神社参詣と神棚のこと

前回、神社参詣を通じて「他力=大いなる存在」に気付くことができたと書きましたが
他にも以下の気付きがありました。

まず一つ目に
「私は、日蓮仏法を捨てた時点で、祈りや願いを封印していた」
でした。
これは全くの無意識でしていたことで、最近になって気付いて驚愕したんです。
祈りや願いを封印した結果、どうなったのか・・そして、神道を通じて「祈り・願い」の力を
再び教えられた経緯をお伝えしたいと思います。

二つ目が
「他力=大いなる存在は、祈り願う誰人をも無条件で助ける」
ということです。
下線入れました「無条件」ここがミソです。

三つ目が
「そして私は、生まれてこのかた実はずっと
 大いなる存在に助けられていたとわかった」
です。
創価脳時代、いくつもの願いをかなえました。当時は「ご本尊様」に祈ったおかげだ!と
思ってきました。が・それは実際のところ、「ご本尊様」を通じ「大いなる存在」へ
アクセスしていた、それで願いを叶えたり・なにかと護られたり、不思議な体験を
してきたのだ・・と、理解し・腑に落ちたのです。
つまり、祈りの対象は何であれ、その願いは「大いなる存在」へ届き、
自分が願って叶ったことは「他力=大いなる存在」の作用である
だからどんな宗派であっても(勿論日蓮仏法でも)願いは叶っているのだ・・
と、私は解釈しました。

上記3点を軸に書きたいと思います。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

まず、神社観について。
創価家庭に育った人の大半は「神社なんて行かなくてよい」と親に教わったと思います。
私ももれなくで、「神社には悪鬼魔神が住んでるよby日蓮」が思考の背景にありました。
残念なことに、幼稚園の遠足で神社に行った日の夜、高熱+嘔吐でシンドイ思いをし
幼心に「仏罰があたったんだ!」と、トラウマになってしまいました。たった1度のことなのにw

父方の親戚に大きな神社があり、遠方でめったに里帰りしない父を案じてか
祖父母が時折、そちらの神社の御祈祷札やお守りを送ってきました。
その小包を見ただけで、私は頭痛や吐き気を催していたのです。
母はそんな家系の父と結婚したことを「自分(=母)の宿業が深いせいだ」と申しておりました。
なんでもかんでも不幸の材料にしたがるw どんな宗教なんだよ!と、今となると思います。
物心ついたころから「神社は禁忌・鬼門」だと刷り込まれ、
大人になって以降もできるだけ近寄らないようにしていました。 
そんな私の「思考の背景」が変わったのが、覚醒前の2010-2011年頃。
日本史の本を読むようになって、それまで抱いていた神社へのイメージががらっと変わりました。
(この記事に書いています)
以降、日本人として参詣くらいはお作法として出来なければ、いい大人なのに恥ずかしい!と
思うようになり、義実家帰省時の初詣に参加するようになりました。
ただまだ、この頃は「日蓮仏法最高!」と思っていたので、神社へ行ってもなにもお願いはせず
「無」の境地で、お題目を心で唱えていましたw

2012年秋、創価が宗教をかさにきた巨大ビジネスだった!と気付いた時も
「日蓮仏法は絶対だ」という考えは揺らぎませんでした。
創価の活動を一切やめても、日蓮仏法だけは個人信仰していこうと思っていたほど。
けれど、自分の信仰観を見つめなおすことで核となる「選民思想」に行き当たり、
2013年5月に旧友(東日本大震災の被災者)と再会し、九死に一生を得た体験を聞かされて
その「選民思想」が砕け散ってしまいました(この記事   )。
ここで私は「日蓮仏法は信ずるに値しない」という結論を下します。

日蓮仏法を否定する=それまでの生き方の根幹をまるっと覆すわけで、辛い事でした。
同時に、自分責めが始まります。
主には「祈ってればなんとかなる」という考え方を強く戒めるようになり。
そんなお花畑思想は捨てよう!と思ったのです。
此処で私は、祈ったり願ったり望んだりということを、やめてしまった・忘れたのでしょう。
「やめよう」と、特別に決意したわけではありません。
単純に、それまでの”祈る対象”が、無くなってしまい・・かといって「はい次~!」なんて
他の対象に飛びつくことも、したくなかった。 
何かを信じることに対して・・「宗教」に対して、特別悪しきイメージを持ってしまった事も
ありましたし、こんなに簡単に創価に40年も騙されてきちゃって、
自分が非常に愚かな人間なのでは・・またやらかすのでは?という懸念もあったのです。
「祈ればなんとかなる」というような、甘い考えは今後、排除して生きていかねば!と。
↑思えばこれが、そのあとに約3年続く「逆流の中を漕ぐボート」のような状況を
生みだしていたと、今だから解ります。

もし今、なにも祈る対象がなくなってて・願ったりしてない・出来ないって人は、
月でも星でも太陽でもかまいません、大いなる存在へ祈り願うことをすぐ始めてください。
もちろん神社やお寺へ行くことでもかまわないのです、抵抗がなければ。
とにかく「上(天・宇宙)を向いて」願って行くことって大事です。
それが人生を大きく下げない事に繋がります。

大いなる存在は、ぶっちゃけ何もしなくても助けてくれますが(絶妙な・ぎりぎりのラインでw)
「願い・祈り」を、表明したほうが、もっと話は早いのです。
そしてその「願い・祈り」に「嘘」が一切ないこともポイントになります・・が、この話は別記事で
書かせてもらいます。 

2013年5月以降、祈るのをやめた私は、現実に強くフォーカスするようになります。
「祈り願う」ことで得られる安心感がまるでなくなった為、かわりに現実に不安を感じないよう
目に見えるものを増強するようになりました。
それはまるで「大いなる存在」を否定するようなもの。
完全に「今にある」状態にはなく「まだそこにない未来」に強く不安を抱くようになりました。
何が起こるか分からないから、あれもこれもと先取りして考え・方策を立てジタバタとし
「取り越し苦労」が増えました。
希望的観測をもつことより厳しい見通しをもつことが主になり・・今思えば、なのですが
本当に2013年~昨年までの私は、その前と比べ疲労感が増大していたのです。
子供たちの成長に伴い(幼稚園と小学校)用事が増えたことプラス、厳しく現実を
見ていたので、子供たちに対しても「今やっておかなきゃ、あとで困るんだよ!」と
重荷を課すような事もしていました・・それにつきあう自分も完璧でいなくては、と肩肘張って。
役割をしょい込み、自らどんどん状況をタイトなものにし、「がんばり過ぎ」ていました。
「祈ってればなんとかなる」を封印してしまったから、
「他力」を知らなかったから、自分でやるしかない・自分がやるしか!と
ガチガチに肩に力を入れ、余裕なく思い込んでいたのです。

するとどうなったか。
やりたくない役割を頼まれるも「NO」と言えず、いやいや続けることに
なってしまったり・・人間関係が悪化しました。
2013年からガラリと周りにいる人たちが変わったんですが、どういう訳か次から次へ
厄介な人(?)ばかり現れるのですw
また、こちらが正義をふりかざして事に当たると全く解決せずこじれていくばかり、という
ケースにも遭遇しました。
しかし、人間関係の悩みなんてどこにでもあるし~とか・命取られるわけじゃないし・
実際自身の生存に関わるような問題でもなかった為、「どうも変な流れだな?」と
薄々思いながらも、深刻に思い悩んだり煮詰まるほどには、当時至っていませんでした。
最後には義実家問題で強制終了となったわけですが、本当に、「なるべくして」
この苦難に遭わせてもらえたんだなぁ・・とw
「そっちじゃないよー」と、大いなる存在が常々教えてくれたんだなと、今は解ります。
それでも私が気付かないから、ショック療法的な義実家問題が出てきちゃったのかな?と。
スピリチュアル系の本を読むと概ね、そう書いてあるんです「ピンチはチャンス」的なことが。
エックハルト氏も「人生は意識の進化に最も役立つ経験を与える」と言ってました。
なので、もし今なんらか、人間関係・家族関係でうまくいかない流れや・苦難のさなかにある方は
”気付き・見直しのチャンス”だと捉えてください。
きっと無用な思い込みをたくさん握ってるよ!手放してね!という、サインです。

さて、ここからやっと神社のエピソードです(前置き長!)。

私が自ら神社へ出向き初のお祓いを受けたのは、2013年夏でした。(この記事
日蓮仏法を否定した後、精神的に落ち着かない状態が続き・自宅内で奇怪な現象も
続いたため、友人の助言を思い出してA神社へ向かいました。
その時は「お金で解決できるなら楽だ」くらいの考えで出向いたんです。
半信半疑でしたが、見事に御祈祷を受けたその夜から怪現象はなくなり、私自身も
精神的な落ち着きを取り戻しました。
この経験で「神社ってパワーあるんだなぁ(上から目線)」という感想をもちましたが、
これがきっかけでハマったという事もなく、その後暫く神社を訪れることはありませんでした。

次にA神社を再訪したのが、2015年の1月。
前年の暮れに、人間関係でちょっと心配な出来事があり、ふたたびお祓いをしたほうが
良いのではないか・・と感じて、年明けに伺ったのです。
そこで2月の「節分祭」を教えていただき、年の災厄をはらう神事に参加することに。
この記事の後半にも書いたのですが、その後、縁切り社であるB神社へも参詣したところ、
心配に思っていた事の張本人が、海外転勤でいなくなるという朗報があったのです。
ここで「神社って、やっぱすごいんじゃない?!」と、そのパワーを見直したというか。
この結果が何によるものなのかは当時わからなかったけど、
神社には災厄をはらうパワーが確実にある!と感じた出来事でした。

翌月、新居への引っ越しを控え、C神社にて方位除けの御祈祷を受けました。
そして新居の近くにある氏神様のD神社でも神宮大麻と御札を頂きました。
都合、御札が多数になったので神棚を祭ることにしたのです。
リビングにむき出しの御札を複数飾ることに抵抗があり、コンパクトに収納したいとの思いから
シンプルな一社祭りを選択。
何か特別な思い入れというよりは、インテリア(見た目)重視での神棚設置でした。
あまり仰々しくしたくなかったので、当時は御供・御榊もあげていませんでした。

新居近くのD神社はとても雰囲気が良く、初めて行った時から空気感が好きでした。
そちらへ月に一度参詣をするようになったのは、お参りをすると不思議と頭がすっきりすると
気付いたからです。
一か月無事暮らせたことへの感謝と・また来月もよろしくお願いしますという祈り。
そのD神社で、不思議な経験をしたのが昨年12月。義実家問題勃発した時でした。
主人が話し合いで帰省した日の朝、いてもたってもいられずお参りへ。
D神社で具体的なお願いをしたのは、このときが初でした。
早朝、誰もいない拝殿前で参拝を済ませると、突然上方からザーッと風が吹き下ろし
私の体の周りをくるくると暖かい風が巻き上げていくのです、葉っぱも舞っていました。
12月なので、暖かい風という時点でもうかなり不思議だったんですが。
えー?なにこれ?と思っていると、風がやんで頭の中に「全て思い通りになる」という言葉が
浮かびました。 こんな経験は初のこと。
一瞬のできごとで、その前後は全くの無風。不思議だな~と思いましたが、励ましてもらって
いるのかな?と嬉しくなり。
しかし、年が明けてから新事実が多数出てきてパニックで「どこが思い通りなの?!」と
不信に思ったんですがw 今はあの風が示唆だったとわかるのです。
”大きな風(ごたごたのアクシデント)が吹き去ったあと、思い通りになるよ”との意だったと。
実際、1月2月は波乱でしたが、おかげで大きな気付きを得ることができましたし、
出来事が過ぎた後の状況は、絶対変わるはずないと思っていたことが変わり、私の思い通りに
なりました。

2016年2月もA神社の節分祭へ参加しました。
御祈祷を終えて帰宅した直後、義母さんがらみで訴状が裁判所から届きました。
凄いタイミングで、この時も一瞬
「なんなの?!お祓いしてきたばっかりなのに!もう災いが来てんじゃん!」と
不信に思いましたw が、この日の夜に主人と話しているうちに急に馬鹿馬鹿しくなって・
私は全ての問題を「手放す」ことを決めたのです。
以前も記事にした通りですが、すべてがここから変わったと言っても過言ではないほど。
後になって「必要があって、起きたこと」だったとよくわかりました。
当時は様々悩み、このトンネルを抜け出ることはできるのか?と疑わしい心境でしたが
心理学やエックハルト・トール氏、現代の覚者の教えと次々に出会うことができ、
大きな気付きを得て、いまも気付きの連続です。

今だから言えることなんですが、この、神社参詣後に起きてくることのタイミングが
まさに「神の采配」で、絶妙だったのです、今までずっと。
(他にも小さなエピソードがいくつかあるのですが、長くなるので機会があれば別記事で)
2013年夏と2015年初頭なんて、まさに「困った時の神頼み」
普段まったく神社にいくでもない・神様を信じていたわけでもない私でも助けてもらえた。
必ず良い方向へと・思ってもみない解決策へとガイドしてくれていると気付いたのです。
「大いなる存在」が、動いてくれたとしか思えない。
これって、すごい事だよなぁ・・と、しみじみ驚いたのは今年の夏ごろでした(遅)。

創価脳時代の祈りや願いと比較したら、よくわかります。
「祈るだけじゃだめだ。信行学だ!」「自行化他に渡らなければ願いはかなわない」
組織じゃこんなケチくさい・厳しい事ばっかり、言われてましたよねw
本当は祈り願うだけでよかったのに、時間と労力と金銭奉仕(←ほぼこっちメインだったかも)を
励行されて。
だから時に凄く頑張ったりしてましたが・・頑張らなくても簡単に叶ってしまったこともあったし・
頑張ったってどうにも叶えられないこともありました。
叶った時は「ご本尊のおかげ」叶わなかったときは「これも意味のあること、あとでわかる」と
していました。
神社参詣するようになってから、スピリチュアル系の本を読むとこう書いてありました
「神の采配は完ぺきで、その人にふさわしいタイミングで物事が起きてくる。
 願いが叶う・叶わないも、神の采配である」と。
この2つの融解点を考えた時、私はひとつの答えを得ました。
「どの時にあっても、生まれてこのかたずっと自分を護ってくれて・時に願いを叶えてくれたのは、
 大いなる存在だったんだ!」
と。

OOの信仰をしていたから「願いがかなった」わけじゃないんです。
OOの活動をしていたから「願いがかなった」わけでもなかったんです。
崇敬対象がなんであれ、願い祈った時、あなたの思いは「大いなる存在」を動かす。
創価時代の「願望成就」は”たまたま”だったと、私は日蓮仏法を否定した時そう思ったのですが、
”たまたま”じゃなくて「大いなる存在」が叶えてくれていた。護ってくれた。
それだけのシンプルな話だと、理解したのです。
「他力=大いなる存在は、祈り願う誰人をも無条件で助ける」
だからやはり、枝葉的なこと(選挙活動・勧誘・新聞推進・その他)は無用だと
いうことです(いまさらですが)。
創価脳の皆さんが「願いが叶った」と思っているのも、実のところ「大いなる存在」に
願いが届いてるということですし・「頑張ってるのに叶わない」というのは願いが頓珍漢だから・
矛盾があるから、そもそも叶える必要ない、ということで。 
活動や祈りの数量は直接関係なかったということです。
↑このあたりに関しては、他にも考察あるので別記事で来年書いてみます。

そして言うまでもなく、「大いなる存在」は誰人にも平等です。
空気のように、誰人にもいつも寄り添っています。

あの信仰対象でなければだめ・この宗派が絶対・・そんなことは人間が勝手に言ってるだけの話。
そういった凝り固まった「選民思想」は、わだかまりを確実に生みます。
エックハルトが指摘しているように選民思想なんてエゴの最たる形ですからね。
自分がまっすぐに、素直に、願い祈れば、それだけで十分なのだと思います。

祈りや願いは、心に安心感と余裕をもたらします。
「大いなる存在」がいつも自分のそばについている。大丈夫だ!っていう気持ちでいれば
ガチガチにならずに済みます。
そういった意味でも、宗教アレルギーはちょっと忘れて「天」に向かって願うことを
してみてもいいと思います。
「大丈夫、自分はいつも見守られている」って、思うだけでも心持ちはずいぶん変わってくるでしょう。
要は「依存」しなければいいのであって、「ギブ&テイク」の考えも捨てることです。
無条件で助けてくださっているのだから、「これだけやったのに!」なんて思わない。
そもそも、「天」にむかって願うだけなら「これだけやったのに!」なんて感情は湧かないですよねw
そこに労力やお金が絡むからおかしくなるのです・・たぶん。

2016年2月から、神棚を三社祭にし、御榊と毎朝御供をし、朝夕の参拝を
しています。
神道の基本は、始祖崇敬であり、自然の恵みへの感謝です。
何千年と連綿と続く「命」「循環」への感謝。
神話には陰陽があり、生命体のすべて、宇宙のすべて、といってもいいくらいで
(古事記や日本書紀を読んでみてください)
神道でまつられる八百万神は「大いなる存在」ともいえると私は思っています。
朝夕、自宅の神棚にて
「生かしていただいて、ありがとうございます」
「いつも助けていただいて、ありがとうございます」という感謝を伝える。
シンプルで拘束感なく出来ますし、何より清々しいルーティンとなっています。
お供~参拝で3分くらいなので、気軽なところも続けやすく良い点だと感じます。

長文になりましたが、自分の現実はすべて自分の「思い込み」で出来ていると知ったら
心がけが変わります。 
本当に恐ろしい程、自分の思い通り・願いがかなっての「今」なんです。
だから思考には、よくよく気をつけたほうが良いのです。
絶望諦めよりは、何かを信じ希望を持って生きるほうがプラスであることは、言わずもがなです。

私の現状は、人間関係も家族関係も平穏な問題無いものになり、
日々機嫌よく過ごしています。
振り返れば、昨年のちょうど今頃に義実家の問題が発覚しました。
あのとき、こんな一年後を全く想像できませんでした。
今、好きな場所で音楽を聴きながら・マイペースでブログを書くことができている、
感謝しかありません。
あの一連の出来事がなければ、今をこんなに幸せに感じることもなかっただろうし、
そこでバシャールのいう「コントラスト」という言葉が、とてもしっくりくるのです。

過去も今も、あなたを苦しめるために在るのではありません。
自分の思考がそうさせているだけ、と気付くだけで世界は変わります。
気付けば・変われば、コントラストの意味も即座にわかります。
すべては自分次第です。

神社の話は一切でてきませんが、おすすめの本です。
意識の使い方・在り方がわかりやすく書いてあります。
タイトルが若干胡散臭いですがw同シリーズの「ワクワクの使い方」も
いい本です。
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

人生に奇跡を起こすバシャール名言集 [ ダリル・アンカ ]
価格:1296円(税込、送料無料) (2016/12/22時点)


スポンサーサイト
Category: Notice&Replace