忠告

バリ活時代、対話した友人は数知れず。 
私はうまれてこのかた創価だったのと、周囲に創価の同級生も多く
学校内でも平気で会合の話題などしていたせいか(イタイですね・・)「周知の事実」になっていて
地元の友人に対話を開始するにあたっての葛藤は殆どなかったです。
ただ、大学や社会人になって出来た友人は別で、地元の友人にあたりつくした後に勇気を出し
当たっていました。
当時対話した友人の中で、いまも普通に連絡をとれている人は小中高校を通じての「地元の仲間」。
大学・社会人になって出来た友人で、仏法対話をした大半の人と縁が切れてしまった事を
覚醒後にあらためて気づき、これが現実だと思い知りました。

学生時代の友人を折伏セミナーに連れだした際。
学会色のない講演のあと、学会幹部がでてきて池田老人の平和行動の話がはじまります。
私は友人に創価の会合だということは黙って連れ出しました。 
友人は、会館についた時点であやしいと思ったようでしたが、講演自体は宗教色ゼロの内容で
普通に聞いてくれました。
しかし幹部が登壇して話を始めた途端、顔色がかわり不機嫌になりました。
帰り道に「騙された。もう二度と誘わないで」はっきりと言われました。
確かに私は創価のセミナーだといいませんでした。だました形です。でも、ここまで怒るとは思わず
申し訳なさと同時に、腑に落ちないものも感じていました。

これ以前に、地元の友人をセミナーに連れ出した事もあったんですが、彼女らはクールで
創価のセミナーなんかに連れ出しやがって!と怒ったりしなかったんです。
内容に関しては「よくわかんなかった」 あっけらかんとそう言って、「遊びに行こうよ!」と
さっさと気分を切り替えるような、そんな状況でした。
この温度差を幹部に話すと
「拒絶した人は、まだ機根が整っていなかっただけ。拒絶しない人は、機根がととのっている。
気にせずにどちらも粘り強く対話していくことが大事です」と。
そうだったのか、じゃあまた頑張ろうと私は気を取りなおしました。

でも、今はわかる。
機根うんぬんとかではなく、単なるしがらみの問題だったって。
学生時代の友人は家も遠く滅多に会う事はない。卒業してしまえばコミュニティは別になる。
だからはっきり、嫌なものはイヤと意思表示した。
地元の仲間たちは、うっとおしいなと思いながらもセミナーに付き合うだけ付き合って、
そのあと遊びに行けばいいやと割り切っていた。
地元は古い住宅地で、住民の出入りがさほど激しくない地域。親もだいたい知り合いで「しがらみ」がある。
これからも続くであろう長い付き合いを考えた上でのスルースキルだったというか、
世間一般の「処世術」だったんでしょう。
そんな単純なことも当時の私は解らなかった。
わかるどころか大きく勘違いし、地元の友人たちを「学会理解者」と捉えていました。

中には創価や池田老人を罵倒したり、覚醒せよと促すような外部もいて
対話のさなか、友人から酷い学会批判を受けて悲しくなったと幹部に話したメンバーが居ました。
幹部の答えは
「そういった人は仏から遠い存在で、地獄界の生命を持っているから近寄ってはいけない。
あなたの生命まで汚れてしまう。少し距離を置き、遠くから相手の事を祈っていけばいい。
必ず解る時は来る」という内容でした。
折伏行は、あくまでも菩薩行。
常不軽菩薩の行いを通し、
「相手が信心や創価を罵倒したり反対意見を言う事があっても”私の業を取ってくれてありがとう”と
 思えばいいのです」と組織では教えており、みんな健気に対話を続けていたのです。 
こう教わったのは20代前半の頃(1990年代)です。

しかしこんな教えも、2002年に池田老人が「永遠の指導者」入りして変わりました。
”創価は誰が何と言おうと勝利している。創価を悪くいうものは敗者。
 そんな敗者の言うことなど気にしなくていい。悠々と見下していきなさい”という趣旨のスピーチが
ありました。
私はこれを聞いた時、びっくりしました。 みくだして って言ったんです1回目は。
そのあとは「みおろして」って言い直してましたが。 みくだして が、池田老人の本意だと思います。
みくだす でも みおろす でも、この行動のどこにも慈悲・菩薩行は感じられません。
常不軽菩薩の精神には無いものでしょう。
以前は「学会批判者でも、いつかは必ず理解する」と相手の仏性を信じていたはずが、
遂に「見下していい」ことになった。
当時宗門攻撃のネガキャンは影をひそめていたけれど、実はまだ続いていて、神格化の裏テーマだったと
最近になって理解しました。
ネットで拾った話ですが、創価側は宗門が10年もすれば音を上げる(金銭面で)と思っていた
らしいですね。
それで創価に頭を下げに来るだろうなんて考えていたが、実際そうならないので、池田老人が
いろんな面で焦ってたと書いてありました。
当時の指導の流れなど思い返しても、これは納得してしまう内容でした。
「悪は断じて攻めなければならない。攻めて攻めて攻めて攻め抜かないと、放置した者まで悪になる」
宗門攻撃以降、こんなトンデモ指導がまかり通るようになった創価の折伏行(菩薩行)って一体。
相手を「敬う」という姿勢なんてこれっぽちもない。破綻してたじゃん、笑わせるなよです。
自己矛盾も甚だしい団体が推進するのは単なる「洗脳とマインドコントロール」、
折伏行なんて崇高なものではなかったのです。

対話する中、解りあえなくても・自分は宗教は無理かなってやんわり断っても、そこで縁切りという
こともなく・変わらず遊びには誘ってくれたり・付き合ってくれ、みんな表向きは友達でいてくれた
(そして徐々に遠ざかって行った)。
みんな「やんわり」だった中、一人だけ私の行いに対し「忠告」してくれた人がいました。
学生時代のバイト先の上司だった人で、上司と言っても年齢は1つしか変わらず、バイトを辞めた後も
交流が続いていました。
対話ではなく、選挙支援の電話をかけたとき
「お前、なにやってんだ?そんなことしてたら友達なくすぞ」と注意を受けました。
他の友人たちはみな「わかった」「考えとく」と、あたりさわりのない返事しか聞いたことが無かった。
はっきりと注意してくる人なんていなかっただけに、私はショックを受けました。
しばし言い争いになり「そんなことを頼むということ自体、友達を大事にしてない証拠だし、
友達がそれを注意しないのも、お前が大事に思われてない証拠だよ」と言われ、私はキレました。
そんなことない。 みんな変わらず付き合ってくれてる! 友達なくすぞなんて大きなお世話だ!
私は腹を立て、以降その人に連絡をとりませんでした。
元上司はその後もメッセージ入りの年賀状を毎年送り続けてくれましたが、私は返事を出す事もなく無視。
いま思えば上司の対応はまともだった。
私はおとなげなかったな、と反省しています。 

結婚後の私は地元を離れ新天地で暮らし、今に至ります。
こちらで出来た友人には、創価のことは話していませんし、非活なので仏法対話も選挙や新聞を
お願いしたこともありません。
短期間勤務した会社の同期や上司と、退職し数年経過した今でも交流があります。
子供が生まれてからできたママ友は、幼稚園や小学校が別になっても、おつきあいが続いてます。
覚醒するまで意識したことなかったですが、こちらにきて出来た友人たちのほうが心の垣根を互いに
とりはらってつきあえている気がするし、心地よいです。
他人の心に土足で踏み込むような事を、私がしなくなたったからこの環境を得られたんだと思います。

女子部時代に仏法対話した(地元以外の)友人の多くと”自然と”連絡をとりあわなくなったと
覚醒前は思っていたけど
そうでは無く、相手から距離を置かれていたとやっとわかったきっかけが、facebookです。
覚醒後にママ友の勧めで始めました。
学生時代の友人・OL時代にできた友人を見つけたので、気軽に友達申請したところ連続で拒否され
「ああ、そうだよね、やっぱりね」と納得しました。
彼女らの中の私は対話当時の「厄介な創価のバリ活」イメージで止まってるわけだから。
今更なんなの?無視しておこう、ってそうなっても当然です。寂しいことですが。

創価の活動や選挙支援で「友達なくすぞ」という、元上司の忠告は本当でした。
今頃、どこでどうしているのか知りませんが、もしどこかで会うことが出来たら当時の無礼を
謝りたいです。
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