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再始動

20代後半で組織に戻った私は、それまでの「地に足のつかなさ」を猛省していました。
御本尊様を信じていさえすれば、特に強く具体的に願う事が無くても
全てがなんとなくうまくいくと思っていた。だけど20代後半で見事にずっこけた。

再スタートにあたって、ふわふわした考えは捨て、なりたい自分になるために信心(活動)をすると
決めました。
平たく言えば、いまで言う「リア充」になろうとしたのですw
もともと池田老人が「女性抄」で言ってるような、
20代は(若いうちは)福運を積むために学会活動だけしてれば・組織に尽くせばそれでいいなんて
大嘘だと思っていました。勿論それは誰にも言いません(言えません)。
リア充じゃないのに、外部に「この信心で幸福になれる」なんて言ったって、説得力があるわけないよと
思っていたのです。 活動だけでなくプライベートも充実させるんだと必死でした。
今振り返ると信心というより「自己啓発」の域。
そのような考えに至った背景はリストラによる敗北感と、劣等感です。
これまでの自分を変える、そのための信心(活動)にしようと決め、特に生活面での勝ちにこだわり
思いこみの激しさで様々な目標を叶え、殆どを自分の思い通りにしました。
そしてすべて御本尊様のお陰、学会活動を頑張ったお陰(功徳)だと思っていました。
ただ、当時の私は思い通りになってるはずなのに気持ちに余裕がないというか、常にイライラしていました。
池田老人神格化の波に閉口することもありましたが、いちいち考えてたら私のためにならない。
このときは学会活動=福運を積む因と私は信じ切っていたし、現世利益のためにやっていました。
池田老人賛美しないかわり、事務的に神格化と折り合うことで「思考停止」していたのです。

地域組織に戻ると活動家は少なく、すぐに部長の任命をうけました。
面接の担当幹部は白蓮時代にお世話になった方で、
私がドロップアウトした経緯も御存じだったので「お帰り、よく戻って来たね」と言われたときは
涙がどっと溢れ出ました。 過去の出来事自体はもうどうでもよくなっていたのに、何故か。
私は活動を休んだ事を謝罪し、時間を取り戻すべく後輩の育成に努めていきますと決意を発表しました。
幹部は「何もあやまらなくていいよ、福運は自分持ちだからね」と言いました。
要は、休んだ分はバイト料(=福運)ないよってことでしょうか。
「もしまた(組織の活動に於いて)傷がつくようなことがあっても、余所に求めてはいけないよ。
 組織でついた傷は、組織の中でしか癒せないんです。そのことを絶対忘れないでください」と言ったのです。
この「組織でついた傷は、組織の中でしか癒せない」は、名言だと思います。
当時は感動して、面接を終えてすぐ手帳にそのフレーズを書きました。
覚醒した今は、これほど完璧なマインドコントロールの言葉ってないよねと恐れ入ります。
「先生は全部わかってくださってる」と並ぶくらい思考停止促進度高め。

久しぶりに同中に参加したら、池田老人のスピーチが「世界の偉人・賢人に学ぼう」と化しており
驚きました。
諸外国の賢者と日蓮大聖人のスピリットは同じなんだと言いたいのね、と解釈する事にしました。
しかし毎回延々と、畳みかけるように他人の言葉ばっかり引用するのはどうなんだろう?
他にネタが無いのか?と疑問がわくこともありましたが
「そういえば人間革命で、戸田先生が池田青年に信心以外の世界のさまざまな学問を教えたって書いてたな」
と思いだし、同じことを自分も弟子にやりたいんだろうなーと納得するようにしていました。
また、やたらに名誉博士号や賞をもらい始めたのもこの頃で、同中時間の2/3が
授賞式の模様という眠たい展開の時もあり、そんな同中に友人を誘って参加した日には萎えていました。
内部の私でも興味無いのに、外部はこんなの退屈にきまってんじゃん!と。
同中に友人を連れ出すのも、大事な活動の一つでしたし、参加者数や%をとっていたので必死で、
こっちとしては外部を連れて行くんだからもうちょっとマシな内容にしてよと、思ってましたが
そんなことは口が裂けても言えませんでした。

そして各種会合も明らかに変化したと感じました。
御書を学ぶ時間はなくても、池田老人のスピーチ学習・紹介の時間は必ず取られます。
幹部の話には必ず池田老人賛美が入ります。
最初は気のせいかと思ってました。が、部長になって会合を仕切る立場になったとき担当幹部から
「あなたの挨拶には一切先生の話が入っていなかった。これからは必ず入れるように」と
注意がありました。
えっ、なんで? と思ったけど、聞けませんでした。それがお流儀に変わったんだなと理解し
「わかりました」と返事。
でも自分が特に伝えたいと思うような指導がないときは無視して御書の一節を引くようにしてました。
御書の一節や御金言は今でもすらすらでてくるのに、なぜだか池田老人の指導や言葉はでてきません。
私は読書が好きだけど、池田老人の指導集や作品は読み難いものが多かった。
すっと頭に入って来ないのです。
いま思えば同中スピーチも、継ぎはぎ編集で動画は文脈おかしくなってる事が多かったですよね。
当時、右から左へ聞き流しつつ「あとで新聞読めばいいや」と思ってましたw
アツいフレーズを山ほどちりばめて、結局本意がよくわからない長文が多いなと、最近ネットで
「生死一大事血脈抄講義」の一部分を読んでそう思いました。
あれを読んで内容が理解できる創価脳の人達ってある意味すごいと思います。尊敬はしませんが。

また、部の日(女子部の小単位の会合)に必ず本部以上の幹部を呼んで開催するようお達しもありました。
幹部指導は絶対と言っていいほど池田老人の話だし、ある時など幹部が池田夫妻のイメージビデオ?を
持参し、ビデオ学習会と称し30分ほど集まったみんなでビデオを見るという事がありました。
内容は、本当にイメージビデオで、夫妻が研修道場を散歩したり・自宅でのごん行風景などなど。
こんなの見てなにが楽しいの?どこが学習なの?私は不満でしたが、口に出す事はできませんでした。
今年に入ってワイドショーを見ていたら、北朝鮮の将軍様がイメージビデオを公開したと報道しており、
将軍様が老婆を激励しているシーンでした。あれ?こんな動画どっかで見た事あるわ・・と
思いだしたのが、件の池田夫妻ビデオでした。
北に詳しいパネリスト曰く、このような動画を一般に公開する事を「プロパガンダ」だと話していて、
前々からおもっていたけど、ほんと創価のやることって北路線で、どちらが真似してるのかは知りませんが
いったい何なのかと思います。 
上記のことは、私が20代前半(宗門攻撃まっさかり)当時には全くなかった事でした。

この時期さかんに幹部が会合で話していた内容は
これだけ数多くの顕彰・特別・名誉称号を池田老人と組織が世界から受けるようになったのに、
一切そのことが一般のマスコミ報道にのらないことを
「先生がすばらしすぎることを、世間は羨み妬んでいる。だから報道しないのだ」w
この件に関しては、池田老人も同中スピーチで触れていた記憶があります。
猶多怨嫉をひいて「自分は大聖人が御書に仰せ通りの目に遭っている、私だけです。
だからこそ本物なのです!」キリッ!とやってました。 
世界は理解している。日本社会だけが、先生の凄さ偉大さに気付いていない、気づかないふりをし、
認めようとしない。
日蓮が生まれた、南無妙法蓮華経が発せられた国であるにもかかわらず、このありさま。
これこそが日本国の「一凶」なのだ。 だから広宣流布が必要なのだ。 という指導もありました。
マインドコントロール下にあった私は、疑う事もなく「マスコミって偏狭なんだな」とそっくりそのまま
受け止めていました。今となればお笑いです。

「ノーベル平和賞も、先生に打診が来ている。だけど、先生は断っている。側近も断っている。
なぜなら、先生は命を狙われていて、国外に出る事が出来ないから授賞式に行けない。
それを察したノーベル財団が、ノーベル家の家宝を先生に贈った」という話もありましたね。
しかし「授賞式に行けないから断ってる」は、嘘でした。
2010年に受賞した劉 暁波氏は投獄中で授賞式に出席していません。 
さきほどwikiを見たら、授賞式に出られなくても授与した例はこれより前にもあり、
1935年にカール・フォン・オシエツキー氏、1991年にアウンサンスーチー氏も受賞しています。
会員は馬鹿で情弱だから解らないだろうと思ったのか・幹部もこの事実を知らずに上から流れてきた話を
そのまま現場におとしたのか。どちらかは解りませんが、お粗末です。

どこまで欲どおしい爺さまなのかと、必死感が漂い、うすら寒くすらあります。
どうしても認めてもらいたかったんでしょうか、サルでもわかる(?)世界的財団から賞をもらえれば
一般社会(マスコミ)は絶対無視できませんもんね。

これほど熱烈に会員から愛されても、まだまだ足りなくて、名誉欲に走るだなんて困った人だと思います。
そんな意見を幹部の伯母に話したところ、鼻で笑われ
「あなた、なんにも知らないのね。
先生は、(顕彰などを)自分に貰った訳じゃない・会員のみんながもらった賞だって言ってるの。
先生はあくまでも学会の代表として受け取っているだけなのよ。
一介の庶民の私たちが、そんな賞をいただける機会なんてない。
だけど庶民が力を合わせたら頂けるってことなの。素晴らしいでしょ?誇らしい事なの!」とのことでした。
また、別の幹部は
「先生は自分亡きあとの創価学会が、世間から笑われないようにするためにも、世界的権威の団体にしようと
賞をお受けすることにしたのだ。後継に対する有りがたき配慮で、先手を打ってくださっている」
と言ってました。

タダでもらえるならいいけどさ、頂戴するためにいっぱいお金使ってるじゃん。
そんな賞いらないから金の出所の財務を止めればいいのにと、私は思うのですが。
(もっとも私は、もう財務はしてませんけど)
バリ活の皆さんは、伯母や幹部が言うような説明を素直にありがたがったり・喜べるものなのでしょうか?
私にはまったく理解ができません。

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