ニュー・アース 第三章(3)

不満と恨み 続き

エゴは他人だけでなく、状況にも不満や恨みを持つのが大好きだ。
人に対してできることは、状況にもできる。つまり状況を敵にすることもできる。
それはいつもこんな思いとして現れる。 こんなことが起こっていいはずがない。
私はこんなところにいたくない。こんなことはしたくない。こんなのは不公平だ。
そしてもちろんエゴの最大の敵は、いまのこの瞬間、いわば人生(生命)そのものである。

不満と、誰かに過ちや欠陥を教えて正させることを混同してはいけない。
不満を持たないことは、必ずしも質の悪さや劣悪な振る舞いを我慢することではない。
ウェイターにスープが冷めているから温めなおす必要があると伝えることはー事実だけを
取り上げるなら、事実は常に中立だからーエゴではない。

「良くも私にこんな覚めたスープを出せたもんだ・・」。これは不満である。
ここには「この私に」という意識があり、冷めたスープに個人的な侮辱を感じて
ここぞとばかり騒ぎ立てる「私」、誰かが悪いと決めつけて喜ぶ「私」がいる。
この不満は変化を起こすのではなく、エゴを喜ばせるのに役立つだけだ。
ときにはエゴがほんとうは変化を望んでいないことが明白な場合さえある。それなら不満を
言い続けられるから。
何かに不満を持った時、頭の中の声を把握できるかどうか、つまりその正体に
気づけるかどうか、試して御覧になるといい。それはエゴの声、条件づけられた心の
パターン、思考でしかない。その声に気づけば、同時に自分はその声とは違うこと、
その声に気付いているのが自分であることがわかるだろう。
実際、声に気付いている、その「気づき」があなたなのだ。
(中略)
自分の中のエゴに気付いた時、それは厳密にいえばもうエゴではなく、
古い条件付けられた心のパターンになる。
エゴとは無意識である。気づきとエゴは共存できない。(後略)
(p137-139抜粋)


真髄を突く、深すぎる一文。
そしてもちろんエゴの最大の敵は、いまのこの瞬間、いわば人生(生命)そのものである。”
今回記事を書くにあたって、改めて読み返し
「うわっ!そのとおりだ!」と、私は怖くなったほどでした。
これといって何の問題もない時でさえ、先の不安(=いまにないこと)を態々思い浮かべたり・
自分ではない他人(家族含む)が置かれている状態について憂いたり、悪い想像をしてみたり。
とりわけ何も問題のない「いま」についても、
「問題のないことが問題」とばかり、マイナス探しの視線を
注いでみたりする。
しかも、それが習慣になっている。

物事って見ようによっては、いくらでも悪く見ることが出来ますよね。
ニュースサイトには悲しく不安な情報が溢れており、それが「いま」自分自身に
なんの関係もない事柄であろうとも、気分・考えに影響を及ぼすこともある(=感化される)。
(例:物騒な事件報道を目にして、自分もああなったらどうしよう?!などと考えたり)
外側の現象・・「いま」自分が直面していない・何の関係もないネガティブに態々関心を向け
内面状態(心の内側)を波立たせることがある・・誰が? エゴが。
私の中にもまだまだ上記傾向があって、
この記事にも書いたトラウマ回避とも、関連があるように思います。

また、先日ふと思い出したのですが
私が「ニュー・アース」に出会い、思考を止めることを意識し始めてわりとすぐのころ、
疑問をもったことがあり、それは
「思考を止める=向上心をなくしてしまうことにつながるのではないか?」という懸念でした。

湧きあがる不安や不満は、時に自分を向上させるモチベーションになる、という考えです。
コンプレックスをバネにとか、ハングリー精神もおなじ類いかと思います。
今ここに問題はないとか・あるものにすっかり満足して、上を目指さなくなったら
私はどんどん堕落するのではないか・・?という心配。
「思考を止めたら馬鹿になるのではないか?」と並んで、疑心暗鬼。
騙されたと思って「思考を止める」日々を過ごしていく中で、ある日突然
「そういうことか!」と気づきが。
私にとっての向上心をひも解くと
人生をより良くするために失ってはならないものという定義でしたが、
裏を返すと=どんな現状にも満足してはいけない、という強い観念(思い込み)でした。
現状に満足してしまうこと=向上心を失うのと同義。だから満足してはいけない!
常に高い理想を持ち、追い求め続けるのが人生(だと私は思いこんでいました・・
ちなみにこの思い込みを握ったのは20代後半、リストラが契機。この記事に書いてます。
読み返すと「思い通りになっているのに、気持に余裕がなく常にイライラしていた」との記載がw
まさしく、エゴにとりつかれていたんですね・・答え合わせしてるみたいで、我がこと乍面白いw)。
だから常に「うっすら不満足」(←エゴ)をキープしようとする(無意識に)。
この意識状態でいると、理想は天井知らず。
未来像ばかりをみて「いまここ」の幸いを確認しようとは、絶対にしない。
(→そんなことしたら、エゴの居場所がなくなる!)
おそらくどこまでいっても、真に満足も充足も感じられず、
一瞬「自己満足」できたにしても、すぐさま新たな外側の条件(他者との比較)によって
鼻っ柱はへし折られるw
比較対象を内面にも外側にも求め、私はまだまだだ!もっともっと・・。
自分の人生にけしてYESと言ってはいけない、なぜなら向上できなくなるからだ!と。
しかも、結婚し家族ができると、それは自身の問題のみにとどまらず
子供の成績や出来・不出来(外付けパーツ)を「我がこと」と同一化し、コントロールしようと
事実必死になっていました(お恥ずかしい・・もちろん、気づいてからは、きっぱり止めました)。
まさに、エゴの思うツボ状態です。
こんな思い込みで生きてきたんだ?! 超苦しい生き方じゃんorz 実際苦しかったよ・・ と。
自分でやっていたくせに、全然解ってなかったw 
エックハルトの指摘通り、無意識の中にエゴは潜んでいたのです。
これに気がついたとき、ちょっと衝撃でした。
自分はあくまでも「より良くなるため」に、やっていたつもりだったのに、
まさかそれが自分や周囲を窮屈にさせてたなんて!と。
(注:向上心を持つことが悪いと言ってるわけではなく、私においてはそこにエゴを発見したって
 話です。)
現在、向上心については
「自分を心地よくいさせない・苦しめるならそれは虚栄心かと疑ってみる」
との認識に落ち着きました。 
(当然、自分以外の他人を含めることは大間違いだという認識も追加)
また、向上心は”願望”とも繋がっていると思いますが、執着をもてば苦しくなるのは当然のこと。
このあたりもエゴを挟まずにどう向き合っていくか、追々紹介します。

エゴの最大の敵が人生(生命)そのものって、決して大げさな話ではなく、
結局は「責め」が身を滅ぼすって事でしょう。
自分や周囲の環境を責めて苦悩の末、うつ病になる人は多いし、
ストレスが免疫力低下を招くことで各種発病につながることも、よく知られているとおりです。
とにかく、原因は何であれ、自分責めも環境責めも、ろくなことはありません。
そして”自分がエゴに取り付かれてるな”って気づけば「責め」は止められるんです。

ごく簡単なことだから、試さない手はないと私は思うのですが・・。

繰り返しになりますが、「生きているだけで丸儲け」をベースに
呼吸と鼓動が続いている奇跡、「いまここ」に何の問題もない幸いに気付いて、
そこへ意識を戻すことができれば、エゴに飲み込まれ翻弄されるのを防ぐことができます。
それを「子供だましだ!」なんて、私も最初は思ってましたw 
「そんなことで、なにも解決しない!」ってw
私の中のエゴが、そうやって拒絶していたのです、最初は。
けど冷静に分析してみると・・確かにまだ何も起こっていないのに、勝手に不安を思い浮かべ、
いやな気分になったり・想像の世界で物事や他人を悪者にしてわだかまるなんて、
時間の無駄というか精神消耗するだけだし、ばかばかしいことだよなーって気づいたのです。
それで思考を止めて「いま」にある励行ができたのですが、実際やってみたら気力消耗や・
いやな気分になることも、わだかまりも激減し、これはすごい!と思い。
そして事実をただ認識し、そこに過剰な憶測や感情(=被害者意識)を絡めずに
ものごとに当たることが出来るようになると、目の前の状況が確実に穏やかで
なだらかなものへ自然と変化するというのを、身をもって経験しています。

”不満を持たないことは、必ずしも質の悪さや劣悪な振る舞いを我慢することではない。”
”ー事実だけを 取り上げるなら、事実は常に中立だからーエゴではない。 ”

このパートは、前回書きました「感情を絡めず、事実を伝える」についての解説になります。
たとえばアポなし家庭訪問が迷惑だ、ということについて
この私をいやな気持ちにさせやがって・・イライラ!」という感情で
「家庭訪問にこないでください」と相手に伝える場合、やや攻撃的な口調になったりしがちです。
創価脳な相手は言葉よりも”攻撃的になってる、怒ってる”という状態の方を受け止めます。
そして「かわいそうに、魔に食い破られている・・祈ってあげなきゃ!」とか
「もっと関わっていこう!」という、創価脳ならではな謎の迷走スイッチを入れてしまうことにも
つながりかねませんw ←あくまで経験上からの言葉です。
なので、感情は入れずに事実のみ伝えることが無難だと私は思います。
↑確か、だいぶ前にも(ニュー・アースを知る以前)同じことを記事に書いた気がしますw
これは対創価だけでなく、一般社会でも応用可能で、けっこう有用です。
私はクレーム申し入れの際に心がけていますが、一切こちらの感情を織り込まず、
ただ中立な事実だけを伝えます。
(前提として「悪意」で事を受け止めなくなったので、怒りの感情もわかなくなりました)
すると「こうしてほしい」などの要望を一切言ってないにもかかわらず、
期せずして新品と交換してもらえたり・次回注文の際に大量におまけを入れてもらうという
神対応をしてもらいました。
どんなに表向きの言葉を行儀よく整え・表面をきれいにつくろったって
わだかまりの感情(エゴ)って、「言葉」に乗るんです。こちらが思っている以上に。
それが相手に伝播し、望ましくない状況や状態を引き寄せることに、繋がるのではないか?と
思う次第です。

また、心の中で「ケッ、迷惑なんだよ!」などなど不満に思いつつも口には一切出さず、
表向きなんでもないふりをして、内心沸々とわだかまり続けていることは
”ときにはエゴがほんとうは変化を望んでいないことが明白な場合さえある。それなら不満を
言い続けられるから。 ”

ということかもしれません。
自覚なしに、エゴを自分の中で飼育しているという感じでしょうかw
文句を言い続けられなくなったら困るのです、だって自我(エゴ)が優位でいられなくなるから。
相手を悪者にしておかなければ、自分が正義でいられなくなるから。
そしてこの状態だと、いつまでたっても迷惑行為はやまないと思います、残念ながら。
これも機能不全状態を自ら望んで「引き寄せ」ているのです・・誰が?エゴが。 

余談ですが、この春休みに実家の母・姉を交えて旅行に行った際、驚いたことがありました。
母からひとことも、他人に対する愚痴やマウンティング発言がなかったのです。
(そういえば・・母はまだ脱会しておりません。諸事情で延期になりました。
 活動は完全に停止しています)
これまで何度か、母と旅行先や帰省のさいに話をするたび
他人(学会員・非学会員どちらも)に対する文句愚痴マウンティングがひどくてorz
正直いつもうんざりしていました。
(余談・私は普段ほとんど実家に電話を入れません。用件はメールで済ませるので
 「じっくり会話」の機会は少なめです)
TPOをわきまえず、話し続けていないと死ぬのか!?と思うほどのマシンガントークで、
そのことについても常に???で。
交友関係がガラリと変わった&組織の人と一切付き合わなくなったことで、
常識人が周りに増えたこともあるのでしょうが、お友達との楽しい・微笑ましい話題が中心。
また、沈黙も苦痛でなくなったようで、マシンガントークもなし!
実に穏やかで、まるで別人のようでしたw
母にとっていかに組織での人間関係や各種活動が、ストレスの巣窟だったのかが
はっきりと解るな・・と思ったのと同時に、
これは私の内面状態の反映でもあるんだと、旅から戻ってそう思いました。
母に対して、(以前は持っていた)わだかまりの感情が、現在一切ないのです。
脱会が延期になったときも、なんとも思いませんでした。母の人生だから、母が決めれば
いいことで、私の人生を左右することでもなく・自分に影響ないと分かっているから。
誰かを変えようとか・コントロールしようという考えは、まぎれもなくエゴです。
そういったものから解放されると、執着しなくなると、本当に「楽」になれます。
そして状況も勝手に変わるのです。

近しい人間関係でお悩みの方は、自分が相手を変えようとしていないか・コントロール
しようとしていないか、今一度確認してみてください。
不満の原因が、相手が変わらないことにあると考えているなら、まぎれもなくそれはエゴw
なので気づいて、手放すことをお勧めします。
(思うに、組織で「他者の幸福を祈る」的な事を、これでもか!というほど叩き込まれた事が、
 必要以上に他人を気にする・我がことのように他人を意識に入れてしまう悪習慣と
 繋がっているのではないか?と。 他者との関係性や距離感の問題ですね。
 これに関しては、また別の機会に述べたいと思いますが、いい人ぶるのはもうやめましょうw)
具体的には、相手のことを憂慮心配しない&問題にしない・相手は大丈夫だ!と安心し
信頼して放置する。
そして自分に集中することです。
自分の機嫌を取ることだけに集中してください。
内面状態を整える、自分が自分の機嫌を取るのです、全力で。
 
そこに他人を入れない。
他人に自分の機嫌を取らせようとは考えない・望まないでください。
自分の上機嫌が定着安定する頃、こちらが何もしなくても、相手は勝手に変わってます。

どんな生き方・考えを持つことも、その人の自由です。
恨みごとを持ち攻撃的になり、悲観的な外の現象ばかり取り上げ眺めては、
政治が悪い宗教が悪い、あいつが駄目でこいつは劣ってて・・とこき下ろすのだって・
誰かや何かを一生許すまじと、監視し・挑み続けるのも一興。
それが楽しい・生きがいって人がいてもおかしくない。全然OK。
どんな生き方も状態も、自分が選んでいて、選べるのです。
だけれども残念なことに、勘違いを起こしてしまっている場合
「自分は(怨むべき対象に)そうさせられている」と思いこんでいるパターンが大半です。
「自分は恨みたいわけじゃない!本当は楽しくいたいよ!でも、誰かや何かが存在する限り
 アイツらが自分を”そうさせて”いるんだ!」なんて、
自分が相手に主導権を渡している(事に気付いてない)。
忌まわしい対象の前に仁王立ちして睨みつけ、一歩も動かないこともできるけど・
今すぐそこから立ち去って、自分の好きな・心躍る目的だけ選んで楽しむ事もできるんです。
忌まわしい相手に主導権なんかありません、主導権はいつも自分にある。
そして立ち去ることは、負けでも・ずるいことでもなんでもない。
(それを敗北だとかずるいとか、思いこんでるのは自分のエゴであって、
 他人は誰もあなたを裁こうとなんてしていない・興味もないことに気付けばいいのです)
また、恨んだり憎んだりしてる間、相手にパワーを奪われていることを自覚したらいいと思います。
その間中、自分の貴重なエネルギーを憎い相手に注いでいることは間違いないのです。
一瞬悦に入り、いい気にはなれるかもしれませんが、消耗・焦燥が強まるだけかと・・。
なんだか勿体なくないですか?
自分の人生を、面白くて喜びある方向に舵取りすることも選べるし、それは自由です。

難しいことは何もなくて、ただ自分が心地よいこと・安心できること・楽しいなって思えることに
興味関心を注げばいいと思うのです。 
ネガティブ、恨み、不安や心配にあてる時間は無用で、そんな思考が頭をもたげた時は
「はい終了~!」と、パチンと手を打って、そこで止める。
そして即好きなDVDや動画を見たり・音楽を聴いたり、今すぐに此処で出来る簡単なことで
気分を変えたらいいのです。
好きな飲み物をのんでもいいし、景色を眺めるのもいいし、
実現性はさておいて愉快な計画を立ててみるとか、とにかく「切り替える」。
ほんと簡単なことでいいから、イヤな気分に留まろうとしない&長引かせない。
ネガティブクリーニングの一環です。

これはもう、習慣にしたらいいと思います。 なんせエゴは神出鬼没ですからねw 
そして、上機嫌の時間をキープすることが習慣になれば、ネガティブ思考は減少し
物事の受け止め方が、より良い方向へ変化します。

小さな不快・不満を解消せずに放置し、積み重ねること(我慢して押し込めることも同じ)が、
エゴの増幅剤になっていると、私は分析しています。
特に、かの組織に尽くしてきたような人は「我慢」がデフォルトになっています。気づかないうちに。
自覚のある方は、特に自分優先で、自分に親切にしてみてください。
心のささくれは他人や特別な何かに依らずとも、日常生活の小さな工夫で・自分で治せます。

エゴとの付き合い方は「ニュー・アース」を2回も読めば、大体わかります。
難しいからと、読むのをやめたって方もいらっしゃるようですがw
是非お手元においてほしい一冊です(DL版もあります)。
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(次回に続きます)
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