未活時代(1)

婦人部の活動を約1年でドロップアウトし、私は未活に転じました。
アンチ婦人部となり、未活に転じても、覚醒するまでに約6年かかりました。
経緯を綴ると長くなりますが、私のようなパターンがあるということを知って頂きたく
(組織が嫌いになっても、御本尊様への絶対信を捨てられないから脱会は考えないタイプ)
覚醒までの道のりを、今日から書いて行きたいと思います。

役職断り事件以来、私のところに支部婦が顔を見せる事はなくなり、地区婦としらゆり長が
家庭訪問に時々くるようになりました。
母には、この地域の婦人部とあわないので活動はしない、役職は断ったと伝えました。
すると母から条件が出され
「御本尊様のお給仕は毎日・御供えは欠かさない事」
「新聞購読、財務、選挙だけはちゃんとすること。組織の人と連携を取る事」を守るよう言われました。
私は素直にそれを受け入れました。
いま思えば、母親から信仰に対して条件が提示されるっていうのもおかしな話です。
既に独立家計にいたのに、信心においては常に母の監督下におかれてるって状態。
けれどそのことを私も「不自然、おかしい」とは思わず、なんの反発も感じなかった。
これぞ創価内における母子関係の異様性・恐ろしさです。

「新聞、財務、選挙」当時は意識なかったですが、これって創価の実質的活動の3本柱。
たしかにこの3つをきちっとやって、家庭訪問には時折対応し、反抗的な態度をとらずにいれば
会合になんて一切出なくても組織の人は強引な事を言いませんでした、3年前まではw

余談ですが、この数ヶ月後に帰省のおり、幹部をやっているおばに会ったのですが
「役職を断ったなんて本当にどうかしている。あなたもう、一生お話を頂けないわよ?低い境涯のまんまよ」
と言われました。
婦人部が嫌になったとはいえ当時、まだまだマインドコントロール下にあった私に
「役職を断った・一生ヒラ信心・低い境涯のまま」という言葉は、地味にショックでした。
主人の転勤があれば・引っ越した先で頑張れるかも?という思いがこの時まだ少しあったからです。
あくまでも、この地域の婦人部が残念でおかしいのであって、余所にもっと素晴らしい組織(婦人部)も
あるかもしれないと・・脳内花畑だったので、そんな期待もこの当時ちょっとだけありました。

覚醒した今は、「役職があったら高い境涯・なかったら低い境涯」なんておかしいとハッキリ解ります。
幹部連中の間だけで罷り通ってる俗説・都市伝説みたいなもんでしょう。
婦人部ヒエラルキーは結局「見下しの世界」です。
やっぱり創価は権威主義じゃないか、くだらないし馬鹿じゃんって思います。

アンチ婦人部になっても、私の御本尊様への信は揺らぐことはありません。
毎日ご飯とお水がえ、ごん行も朝だけは欠かさずやってました。
もう完全なる「お守り信心」でした。 
ご本尊様の前に座らないと悪いことがおこるかもしれない・・という恐怖心。
それと、いまの落ち着いた暮らしがあるのは私がこれまで積んできた信心による福運のおかげなんだという
思いこみ。
誰かに仏法対話をしたいと思わないし、学会活動に出ないから不安ということはありません。
理由は、実家を離れた事により、両親の不仲を目の当たりにせずに済んだこと・日常生活の中で
アンチ創価な父の存在がなくなったことが大きいです。
実家があたたかい家庭でなかったことが、私の活動の大きなモチベーションだったのです。
そんな実家を遠く離れ、私の生活は一変しました。
主人は大変穏やかな性格で、喧嘩になりません。私が一方的に腹を立てる事があっても、いつの間にか
仲直り、問題にならない。夫婦仲は普通に良いほうでした。
仕事の傍ら職場の友人と遊びに習い事にと、今までにない穏やかで充実した毎日。
私の活動のモチベーションは「悩みを解決したい・辛い状況を変革したい」って事に尽きたのです。
幼少期から功徳信心を植え付けられてきただけに。
師弟観がゼロなので、師匠のご構想を現実に!とか、組織のために!という意識が無かったとも言えます。
だからもう、活動を頑張る必要がありませんでした。

暫くして妊娠がわかりました。仕事は続けるつもりでしたが、主人の希望もあり退職する事に。
この頃から家庭訪問に居留守を使うようになりました。
選挙や財務なら時期的にわかるので、そういったときは応対に出ますが、そうじゃないときは出ません。
5ヶ月まで仕事をし、退職後は産院のマタニティクラスに入ってスイミングやヨガなどしていました。
そこで知り合ったプレママたちと仲良くなり、又新しい世界が広がりました。
年齢もバラバラ、出身地も違うけど、みんな素敵な人達。
私は出産を実家方面の病院ですることに決めていましたが、おかまいなしで産後も仲良くしてもらい、
現在もお付き合いがあります。
組織の人に妊娠の事は絶対バレたくないと思っていました。
絶対「安産のために活動で福運つまなくちゃ!云々」うるさいに決まってるからです。
移動は殆ど車を使用。婦人部に会いたくないので隣市の遠いスーパーで買い物するようにしていました。
しかし、臨月近くなりプレママ仲間とランチをするため駅前を歩いていたところ、しらゆり長に
見つかり声をかけられました。
「おめでただったのー?」と驚かれました。しまった・・と思いましたが、ばれたら仕方ありません。
明日にも実家に帰る。3ヶ月くらい帰って来ないと思いますと伝えました(本当は2ヶ月でしたが)。
しらゆり長は「産休だね、組織の方に伝えておくわね」と笑顔で去って行きました。

すると翌日、思いもかけない人からメールが入りました。
例の発達障害ママさんです。
「しらゆり長さんから聞きました。おめでとうございます。ママ友が増えて嬉しいです。
 私の子供の新生児服で、綺麗な物をとってあるので良かったら使ってください」と。
ちょっとまて?! いつママ友になると言った?私は引きました。
子供の物に関して、主人の両親にとっては初の内孫ということで、性別も解っていたので
すでに新しいものを山ほど用意してもらっており、未使用の品物を主人の会社の先輩からも頂いていました。
「綺麗な物をとってある」って、使用品ってこと?たいして親しくもないし、そんなの要らないと思い
「お気づかいはありがたいのですが、既に準備してますのでお構いなく」と返信しました。
翌日、仕事から戻った主人の手に紙袋があり「これ、ドアノブにかかってたけど」と。
中を見ると、使用済のヨレった新生児服。しかもうちの子供と性別が違う彩の。
ちゃんと断ったのに、何でこんなことするんだろうと理解に苦しみました。
何と言うか、呆れてしまって、お礼のメールなんてする気になれず(ありがたくないし)
申し訳ないですがゴミの日に捨てました。
そして、ハッとしたのです。
これまでは、「仕事があるから出来ません」と言っていれば良かった。
しかし、子供がうまれたら、あの手この手で活動させようとつついてくるだろう。
それでなくても
「早く仕事を辞めて活動一本に」と言っていた組織の人達。
出産で仕事を辞めたことがわかったら、やいのやいの・出ろ出ろと言って来るかもしれない。
私は急激に不安に、憂鬱になりました。 
仕事を辞めたからと言って、組織の活動に戻る気はもうなかったからです。

そういえば、私は妊娠したら出産までに100万遍唱題に挑戦がしたいと考えていました。
実家の母が3人の子供を産むとき挑戦し、私たちがやりたい事(お金のかかる習い事や旅行や進学)を
あきらめることなく成長できたのはそのお陰(福運)だ、と聞かされていたので、
自分も子供に同じくしてあげたいと思っていたのです。
けど、覚醒したいま思えば、経済的に困らずに居られたのは完全に「父(やその実家)のお陰」なんです。
ご本尊様や信心、創価のお陰というわけではありません。 母の思考回路がほんとよくわかりません・・。

だけど、100万遍はあがりませんでした。
30分ほどで気力が切れてしまうのです。
体重も増えて正座の姿勢がツライというのもありましたが、お題目があがらなくても出産への不安は
不思議となく、淡々とその日を迎えました。
スポンサーサイト