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未活時代(3)

実家から戻り1ヶ月ほどしたころ、婦人部が家庭訪問に来ました。
知らぬ間に新しい人に変わった地区婦としらゆり長。
丁度子供が寝ている時間でした。
赤ちゃん見せて欲しいと言うので、奥で寝てるので無理ですと断りました。家に入れる気はありません。
そして地区婦が「入会はどうする?」と聞いてきました。
私は子供の入会に関して、迷っていて、まだ誰にも相談していませんでした。
返答に困っていると、しらゆり長が
「書類が時間かかるみたいだから早めに言ってね。今からだと、O・Oなんかいいんじゃない?」
学会記念日に合わせようとするのです。
主人と相談しますと答えると
二人は「そうだよね、せっかくだから入会GGは家族全員で参加したいよね」とニコニコしていました。
まだ赤ちゃんだし、無理しなくていいよ、出られる会合があったら来てねと日程表を置いて帰りました。
しかし私は、子連れで会合に参加するなんて想定しておらず。
役職を断った時点で、こちらの会合に出るつもりは一切なかったのですが、組織の皆さんにその旨を
説明しなかったので(言えばややこしくなると思っていたので)この後もずっと、活動に出て欲しいと
言われ続けます。
態度をはっきりさせなかったのは、組織の人たちと対立する事で仏罰が当たるのではないか?という
恐怖心からでした。

帰宅した夫に、子供の入会についてどう思うか尋ねてみました。
夫は「本人が辞めたいと言った時に絶対やめさせる事が可能なら、入れてもいい」と言うので、驚きました。
大反対されるものと思っていたからです。
私自身、女子部をドロップアウトしていた時期、記憶・理解がないうちに創価に入信させられたことを
疎ましく思った事がありました。 結婚話がダメになった時です。
我が子に同じ思いをさせてしまうのはどうなのだろう・・と、自問自答するも、答えが出ませんでした。
ただ入会させるにしても、この地域で入会GGは絶対したくないと思いました。
とにかくこの地域の婦人部員と必要以上に関わりたくなく、相変わらず買い物も隣市のスーパーまで車で
行くような状況でした。

暫くすると、例の発達障害ママさんからメールが来るようになりました。
「子育ての悩みがあったらいつでも聞くから言ってくださいね!」という内容。
関わり合いになりたくないと思い、返事は送らず無視していました。
返事しなくても、メールは毎週届きます。
私だったら、2-3回メールして返事が無ければ、嫌われている・つきあいたくないと拒否されてるんだなと
感じてメール送信はやめます。 相手の迷惑にもなりたくないし。
けれど彼女はそんなことおかまいなしです。
以前、小グループで一緒だったメンバーが同時期出産だったこともあり、発達障害ママさんから粘着されて
耐えられないと、子供を無認可保育園に入れて働きに出、非活に転じた事がありました。
ターゲットが私に変わったって事なの?と思うと憂鬱でしたが、このテのタイプは社交辞令なんて通じない・
へたに情を見せたら勘違いされると思ったので、以降も一切無視を貫きました。

生後3ヶ月を過ぎると産院で知り合ったメンバーと再会し、一緒にベビーサインとマッサージの教室に
通うようになりました。
教育機関・小児科の評判や、子育ての情報は彼女達から聞けるし、同時期出産なので育児に関する悩みや
不安、疑問もだいたい同じ。
話すだけで気持ちが楽になる事も多く、定期的に集っていました。
また、近所に住む主人の職場の先輩(の奥さん)も親切で、あれこれと世話を焼いて頂き、
身寄りのない土地で初めての子育ても、落ち着いて楽しくやれていました。
加えて、義母さんが月に1度、孫に会いに来てくれました。いつも2、3泊していくのですが、その間に
子供をみてくれるので、私は一人で身軽に出かけたりと気分転換させてもらえ、とても助かっていました。
ちなみに実家母は、そのようなことは一切しません。学会活動最優先だからです。

私がもし、育児ノイローゼ気味になったり・ママ友もなく孤独に陥っていたら、やはり信心・学会活動に
向かったと思います。
創価しかよりどころがなかったら、きっと悲惨でした。
おそらく覚醒する事は無かったと思います。
これはもう、運が良かった・新しい家族や友人、環境に恵まれたとしか言い様がありません。

主人も義両親も、慣れない土地で親元を離れての初めての子育てだからと、私に負担がかかりすぎないよう
気を使ってくれていました。
それも、実家母と私の関係を見ていて不安に思ったからだと、最近聞かされてドキッとしました。
特に義母さんからは、私が母親に対し常に遠慮しているように見え、甘えベタで・ひとりで全部抱え込む
性格が災いしないか・育児に悪影響が出るんじゃないかと、気になっていたそうです。

たびたび「実家のお母さんは(孫に会いに)来ないの?」と義母さんから聞かれました。
私は「忙しいので来れないんです」と、当たり前のように答えていました。
忙しいと言ったって、学会活動は仕事(生業)ではありません。
義母さんにしてみたら、宗教活動が休めないほど忙しいなんて、意味不明だったと思います。
私の中では、実家の母が「孫より娘より創価の活動が大事である」という事を全く問題にしていませんでした。
「仏事だから仕方が無い」と思っていたんです。
義母さんが、そのことについて疑問というか、実家の母をよく思っていない様子なのは当時から私も
薄々感じてました。

また、当時の私は義母さんの親切すぎる行動に対し疑心暗鬼でした。
ママ友に「義母さんが(遠方から来てくれて)子供を見てくれて、OO(赤ちゃん連れで入れない店)で
主人とランチしてきた」というような話をすると、皆一様に驚きます。
お姑さんにそこまでしてもらえるって、すごいね!嫁姑仲が円満で羨ましいなと。
そう言ってもらえるのは嬉しくて自慢だった半面、どうして義母さんがそこまでしてくれるのか?
真意がわからず、怖かったのです。
主人に理由を尋ねた事もありました。主人は「孫がかわいくて仕方が無いんだろうね」と言うだけでした。
本当にそれだけ? だって孫は他にもいるじゃんと、いつもこの回答に納得できず。
いま思えばですが、暗に虐待していないかチェックしに来られていたんじゃないかと思います・・。
当時のエピソードで忘れられないのは義両親が泊まりがけで来てくれたさい、
子供が締め切っていた和室(仏間)の引き戸をあけて入って行き、義両親もついて入り、
大きな仏壇があるのを見られてしまい、なんともいえない表情を見せていたこと。
創価の信心を許しはしたけど、こんな仏壇家に入れたの?というような、驚きと戸惑いに見えました。
私に対して義両親は何も言いませんでしたが、私は見られちゃった・・と、気持がどんよりしたのを覚えて
います。
ちなみに仏壇は、母が嫁入り道具として買ってくれたものでした。

義母さんも、当時は小言的なことを何も言わず、粛々と自分の意志でサポートをしてくれていました。
これは義父さんが協力・応援してくれたから出来た事だと思うし、本当に感謝に堪えません。

義母さんがたびたびこちらに来ている事を、実家の母は
「いい事だわ。嫁に行ったのだから嫁ぎ先で可愛がってもらうのは当然よ」と言っていました。
しかし父は、うちが放置状態にしていると思われているのではないかと、母をせっついて行くように
促してみたり(しかし母は聞き入れませんでした・あくまでも学会活動優先です)、
「義母さんが来た時に一緒に食べなさい」と、良い食材を送ってくれたり、細やかな気使いを見せて
いました。
父の存命中は、父から本当に良くしてもらったので全く感じませんでしたが、
父亡き後、実家と義実家のパワーバランスに差が大きく出たことで、私はハッとさせられました。
どれだけ父が、私が義実家や夫に対面を悪くしないよう気を使ってくれていたのかが解りました。
一般の良識ある家庭に嫁いだのだから、釣り合いを考えて、私に恥をかかせないようにしてくれたんでしょう。
父自身のプライドもあったと思います。
けれど母はそんなことなんにも・一切気にしないタイプです。
孫はおろか、実の息子・娘の誕生日も記憶してない人ですから・・。
読みもしない書籍や、売れ残りの民音チケットはばんばん買う。
新聞は最高5部購読していた時期があります。
そういった創価関係の出費は惜しまないのに、祝い事や儀礼的なつきあいに関しての出費を渋る方です。
これについては「ちゃんとしてほしい」と話しあって、最近まともになってきました。

父亡き後、選挙の応援に他県へいく移動費・旅費・手間もおしみません。
けれど私の子供達の園行事や入学式など、これまで一回も顔を見せた事がないんです。
常に創価の日程優先で「OOがあるから・忙しいから無理」といいます。旅費が無いわけじゃないのに、です。
義両親は毎回来てくれます。
これに関して、うちの子は「おばあちゃん(母)は来るわけないから呼ばなくていい(連絡しなくていい)」と
言うようになりました・・。
孫にそんな寂しい事を言われても、なんとも思わない母です。

一般的な家庭の人たちから見れば、創価の母子関係はよほど特殊な関係に映るようです。
うちの母が特別非常識で、人間らしい感覚を失っているのかもしれませんが、
創価の中で長く生きていると、どれほど婦人部が一般と感覚が乖離するか・隔絶感がうまれるのか、
女子部時代は全く見えなかった事を、結婚後に痛感した次第です。

そのような、おかしな世界で、迷い苦しみながら活動を続ける理由なんてどこにもない。
創価の中だけで誉められて生きたって、どうしようもないんです。世間から見ればごく少数派、
いずれ孤独に陥るのは当然です。
礼節を知り、和を重んじ、世間一般に認められ、普通に生きて行くことの方がどれだけ有意義で
人生の為になることか。

永遠の指導者だって、世間一般に認められてはいません。
その昔、認められたくて必死の様相でした。
創価のなかだけでちやほやされたって、満たされなくて、顕彰をギネス並みに取得した。
だけど非常識で反社会的だから無視され、メディアで取り上げられることは無く(現在進行形)。
それを「世間は嫉妬」などと誤変換する。 
よく同中で、机をたたいて言ってましたね「仏法は道理です!」
全くその通り、一般世間・世論から認めてもらえないのは道理です。
非常識で反社会的だから「カルト」なんていわれるんです。

ごく簡単な事です、弟子の皆さんには、早く気づいて欲しいと願います。
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