家族という魔(2)

私の母の、信心におけるスローガンは50年近く「一家和楽」(の信心)で、未だ達成されません。
池田老人が書いた色紙も、実家の仏間に飾ってありますw

母における一家和楽の信心とは、家族全員が信心をすること。
創価の活動を理解し、参加する事です。
地元にそんなご家庭がいくつもありました。お父さんお母さんは地域の役職を持ち、
子供たちも従順に活動に就いている。いつもにこにこ・家族みんなで座談会に出席。
母の理想の家庭像で「いいわね、うらやましいわ」といつも話していました。

私も母の英才教育を受けていたので、家族全員が信心をすることが一番の理想なのだと信じて
疑いませんでした。
しかし女子部にあがると、親の反対をうけながらひとり入信し頑張るメンバーがいたり・お父さんかお母さんの
どちらかが入信していて、片方は反対で、迫害(?)を受けつつも活動に参加するメンバーがいました。
そういったメンバーに対して幹部は
「家庭のなかでたった1人でいいんだよ。たった1人でも信心を頑張っていれば、三世にわたる功徳がある。
先祖も、今の家族も、孫末代も福運で飾られていく。
一人でも頑張っている事が尊いと、池田先生が仰ってます。だから大丈夫ですよ」と励ましていました。
ムムッ、そういう事?
「じゃあ、一家和楽の信心って何ですか?」私はすかさず質問しました。
幹部は「家族全員が喜んで信心をできること」と答え、究極はそこを目指していかなくてはいけない。
自分たちの振る舞いで、創価に反対する家族の心を変え、導いて行くことが大事なんですと答えました。
当時はこの回答に納得しました。
その場では「よし!」と思うのですが、家に帰ると「無理でしょ」となります。
活動家になった私と母が、居間で会合や指導の話で盛り上がっていると、父が怒って雑誌や本を
投げてき、「俺のいる前でそんな話するな。よそでやれ!」と怒鳴るのです。
聖教新聞も居間に置けませんでした。仏間が定位置です。
父が在宅時の夜のごん行は声を出さずにしていました。うるさいからやめてくれとの要望で。
私が活動に出ることについて大きな反対はありませんでしたが、帰宅が遅い事については常に怒ってました。
創価学会は夜に若い女性をほっつき歩かせてどういう了見なのかと嫌味を言っていましたし、
「お前に何かあったとしても、個人の過失だと言って創価学会は責任を取らないぞ?」と言われる事も
ありました。
これに関して、現在はほんとそのとおりだ、と感じます。
余談ですが、私の実家の周辺は住宅地ですが極端に街灯が少ないんです。
夏休みに実家に帰った折、ひとりで夜8時にコンビニに徒歩で行ったんですが、人通りも少ないし
暗いわで、行き帰りものすごくドキドキしました。
今、通り魔に遭っても、誰も気づかなくてもおかしくないよねって感じで・・。
女子部で頑張ってた当時はコンビニもまだなく、もっと暗い夜道を、近場の会合の際は自転車や徒歩で
22時すぎに平気で帰宅してました。 若さゆえだったのか、怖いと思った事は無かったです。
父からしたらそりゃ心配だったろうし、非常識に感じ、非難しても仕方ないと納得しました。
実際、県で事故もありました。
そこから女子部は帰宅21時厳守になったんですが、部長以上の会合は平気で21時からとられてましたし、
圏幹部になると22時に会館ってこともありましたから、本当に創価って非常識だったなと今になって思います。

選挙になると揉めるので、それも憂鬱でした。
父は政治討論番組が好きでよく見ており、本や新聞(一般紙)を常に読んでいて、政治の知識は学会員の
数百倍あったと思います。
なので、母や私が公明党の政策はすばらしいだの、組織からおりてきた話をそのまますることに
我慢がならなかったようで、しょっちゅう喧嘩してました。
政治に宗教団体が介入する事を父は絶対におかしい、お前たちは騙されている!と毎回言ってました。
私は父の話が始まると、あースイッチ入っちゃった・・ってかんじで、だらっと聞いてました。
そんな姿が余計に怒りを増幅させていたと思います。 
そして母は、父が公明党になんて絶対票を投じないというと「罰が当たるわよ」と平気で言いました。
こんな環境下で、一般常識人の父が狂わなかった事は奇跡だと思います・・。

一家和楽なんて言葉に、母がとらわれず、「家庭の中で、たった1人でもやっていれば尊い」を採用し
他の家族に押しつけずに居れば、まだ良好な関係を保てたのかもしれません。
家を離れた兄や姉に対しても、母は新聞を贈呈してみたり・時折電話を入れて近況を聞いては
最後に「信心や学会から逃げていてはダメ。つまずいてからでは遅いのよ」と呪文のように言うのです。
ほとぼりが冷めたころ兄嫁に創価の書籍(かねこ抄)を送りつけたりしてましたし。
きょうだいに喜ばしい事があれば「良かったじゃない、お母さん、毎日祈ってたわよ!」といい
マイナスな事があれば「それみたことか」です。
信仰に依らず、本当に真面目に現実と闘い、社会で実証を示している兄や姉からすれば
なんでもかんでも信心と絡めてくる母親と話すのは、徒労・苦痛以外の何ものでもないでしょう。
兄は結婚後ほとんど実家に帰ってきていません。
母は兄の子供たち(孫)にも殆ど会った事が無く、父の葬儀の際に会えたのですが、すっかり青少年に
なっていたので「可愛げがないわね」なんて言っていました。
小さくて可愛い時代に会えなかったのは自業自得なんですが。自覚が無いようです。

創価が標榜する「一家和楽の信心」とは、囲い込み・精神的に追い込む言葉だと思います。
家族の誰かが非活や未活であることに負い目を感じさせる作用が確実にありました。
創価の地域組織って結局、相互監視社会だから。
私がバリ活だったころ、壮年部のおじさんたちが、父に会合に出るよう頼んで欲しいと言ってきました。
家庭訪問NGだったので、壮年部から頼めなかった故です。
私は「言ってもいいけど、うちの父は来ませんよ」と答えていました。
すると壮年部のおじさんが「そこは娘の信心でお願いしますよ~」というのです。
毎回こう言われて、むっとしました。いや、すんごい腹立たしかったです。
うちの父にそんなもの通用しないんだよ・通用してたら苦労しないよ!と心で叫んでいた。
まるで父親が創価の活動に出て来ないのは、家族の責任と言われているようでむかつきました。
で、そういった壮年幹部の子女に限って未活非活だから笑わせんなよ、でした。
逆に言ってやることもありました「じゃあ娘さんおねがいしますね、お父さんの信心で」って。
おじさんは苦笑いしてましたw 

実家の母は、非活の父や子供たち(とその配偶者)に信心をやってもらいたい一心で
信心・活動を頑張ってきたといっても過言ではありません。
父は逝ってしまいましたが、遺された家族にわかってもらいたいと今も一生懸命です。
折伏のご祈念板には、兄嫁と孫の名前も並んでます。それを組織の人も知っているから、いつ出来そう?
頑張ろうね、みたいにいわれて、それがプレッシャーになっている気がします。

私も覚醒前までは、母の狂おしい思いが伝わってきて、早く家族が解る日がくればいいなと思って
いました。
だがしかし、覚醒してみると、母が創価の標榜する「一家和楽」を手放すことができれば
あっというまに家族の仲は良くなって、普通に楽しく過ごせるんじゃ、と思うようになりました。
なんといっても、私が覚醒後、姉との関係が格段に良くなりました。
一生分かり合えないだろうと思っていたのにです(向こうも、私の事は宇宙人だと思うようにしてきた
らしいです)。

「一家和楽」という言葉が強迫観念になって、家族やその配偶者・孫の入会に躍起になる親世代も
多いと思います。
無理強いすればどんどんこじれる関係もあるのに、「絶対感」を持つ創価の親はそんなことおかまいなし。
「信教の自由」という国の定めも、絶対感の前では何の力も持ちません。
創価の組織内だけ治外法権なのかと思うほどです。

創価のサイトには
「一家和楽の信心」とは、
この仏法が、自分一人だけでなく、一家、一族の繁栄を実現するものである、ということです。
「和楽」とは、仲が良く、楽しいことです。

こう説明がありました。
はっきりと「家族全員が創価の活動家になる」とは書いてないんですね。
指導上、逃げを作っておくためでしょうか。

余談ですがこの一家和楽の信心は、戸田先生が「永遠の三指針」として示したうちの1つ。
面白い事が書いてあり、2003年に池田老人が2つ加えて「永遠の五指針」になったそうです。
それを「師弟の合作」と表現していましたw どうなんでしょうそれ。
2003年当時、おもいっきりバリ活やってたのに、知りませんでした。

追加の2つが「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」
池田老人の願望がありありと出ていて、苦笑してしまいます・・w

(3)に続きます。
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