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未活時代(2)

外部と結婚し、さまざまな問題が生じてくるのは子供が出来てからだと思います。
日本的宗教観をもっているご家庭なら「戌の日参り」「宮参り」ははずせない行事でしょう。
我が家においても同じくでした。

戌の日参りについては義母さんが行きたがりました。が、私は拒絶感があり、母に相談。
母は「こちらの方式でやるからご心配なくと伝えなさい」というので、言われたとおりにしました。
実際は何もしてませんw 創価にはそんなものないですしね。
後日、義実家から立派な安産祈願の御札、お守りが届きました。何もしないのでは不安だったんでしょう。
ご本尊様のある家に、そういったものを入れると喧嘩してトラブルがおこると昔々に聞いていた私は
これはまずい!と思い、とりあえずそれらを玄関の靴箱の中に隠しました。
捨てるわけにはいかないしとネットで調べると、出産が無事終わったら寺や神社に返しにいくとあったので
それまで保管しておくつもりでした。
が、まずいことに主人にみつかってしまい、激怒されました。
君はうちの両親の気持ちを踏みにじるような事、良く出来るね?と。普段は温厚そのものの主人です。
私は震えあがりました。そして、御札が苦手だからごめんなさい。私がしんどい思いをすれば
お腹の赤ちゃんにも悪い影響が出ると思って・・と伝えました。
主人は「お腹の赤ちゃん」という言葉に我を取り戻したように「こっちこそごめん」と謝ってくれ、
だまって御札を持って家を出ました。どうしたのかと聞いたら、自分の車のトランクに入れたとの事でした。
夫婦の危機に展開しなくて良かったと、胸をなでおろしましたが、これから先もこのような事が
続くんだろうなと思うと、どんよりしました。
先に外部と結婚した女子部時代の友人から「孫が出来ると本当に大変」と聞かされていましたし。
こういうことか・・と初めて実感しました。

出産後、義両親はやはりというか、お宮参りを希望しました。
私は悩みました。
自分としては絶対にやりたくない。けど御札事件で、夫への負い目がありNOとは言えない。
それに、うまれてきた子供は私だけの子供じゃない。
主人の家の名前を継ぐ子供なのだと思えば、母親の一存でそれを断る事は出来ないと判断。
けれど、実家の母に話したらトラブルになることが目に見えていたので、義両親に「実家には内緒で」と
お願いしました。
義両親は快く受けてくれ、義実家の氏神様でやってもらいました。
私は神殿に上がる時も生きた心地がしませんでした。罰論が頭をよぎります。でも、この子(赤ちゃん)は
まだ入会をしていない。まっさらです。だから罰を与えるなら私だけでお願いしますと、祝詞をあげて
もらっているあいだも御本尊様に祈っていました。
当時私の中で、お寺と神社なら、神社の方に拒絶感が強かったです。
創価で10代の頃に刷り込まれた「外道」、仏教より神道は下という考えが影響していました。
しかし覚醒後に歴史の本を読んで認識が変わり、宮参りは土地の氏神様へのご挨拶だと知って
理にかなった・日本古来の風習、伝統であることを理解し、やみくもに邪宗の儀式だからと
切り捨てて・忌み嫌うような考え方を持っていた事を恥じました。
創価の教えは、日本人としての矜持を殺ぐものであると思います。

あとあと知ったのですが、お宮参りの子供がまとう着物は嫁方で用意するものらしいですね。
私はそのようなルール?も知らなかったので、退院時に用意したセレモニードレスだけ着せて
宮参りをしました。
義両親は、そういった事柄はきちんとやりたがるほうです。
内心どうだったのかと思うと今も恐縮してしまいます。
きっと「非常識だけど、創価と知って嫁にもらったんだから仕方が無い」と諦めていたのでしょう。
実家の父に話せば(一般人の良識があったので)喜んでお支度してくれたと思います。
だけど当時の私にとって、父は信仰の敵で、宮参りが母にバレても困るので相談なんて出来なかった。

お食い初めは、実家の父が支度を買って出てくれ、義両親を招いてきちんとしてもらいました。
父にしてみたらお宮参りができないので(やったんですが、両親は知らないので)
義実家へお詫びのしるしのようなものだったのではないかと、いまになって思います。
その後、初節句やそれにまつわるお祝いなども父がお支度をしてくれました。
この件についても、父に足向けて寝られないと感謝していました。
外部と結婚した友人は、両親ともに創価脳だったので、何もかもスルーされ
「やりたいならそっち(義実家)で勝手にやればいい。うちは邪宗の行事にお金は出せない」と言い、
嫁ぎ先から「あなたの親は非常識」といわれ、肩身が狭かったと話していました。
最近の創価は、こういった子供にまつわる宗教行事に関してもユルくなったと聞きますが、
本音は「邪宗の行事に金出すくらいなら財務・新聞多部数購読してくれ」って感じなんでしょうね・・。

話は前後しますが、妊娠中に姉が離婚した事を母から聞かされ驚きました。
離婚原因などは教えてもらえず(というか、母も知りませんでした)気になりましたが、
普段から連絡を取り合うような仲でもないのに、ここぞとばかり連絡して詮索する事は賢明でないと
判断。
いい印象の全く無い元旦那だったし、お別れ出来て良かったじゃん!と内心思っていました。
しかし、出産後、姉がお見舞いに来ず・実家でお世話になっているあいだも姿を見せずで、
私は悲しくて泣いてしまいました。 
産後、不安定になっていたことも原因としてあります。
これには伏線があって、主人と結婚が決まった時、主人のきょうだいと配偶者は、私にお祝いとは別に
実用品のプレゼントに、メッセージカードや手紙を添えて贈ってくれました。
新しい家族を歓迎するという気持ちが伝わってきて、ありがたかった半面、私のきょうだいは誰も
主人にそのような事をしませんでした。それが恥ずかしく・腹立たしくもありました。
けれど、私だってきょうだいの結婚のとき配偶者に対しそこまでの気遣いを見せませんでした。
姉の元旦那に対しては不幸の手紙を送ったほどですしw だから自業自得なんです。
出産に際しても、主人の身内は入院中にかけつけ、子供へのお祝いとは別に、私に対しても
気遣ってくれ「出産御苦労さま」とお花やケーキを持って来てくれました。
それに比べて、なんでうちの身内はこんなに残念なんだろう? と悲しくなったのです。
根本から違うのに(一般の円満家庭と・片方だけ創価の機能不全家庭)比較していました。
兄は父から連絡を受け、お祝いを送って来ましたが手紙やメッセージなんて当然ありません。
姉に関しては、何もありませんでした。
でも、それは当然でした。
離婚して間もなくで、気分的に落ち着かなかっただろうし・実家に帰ったら結婚に反対し・元旦那を拒絶した
母に絶対会わなきゃならない。「それみたことか」母なら言いかねません。姉にしてみたら屈辱です。
煩わしい事だらけで、会いに来れなかったのは当然だと思います。
母は泣く私にむかって
「そんなことで泣くなんて馬鹿だね~、OO(姉)が愛想なしなのは、今に始まった事じゃないでしょ」と
呆れていました。これもいま思えばどうなのかと・・。
そして私はやっぱりこのとき、きょうだいが残念なのは「信心をしていないからだ」と決めつけていました。
誰ひとり信心してない主人の身内がまともである、という点はオールスルーで。
なんでこの単純な構造に気づけなかったのかは、繰り返しになりますが「絶対感と傲慢」のせいでしょう。

私が自宅に戻って暫くのち、姉が突然お祝いを持って遠いところを遊びに来てくれました。
出張のついでに立ち寄ったという事でしたが、こんなことは初めてでした。
両親のいないところで姉に会うというシチュエーションも初めてで、私はとても緊張したのを覚えています。
姉は子供をずっと抱っこしあやしてくれ、お茶を飲んでしばらく話をしたあと帰って行きました。
このとき、離婚原因について尋ねる事は出来なかったけど
「次の恋愛は?」と聞いたら「まぁね」というので
「再婚もありそう?」と尋ねたら、首を横に振って「ないない。結婚は暫くいい。あの人(母)うるさいし」と
答えが返ってきました。
私は内心、姉さえ信心に理解を示せば母とわかりあえるし、たとえ次の再婚で相手の男性が入信しなくても
理解者であってくれさえすれば、母は態度を軟化させるのに・・と思いましたが、姉には言いませんでした。

父亡き後(覚醒する約1年前)姉からこの訪問が父の助言によるものだったと聞かされました。

父は、母と兄姉の関係修復についてはもう諦めていたといいます。
創価に魂を奪われた母を「不治の病」だと姉の前で表現していたとの事。
だけど、創価のせいできょうだい間までぎくしゃくしてしまう事を、常に案じていたと聞きました。
そして兄姉に、母を恨んではいけないと教えていた・私のことを不憫だ、あの子はおかあさんの被害者だから
理解してやらないといけないと、話していたとのこと。

母が一心不乱に「一家和楽」を祈り学会活動にすがる傍らで、父は静かに家族のため、心を砕き、
円滑にいくようにと現実的な手を打っていた。
一家和楽のために、現実的な行動をしていたのは、父の方でした。

この事実を知った時、私がこれまで見ていたもの・絶対だと信じて疑わなかったものとは何だったのかと、
茫然としました。
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