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傲慢(3)

交際から1年ほどで主人の異動時期が決定し、結婚を申し込まれました。
私はご本尊様を主人の名前で受けて欲しい事を改めてお願いしましたが、断られました。
「君の信仰の邪魔はしないし尊重する。自分には必要ないと思っている。もし必要になった時は
 入会するが、今はその時期ではない」との答え。
20代半ばで結婚話が出た彼からは、ハッキリと「信心やめてほしい」と言われ、別れを選びました。
だけど今回は「認める」と言っている。でも本人は入会しない。
圏婦人部長の指導「本当に好きなら入会する」は、主人にあてはまらず、惚れた弱みで入会なんて
しないことがわかり、私は少し落胆しました。

私は、きっと母が「あなたにも信心してほしい」と主人に迫るだろう、そうすれば主人も断れないんじゃ
ないかと甘い期待を抱きました。
が、父が最初に筋を通した為(主人の両親に創価の信心OKをもらった)母はそれで満足したようで
主人を無理にでも折伏しなさいとは言いませんでした。
母にしてみれば、兄と姉の結婚で残念な思いをし、疲れ、懲りていたのかもしれません。
信心や創価に理解を示してくれてるなんて、素晴らしい親御さん&彼じゃないの。いい縁談だと思うわ!と
喜んでくれました。
あれー?って思いましたが、母が安心している様子を見、父が筋を通してくれた事実を鑑みても
自分だけが主人の「入会本流」に拘って、円満な空気を不穏にしてしまうことが場違いに思えてきました。
両家顔合わせ、結納、結婚準備とウソみたいにとんとん拍子で進んで行きます。
当時のエピソードで忘れられないのは、私は彼やその両親に母をあわせる事は特に問題ないと思って
いたのですが、父をあわせる事に懸念を抱いてました。
父がいつも家の中で気難しい顔をして、私たちに攻撃的な言葉を発する事が多かった為、こんな頑固お父さんじゃ
印象が悪いだろう・主人の家族に引いてしまわれるんじゃないか?と思っていたんです。
ところがそれは大間違いでした。一般良識人の義両親と父は、すぐ意気投合していました。
母は話に入って行けず、横で笑顔を作るのが精いっぱいだったんです。
これはものすごく意外でした。
父は気難しくて・・と、私が義両親に話すと「全くそんなことはない、知識も豊富でお話していて楽しかった」と
いわれ、義母さんからは「お母さんは遠慮してるわね、何も肩ひじはらなくていいのに」と言われ続けて
いました。
主人からも「お父さんはすごくまともっていうか、常識人だよ」といわれたんです。
これって、暗に私や母が「非常識」っていわれているようなものだったんですねw 最近気づきました。
当時は全然そのことに気がつかず、父の外面が素晴らしく良いんだと思いこんでいたんです。
他人には社交性を発揮して、なんで家庭内で私と母には冷たいんだ!と腹立たしく思ったりもしました。

2004年秋の結婚が決まり、私の青年部時代最後の闘いが例の1000万選挙です。
絶対に、金字塔を打ち立てて見せる。1000万をやり遂げ、広宣流布後の景色を見てから
女子部を卒業するのだ!と今までになく頑張りました。
が、結果は無残で、私の心には大きな穴があきました。
いったい何だったんだろう?1000万って、広宣流布って、青年部って。虚無感に襲われます。
この時点で私が分所帯で御本尊様をお受けすることになっていましたが、このなんともいえない
もやもやした気分を、どうにか払しょくしたい!と思った私は「そうだ折伏しよう」と閃きます。
母に相談し、母と主人と3人で話す事にしました。
母は、主人やその両親が創価の信心に理解を示してくれた事を本当に感謝している。
だけどこの子(私)はそれだけじゃ不安みたい。
この子が信心を続けるのを認めるその証に名前だけでいいから入会して御本尊様を受けてくれないかと
直談判しました。
主人は困った顔していました。そりゃそうです、入会の必要はないとハッキリ意思表示し続けていた。
私は、ほんとうに名前だけでいい。活動の無理強いはしない、何もしなくていいからとお願いしました。
根負けした主人が「本当にかたちだけで、両親には絶対内緒にする」ことを条件に、入会してくれることに
なりました。
こんなもの折伏でも何でもありません。
相手の幸せを考えて・・なんてものではなかった。完全にエゴです。
私は自分勝手でした。自分さえよければ、それでよかった。
自分の「女子部時代最後の闘いにケチがついた」から、なんとか取り繕いたかっただけ。
そのために主人の良心につけこんだのです、親まで使って。
本当に最低だったと思い、深く反省しています。
支部の人に、主人を折伏すると言っていなかったので、急な入会本流に驚かれましたが大喜びでした。
当時、入会に際しては新聞購読やO回以上の座談会出席など、ハードルがありました。
一つもクリアしてなかったけど当時の支部長が「祥蘭の旦那になる人だから、まぁいいや」とハンコを押してましたw
どこまでも現場は結果主義。 内容はどうであれ数さえ上がればいいんです。
そして私も面子を保てたことにほっとしていました。
「女子部長が使命を果たさず嫁に行った」と言われなくて済むから。
こうして私は自分なりに青年部時代最後の闘いに落とし前をつけました。
結婚式のちょうど1ヶ月前のことでした。

私は父や二人のきょうだいに対して思っていたのと同様に、主人に対しても
「こちらに歩み寄るべきだ」をやっていました。
こちらが絶対的に正しいから、そちらが歩み寄るべきだと言う姿勢は「傲慢」以外の何物でもありません。
圏婦人部長が指導で話していた「本当に好きなら入会する」という考えも傲慢だと思います。
折伏という行為自体が、実は傲慢なんですよね。
バリ活時代、友人をセミナーに連れて行き折伏しようとした時に言われました。
信心して宿命転換していかないと、と迫る幹部に対し
「まるで信心しなきゃ私が不幸になることが決まってると言われてるみたいで、不愉快だ」と。
そんなつもりで言ったんじゃない。あなたの幸せを思うから言ってるんだ。なんでわかってもらえないんだろう。
こんなやりとりを、何人もの友人としました。
こちらとしては、心の奥底から「相手の幸福を願う行動=折伏」と思いこんでいた。だから相手の弱点を
突いていた。
しかし、覚醒した今になって思えば、それら全ては単なる「恫喝」でした。

そういえば、池田老人の書籍に、「折伏は恋文のようでなくてはならない」というのがありました。
(女性抄だったかな・・うろ覚えですいません)
相手に不愉快な思いをさせることなく、その気にさせるということ。粘り強く根気よく、美辞麗句を並べろ。
乱暴な書き方をあえてしますがそんな内容でした。
けどそんなの「折伏」じゃない。単なる甘い語り口のセールスじゃんw 
当時はそこまで思いませんでしたが、折伏がそんなソフトなものでいいはずがない、それは摂受でしょう?と
疑問を感じた事を覚えています。

創価の行っていた「折伏」が、日蓮大聖人の本意と大きくかけ離れたものであることは明白です。
単なる票と金集めのコマを増やす活動にもかかわらず「崇高な使命」だと錯覚させ、たきつけ、
従順な会員をだまくらかしてコマ集めさせていただけ。
そのために、従順な人々の心に「傲慢」を植え付けた。とんでもないことだと思います。
最近の創価の信心は功徳を求めないというのが、私の中でかなりツボだったのですが、
確かにそうでしょう。実際、組織で頑張っている知り合いを見ていると、幸せな人がいないんです。
病気や事故や不幸が絶えません。
一時期(覚醒直後)は、偽本尊のせいなの?と思ったりしていましたがw
それはさておいても、「傲慢」を「正義」「破邪顕正」に誤変換し生きてきた、その結果なだけじゃないのかと
最近は思います。

現在、主人に脱会の意向を話してあります。
私は実家の母や親戚の手前があるので、池田老人Xデーを見届けてからにするけど、あなたは今すぐ
やめたければ手続きするからねと伝えましたが
「いちいち面倒だから一緒にやったらいいよ」と言ってくれています。

これまで長らく私を支配していた「傲慢」が、家族や友人たち関わった人のすべてを
不用意に傷つけ・不愉快にさせ・違和感をおぼえさせたことを猛省し・一生忘れず、
謙虚に前向きに、これからを生きて行くつもりです。
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