スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死について(1)

子供のころから母に「臨終」について言い聞かされてきました。
昭和30-40年代ころの指導をベースにしたもので
「死ぬ際に人生の全てが出る・臨終こそ人生の総決算」というものです。
どんなに生きている間が華やかできらびやかで豊かであっても、晩年がみじめであったり、
その死が孤独で悲惨なものであれば、その人の一生は空しいものとなる。
大聖人様のように(入滅の)時を知り身辺を整え、布団の上で安らかに、家族に(弟子に)みとられて
死にたければ信心に励みなさい、と教わりました。
世間一般でも言われる通り、健康長寿の老衰死・自然死が一番良いモデルケースという意味だと思います。
そういえば池田老人も「健康長寿」の押印和紙や色紙を会員に贈ってますよね。
私も貰いましたw

バリ活時代に外部の方からしょっちゅう聞かされた話ですが
「学会員は他宗派の葬儀に顔を出しては仏さんの”死相格付け”をする。
邪宗を信じていたからあんな死相になるんだなどと噂する。非常識だ」とありました。
(その昔、婦人部員から「O宗だとこんな死相」話を聞かされたことも実際にありました)
こんなエピソードや、私が母から教わった指導からも伺えるとおり、この信心をしていれば素晴らしい最期
(健康長寿の末の、自然死・老衰死・成仏の相)を迎える事ができる・その裏返しの刷り込みもあったのだと
思います。
しかし近年、創価内部でも不審死があったり、病死、突然死も相次いでいます。
最近では「どのような死であっても、遺された家族が幸福であれば大勝利」という指導に変わったようです。
(実際、私も父が亡くなった時に幹部からそのように言われました。
未活の覚醒前でしたが、いや~な気分になった事をおぼえています)

覚醒後一年のあいだに、私の知っている組織の人が多数亡くなられました。
詳細は伏せますが、病死・事故死・孤独死でした。
それらの死について、突然で早すぎる死だと私は感じましたし、ショッキングというか
お気の毒で言葉が出ないと思う事もありました。
不謹慎だと弁えたうえで、「あんなに熱心に活動してたのに(?)」と感じたケースもありました。
組織の人は、いろいろ理由をつけ無理にでもその死を「正当化」というか「ポジティブなもの」にしようと
していましたが、私からすればそんなものはこじつけにしか聞こえず、故人とそのご家族に対しても
とても失礼な事柄に思えました。 

たとえば子供の無い夫婦だったので(ご主人が先立った事を)
「子供が無いだけましだった。奥さんは再婚のチャンスがある」という人が居ました。
たとえば新築したばかりのご家庭だったので
「死亡保険で住宅ローンはなくなるし、残された家族に迷惑をかけてないから功徳だった」という人が居ました。
たとえばアンチ学会の喪主(となるはずの子供)と連絡がつかなかったので
「学会葬でおくることができた。もし子供が来ていたら他の宗派でおくられたかもしれない。
 最高のお弔いをしてもらう事が出来てあの人は幸せだった」という人が居ました。
この発言の背景は繰り返しになりますが
「遺された家族が幸福であれば、路頭に迷わなければ、その死がどのようなものであっても大勝利」
という最近の創価の指導からくるもので、
そこには「死因」における「ネガティブ感」を覆い隠そうという意図が私には感じられたのです。

創価の人は「宿業・因縁」話が好きなのに、創価身内の「死」に対しては、そのようなことを一切言いません。
どれだけ早すぎる・理不尽と思える死に対しても「過去世の宿業」とは言いません(最近は)。
必ず「宿命転換をして安詳として霊山へ旅立った」って事にします。
勿論それが故人への敬意で当然のことなのですが、学会員は日々の学会活動で功徳・福運を積んでいるという
大義名分も関係してくるのでしょう。
↑ここで「自己完結」「自己満足」してくれれば、まだましなのですが。

それにしても、仏敵(反逆者、脱会者、退転者、他宗信仰者)の「病」や「死」に対して容赦ないのは
どうしてでしょうか。
仏罰が下ったんだ、現証だ、悲惨な最期の姿だと喧伝します。創価の死とは違う事を強調します。
故人への敬意など微塵もありません。

ここ最近、組織外の方も亡くなられました。亡き父の友人と、実家ご近所の高齢者です。
亡き父の友人は心臓発作でしたが母は「OO教なんて信じているからそうなるのよ」といい、
高齢者は末期がんですが「氏子総代なんてやるからそうなるのよ」と言いました。
なんたる言い草と、あいた口がふさがりませんでした。
組織の中で同じような死があったら、なんだかんだと正当化したり美談をもってくるだろうに。

10年ほど前でしたが四者の会合で、退転者の(不幸な)死が語られることがありました。
話をしている時の幹部は、神妙な顔つきでしたが「学会正義が証明された」と言う時は、がっと目を
見開いて、勝ち誇ったようでした。
最近、原島崇さんが亡くなった際の状況を書かれた文章をネットで見ましたが、組織目線で書かれたものは
これでもかっていうほど酷い内容でした。
が、組織目線でないサイトでは、原島さんが元々健康ではなかったこと・組織に居る間すでにストレスから健康を
害しており、うつ病にもなっていたことが奥さんの証言と共に書かれていました。
(それが契機で脱会後も長らく体調不良をひきずっておられたのは想像に難くありません。
組織や信仰に対し、純粋・真面目であればあるほど、反動もきついとおもいます) 
一人の人物の晩年も、書き方ひとつでここまで印象が違うものかと感心しましたが、明らかに前者は「仏罰」を意識し
悪意を持って書かれていると取れる内容でした。

人の死について、あれこれ言う事が、どれだけ非常識なのかを組織の人はわかっていなさすぎです。
そして「組織に利する」と信じてやっているその行動が、どれだけ法を・自身を貶めているかを
いまいちど考えた方がいいと思います。

40代を過ぎ、訃報が身近に増えてきた今わかったことは
私が幼少期に教わった「理想の臨終」にあてはまる死に方は、レアケースだということです。
私が見てきた死に関して言えば、健康長寿の自然死は祖母しかいません。 
その後、信心強情だった母方親戚も亡くなりましたが、残念ながら家族が誰も死に目に会えなかったり
意識不明のまま逝かれました(死相はそれなりに綺麗でしたが、祖母ほどではありません)。
バリ活で、本当に真面目にやっておられても、長年の功労者であっても、病気や事故で亡くなられます。
何度も手術や入退院を繰り返された末・長い闘病生活の末・不慮の事故・などなど。
悲惨な死の報にふれる事もあります。
それは、一般社会に於いても同じです。
「死」は早かれ遅かれ、全ての人に平等に訪れること。
どんな「死」であろうとも、そこに優劣(死相云々含め)をつけるなんて無意味で悪趣味だと思います。
しかし無理やりでも同志の「死」をポジティブにとらえようとする創価の人達の姿が、滑稽に思えはじめました。
他人の死に於いても必死なのです。
自分たちの信仰が優れていて特別だってことが死においても証明されないと、不安でたまらないのでしょう。

このポジティブな「死」に気がついた時、閃きました。
自分たちの活動の正当性を主張するためには、退転者には「不幸」に「堕地獄」に、「辛い悲惨な死」を
迎えてもらわないと困るのです。そうならないと都合が悪いんです。
それが創価の組織で語られる「仏罰」です。
たとえばそれが誰人の人生上にも起こりうる事柄であったとしても、「創価を捨てた者に降りかかる
悲惨な出来事」として恐ろしげに語る。
マインドコントロールに罹った状態でそれを耳にするから「脅威」となるのです。
外部が同じ話を聞いたって、「ふーん」でおしまいです。

こう書くと
「仏罰について日蓮大聖人様がこう仰っている!」と、御書をひいてバリ活が抗議してきそうですがw
もはや創価が日蓮大聖人を語ってはいけないと思います。御書で「これが文証だ」というのも無効です。
なので「創価における仏罰」と書きますが、その正体は自分の影をバケモノと見て怯えるが如。
自分の心が、自分を縛りあげていた。それだけの話なのだと思うに至りました。
「この信仰を・創価学会を捨てるような事があれば罰が当たる」そう決めているのは、私自身の心だったんです。

生老病死と同じく、人生における困難も、大なり小なり誰人も避けては通れないことです。 
仮に、組織を出た後にネガティブな事象がおこったとして、それが組織に背いたペナルティかどうかは、
自分の心が決めればいいこと。
「仏罰」と捉えてしまう心があるうちは、まだマインドコントロールから解放されていないんでしょう。
そうしてまた組織に戻ってしまえばもとの木阿弥です。
思考停止を解き、冷静に、時間をかけて一般社会と・創価内とでおこっている「現実」を見て行けば
仏罰なんてないことがわかります。

これは余談ですが、昨年、覚醒後すぐのころに正宗のことを調べていたら、
あの仏敵と呼ばれ、数十万人の学会員に不幸を祈念されたであろう日顕氏が90歳を迎えて元気で
信者さんの前にも姿を現していると知り、拍子抜けしました。 
まさに「健康長寿」 皮肉な物ですね?!
このことを創価の活動家たちは、知ってるんだろうか?と、母に話してみたら
「んまー!とっくに死んだと思ってたのに!」と驚いていました。
学会における最大の仏敵で気になってしょうがない相手のはずですが、組織や創価新報では現状をお知らせ
しないようですw 
どうしてなんでしょうねー?
スポンサーサイト
Category: 覚醒の伏線
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。