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傲慢(1)

御本尊様と信心への「絶対感」が強かった私は、20代半ばで外部と結婚の話がでた際
相手の親御さんから「創価の嫁はいらない」と言われ、結婚を諦めました。
当時の私からすれば、結婚によって御本尊様や信心を辞めるなんてことは考えられなかった。
結婚よりも信仰を取ったことで、当時の彼を傷つけました。
一般的な日本人に、好きな人との結婚より大事なものが「信仰」だなんて、受け入れがたい事だと
今は理解できます。
結婚をあきらめた理由は「絶対感」と、もうひとつ「母を悲しませ・悩ませたくない」ということが
ありました。
兄や姉の結婚で、母が創価の信心を主張するあまりきょうだい・そのつれあいと関係がこじれ
傷つき悩み、こんこんと唱題するのを見てきただけに
私だけは母に喜んでもらえる・文句のつけようがない結婚をしたいと考えていました。
また、それは兄や姉に対するコンプレックスの裏返しでもあり。
学歴も経歴も2人に及ばない私だけど、親の喜ぶ結婚をすることで見返したかったというか。
今となれば、ばからしいのですが。

姉の結婚の際も、創価の事で婚約者と母が険悪な仲になりました。
相手の男性がアンチ創価で、インターネットで得た知識で頭でっかちでした。
どういうわけか、最初の挨拶に来た時、うちの母を覚醒させるつもりだったのか喧嘩腰で
挑んできました。
二人は数年間同棲しており、姉が常々、母親と関係が悪い。創価の信心をごり押ししてくるから
うんざりで、縁切りしたいと彼に話していたのが原因(姉談)のようですが、
今思い返しても非常識な男でした。
結婚の許しを得にきたのに、母にダメ出しするような発言を繰り返したのです。
当然母は激怒し、結婚を反対し、彼を実家出入り禁止にしたのです。
父も彼の礼節をわきまえない態度に、姉の事を本当に大事に思うなら最初から喧嘩腰でくるはずは
ない・姉にふさわしくない相手だと、結婚を考え直すよう姉に言いました。
しかし姉は反対を押し切り入籍しました。 結婚式はしませんでした。
そして諸事情から、数年後に離婚。
私が彼に会ったのは実家に挨拶に来たとき一度だけです。
実家出禁にしたので、彼がうちの敷居をまたぐ事は入籍後、ありませんでした。
毎年お正月に姉一人で挨拶に顔を見せていましたが、実家では彼の存在は無い物になっていて、
私も敢えて「旦那さんはどうしたの(連れて来ないの)?」と聞く事はなかった。
いま思えばこんな不自然な事ってないと思うんですが、当時の私にとって姉の旦那さんは
「母を傷つけ私を不愉快にさせた、私たち家族と創価の敵」 無視して当然でした。
こんな態度のどこにも仏性なんてありません。
私は”日顕宗を撲滅せよ”という池田老人や創価幹部の指示に対しては、それはおかしいと思い・
会った事もしゃべった事もない阿部法主を「自分の敵」だと実感できなかったのでスルーできましたが、
目に見える・身近なわかりやすい「敵」に対しては「悪は攻めて攻めて攻め抜く」をやっていたのです。
信心の、創価の悪口を言うやつは許さないと思っていました。
創価の人は排他的といわれますが、本当にその通りです。 
実は元旦那に手紙を書いた事もありました。挨拶に来た時の態度が許せなかったからです。
母へ謝罪しろ・家族に受け入れてもらいたければ態度を改め、御書を学ぶべきだと書きました。
しかし、その手紙に返事もリアクションもありませんでした。
覚醒後、姉にその件を伝えたんですが(不幸の手紙を送ったと)、姉は元旦那から何も聞いてないと
言ってました。
元旦那はどんな思いでその手紙を読んだのでしょうか。
”創価の人って怖いな、二度と関わりたくない”と思われたかもしれませんw
(余談ですが、姉は再婚し、現在幸せに暮らしております)

20代後半の再活動期、私が結婚に対して決めた事は
「外部を折伏しよう。無理ならもう一生独身」でした。

何故、男子部との結婚を考えなかったか。
その理由は20代前半の活動期に男子部と交際をして嫌な思いをしたからです。
後にも先にも、男子部と交際したのはその1人だけ。
同じ地域で地区リーダー同士、家も近かったし、幼馴染でもありました。
男子部で、モテる人は限られます。私が交際した相手もそうで、女子部の間で「あのカッコいい人」と
有名でした。 牙城会をしていたので顔を知られていたのです。
そして、そんなモテる人は女子部から女子部を渡り歩く。
私の場合も例にもれずで、交際期間がかぶっていました。
私と別れてすぐ、女子部の妊娠がわかり、そちらとおめでた婚しました。
ちなみに、私の前に交際していた相手も女子部で、同じ部の人です。
男子部のいやなところは「結婚しても地元を離れない」事です。
役職のせいもあるんでしょうが、結婚後も居住地を遠方に移さない。本部管内に住む。
モトカノと会館で会う可能性も十分あると解っていながら、妊婦の嫁と嬉しそうに同中に参加したり
するわけですw
そういう、デリカシーの無い人が残念ながら私のいた地域には多かった。 このテの話はよく聞きました。
活動家の男子部は出会いの場も限られ、どうしても組織内恋愛になってしまうのでしょうが
地元を出て行かないというのは、致命的だと思っていました。

再活動期、組織で「婦女一体」の活動が始まりました。
婦人部と女子部の連携を密にし、家庭訪問に一緒に行ったり、会合に圏以上の婦人幹部を招いて
指導会を行っていました。
あるとき、女子幹部上がりで厳しいと有名な圏婦人部長の指導会がありました。
30代メンバー限定で、テーマ「結婚」。
圏婦は「30代まで女子部で訓練受けておいて、今さら外部を折伏出来ずに結婚なんてかっこ悪い事は
しないでほしい」と言いました。
つまり、10年近く女子部で訓練うけてるんだから、きっちり折伏決めて結婚しなさいって事。
自分の名前で分所帯し、主人は未入会なんてかっこ悪いというのです。
これってものすごいプレッシャーだと感じました。
女子部はただでさえ出会いも少なく、創価のためにと青春を捧げ切ってる人も多いのに、結婚まで
ハードル上げられたらたまったもんじゃありません。
外部の相手を折伏せずに嫁に行くと「使命を果たさずに行った」と言われる風潮も、女子部の婚期を
遅らせる要因になっていたと思います。

参加メンバーの一人が、交際中で結婚を視野に入れている相手がいるが、どう折伏にもって行ったらいいか
わからない・相手にはぐらかされると質問しました。
すると圏婦は「相手に”私と結婚するって事は、もれなく御本尊様と学会がついてくるって事なんだよ
あなた得したね!”と明るく言ってやりなさい」とw
「そしてとにかくお題目を上げ切って行く事。こちらの腹が決まれば、相手の腹も決まる。
 本当にあなた自身のことを好きなら、入会しますよ。細かい事、ぐちゃぐちゃいうような相手なら
 こっちから願い下げにすればいい」と答えていました。
女子部たるもの、毅然としなさい!と池田老人の指導からの言葉もありました。
頷きながらメモを取るメンバーもいましたが、私は懐疑的だと思いながら聞いていました。
ただ「本当にあなた自身のことを好きなら、入会しますよ」このフレーズは刺さりました。
確かに惚れた弱みってあるかもしれない・・そんな甘い事を考えたのです。
だがしかし、惚れた弱みだけで創価に入会するような男性って全く賢明ではないですよね・・w
(もしいらっしゃったらごめんなさい)。

後年聞いたのですが、件の圏婦人部長は組織内お見合いで結婚していました。
そんな人が外部との結婚について上からアドバイスしていたなんて、お笑いです。
経験もないのに、なんでもかんでも「池田先生はこう仰ってる」と綺麗事で指導する幹部の多かった事。
従順なメンバーは真剣なまなざしでその指導に耳を傾け、受け止めていた。
私は幸いにも家庭内プロパガンダを受けなかったので「池田先生がこう仰ってる」に対し
ひれ伏すようなことはありませんでしたが・・。
なぜに、池田老人はそこまでのカリスマになりあがることができたんでしょうか?
人間革命というフィクション小説のおかげなんでしょうか。
全く惹かれなかった私からすると、池田老人を師匠と崇める人の深層心理に今、とても興味があります。

(2)に続きます。
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