の人々にも誤解された。
彼らの教えはシンプルで力強かったが、歪められ、間違って解釈され、場合によっては
弟子たちに誤って記録された。
何世紀かが過ぎる間、本来の教えとは何の関係も無い、それどころか基本的な誤解を
反映する多くの事が付け加えられていった。
(中略)

こうして、宗教は人々をまとめるよりもむしろ分断する力となってきた。
生きとし生けるものはひとつであるという認識を通じて暴力や憎悪に終止符を打たせるのでは
なく、もっと激しい暴力や憎悪を引き起こし、人間同士を、異なる宗教を、さらには同じ宗教の
内部までを分裂させたのである。
宗教はイデオロギーになり、人々が自分を同一化させ、間違った自我意識を強化しようと
試みる信念体系になった。
人々はこの信念をよりどころに自分が「正しく」て相手が「間違っている」と断じ、
敵を、「他者」「異端」「間違った思想の持ち主」と呼んだ。
それによって自分のアイデンティティを確立しようとし、
対立者の殺害すらもたびたび正当化した。


だがー宗教の名ではびこってきたこのような狂気の行動にもかかわらずーそれでもなおー
核心部分では各宗教が指し示した真実が依然として輝いている。
どれほどかそけき光であろうとも、何層もの歪曲や誤解を貫いていまも輝き続けている。
ただし人は自らの中にその真実の片鱗を垣間見ない限り、その光を認識できない。
(p43-47抜粋)


上記抜粋はもう、首をぶんぶん縦に振りながら「全くその通りだよ!」と共感しきり。
(下線太字にしたところなんて、まんま創価のことじゃん!とw)

「宗教」の名のもとに組織をつくってみたりすることは、間違いの元なのでしょう。
そこにエゴがある限り・代表者やその周辺がエゴの塊なだけに・ろくなことにならないのです。
組織の歴史を振り返っても、まさにおんなじことが言えますよね。
(もう、皆さんわかってると思うのでいちいち取り上げませんけどもw
元々は信徒の団体だった創価が「宗教法人格」を持っていることも、実は珍しい事だそうで・・)

ただ、祖といえる人物(キリストしかり、仏陀しかり)が説いた教えはどんなに時間が経とうとも・
エゴの塊に利用されようとも、教えの真実だけは輝いている。
自分の中に、その教えの真実を見つけよう。 と、エックハルトは言うのです。

これもすごく大事で、何かの宗派に「入会」「所属」するなんてことは全く余計な話で、
現代は自らの求めに応じ選択し・学び、自分の中に答えをみつけていく時代なんでしょう。
そして宗教との関わり方も、あくまで自分主導・自分次第でいいのだと思います。
自由に、興味に応じて、自分の為になると思える事があれば心がける。
ましてや修行僧じゃないので、厳しい「訓練」(特殊な活動)なんか無用ですw
私個人の意見としては、宗教「団体」は要らないと思います。
伝統的な既成仏教と、神道と、キリスト教会があればそれで十分なんじゃないかと。
季節の祭祀や、人々の心のよりどころとして地域にあれば良い。
信者を布教活動に行かせたり・出版印刷物をやたらと購入させたり・会費を集めたり・
教義だと偽り、一般常識から逸脱したルールを強要するような団体は、
ろくなもんじゃないと経験上思いますw

昔々は現代のように、かんたんにその教えの中身を知ることはできなかった。
情報量の絶対的な少なさ・宗教の閉鎖性。
だからなんらかの会に属して教えに触れるしかなかった・・のかもしれませんし、それが元で
「権威化」していったのでしょう。
現代は過去と比べ、随分と開かれた時代になったと思います。
本流ともいえる寺院・教会は広く門戸を開き、一般人にもその教えに触れる機会を
与えてくれているところが多くあります。
(入場の際に手荷物チェックをするような団体は、怪しいので近づかないのが無難ですw)
図書館でも、いろんな本や資料を借りることが出来るし、アマゾンや楽天等で
大きい書店まで出向かずとも、本もずいぶん買いやすくなりました。
インターネットには、膨大な情報があふれている。動画も身近な存在になりました。
そこにどうアクセスするか(できるか)、きっかけの問題になってはくるけれど、
インターネットの出現によって、個人の力でも在る程度
「調べる」「知る」ことの可能性の幅が広がったのは大きなことだったと感慨深く。
インターネットが日本で一般に使われ始めたのが1995年でした。
私がその存在を知ったのは1996年、勤務先で導入されたことがきっかけです。
1998年には自宅にパソコンを購入し回線を引いて、ネットを始めました。
エックハルトの最初の書籍(The Power of Now)が海外で発売されたのが、1997年です
(日本では2002年)。
この95-97年あたりが、新時代への転換期だったのかなぁ・・?と、思ったりしています。

おばさんのたわごとですが、私が若いころ(20代前半)は本当に調べようがなかったんですw
週刊誌に創価スキャンダルが出ても、幹部の「そんなものはデタラメねつ造記事だ!」でハイ終了。
なんかおかしい・・と思っても、そんなことはどこにも吐けないし・同じ考えの人が広い世の中に
いるかどうかを、確認するすべもなかった。 
それが今じゃ、ネットで個人が気軽に発信・広く交流する事が出来るようになりました。
全てが信用できる情報ではないかもしれないけれど、それでも「集合知」の御蔭でどれだけ
覚醒が進んだことか。 インターネットに感謝しています。

ああ、また話題が脱線してしまいましたw 次回に続きます。


↑「The Power of Now」の日本語訳本です。
問答集のようになっていて、日常生活の中でどのように「今」にあれば良いか
詳細に書かれています。
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