ニュー・アース 第三章(1)

第三章
「エゴを乗り越えるために理解すべきこと」


エゴの構造

大抵の人は頭の中の声~自分でも意図しない強迫的で絶え間ない思考の流れと
それに付随する感情~に完全に自分を同一化している。
自分の心に取りつかれている状態、といってもいいだろう。
そんな状態であることに気付いていなければ、頭の中の思考の主が自分だと思いこむ。
その思考の主は、エゴイスティックな心である。(中略)
あなたの思考、あなたの心の中身は、もちろん育ちや文化や家族的な背景などの
過去に条件づけられている。

全ての心の活動の核心は繰り返ししつこく反復される思考、感情、反応パターンで
できていて、人はそこに最も強く自分を同一化している。それがエゴそのものである。

ほとんどの場合、あなたが「私(I)」という時は、エゴがそう言っているのであって
あなた自身では無い。これはいままで見てきたとおりだ。
エゴを形成しているのは思考と感情、あなたが「私と私の物語」として自分を同一化している
記憶の集積、知らず知らずに演じている習慣的な役割、それに国籍や宗教、人種、
社会階層、政治的党派などの集団的アイデンテティである。
そこにはまた、所有物ばかりでなく見解、外見、積もった恨み、優越感や劣等感、
成功や失敗という個人的なアイデンテティも含まれる。
エゴの中身はひとによってさまざまだが、どのエゴでも同じ構造が作用している。
いいかえれば、エゴの違いは表面だけで、根底ではどれも同じだ。
ではどういう風に同じなのか?
どれも同一化と分離によって生きながらえている。(中略)

エゴが「私(I)」という思考を支えるには、その対極の思考である「他者」が必要だ。
「私(I)」という概念は、「他者」という概念が無いと生き延びられない。
その他者は、「私(I)」が敵とみなした時に最も確かな存在になる。

この無意識のエゴイスティックなパターンのものさしが一方の端に在るのは、人の過ちを
あげつらい、不満を言うエゴイスティックで脅迫的な習慣だ。
イエスが「あなたは兄弟の目に在るちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には
気付かないのか?」と言ったのも、このことを出している。
物差しのもう一方の端には、個人間の物理的暴力や国家間の戦争がある。
聖書では、先のイエスの問いには答えが書かれていないが、もちろん答えは
こういう事である。
”他者を批判したり非難したりすると、自分が大きく優れていると感じられるから。”
(p129-132抜粋)


前半部は、これまでのおさらい的にエゴのあらまし・性質について述べられています。
人間は唯のエネルギー(魂=大いなる存在)であるところ、3次元に出生したその日から
様々なもの(=アイデンテティ)を身にくっつけていく。
日々のドラマがアイデンテティを形成し、「個人」「私」となっていく。
全ての心の活動の核心は繰り返ししつこく反復される思考、感情、反応パターンで
できていて、人はそこに最も強く自分を同一化している。それがエゴそのものである。

とある中で、
「繰り返ししつこく反復され」て出来上がるものとして「観念」もあります。

ここで脱線。本文から離れますが、
私がエックハルト氏の本に出会った後、さらに知識を広げるべく「宇宙の法則」が
書かれた本をいくつか読みました。
津留晃一さんやバシャール、セス(という宇宙存在)の本には
”「観念」が現実を作っている”という事が、それぞれの表現で書かれています。
思考の現実化・願望の現実化についても「観念」が重要なカギを握っていて、
3者の言っていることを総合すると「自分は無価値だ」「自分はダメな人間だ」というような
ネガティブな観念をもっていることが、一番よろしくないとあります。
(観念=思い込み)
ネガティブ観念が基底部にあることで、自分が自分に制限をかけているという説。
私はこの説にとても納得したというか、これまでの自分の人生振り返ってもまさにそうだったので
「知りたかった答えがあった!」と、非常にワクワクしました。
ネガティブな観念をもっている人がいくら「仕事で一番になりたい」「モテたい」
「人気者になりたい」「好きな人に愛されたい」「お金持ちになりたい」なんて願っても、
観念が現実を作っているだけに、目の前に望む状況は中々現れません。
何かの拍子に、まぐれのようにその状況が現れても、チャンスをものにできなかったり・
長続きせずに終わってしまうのは、望みよりも「観念」が勝つから。
「観念」のほうが強いから、「望み」を叶えることを許可しないというのです。

そして「自分には価値がある」「自分は幸いである」という、
願望成就に必須のポジティブな観念は
「他者への尽きない恨み」にフォーカスしている間は表出し難い・・ともあるのです。
(ネガティブな感情は、観念が創り出している故)
ざっくりいえば「全てが繋がっているから」なのですが、詳しくはニュー・アースを
全編読んでもらえれば解ると思います。
なので自分の望んでいることと一切・直接の関係がないようであっても、
創価にまつわる問題(それ以外のなんでも・・自分を不愉快にさせるテーマ)に
ガチンコで固執し・深刻に取りあったり、ネガティブな感情を向け・長々時間を費やすことは
人生において時間の無駄で、辞めた方が無難です。
(お笑いネタとしてヲチする程度は、問題ないとおもいますが)
組織も大本営も無視していれば、集団的エゴはいずれは崩壊するんですからw 
無駄に気にかけて・イライラムシャクシャなんてせずに、放っておけばいいのです。
そして自分の人生の創造に集中するほうが、同じ時間を過ごすにしても有用です。
ここで全てを説明するのは無理があるので、願望成就や引き寄せに興味のある方は
バシャールの本やブログを是非読んでみてください。
引き寄せではエイブラハムの本も有名ですが、エゴのなんたるかを理解し・
エゴにふりまわされなくなってから読まないと、実践はただ苦しいだけだと思いますw 
願望成就の為には、徹底的な「ネガティブクリーニング」が必要なんだということが
最近の私の気付きです。 
「ニュー・アース」はその大きな助けになる、全ての基本と私は捉えています。


上に紹介した本のうち、セスが一番難解で、津留晃一さん、バシャールの順。
私的に内容に一番感銘を受けたというか・凄い・・!と思ったのはセスですが
(「セスは語る」「セス・ブック」の2冊が出ています。
1970年代に「カルマ(前世の業)は無いし、それを理由に帰依をあおる宗教は
ろくでもない(要旨)」と言いきっています。一念三千の真の解釈はこれなんだなー!と
感動した内容もありました・・ちなみに日本にこの本が入ってきたのは1999年です)
意識や感情の使い方については、バシャールが一番解りやすいと思います。
この話(願望実現)については、「ニュー・アース」とはテーマが異なりますので、
追々別カテゴリで書いてみたいと思っています。

話を元に戻して、後半部はちょっと耳の痛い真実が述べられています。
「私」を認識するための「他者」が必要、比較の世界です。
自分より相手がいいもの持ってる・優れてると感じれば憧れがいつしか嫉妬になったり・・
逆は優越感をもたらす。
他者は、「私(I)」が敵とみなした時に最も確かな存在になる。
とありますが、集団的エゴが常に「仮想敵」を用意して組織の統率をはかろうとするのは、
各個人の中に確かにある「エゴ」をうまく利用するためだと言えると思います。
(創価で言えば、宗門ですしかつての阿部法主ですねw)
敵(悪)を設定する事は、自身の正義感を高める=最も確かな「私」を確立できる、と。
その敵がいる限り、自分は正しいままでいられるから、責め続けもするし
執着もしますよね。 なんとも、わかりやすい仕組みです。
本当にエックハルト氏は、なんでも解ってるんだなぁ~と、感嘆します。

そして締めにこれ。
”他者を批判したり非難したりすると、自分が大きく優れていると感じられるから。”
これは一般世間においていえば、人間関係の中でしょっちゅう見聞きすることですよねw
バリ活がアンチを叩くのも、アンチ創価がバリ活を叩くのも、同じ理由からでしょう。

余談ですが、昨年、創価脳ブロガーどうしが叩きあう、という実に面白い状況wを
見かけたのですが、両者ともに「ニュー・アース」を読んで欲しいと思いました。
御書をいくら学んでも、毎日のSPや・爺様の著書や随筆を何百冊wと読んでも、
残念ながらエゴに気付く事は、なかなか出来ないのです。
(私も創価脳時代、そうだったから人の事は言えませんけどw)
それどころか、宗教依存はエゴをますます強化していた・・というお粗末さでした。

それとかなり前にも書いたかと思いますが、アンチ創価の内であっても
「非活なんてぬるい。脱会してこそ一人前だ(?)」みたいなことを
言う人がいたりするようですが(呆)、そんな事はいうまでもなく瑣末です。
自分が自分に納得していればそれでよくて、自分と折り合いがついていれば
他人の事なんか実はどうでもいいはずなのに
何故か他者と比較・差別に持っていきたがるということは、やはりエゴがそうさせており
「自分が大きく優れていると感じたい」 のでしょう。
または、わだかまりから他者を攻撃する反応が出ていると思われます。

年始にも「脱会したいのに諸事情で出来ない」とのお悩みコメントにお返事記事を
書かせてもらいましたが、
いま悩まれている方は、悩まなくてもいいんじゃないでしょうか。
脱会なんかしなくても・非活(金銭供与なし)で全然問題無いと、私は思います。
気持ちが全くないのに「会員」でいつづけることが気持ち悪い!というのは理解できます。
が、それも「組織に属している私」というアイデンテティに抵抗するエゴだと俯瞰すれば
「どーでもいいな」って、思えてきませんでしょうか?!
「いまここ」に、非活だから・脱会していないからって問題は何もないはずです。
頭の中に「早く脱会したい!」って焦るようなエゴの声が渦巻いているだけの話。
あなたは、あなたでしかありません。

実際のところ「脱会した」って言えば、家庭訪問が無くなる・・メリットはその程度かと。
けど、地域の雰囲気によっては、脱会後でも訪問され選挙やSP購読を頼まれたりすることが
普通に在るらしいですよw 
なので、脱会で完全に地域の人から無視してもらえるとも言い切れない?!
「脱会」に何を望むかは人それぞれですが・・殊更焦らなくてもいいと私個人的には思います。
外野の声なんて気にしないでください、どうでもいいことです。

また、誰か(親)を理由に、脱会できなくて忌々しい・・とわだかまるのもやめることです。
実はそれ、誰かのせいではありません。 
自分が「親の手前、脱会できない」という観念を握っているから、です。
「脱会したら外野がうるさい・もめごとがおこる」という観念も、あるかもしれませんね。
その観念を変えさえすれば、明日にでも脱会届を出せます。
観念を変えるのは大げさなことじゃなくて実に簡単なことです、
「脱会しても何の問題もおこらない」と自分が決めるだけ。
が、無理しなくても、誰人にも「脱会にちょうどいい時」が、必ずやってきますから
気持ちが不安でハカハカしている間は、じっとしておけば大丈夫。
大切なのは何事も「いちいち気に病まない・問題にしないこと」です。

だいたい脱会して統監名簿落ちなんて、実際本当にしているかどうか
わかったもんじゃないなと、脱会してみて私は思うくらいでw
だっていまや貴重な「個人情報」ですよw 
こいつ脱会した、とマークぐらいはつけているでしょうが
データとしては消去なんかせずに、「脱会者リスト」的に、そのまま保存されていても
不思議はないかと。 
厳格な運用基準も、表向きは企業じゃないからなさそーだし?!
(もし本部関係者でこのブログをお読みの方がいらしたら、実際のところを教えて欲しいw)

話が脱線しましたが、元に戻します。

エゴが他人を必要としているその理由が、「わたし」をより強く認識するためだ という点。
承認欲求はその最たるものでしょうし、誰かを批判したり・誰かに憧れて
他者を見張り続ける事もそうでしょう。
「自分が相手より優れてる」「自分が相手より劣ってる」「あの人は不幸」「あの人は幸せそう」 
どれもエゴが生きながらえるための餌です。
そしてエゴが「わたし」だと感じているそれを存続させるためには、他者の存在が不可欠で
他者動向を逐一意識しなければ「わたし」の存在を感じられないなんて・・
本末転倒だと思いませんか?

「わたし」は、誰かと比べなくても・誰かに認められなくても「いまここ」に存在している。
当たり前のようで見過ごしていること。

「わたし」が自分の存在を認めれば、他者との比較なんていらなくなります。
誰かをうらやましがる必要もないし、誰かを強くこきおろす必要もない。

「(エゴがそうだと信じている)わたし」を確立するために、他人に目を向けてあれやこれや
思考を忙しく働かせている間、
ほんとうの「わたし」が置き去りになっていることに、「気付く」のが大事です。
誰か比較対象がいなくても「自分」は「いまここ」に存在している。
「気付く」には「自分を俯瞰で見る」。
自分の思考を、ただ見つめてみる・・どんな考えにいま自分が囚われているのか?
客観視してみれば、簡単に気付きを得られると思います。

他者に対しても、自分に対しても、わだかまらない為に目指すべき処は
「自分自身との調和」です。

以前も書きました通り「いまの自分と仲直り」 これが自分自身との調和。
自分に対して腹を立てたり・わだかまっているうちは、外に意識が向きがちです。
そしてまた自分を見失い、エゴのなすがまま、外側に不愉快を求め・不愉快に遭遇し・
不快な気分を味わい・それを色んな形で周囲にもまきちらすのです。

「自分自身との調和」について書きたい事はやまほどあって(追々述べますが)、
今回ひとつだけお伝えするなら
「他人がどうではなく、自分がどうしたいか・どうありたいか」を優先しましょうという事です。
もと創価脳の方は、たいてい生真面目で、周囲を思いやる・周囲の事を必要以上に
考えすぎる傾向があると思います。 取り越し苦労ってやつ。
自分の事より周囲の事が気になって仕方ない人も、多いような気がします。
でも、本当はもっと「自分本位」で生きて良いのです。
他者がどうだこうだ・・はおいといて、本当にいま「自分はどうしたいのか」
意外と、その視点で物事の選択が出来ている人は少ないかと思います。
かくいう私も、点検してみたら8割がたが「他人がこうだから」という理由で動いていたことが
昨年解ってぞっとしました・・そして、強制的に&徐々に、「自分がこうしたいから」という動機で
行動するように変えています。優先順位の1番を自分にしたのです。
すると、ストレス激減。
過去にめんどくさいなとか・本人がやればいいのに・・と思いながらも
「迷惑がかかるから」とか「子供が・夫が困るだろうから」なんて気持ちで私が動いていた事、
辞めるのは勇気がいりましたが、辞めたのです。
(いつでもかまわないとしていた脱会を、突然思い立ち実行したのも、
 自分最優先の一環でした)
すると全く問題無しで拍子抜け。物事が驚くほどスムーズに流れて行くのです。
自分を後回しにして、イライラしつつも必死に頑張ってたことはなんだったんだ?!と思うくらい。
これも「観念」と深い関係があって、まだそうともわからないものを勝手に自分が
「相手が困るだろう」「相手が迷惑だろう」と仮定で思い込んで・行動していただけの話。
実はそこになんの問題も生じていないのに、生じる前から取り越し苦労していただけの話。
自作自演だったのです。

創価では「師弟不二」が声高に叫ばれ、自分の命よりも大切な組織信仰やご本尊などと
叩きこまれ・自分を後回しにすることが当然でしたよね。
でもそれ、違います。今更だけど。

自分が一番大切なんです。
優先順位の一番は、自分で良いのです。
自分を生きることに、罪悪感を持たなくて
いいのです。

組織で長年叩きこまれてしまった、不毛で不幸な観念を入れ変えましょう。


(続きます)

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私を含め、福子で育った方の多くが「自分目線」より「他者目線」を意識しすぎたり・
自分がどうしたいかよりは、誰かの意見を優先してしまったり・
他人の気持ちを優先して自分を押し殺して行動や発言をする、
「他人軸」で生きることが当たり前になりすぎて「わたし」を失っていた(いる)傾向について
精神医学的に「こういうメカニズムだったんだ!」と、目からウロコがボロボロ落ちた本が
あります。
大嶋信頼さんの「それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも」という書籍で
昨年読んで、早く紹介したいー!と思いつつ、なかなか納得行く言語化ができず・・orz
私的にはトリハダもので、衝撃的だった本です。
次回更新で紹介します。

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それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも? [ 大嶋信頼 ]
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