傲慢(2)

前回書いた、圏婦人部長の指導内容の続きです。

特定の相手もなく出会いもない、結婚できるのか不安があるが、そういったことを御本尊様に
どう祈念したらいいかわからないというメンバーの質問に対して
「紙に書かないと祈りは叶わないよ」と圏婦はいいました。それも、事細かに具体的に。
ただ「結婚したい」ではダメ。何歳までに・どういった人と(条件、環境etc)とにかく細かく書きなさい。
そしてお仏壇の近くに置いてご祈念しなさいと言いました。
これも池田老人の指導からで、池田老人は手帳(スケジュール帳)を御仏壇の前に置いて唱題していた。
スケジュールの他、創価の未来構想が書いてあり、それらが無事故で思い通りに進むようにと
ご祈念していたって話です。
ぼんやりとなんとなく祈念するなんてそんなものは届かない。御本尊様へのご祈念はいつも「誓願」で
なくてはならない。
ここで何故か(当時)公明党の浜四津さんの話題も出され、浜四津さんが御本尊様を叱咤するご祈念を
していたと聞きました。
「この祈り、叶えなくてどうするの!」と、強い祈念をして行かなければ願いなんて叶わないっていう
話でした。
「女子部は福子が多いから恵まれていて、どうしてもご祈念が弱い面がある」との苦言も呈されました。

私も子供の頃から母に「御祈りごとを書きなさい」と毎年お正月に書かされました。
叶うとひとつずつ線を引いて消していきます。小学生時代の祈念なんてかわいいものです。
「OOのグッズが欲しい」とか「OO(遊園地)に行きたい」など。それは母が見て頃合いを見て叶えて
くれました。そんな単純なことでも私は「御本尊様のお陰・功徳」と思いこんでいました。
中高生になると「OOのライブに行きたい」「最前列のチケットが欲しい」「OO(アーチスト)に会って
握手してもらいたい」そんな事ばかり書いてました。
最前列はとれなかったけど前から3列目がとれたらその願いは叶った事にしていました。
いま思うと、ばかばかしいけど、こうしてどんな些細なことでも「御本尊様のおかげ」「御本尊様への祈念は
絶対」という刷り込みをされていたことが問題だったと思います。
努力なしでも叶うような事まで御本尊様のお陰とする、依存体質になってしまって当然です。
そういえば、初めての5時間唱題をしたのは、高校受験の前日でしたw 
普通の親なら「勉強しなさい」って言いますよね。
うちの母は「5時間唱題しなさい、絶対勉強したところが試験に出るから」って言い、私はそれに素直に
従いましたw いま思えば無茶苦茶です。

どんな小さな事柄でも「書いて祈念する・叶った事を確認する」これもマインドコントロールの手法です。
祈念で叶ったか疑わしいようなことまで「御本尊様のおかげ」と感謝させる。
そういえば「功徳を頂いたら感謝の祈念をする」これも義務付けられていました。その姿勢が無いと
慢心に陥るからダメだっていう。
そうやって御本尊様への依存心を高めることが、ひいては組織への依存心を高めることとなる。
その積み重ねが「絶対感」を確実に育て上げて行くんです。卑劣なやり口だと思います。

この指導会の後、私は「次に出会った人を折伏して結婚します」と誓願の祈念を開始しました。
すると1ヶ月後に主人から数年ぶりの連絡がきたのです。
主人とはドロップアウト期間に会社のスポーツサークルの活動を通し知り合いました。
主人は練習試合相手のチームにいました。
当時は互いに恋愛感情もなく、大勢で遊びに行ったり飲み会をする仲間。二人で会った事もありません。
主人が転勤になり、私は職場をリストラされ、数年間連絡が途絶えていたところ、転勤で再び地元に
戻って来たんで飲み会しましょうとの、一斉送信メールでした。
大人数で再会しましたが、そのとき特に何か思う所もなく。翌月、共通の友人の結婚式2次会で再会。
それでも主人を特に意識する事はありませんでしたが、2ヶ月後に思いがけない場所で再会を果たしました。
お互い参加するとは知らなかった音楽イベント(フェス)に友人と行ったら、主人も友人と来ていたのです。
遠隔地で、広い敷地で、数万人規模が参加するイベントで偶然会った事に私は運命を感じました。
音楽の話をしたこともなかったけれど、同じアーチストを見に来ていた事が解りました。
ご祈念していた「次に出会った人」は「この人かもしれない」と思ったのです。
イベントがきっかけで主人との距離が縮まり、交際に発展した際、私は最初に筋を通すべく創価の会員で
役職がある。会合優先の生活をしていると話しました。
主人は私が女子部なんじゃないかと薄々感じていたらしいです。そして活動に関しては全然いいと思う、
応援する。でも信仰は自分には必要ない(だから入会しないよ)と言いました。
主人は異動がきまっており、時期未定でしたが、その時はついて来て欲しいと言いました。
暗にプロポーズだと私は思い「でも、うちの母は厳しい人だから、相手が創価じゃないなら結婚を認めないと
思う」と、脅しをかけてみました。
主人は「そんなの(母に)会ってみなきゃわからないでしょ」と取り合いませんでした。
そして、実は学生時代の友人から10年以上も折伏・仏法対話を受けている。会合参加・書籍を読んだ事も
あると話してくれました。
こんな仏縁ってある?!私は驚き、主人に出会わせてくれた御本尊様ありがとうと思いました。
功徳以外の何ものでもない。主人と出会うための今までだった(数々の失恋)と感謝の思いでした。

ただ、主人は難攻不落です。友人から10年以上も折伏を受けても、入会しないくらいですから。
私が話しても、「いい話だと思うけど、自分に信仰は必要ない」いつもこれで片付けられていました。
私の活動の邪魔をするような事は一切なく、いつも「頑張ってね」と励ましてくれます。
それが嬉しいような・突き離されたようで悲しいような複雑な気持ちでした。

ちなみに、何故主人が私を「女子部じゃないか?」と薄々感じていたか、その理由。
サークルで関わっていた当時、私は絶対に人の悪口を言ったり、否定するようなことを言わなかった
そうです。自覚は無いのですが。
普通の女の子は、少し仲良くなると、自分の弱みを見せるように?異性の興味を引きたいがためか
「OOさんが意地悪」とか「OOさんはああ見えて実は」的な打ち明け話をするらしいのです。
スポーツサークルだったので体育会っぽい上下関係もあり、そうなりやすかったのでしょう。
だけど私は誰に対してもそういった話をしたことが、そういえばありませんでした。
苦手な人は勿論いましたが、はっきりと敵意を向けられたり、不利益を被らない限りは問題にしないというか。
普通の人付き合いにも「創価の排他主義」を取り入れていたのかもしれません。
主人は当時、私の事を、隙が無く本心が解らない「すごくいい子」で、逆にキモチワルイと思っていたそうです。
そして主人に10年以上仏法対話を続けてきた男子部も私とまったく同じタイプらしくw
もしかしたら、そうなのかもなと感じたと言うのです。 鋭いと思いました。

実は、結婚後に勤務した会社の上司にも言われました。
「そつがなさすぎる。そんなにいい子でなくてもいいんだよ。旦那さんには我儘いってちゃんと甘えてるか?
 家庭内では息抜きしないといけないよ」と。
本当の私は、いい子ではありません。我儘だし怠惰で攻撃的なところもあります。
無意識のうちに、外でいい子を演じていたのかもしれません。
本心をなかなか言えない・自分の思いとは違っても、風向きを見て相手にあわせてしまうところ・
そういった部分は家庭と組織の中で培われたものだと、自身のこれまでを振り返って思います。
池田老人を師匠と思えなくても、組織の先輩にそんなこと正面切って訴えませんでした。
そんなことしたら袋叩きに遭う・問題視されることが解っていたからです。
黒いものを白だと師匠が言えば白になる。昨日の友も、今日の敵となる。
師弟観の無い私です。普通ならばそんな矛盾に満ちた狂った世界に居続ける意味なんて感じず、
反逆者といわれても異を唱えたでしょう。
私は師弟観が無い故に、居心地の悪さを感じても、黙って組織に居続けなければならなかった。
その理由は母との絆です。
私の実家でのよりどころは、母しかなく、その母と良好な関係を保っているためには、創価にいなければ
ならなかったのです。
こんな親子関係が、つい昨年まで、未活を長く続けても「創価を脱会する事は絶対に出来ない」との抑止力に
なっていました。

(3)に続きます。
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