極善と極悪

私が覚醒して一年が経過しました。
一年前の私は、創価が宗教をかさにきた巨大詐欺集団であることに気がついた時、吐きました。
池田老人のおぞましさに嘔吐したんです。
自分が40年以上も「極善の団体」であると信じて疑わなかった創価の本当の姿を知った時、体中の震えが
なかなか止まらず、動揺していました。

事実に気がついても、私がいままでやってきたこと(信心・仏法対話・青年部時代の活動)のすべてが
間違いだったと認めたく無いという気持ちが強く働き、いいことばかり思いだそうとしました。
その中の一つに「後輩が夢を叶えて幸せになった」という経験がありました。

30代に入ってから関わったある部員さんは17歳で、私と年齢差が14ありました。
高校中退のフリーターは「女子部」の括りだったので。
家庭訪問に行っても殆ど会えず、お母さんが出て来てくれ、いろいろ話を聞いていました。
彼氏ができると家に帰って来なくなる。将来的に心配なので早く女子部の活動について落ち着いて
欲しいとお母さんは語っていました。

繰り返し通ううち、やっと会えましたが、年齢が離れすぎているせいか心を開いてもらえず。
年齢の近い地区リーダーに行ってもらうと、意気投合したようで偶に活動に出てくるようになりました。
しかし、地区リーダーとちょっとした行き違いがあって機嫌を損ね、すぐ出て来なくなりました。
私が一人で家庭訪問に行くと、もう創価の人との面会は今日で最後にしますとの通告が。
なにかあったの?と尋ねると、仲良くなった地区リーダーから
「女子部は社会で実証を示さないといけないんだよ・フリーターじゃなくて正社員の仕事探しなよ」
と言われて、上から押し付けられるもの言いに気分を害したとのことでした。
17歳らしいなと思いながら、リーダーはあなたのためを思って言ったんだと思うよ。
今のバイト、気に入ってるのかな?だったら続けたらいいよ。他になにかやってみたい仕事はないの?
と尋ねてみると、彼女はもじもじしながらクリエイターの仕事に就きたいと話してくれました。
だけど高校中退なので大学にも専門学校にも行けないと思う、と諦めていたのです。
専門学校なら、高卒資格がなくてもOKのところもあるよ?と私が言うと、彼女の顔がぱっと輝きました。
彼女の周囲にはそういった情報源が一切なかったのです。
私がネットで調べてあげるよ、今度持ってくるねと約束。
検索すると通える距離内の専門学校がいくつかあり、夜間部もあることがわかりました。
資料請求をし彼女に持って行ってあげると大喜びで、バイトをして入学金を貯めて翌年春の入学を
目指す事になりました。
並行して女子部の活動にも再び出てくるようになり、彼女は本当に変わりました。
人間革命ってこういう事ね!と、彼女を間近に見て私は嬉しかった。
予定通り入学した彼女は夜間部に入って、昼間はアルバイトを続け、次なる目標である留学のために
頑張っていました。 女子部の活動は、土曜か日曜だけ出る感じになったけれど、私は彼女の夢を
応援したいから、全然かまわないと思っていたし彼女にあうたび励ましていました。
そこへ、上の幹部が役職の話をもってきました。私は、バイトに学校に課題制作と、彼女の多忙さを
わかっているつもりだったので「負担になると思いますよ」と言うと
幹部は「時間はつくるもの。祈りで状況はいくらでも変えられる。彼女に挑戦の機会を与えてあげるのも
先輩の役割です」と言いました。
結局、彼女が固辞したのでその話は実現しなかったけど「せっかくのお話だったのに・境涯を開く
チャンスだったのに残念ね」という幹部を私は「信じられない」と思いました。
週に1-2度の会合ですら、時間をこじあけて来ているメンバー。それだけでありがたいじゃん。
なんでちょこっとでも頑張りだすと即「役職」っていうんだろうと、上の幹部を訝しく思い。
役職なんか他にやること無い暇な人間がやればいいのよと、当時部長の私は思っていました。

私は、自分が具体的になりたい職業もなくOLになりました。
というか、高校時代に夢はあったけど、父親に反対されその方面の学校に進学する事は叶いませんでした。
自分で学費を稼いででも、奨学金を利用してでも、という心意気もなかった。
父親が大学だったら資金を出すというので「じゃあ大学にしとこ~」ってそんなレベルで、向上心の低い
甘えたな若者でした。
だからなおさら夢をしっかり持って、素直に頑張っている彼女が羨ましく、心から応援したかった。
学会幹部といえど夢を邪魔するやつは私が許さない!くらいに思っていました。

卒業後、留学を志望していた彼女でしたが、恩師の勧めと身内の援助もあり都内にある学校へ
進学する事になりました。
その道のプロである有名な講師がたくさんいて、スカウトも随時あり、仕事に就くには大変有利な学校との
ことでした。
深夜に及ぶ制作もあるとの事で、地元を離れ親戚宅へ身を寄せる事となり、地域を出ていきました。
幹部に報告すると「せっかく育って来たのに勿体無い。人材だったのにね~?」というのです。
私はこのときも大きく違和感でした。 
彼女の夢が、また一歩現実に近づいたのに。何で喜んであげられないの?って。
自分たちの地域組織だけが、よければいいのか。活動家の流出はそんなに残念か?
いったい何のための信心なのよ?
部長になってから、上の幹部と話すたび、こんな疑問と葛藤が常にぐるぐる渦巻き状態でした。
部長以上のミーティングで、各部員さんの状況を尋ねられた時、私は仕事が忙しくて出て来れない人の事を
なるべく庇うようにしていました。
それでも幹部は「時間革命が出来ていないって事だから、ちゃんと指導して行かないとダメです」と言う。
なにも組織の活動にベッタリ・バリ活になることだけが「信心」じゃないはず。
みんな理想や希望やがんばりたいことがあって、それを叶えたくて信心してるんじゃないの? 
組織はあくまでも、その後押しをするためにあるんでしょう?(これは当時の私の見解)。 
少なくとも私は、センセーセンセー言うだけの人間を増やすために部長やってるわけじゃないよ。
あんたたち(幹部)とは違うんだよ。 そんなことを心の中で叫んでました。

件の部員さんとは年賀状をやりとりしていましたが、途中で年賀状が来なくなりました。
きっと忙しくしているんだろうなと思っていると、数年後に彼女から「結婚しました」はがきが届き。
新住所の下にHPアドレスがあったので見ると、御主人となった方がその業界で著名な方だと
いう事が解りました。
メールをすると、御主人の会社で彼女も一緒に仕事をしているとのことで、本当に彼女が夢を現実のものに
したことがわかり、胸が熱くなりました。
当時の私は未活婦人部。でもまだ、創価のことは「極善団体」であると信じ切っていた。
自分が関わった後輩が夢を掴み幸せになれた事を、これぞ学会組織の素晴らしさだとうっとりしていました。
こういった組織内で自分が体験した「美談」が他にもいくつかあります。
学会組織がなかったら、彼女らと出会うことはなかった。
そう考えた時、どうしても創価を悪く思えない自分が居ました。
宿命や仏縁という言葉に、一般人よりも強い思い入れがあるせいでしょう。
組織の本質という「極悪」と・その組織の中に確かにあった「極善」の落差をどう考えるか?そこに暫く
私は悩んでいました。

だけど時間が経過するにつれ、冷静に考えられるようになってきました。
組織は関係なかったのです。
私と彼女らが出会わなかったとしても、彼女らは別の世界で助言や気付きを与えてくれる人と出会えた。
そして自らの力で人生を切り開いていっただろうと思うようになりました。
なにも、創価が無くても良かった。 偶然の縁がそうさせただけ。
そんな考えに至れたのは、現在身の回りにある人間関係です。
結婚して新天地にきた私は、未活から非活になりました。
こちらにきて出来た友人たちは全員、私が創価だと知らないし相手も創価ではありません。
ごくごく普通の、一般社会の人間関係です。
そんな中でも、ちゃんと日々励ましはあるし、優しい心遣いもあります。誰も見返りなんて求めません。
私は結婚後に習い事を始めたのですが、パン教室の先生がとても素晴らしい人で、生徒の一人一人を
いつも励ましてくれます。
書物で読んだいい言葉や・有名なお寺の和尚さんの言葉など、手帳に書き留めていらして
会食の最中にこんなことで最近落ち込んだ・・というような話を誰かがすると、手帳を開いて
状況にあった言葉を選んで声かけをされます。 そして相手が笑顔を見せると「その笑顔よ!わすれちゃだめよ」
って言うのです。
落ち込んでる時だけじゃない。髪型を変えるとそのヘアスタイル素敵、良く似合っているわよとか
持ち物をほめてくれたり、いやみじゃなくほめ上手で、愛情を感じるのです。
何と素晴らしい人かと、私は感激しましたし、感心しました。
創価の人も、いい人は多いけど、必ず見返りを求めます。
うちの(パンの)先生は、励ましのあとに
「新聞とらない?いいことがいっぱい書いてあるの!」と言わないし
「いいお話が聞けるのよ。同中っていうんだけど。一緒に行かない?」と言わないし
「世の中を良くするには政治が大事よね!」と特定政党をごり押ししてくる事もないんです。
優しさや励ましの裏には、何も無いんです。 
ただ、相手を元気にしてあげたいって言う真心だけです。

創価は違った。 
私はそんなつもりなかったけど、後輩を励ます傍ら、会合や同中に行くよう促したし・
マイ聖教をとるように言ったし・選挙を友人に頼むよう指示もした。
私の真心を組織に利用されていたともいえますが、真心の裏には常に創価のあくどいカネ&票集めがついて
まわっていたのです。
そんなのを「学会組織の素晴らしさ」なんてうっとりしてたこと自体、違ったというか、洗脳教育の賜物だったと
気がついた時は愕然としました。

罪を憎んで人を憎まず、この言葉の意味がいまはよくわかります。
中の人はたぶん悪くない。みんな、綺麗な心・真心をもってる。いいことしてると信じて疑わずに居る。
人材とは、組織に飼いならされた従順なる「羊」なのです。
会員の「極善」の心、そこにつけこむ創価という組織が、罪で「極悪」だということです。

一日も早く、すべてのひとたちに覚醒して欲しいと願っています。

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