2016年 感謝

今年も、拙ブログをご覧いただきありがとうございました。

2016年は私にとって、大転換期でした。
ブログの路線も、6月以降大きく変更しましたが
それでも読み続けてくださる人が沢山いらっしゃった事が、嬉しかったです。

今年に入ってエックハルト・トール氏の書籍を読み、その叡智に触れ気づいたのは
「創価脳もアンチ創価も、自分責めという一点において根っこは同じ」だという事でした。
だからずっと腹を立てているし、わだかまってるんだなーと、そのメカニズムを理解しました。
そして概ね「自分」をみていない。
他人の事ばっかり気にして、他人のことばっかり問題にして、心配したり不安になったり
軽蔑したり腹を立てたり、イライラし続けている。
私も以前はそうだったので、気持ちはわかるのですがw

エックハルト・トール氏の語る「今にある」状態とは、どういうことなのか?
4月以降、思考を止める(~とエゴが申しておりますと思考の語尾に付ける)ことから始まり、
副読本に津留晃一さんやバシャール、心理学者の大嶋信頼さんの著書を読んだりして
自分なりに理解を深め・実践してきました。
そうして徐々にわかったのですが、
「今にある」状態とは一言でいえば「調和」です。
「自分自身にわだかまりのない状態」です。

それでブログタイトルを「わだかまらない生き方」に変えました。

ブログ拍手やコメント欄からお悩み、質問を頂く中で、思い当たったことがあります。
全てに繋がることですが「自分」がどうしたいのか明確になってなくて、「他人」ありき。
「いま」にない事を問題としている方が多いな、と感じました。

ニュー・アース記事のなかでも書きましたが、「いま」困っているかいないのか。
「いま」問題としていることが、どう自分を苦しめているのか、いやな思いにさせているのか
わだかまりを生んでいるのか、ちょっと立ち止まって解析してみると良いと思います。

なんにでも言えることですが、このブログはもともと創価の家族問題を扱ったものでしたから、
「わからずやの創価脳な母親・父親・身内・外野」で例えてみましょう。

お父さんが「信心しないお前なんて無価値」だという から むかつく。
お母さんが私に悪事が起きると「それみたことか、題目あげろ」という から むかつく。
両親が今年も財務で3ケタをおさめた から むかつく。
バリ活の兄姉妹弟が「信仰から外れるなんて堕地獄だ あとで泣きを見るぞ」という から むかつく。
組織の人が「あなたのためを思って言ってる」「罰が当ってからでは遅い」と引きとめる・
しつこい家庭訪問をやめてくれない からムカつく ←はっきり「迷惑です来ないで下さい」と伝えましょう。
バリ活ブロガーが組織をたたえるような駄文を書いている から むかつく。
大本営の先生会長職員どもがシンプルにむかつく。

私の今の想像力では上記くらいしか思いつかなかったんですがw パンチ効いてなくてすいません。

で、これ青文字が主語なんですけど、気付かれましたでしょうか。
ぜんぶ「他人」に反応してるんです。
「わたし」じゃありません。

「他人」がやること話すこと(=客観的事実)に対して
「わたし」がむかついてるんです、勝手にw

これを「いま」にあてはめて考えるとき、
嫌な思いを「他人」からさせられている、と感じる底の部分・
反応(イライラざわざわむかつき)のトリガーを見てみれば
たった「いま」問題ではないと気付くことができると思います。
だって、原因は「他人」だから。
で、「わたし」が勝手に「他人=外側」に翻弄されてイライラしているだけの話。
他人=外側に翻弄されてイライラ」しているのは、まぎれもなく「思考(エゴ)」だから。
そして「思考(エゴの声)」は「わたし」ではないから。
「いま」=「わたし」は、実はなにも困ってないって、これで解ると思います。

(↑ここで「でもでも、だって~!」とゴネ始めるのも、
 あなたの底の部分にある原因が織りなす「エゴの声」ですから無視してください)

で、反応(イライラむかつきざわざわ)のトリガーとなる、底の部分にあるものは、
9割がたが「自分への罪悪感・無価値感」です。

元創価脳の方は、創価脳だった頃は「使命感」に燃えて生きていたと思います。
自分が誰かを幸せにできれば、誰かの心に灯をともせれば、
小さな事柄が大きな連帯となり世界も平和になって
ひいては自分も幸せになれるって信じて頑張っていたと思います。
「崇高な使命感」ありきの、自分だったと思います(=私もそうでした)。
それがいったん、打ち砕かれて、野に放たれて「役に立てない自分は価値がない」と
無意識のうちに、思ってしまってる人もいるかもしれません。
また、色んな意味で絶望を感じ、「自信」を失った方も多いと思います。
あれだけ長年創価を熱く語り、正義だと周囲に訴えてきた自分があっさりそれを裏切った、
そんな自分は罪びとだ、と無意識に思ってしまってる人もいると思います。
「自分が悪い」と思っているんです。
「自分を責め続けて」いるんです。

そうは言いつつも自分を悪者にしたくないから、
創価や身内を憎んだり攻撃しないと、やってられないという複雑な「仕組み」です。

親兄弟が創価をいまだに信じていることが腹立たしくてならない、気になって仕方がないのは
自分が罪悪感を手放せないからです。
(親を裏切った悲しませたという罪悪感と同時に、福子であるがゆえトンデモ教義を信じきって
 しまった自分への処罰感情などなど)
創価関係者の外野に気分を乱されたと感じるのも、罪悪感が根っこにあるからです。
関係者の動向が気になって仕方なく、監視&批判し続けないといられないのも
罪悪感が根っこにあるからです。
それをきれいさっぱり忘れてなかったことにするなんて、できません。
だって「そうして創価や身内や外野を責めている自分」がアイデンテティになってるから。
それを失ったら、立っていられないって「思いこんで」いるんです。
誰が?エゴが、です。 エゴは放下に耐えられませんから、ネガティブを絶対手放そうとは
しません。存在意義を失うことを、世界一恐れているからです。

で、果たして本当のあなたは悪人・罪びとなのでしょうか?
そうだと思い込んで、勝手にそう決めつけているのは、
実は自分(あなたのエゴ)ではないでしょうか。
(親・身内から言われた等あるかと思いますが、それは外野の声なので無視してください。)

「周りが・親が・あいつが悪い!」と思っている間は、残念ながらなんにも変わりません。
なぜなら、それは巧妙な「自分責め」だからなんです。
「自分が悪い」をこじらせて周囲を責めている。解りにくいんですが、本当です。
続ければむしろ、自身を取り巻く環境はどんどん悪くなっていきます。

エックハルト氏が「ニュー・アース」で教えてくれているのは、
自分が「生きている」それだけで完全で完璧な存在であるという、
根源的に満たされている真実に気づく
ことの大切さです。

エックハルト氏が提唱する「思考を止める」とは、一番てっとり早い「自分責め」を
止める方法です。
無意識に四六時中なされている頭の中のダメ出しを止めるわけですから、効果絶大です。
前々回記事でも触れたように、
私たちは誰人も「大いなる存在」に生かされています。
そして何があっても、生きて呼吸が続いている間は
「大丈夫」なんです。
あなたの存在こそが「大いなる喜び」です。
そこになんの条件も理由もいりません。
この絶対的な生命への信頼感を、まず知ってほしいと思います。
 
生かされている、その奇跡と幸いの前に、責められるべき理由なんて何もありません。
そして何かを成さなければ・役に立たねば無価値だということもないのです。
(自分の思考が勝手に評価を下しているだけです)
誰人も生きているだけで、根源的に満たされています。

そして、周りに影響を受け・翻弄されているうちは、なかなか心は安定しませんし・
「わだかまらない」で過ごすことはまず困難だと思います。

どうしても人というものは、外側の現象ありき・目に見える状態(現実)ありきで
「自分が祝福され・認められて此処にいる存在か」を判断しようとします。 
実際それがわかりやすいですしね。
けれど、外側や他人に「祝福の証拠」や「幸せ」を求めているうちは、不安定なわだかまりの多い
生き方になりがちです。
外側や他人の承認という「条件」がなければ「幸せ」で「満たされ」ていられないのなら、
それが無くなったら不幸や不安・欠乏感に陥るのは明白だからです。
この記事でも書いたように、上記は「外付けパーツ」です。

結局は「自分が自分を認め、励まし、肯定し、自分を心地よくいさせる」ことにしか
揺るがない調和はありません。 他人や周りは全く関係ないのです。
「いま」にあることの真髄は、上記太字部分だと思っています。

自分が自分と調和出来ていれば、満たされていれば、周りのことはほんと全く気にならなくなりますよw
面白い程です。
そして、周囲の人間の状態は、あなた自身の幸・不幸には全く関係ありません
勝手に他人の現象を見て引っ張られて「不安」や「不幸」を感じるだけで、実際は「凪」です。
(だから親兄弟が創価脳でも、あなたが悩む必要はありません。
 あなたがそのことを一切問題にしなくなったとき、勝手に親兄弟は目覚めます。)
自分が自分の内面を、なだらかなものにできた時、現実や環境もなだらかで心地よいものへ
自然と変化しています。 

とりあえず、周りのことは忘れて棚に上げて・
自分責めをやめて、自分に優しくしてみるところから始めてみるといいと思います。
自分に集中し、自分と仲直りすることです。

”お父さんがお母さんが、身の回りの人すべてが創価を脱会することが自分の幸せだ!”と
思っている人は、それが達成されない間は不満・欠乏感にさいなまれ続けるでしょう。
とっととあきらめて、もう自分が幸せになってください。
自分の状態はコントロールできても、他人の生き方をコントロールしようなんて思わないことです。
勿論、わだかまって欠乏感だらけの自分が好きで・それを楽しんでやってるなら止めませんよw

まだ紹介出来ていないのですが、「ニュー・アース」(p238)に
「いま安らぎを得るにはどうすればいいか?
 いまという瞬間と仲直りをすることだ」
という一文があります。
今年の4月に読んださい、一番衝撃を受けたのがこの言葉でした。
今の”自分”と仲直りすること、と解釈してもいいと思います。

人生も現実も、私たちがかつて組織で洗脳されていたような辛く厳しい「濁世」なんてものではなく、
本当は、優しいんです。
自分がどう見ているか、ってそれだけの話です。
これは日蓮も語っていたことで
「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」
自分の意識状態がどこにあるかで、目の前の現実は変幻するということです。
けどなにも、お経を唱えたり特別な活動が必要なわけじゃないですよw(前回書いたとおり)
意識の使い方ひとつ、心のありかたひとつ、自分の思い込みを変えるだけの話です。
そのために必要なことは「自分自身にわだかまらないこと」です。
(たまたま、日蓮御書を思い出したので、いい部分を引用してみました。
 日蓮の言葉は真髄をついたものも多くあります。が、なにがなんでも自教が正しくて
 他は全部アウトって言っちゃったところや、過去世による自分責めが「前時代的」で
 今の時代にはそぐわないな、と。
 まだ総括できるまでに至ってませんが、いずれ私の考察も述べてみたいと思います)

えらく長文になってしまいましたが
一人でも悩める方が、少しでも気持ちを楽にするきっかけを
これからも伝えられたら幸いです。
来年もマイペースではありますが、更新していきますので
よろしくお願いします。

良いお年を迎えてください。ありがとうございました。

追記:今月申請完了し、脱会者となりました。近々、プロフィール書き換えますw

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