折伏(2)

仏法対話をしていく中で、心に刺さった友人の言葉があります。

「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」

私はこの問いかけに、言葉を詰まらせてしまいました。
彼女曰く
「あなたの話は、信心がなければ・御本尊様が無ければ幸せになっちゃいけないみたいに聞こえる。
それはあなたにとっての正解かもしれないけど、他の人にとっては間違いかもしれないんだよ?
信心なしでも幸せになろうと頑張っている人の努力を馬鹿にしないで」と。
友人の言葉だけは鮮烈に記憶してますが、私がその時なんと答えたのかは全く思いだせないのです。

「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」
今の私は「全然かまいません」と答えることができます。どうぞどうぞ、です。
実に鋭い、いい質問ですよね。 
でも当時の私はバリ活で、残念ながらこの言葉を「気づき」とすることはなく。
どう答えたかを思いだせないのは、思考停止で、不利な記憶を無意識に消去したからかもしれません。

また、30代の活動期に折伏本流した友人からいわれた言葉。
「信心が素晴らしい事は解った。だけど何故、創価に”入会”する必要があるのか」

友人について。当時、自暴自棄な面がありました。
私は心配で、一日も早く立ち直り幸せになって欲しいと思い仏法対話をしました。20代前半の頃です。
しかし彼女は「創価の人は、他人の不幸は蜜の味。弱みにつけこんで入会させたいだけでしょ」と
心を閉ざしてしまいました。
連絡がつかなくなり、私も組織をドロップアウトしたりで、数年のあいだ音信不通状態。
20代後半、私がふたたび活動に戻った後、偶然同じ電車に乗っていたことで声をかけました。
その時、私の言葉の全てが、自身を否定していると感じ、耐えられず連絡を絶ったと話してくれました。
だけど私からの連絡が全くなくなったことが寂しかったとも。
もう見放されたんだと思っていた、というので、私も組織を離れた時期があって遊び呆けていたと説明。
再び食事に行ったりするようになりました。
ただ、彼女の自暴自棄はまだ完全に収まっておらず、少しでも前向きになってほしいと、私の悪い癖で
仏法対話めいたことを始めると、彼女は激怒しました。
「上から目線でしゃべらないで。信心の話するならもう会わない。絶交する」と言いました。
驚きましたが、私はそこで彼女を一旦突き放します。「また話したくなったら連絡して」と。
当時部長だったので、日程はタイトだし、私はリア充を目指していたので予定が沢山あって
彼女とのかかわりを少し面倒に思い始めていました。
数ヶ月間、彼女と会う事も連絡もありませんでしたが、また偶然駅でばったり会いました。
帰り道に近況を語り合っていると、彼女が初めて「叶えたい事が出来た。祈ってみようかと思う」と
言いだしたのです。
びっくりしました。 そんな事、一度も言ってくれたことがなかったからです。
どうするか教えてというので、まずは三唱から開始して、慣れてきたらお題目を5分唱えて、などの
実践を教えました。
そして彼女は創価で言う「初心の功徳」を得たのです。
願い事が叶うと嬉しいし、楽しくなります。彼女は「もっと信心のことを知りたい」と
会合に参加するようになりました。
それを見て、上の幹部が黙っているはずもありません。私にいつ本流できそうか、尋ねてきます。
私は過去の苦い教訓があるので、急かさないで欲しい。彼女が本気で求めるまでは静かにお願いしますと
答えていました。
その後、会合に居合わせた幹部が彼女に直接「入会したらどう?」と尋ねたのです。
彼女はその場では「もう少し考えます」と返答し、のちほど私に入会に対して二の足踏んでいる理由を話して
くれました。 それが、インターネットで調べた創価の悪評でした。
私も当時既にネット環境はあったのですが、創価の悪評を調べた事はありませんでした。
2chの存在も全く知らず、彼女が教えてくれて初めて見た様な状況です。
私は彼女に「あなたが実際に会った創価のメンバーと、ネット上で語られる創価は同じに見える?」と
聞きました。
彼女は、全然違う。だから尚更怖いとも。

少し話はそれますが、創価の悪評を見ると「命が汚れる。だから見るな」と、組織で言われていました。
当時はまだ現在ほどネット環境が浸透してませんでしたから、ネットというよりは暴露本や週刊誌を
指していたと思います。
そんな指導があったので私も深く掘り下げてみた訳ではなく、巨大掲示板の2-3のスレッドをさらっと
ながし読みした程度でした。
そこに書いてあったのは、会員が起こした凶悪犯罪でした。しかし、組織ではこういったネガティブ情報が
一切流れていなかったので「こんなの嘘だ。でっち上げに決まってる」と私は思いました。
また、脱会者が語る創価についても書き込みがありましたが、私には関係ないと思えるような内容でした。
当時、池田老人賛美に辟易していたし、一部の幹部がわからずやなことにも腹を立てていましたが
私の周りのメンバーは良い人が多く・信頼できる同期も沢山いたので、私の知らない創価がネットに
書いてあったって「私の知ってる創価とは違うから関係ない」と結論しました。 
当時ブログはまだ無かったと思います。個人の意見を述べるサイトも、探せばあったのかもしれませんが
そこまでしなかったし、必要もありませんでした。 
女子部はモラトリアム集団なので、そんなにおかしい人もおらず、身に迫る実害も無かったからです。
ただ、覚醒後(2012年)は事情が違いました。
沢山の、個人の率直な意見が綴ってあるブログを拝見しました。それは私にとって実に信憑性の
あるものでした。もっと早く見ればよかったと思ったくらいです。 

話を元に戻します。

信心のすばらしさは解った。でも、だからってどうして「入会」する必要があるの?
そこがわからないと彼女に言われました。

私はその問いにこう答えました。
「入会しないと御本尊様が頂けないから」
仏界の生命を涌現するには、御本尊様が必要。もっとあなたに信心の確信を掴んで欲しいから
御本尊様を頂いたらどうかな?って事だよと伝えました。
こんな説明で彼女は「じゃあ入会する」とあっさり言ったので、私は拍子抜けでした。
本当に大丈夫?と何度も確認しましたが、決意は固く入会本流となりました。
入会後の彼女は様々な願いを叶え、精神的にタフになって行きました。
私はそれを見て「やっぱり信心ってすごい。御本尊様を授けることが出来て良かった」と
思っていたのです。

彼女が前向きになれたのは、信仰心のおかげといえるかもしれません。
何の信仰に依るか、ということではなく、単純に彼女はそれまで心が定まりにくかったところ
精神統一ができるようになり、それが様々良い影響を及ぼしていったのだと、今はそう解釈しています。

今年の春に彼女と会う事が出来、私の思いを伝え、過去を謝罪しました。
彼女も婦人部で組織のおかしさを痛感し、随分前から脱会を考えていたが、私の手前どうするか
悩んでいた事・既に非活になっている事を話してくれました。
私としては、紹介者の自分が脱会を考えているなんて許されない事だろうと戦々恐々で会いましたが
外部だった彼女は私よりも冷静に状況判断をし、組織と折り合いをつけてくれていたことに
安堵したし、有り難いことだと思いました。
同じことを考えていて良かった。胸のつかえが取れてすっきりしたと、彼女は脱会しました。

「入会しないと御本尊様(曼荼羅)がいただけない」
さらっと言ったコトバですが、覚醒後の今は、ほんと馬鹿だったと当時を振り返って思います。
仏界の生命を涌現できないと言ったけど、そんな事は無かった。
覚醒後に改めて日蓮大聖人の御書を拝読して解りました。
「信者は一人もあまさず、絶対に曼荼羅を持ちなさい」とは、どこにも書いていないんですよね。
ご在世当時も、信徒全員に御貸し下げしていたわけではなかった事が解ります。
ご在世当時は、信徒全員が御本尊様を持っていなくても仏界の生命が涌現できたのに、
御入滅後は「一家にひとつ曼荼羅がないと無理」になったんだとしたら、もうそれはおかしい事ですよね。
いつの時代から「マイ御本尊制」になったのか、不勉強なので解らないのですが・・。
バリ活の頃はこんな基本的・簡単な事にも気が付かず、創価の打ち出し通り御本尊様を「持たせる」ことが
目的になっていて、それが自他共の幸福に繋がる事なんだと思っていました。

御本尊様という、池田老人曰くの「幸福製造機」を盾に「入会」を迫るなんて、ずるい事に思えます。
新入会者が御本尊をたもつことで、功徳という飴と仏罰というムチで懐柔し、金や労働力を
どんどん組織に貢がせる。 まるで魔法陣みたいな扱いだなと今は解ります。
創価が自己矛盾を承知の上で、禁を破ってまで「本尊発行」に至ったのは、やはり新規会員獲得が
目的だったんでしょう。 
新たなる集金先と労働力を、次々に・たゆまず獲得する。それが至上命題。
本尊発行は、折伏の呼びかけは、強大な権力を保持するための手駒を増やす手段にすぎないと
いうことでしょう。

その悪の肩棒を、何も知らずに担がされていたこと・
いまだ何も知らず「善行」と信じ切って、崇高な使命と勘違いし、喜んで悪の肩棒を担いでいる人々が
居る事を、私はやっぱり看過することはできないのです。
一日も早く、ひとりでも多くの方々に気づいて欲しい、社会悪と決別して欲しいと願います。

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