絶対感

20代前半のころお世話になった本部長は「鬼教官」と呼ばれるくらい
厳しい指導で有名でした。
2世3世の多い中、高校時代に友人から折伏を受けて入会したという叩き上げで、
親御さんが大反対する中、ひとり信心を貫いていました。
この鬼教官が恋愛ごとに特に厳しく、25歳以下の彼氏が居る子はいつも詰められて泣いていました。
どうして彼氏がいちゃいけないのか。鬼教官が語ったその理由は
「信心が歪む。恋愛によって、絶対感が揺らいでしまう。
御本尊様や池田先生より大事な物が出来てしまってはダメ。」との事。
当時の私は恋愛とは無縁だったので、他人事として聞いていましたが
「御本尊様より大事な物が出来てしまってはダメ」という部分に関しては、「わかる!」と思っていました。
私は御本尊様より大事なものなんてない。そこは自信あるわって思いました。
そんなことに自信をもつなんて、おかしいと気づいたのは随分後のことです。

25歳以上で彼氏がいる人に関しては「折伏するつもりがあるのか」を詰めていました。
当時、外部と結婚する際は相手を入会本流していくのが当然という空気があり、
できなかった場合は「あの子は使命を果たさずにお嫁に行った」などと言われる状況だったのです。
最近の事はわかりませんが、おめでた婚への理解はほぼ無かったと言っていいと思います。
男子部のおめでた婚は何も言われないのに(相手は確実に入会させられてましたが)
女子部はよろしくないと受け止められるなんて、本当に不公平というか、女性蔑視ですよね。
恋愛は25歳までするなというのも人権無視だし、なにがガンジーキングイケダなのか
さっぱりわかりません。

余談ですが、鬼教官は30歳のとき結婚して婦人部へ行きました。
結婚のけの字もおくびにださなくて、結婚する1週間前の会合席上で「いままでありがとう」と挨拶を
したときは、たまげました。 いつの間に?相手いたんだ!誰?と。
詳細は明かされず「信心のある人です」とだけ言って鬼教官は去って行きました。
当時、女子部幹部の結婚は相手や馴れ初めなどの詳細を明かさないのが通例でした。理由は知りません。
後年わかったのですが、鬼教官は組織内部における略奪愛で結婚していました。
あれだけメンバーに厳しい事を言っておきながら自分は略奪婚て一体と、呆れと共に怒りも湧きました。

最近の事情はわかりませんが、私が青年部だった当時は女子部が外部と結婚するのは
結構大変で、信心強情な人であればあるほど大変でした。
結婚に当たって創価の信心をやめてもらいたいと言われたり・相手の親御さんから御本尊様を
家に入れるような事はしないでくれと言われ、それを受け入れられなくて破談になった例が山ほど
あったのです。 
彼女らも、「御本尊様より大事なものは無い」と思っていたのです。
(多くの人はそこに「池田老人」も含んでいたかもしれません)
それくらい「絶対感」を常日頃刷り込まれていたということです。
自分以上に大事なもの・大げさではなく命を落としても守るべきは「御本尊様」という教えが
蔓延していたのです。
最近はどうなんでしょうか。原田会長はソフト路線だから変わったかもしれないですねw

通常、日本社会では「夫の家の宗派に入る」のが当然とされてきました。
相手の家の墓に入るという事が、イコールその家の宗派に入るって事につながります。
しかし「絶対感」がある女子部にそれは受け入れられない事。
この「絶対感」に苛まれ婚期を逃したり、本当に好きな人と一緒になれなかった人も数多くいるのです。
そして「絶対感」を飛び越えたいと思っても、組織の先輩や同じく「絶対感」をもつ肉親から
引きとめられ、「あなたが信仰を捨てることで孫末代まで祟られる」「三世永遠の幸福を断絶する気か」
などの仏罰で脅され、泣く泣く諦めた人もいるのです。
また、相手が反対していても御本尊様だけは持って行きなさいと強引に分所帯された人もいます。
そういった人は、罪悪感をおぼえながら御本尊様を押し入れやタンスの中に隠し、何かネガティブな
出来事が起こるたび「御本尊様をお巻きしているせいだ」と恐怖感に怯えるのです。
身内も同じことを言い、早くご安置するよう・相手を折伏するようせっついたりします。
そのことが原因で家庭不和を招いたり、離婚した人も居ます。
幸せになるためにと始めた信心が、何故こんな事になるんでしょう。

もはや宗教でも何でもない「まがいもの」が、脅迫観念ひとつで数多くの人々の人生を揺さぶってきたのです。
その人の幸福の為を思っての事なんかでは全然ない。
単純に組織に利するように仕向けるためだったのです。
どれほど罪深い事かと思います。

これは女子部を卒業してからの話ですが、私が初めての出産をした当時。
母から「昔の学会指導で、お題目をあげている最中に赤ちゃんが泣いても絶対とんでいってあやしてはダメ。
赤ちゃんは賢いから、泣けばきてもらえると学習してお題目が聞こえてくると泣くようになってしまう。
お題目中、泣いたとしても暫く放置していれば、赤ちゃんは自然と仏事が何より大事であること・
御本尊様が一番大事であることを学んでいくとあった。あなたもそうしなさいね」と言われたのです。
(こんなトンデモ指導、いまはもう無くなっていると信じたい)
それで私は恐る恐る「お母さんはそれ、実践してたの?」と尋ねたら「もちろんよ!」と返ってきて
私は酷くどんよりとしました。
「あなたは特にいい子でね。おとなしくて手がかからなかったわ。
なにが大事なのか赤ちゃんの時から、ちゃんと解ってたのね」とも。
のちのち、育児書を読むようになって解ったことですが、赤ちゃんが泣くのは「自己肯定感」を
高めるためで、泣くことで母親がすぐ抱き上げてくれたり、ケアしてくれることで自己肯定感を高めて
いくものなんだと書いてありました。
私は、自分でも自己肯定感の低い方だと常々感じていましたが、その原因見たりでした。
おとなしかったというのも、母は喜んでましたが、サイレントベビーだっただけじゃんと辛くなり。
当時すでにアンチ婦人部と化しており、ごん行唱題もたまにしかしない生活になっていたので
母の語ったトンデモ指導を自分の子育てに取り入れる事はしませんでした。

こんな事も、つい最近まで思いだしませんでした。
今この指導に対して「異常な教義」という言葉が浮かびます。
でも、聞いた当時の私は覚醒前。まだ御本尊様への「絶対感」を失っていなかったので
どう考えてもおかしい指導を受け流してしまい、母に問いただすような事はなかったのです。

しかし、赤ちゃんが泣いても御本尊様の方が大事だからと放置するとか、やっぱりおかしいし
あり得ないことです。
そういえば火事や震災の時は何をさしおいても御本尊様を持って逃げるんだぞと、創価脳の伯父から
教えられたことがあります。
たとえ小さい子供や老人が居て、そちらを連れ出せても、御本尊様をおいてきてしまったら本末転倒で
必ず一家離散になったり、助かったにしても不幸な事になる。
御本尊様さえ持ちだせれば、家族は不思議とみんな助かるんだと言ってました。 
おそらくこれも昭和30-40年代の指導なのでしょうが
誰よりも何よりも御本尊様が大事、という刷り込みがどういった目的でおこなわれたのか。
そんな指導に40-50年近くも縛られ続けている人が居るという事が、恐ろしくてたまりません。
人の尊厳を捨ててまで欲しい功徳とはいったいなんだったのか、私も己を振り返ると目眩がしてきます。
「絶対感」のせいで、過去にはからずも沢山の人を傷つけたり・いやな思いをさせてしまっただろうなと
考えると、逃げ出したい気持になるのです。
けど、私は「まちがいに気がついたから、やり直そう」と決めました。
そうやって仕切り直さないことには、こんな私でも関わってくれた善意の人たちに申し訳が立たないからです。

覚醒後、私はこの「絶対感」に随分と悩まされました。
仏罰は無いと気がついた後でも、この「絶対感」に関しては拭いきれないものがありました。
最近、やっと冷静に捉える事が出来るようになりました。 (また別に記します)
いま、火事や震災が起きても、あたりまえに真っ先に子供を助けます。
つい1年前なら、きっと迷ったと思います。
ここが創価のマインドコントロールの恐ろしさです。

覚醒しはじめたけど、迷っている方へ。
誰よりも何よりも、御本尊様や池田老人が大事だなんて、もうやめましょう。
そろそろ人間らしさを取り戻しましょう。

そして若い世代は
「絶対感なんて知らない。昔の指導だから自分たちには関係ない」なんて思うなかれ。
そうやって数多くの人々を苦しめてきた歴史の上に、あなたが今「人間主義」だなんてウットリしている
創価があるということを、知るべきです。
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