家族という魔(1)

私の家族について。
少し前にも書きましたが、機能不全家庭でした。
父はアンチ創価。兄と姉は父と考えを同じくし、母の事を煙たがっていました。
母は熱心な創価学会員です。私は母の影響で御本尊様と信心は絶対だと思って来ましたし、
母と同じく、この信心がわからない父やきょうだいを「かわいそうな人達」と見下していました。

兄姉と5歳以上の年齢のひらきがあり、私は末っ子です。
最近、姉から聞いて解った事なのですが、母が婦人部の活動に熱中しはじめたのは
私が幼稚園生の頃だそうです。
兄、姉ともに、会合につれまわされたという記憶がないらしく、ごん行を覚えなさいとか
朝夕、必ずお仏壇前に座って御本尊様に御挨拶(三唱)しなさいと言いだしたのは、家を新築して
仏間ができた時期(=私が幼稚園の頃)だったということでした。
それで納得しました、兄や姉がアンチ創価で生きて来られた訳がw
私は自我がはっきり芽生える前から母の英才教育を受けた形です。兄姉は、もう小学校高学年。
母の押しつけをはねかえすだけの意志をもっていたのです。

父は仕事が忙しく出張がちでした。
母のきょうだいに幹部が多く、昼夜を問わず会合へ出かけ、子供だけで留守番させているのを
父はよく思っておらず(のちに非行に走った子も多かったので)
母に「夜の活動は一切禁止」していました。見張り役は兄と姉です。
母はそれを苦々しく思っていたようで、その反動か昼~夕方までいつも不在。私たちは鍵っこでした。
そのせいで、翌日学校へ持って行く物が揃わなかったり(お店が閉まった後で買えなかった)
しました。
兄や姉はそういった事柄を、逐一父に報告して、たびたび母は父から怒鳴られていました。
私はそれを見るのが辛くて、母が活動で遅くなって私が迷惑被るような事があっても
絶対にそれを誰にも言いませんでした。 母を庇っていたんです。
ただ、一度どうしようもなく辛い出来事がありました。
小学校の宿泊学習から戻り、親が学校まで迎えに来ないと帰れないという事がありました。
初の宿泊学習なので、担任から親に直接引き継ぎというか、一言お話しするという趣旨です。
私の母はプリントを見落としていたらしく、学校に迎えに来なかったのです。
中にはお仕事しているお母さんも居て、解散時間から遅れてお迎えに来る人も居たので
私も居残り組にまじって待っていたんですが、とうとう最後の一人になってしまいました。
当時は携帯電話もありません。先生が自宅に電話をしても、出るのはきょうだいです。
結局、先生が私を自宅へ送ってくれました。 父は出張中でした。
そこへ活動を終えた母が自転車で戻ってき、先生が母を説教しました。こんなの前代未聞ですよと。
母は平身低頭謝罪してましたが、私は疲れと・迎えに来てもらえなかった悲しみと・母が先生から
怒られているという慣れない状況で、号泣してしまいました。
当然これを黙っている兄姉ではありません。帰宅した父に報告。父は激怒し、母に暴力をふるいました。
それを見た瞬間、私は「自分のせいだ」と思い、父に謝りながら止めに入ったのです。
そしてきょうだいのことを罵倒しました。「おまえらが余計な事しゃべるからいけないんだぞ」と。
きょうだいにしてみれば、私を思って(?)の行動なのに、私が怒りをぶつけた事に憤慨しました。
もう、家族全体、怒りの方向がバラバラで、しばらく家の中は険悪ムードでした。
この経験から、きょうだいにも親にも、自分の本心を言わなくなりました。
心の中で悪態ついても、ぶすっとした表情だけ見せる。 気に入らない事は表現するけど言葉にはしない。
兄や姉から私が嫌われた事は言うまでもなく、家庭内いじめのようなこともありました。
子供にとって家庭がシェルターでなくなると、周囲との差異がでてきます。学校でいじめにも遭いました。
私の心のよりどころは御本尊様しかありません。
悔しい事・悲しい事があったらすぐ仏壇の前に座ってお題目を上げていました。
我ながら、精神的に可哀相な幼少期だったとおもいます。

心の休まることがない家の中で、自分の部屋と、締め切った仏間だけが落ち着く空間です。
兄姉は仏間に入ってきませんでした。入れば母から「ごん行するの?」って言われるから。
食事時などもいつも誰かが苛々していて、食べ終わったら逃げるように部屋に帰っていたほど。
家族団欒なんて経験したこと、ありませんでした。
兄も姉も大学は県外で実家を出て行き、私の心の平和は中学生の頃に訪れました。
一人っ子状態で、わがまま放題です。暗かった性格も明るくなりました。
父は相変わらず出張がちで、母と私で夜の会合に行くようになりました。
母は私が小学生時代、辛い思いをしていたのを知っているので言いました、
「祥蘭ちゃん、これを”冬は必ず春となる”っていうんだよ」と。
なんて良い言葉だろう。大聖人様ってすごいなぁ、私はそう思っていました。
この当時、父と母と私の3人でお正月に正宗寺院に行った記憶があります。
父はアンチ創価ですが、登山にも参加していたし、正宗寄りだったのかもしれませんがよくわかりません。
そういった話をしないままだったので。いま思えばもっと話せばよかったのですが、
私にとっての父は信仰の敵であり「魔」だったから、距離があったと言うか、ちゃんと話ができませんでした。
実の父親に対してそんなことを思うなんて本当に悲しいことです。覚醒後、この件については
思い返すたびに後悔で、涙が出てきます。一生この後悔は忘れないと思います。

兄姉ともに中学受験をし、有名私立を経て有名大、国立大へ進みました。
常々、優秀なきょうだいと比較されるようなことを父から言われるのも辛かった。
でも母は勉強なんかできなくてもいい、大事なのは信心だよって慰め励ましてくれる。
人間、楽な方に流れます。当然私は、優しい言葉をかけてくれる母が大好きで、現実的なことばかりいう
父が嫌いでした。
いま、親の立場になると、父の方が正しかったし、父の言葉の本意を見ようともせず楽な方に流れた
自分が情けないです。
これも、マインドコントロールのせいだと思っています。創価の人は「それは違う」って言いそうだけど
違いません。マインドコントロールのせいです。

私は向上心がなく、中学も地元だったし・高校も友達の多くが進む近くの公立校を選びました。
大学選びとなっても、偏差値の低いところしか狙えません。
私は手に職をつけた方がいいんじゃないかと考え、専門学校への進学を希望しますが、父から反対を受け
あっさり大学受験に変更しました。
母は「創大に行って欲しい」と熱望しましたが、私は興味が無く、父は創大にお金は出さないと言うので
却下でした。 
母は、子供が3人も居て1人くらい創価教育を出したかったと、いまだに言います。
孫の一人でもいいから行って欲しいと、私に勧めてきますが、絶対に行かせたくありません・・。
一人暮らしをお前にはさせられない、他の2人と違って根なし草だからと父に言われ、実家から通える
距離の大学を選んで受験しました。
なんとか合格した大学に通いながら、バイトと遊びに明け暮れていました。

そんな中、兄の結婚が決まり、暫く平和だった家の中が宗教によって荒れました。
兄は創価の自覚なんて、ありません。活動に参加したこともないし、大学・就職で地元を離れ
遠隔地で生活していますが、統監カードは地元に置いていました(無用な家庭訪問を避けるため)。
母も、兄が頑な事はわかっていたのですが、なにせ長男だし・結婚の時は分所帯で御本尊様を
うけるべきだと主張しました。
しかし、兄が聞き入れないと解ると、婚約者に「うちの宗教は創価です。嫁に来るんだから入会するのが
あたりまえです」と直接連絡を取り言ったのです。
兄は、婚約者に創価の事は話してませんでした。婚約者の親御さんはアンチ創価でした。
破談にしてほしいといわれ、兄が激怒し、親子の縁を切りたいと父に連絡してきました。
父と母のケンカの原因は、9割が創価の事なのです。
私は、この当時はマインドコントロールにかかっていたので、なんで兄や兄嫁や父が創価を理解できない・
認めようとしないのかが、わからなかったし、そっちが歩み寄ってくれれば解決する簡単な話じゃん!って
思ってました。
あくまでも、相手が歩み寄るべきで、自分たち(創価の信心ごり押し側)が歩み寄る気はさらさらありません。
その背景は「絶対感」です。
この信心が、絶対的に正しくて、世の中に2つとないものだから。歩み寄るのはそっちの方だ。
そんな考えを平気でしていました。
これって、とっても恐ろしい事です。話し合いの姿勢なんてありません。こっちが絶対に正しいって
思いこんでるから、話し合いにならないんです。
三つ子の魂百までもといいますが、幼少期からの刷り込みは大悪、害毒です。
私の場合、御本尊様や信心が絶対である事は、太陽が東から昇り西へ沈む「法則」同然になってました。
理屈じゃないんです、もう。

結果、父がお嫁さんの実家へ出向いて詫びを入れ、母の暴走だったこと・今後一切の連絡窓口は父が
おこなうことなど約束して事なきを得ました。
最近になって姉が話してくれたんですが、この当時の母は更年期障害が酷く、若干鬱ぽくもあり
向精神薬を服用しており、正気の沙汰ではなかったということでした。
姉は兄から電話で相談をうけていたので、父に「もう(母と)離婚したら?」とたまりかねず言ったそうです。
すると父から母のメンタルについて説明があり、そういった訳だから理解しないといけないと
いわれたとのこと。
私は、なーんにも知りませんでした。そして当時、創価や信心を理解しない家族たちがみんな敵で
「魔」だとおもっていました。とんだ間違いでした。

(2)に続きます。
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