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未活時代(7)

財務の申込用紙が出回るころ、地区婦といっしょに例の発達障害ママが家庭訪問にきました。
子供は3歳になっていました。
応対に出ると、ママさんが「幼稚園はどこにするの?」と尋ねてきました。
メールが相変わらず毎週届いており、自分の子供と同じ園にしてはどうか・いついつに体験入園が
あるからきませんか・・etc 誘い文句が続いていました。
別の幼稚園に入れることは確定だったけれど、言いたくなかったので「検討中です」と回答。
翌日、ポストにママさんの子が通う園の願書とパンフが入ってました。
どこまで必死なんだろう。本人は仲良くなりたくて必死だったんでしょうが、私はこういった
距離なしの行動が本当にイヤでたまらず、早く嫌がってる事に気付いてほしいと思っていました。

秋になり、無事入園も決定。ほっとした矢先、急な体調不良でダウンしました。
邪宗の幼稚園に入れたから御本尊様がお怒りなのかと、不安になりましたが、妊娠していました。
つわりがひどかったので、子供の相手もろくにしてあげられず、私たちは実家に帰りました。
3週間ほどお世話になり、自宅に戻ったところ、些細なことで主人と大喧嘩になり私は子供を連れて
実家にとんぼ返りしました。
母は私に対して「我儘だ」と怒っていましたが、父は「いい機会だから旅行でもするか」と言いだし
驚きました。 そんな事を父が言うなんて、思ってもみませんでした。
父がさくさくと手配を進め、海外へ行くことになりました。
パスポートを自宅に置いてきたので、父が主人に連絡を取り送ってもらいました。
その際に父から主人へ「旅行から帰ったら機嫌なおってると思うから、迎えに来てやって」と伝えていた
そうです。 後から聞かされて驚きました。
両親ともに孫と旅行が初めてで、とても喜び楽しんでいました。私ものんびりさせてもらえ、
はじめて両親と「家族団欒」できた気がして、涙がでるほど嬉しかったです。
帰国後、夫が迎えに来たので素直に自宅に帰りました。
その約1ヶ月後に、父が逝ってしまいました。

母から連絡を受けたのは夕方で、父は集中治療室に入っていました。
すぐにでも帰りたかったけれど時間的に無理があり、翌朝出発する事に。
頭をよぎったのは「私が学会活動をさぼったせいでこうなったのか?」「邪宗の幼稚園に入れたから
罰が出たのか?」ということでした。
じっくり御題目をあげたかったけれど、身内、義実家と連絡を取ったり、帰省の準備などバタバタし
夜中にほんの少しあげただけでした。 このときは涙は出ず、とにかく無事で居て欲しいとそれだけ
願いました。
翌日、地元に到着すると駅に義両親が車で迎えに来、病院まで送ってくれ、子供を預かってくれました。
本当にありがたかったです。
母、姉、私で医師の話を聞きました。
今晩が山ですと聞かされ、姉は出て行きました(泣きに行った)。私と母は、泣きませんでした。
泣きたいのは山々だったけど、そんな暇は無い、題目だ!と思ったのです。
兄は出張中で、翌日の昼前に到着するとの連絡が入りました。いつ容体が変わるかも解らないので
姉も職場に休む旨電話を入れ、自分と母が付き添うから、あなたは実家に戻って、妊婦なんだから
身体を休めなさいと言ってくれました。
ところが(?)母は「私が(家に)帰りたい」と言いだしたのです。理由は、御本尊様の前で御題目を
あげたいからでした。
姉は激怒しました。なに言ってるのこんな時に?死に目に会えなくてもいいの?と。
でも、私は当時まだマインドコントロール下です。母の気持ちが解りました。
仏壇の前に座りたいんだ、御本尊様と対話したいんだなって。
私が間を取り持ち、母に一時帰宅してもらい、家で御題目を上げてから戻って来てもらう事にしました。
姉とふたりで病院に居る時、あなたは気が長いよね~、と呆れたように言われました。
お母さんに対してよくキレずにいられるよね?って意味です。
姉の気持ちも、わからないでもなかったですが、こんな時にご本尊様を求められない姉が可哀相だと
思っていました。 
自分はご本尊様を信じているから、こんなときでも取り乱さずにいられるんだ、と。
お守りご本尊様を身につけて来たので、私は心の中でずっと御題目を唱えていました。
夜になって母と交代し、実家に帰宅して仏壇の前に座って御題目を上げました。
この時初めてわっと泣いてしまいました。 我慢していたものが一気に噴き出すみたいに。
だけど、どういうわけか集中力が切れ、親戚から電話がかかってきて対応したりで御題目は
30分ほどしか上がりませんでした。
翌日、兄の到着を待っていたかのように、父が息を引き取りました。

そして葬儀。 
兄や父方の親戚・姉と、葬儀の形式で揉めて、私は兄と父方のおばから「縁切り宣言」されました。
みんな創価学会の葬式を出すのはおかしいと反対していたのです。父はアンチでしたし
父の実家は浄土真宗です。
私は、あくまでも喪主は母なんだから、母の気持ちに沿うべきだと主張し喧嘩になったのです。

葬儀受付は地元の婦人部が務めてくれました。
葬儀が済んだ後、名簿とお香典を確認していたところ、父方親戚の名前と香典がありません。
えっ、どういう事?と思っていたら、姉が静かにバッグから不祝儀袋の束を取りだしました。
「私が預かった」と。
つまり、父方の親戚は、創価の葬式じゃ香典を組織幹部にみーんな持って行かれるとの噂を信じており、
受付や・母や私に渡すのがいやだったので、受付を通さず一番信用のおける姉に託したというのです。
どんだけ信用ないのよ、創価。
おまけに私や母まで親戚からそんな風に見られていた事に、愕然としました。
これも地域差があるんでしょうけど、実家方面の葬儀では幹部にそっくり持って行かれると言う事は
なかったですが、広布基金というかたちで少し大きな金額をおさめていました。

通夜で、地元の先輩方に再会しました。
圏女や本部長を務め、地元男子部と結婚し、そのまま地元で婦人部幹部になった皆さま方。
変わり果てた姿に驚きました。
華やかなスーツ姿でキラキラしていたイメージは何処へ・・で、激太りした方。
産後太りのレベルでは無く、ストレスによる過食だろうなって、思いました。
また、眉間にたてじわくっきりな先輩も多かったです。まだ40代なりたてくらいなのに。
申し訳ないのですが、皆さん神経質そうな怖い顔をしており、ちっとも幸せそうには見えなかったです。
「むこうで頑張ってるの?」と聞かれ「いえ全然」と答えると
「ダメじゃん、お父さんの分も、お母さんを支えるためにも、組織についてしっかり先生にお応えして
 いかなきゃ」云々。
なぜにそんなにアツいまま居られるの?と、不思議でたまりませんでした。

葬儀の最中は夢を見てるみたいで(父の死を受け入れられなかった)ぼんやりと出来事が流れて行く、
そんな印象でしたが、年数が経過するにつれ目で見た記憶が鮮明によみがえってきます。
つい最近思いだしたこと。母方のいとこで社会的地位の高い人がいます(非活です)。
おじが入院中だったので名代として多忙な中、葬儀にかけつけてくれたんですが、その手には
一重のお数珠が巻かれていました。
創価の葬儀だってことは百も承知だったと思いますが、略式数珠だった事に私は驚きました。
お焼香を済ませて、母に挨拶だけして即帰って行きました。
うちの主人も略式数珠を一般の弔事で使いますが、この時は私が創価のお数珠を持って行き
使ってもらいました。 親戚の目があるからです。略式数珠なんてかけていたら注意されますから。
余談ですが、アンチの兄、姉は略式数珠を持参してましたが、母が実家の数珠をかけるよう強く言って
変えさせていました。
だけど、いとこが全くそんな事意に介してないのをこの時に見て、へぇ~?って感じだったのです。
葬儀に行く機会もきっと多く、多忙だからいちいちそんな細かいところまで気をまわしていられないの
だろうけど、これはいとこの意志表示でもあるんじゃないかと、そのとき思いました。
「自分は創価と一線引いてますよ」って事かと。

そして火葬場でのこと。
火葬する前に、前室のような場所で父に最後のお別れをしたときです。
ごん行をしたのですが、棺の周囲にがっちり集ったのは、父と縁もゆかりもない地域の学会員と母方の親戚で、
父に近い姉や兄、父方の親族など「身内」が、部屋の隅でそれを見ているような状態でした。
私は父の頭に近い部分にたまたま立っていたので部屋全体が見渡せて、方便品をとなえながらも
「あれっ?みんな(身内)どうしたの?なんで集まらないの?」って思ってました。
見かねた葬儀屋さんのディレクターが、学会員のおじさんおばさんを棺の周りから離れるよう促し、
身内に傍に行くように誘導してました・・。
地域の学会員は、創価の葬儀っていうだけで、自分たちのもの!みたいな気分だったんでしょうか。
創価の葬儀は参加者ともども、読経が出来るところが素晴らしいと学会員はいうけれど
外部の参列者からすれば、疎外感しかない。 まるで学会員だけのもの(儀式)になってしまう。
こんな創価の自己満足で排他的な葬儀、すべきではなかった。
父方の親戚や、アンチの兄姉の気持ちを今考えると、私が当時マインドコントロール下だったとはいえ
反対意見側に回れなかった事、申し訳なかったなと思います・・。
また、儀典長が挨拶を述べる際、棺に向けてお尻を向けていた(棺のまん前・中央に立って話そうとした)
ことで、これもディレクターが「ちょっと待った!」と止め、儀典長をはしっこに連れて行き
ここで話して下さいと注意してました・・。
常識も、なんにもないです。故人に対する敬意もです。 
挨拶も結局は、学会・池田老人賛美だったし・・。
これもおかしいと思いました。
父方祖父の葬儀では、浄土真宗でしたので読経後、ご僧侶のお話に”親鸞聖人”が登場しました。
学会葬では読経後、儀典長あいさつに日蓮大聖人の名前もちらっと出たけど、池田老人の名前も
出てきたのです。
なぜ? ただ宗教団体の長なだけなのに。組織内部でのみ罷り通る「永遠の指導者」ってだけなのに。
参列者は100%学会員というわけじゃない。外部も居るのに内部の上下関係をこんなところで
誇示しなくてもいいじゃん、と。
「宗祖」ではない池田老人の名前を出してくるところ、当時から私は違和感でした。
そんなことするから世間から「池田教」なんて言われちゃうんだよ、組織は馬鹿だ、と思ってました。
私は師弟観がありませんから、池田教と外部から言われる事が一番いやでした。
あくまでも私は日蓮大聖人の教えを信じてるんであって、池田老人のこと信じてた訳じゃないから。
でも、そんなこと思ってたのは自分だけで、その他大勢の学会員の皆さんは池田老人を”御本仏”と
崇める事に、何の違和感もないみたいですね・・。
覚醒後、バリ活ブログをさまざま読んでいて、そう確信したと同時に、心底呆れました。
余談ですが、父の葬儀は一般的な葬儀場で行ったため、儀典長の挨拶~喪主挨拶で終わった訳ではなく
葬儀場のナレーターによる「故人を偲ぶ語り」が儀典長あいさつ後、音楽と共に長めに入りました。
しかも学会歌ではなく、父が好きだった映画音楽のピアノ曲でした(姉が選びました)。
葬儀社からの演出提案ですすめられたものです。
これって、外部参加者にも少しはほっとする時間を、との葬儀社の配慮だったんじゃないかと思います。
あくまでも父の葬儀で、創価のプロモーションでも学会員のイベントでもないんだ。
幾許か、創価臭がとれたので、姉もこの葬儀社に頼んで正解だったと後日語っていました。
この演出をしたことが、唯一救いと言えるかもしれません。

また、父の死相はたいへん美しかったです。
肌の色は透き通るように白く、静かに眠っているように見えました。
そんな姿を見て母方親戚一同は「皆の題目のお陰だね」と語ってました・・。
生前猛烈なアンチでも、通夜本葬で学会員が御題目を上げたら、見事な死相になるらしい。
いい加減だなと思います。どこまで自分たち至上主義なのかと。
何故、ひとことでも「故人の生前の行いが良かったからですね」って言えないのかと。
当時は私もマインドコントロール下だったので、親戚の言葉に頷いてましたが(馬鹿でした)、
いま思うと、本当に故人への敬意かけらもなく、ひどかったなと落胆します。

こんな身内ノリ葬儀のいったいどこが素晴らしいのか? 自画自賛にもほどがあります。
外部からすれば隔絶された世界観の葬儀で、非常識きわまりないのに、学会員は盲目ゆえ
そんなことも解らずにいるのです。

この葬儀に関しては覚醒後、思いだすたび気が狂いそうになります。

自宅リビングに父の写真を飾って、果物が大好きな父だったので欠かさないようにしています。
写真に手を合わせるたび、お墓参りのたび、おとうさんごめんなさいと、心の中で謝ることしかできません。
私が覚醒し反省している事・心から悔やんでいる事は、父にも伝わっていると信じています。

父の葬儀を通じ、創価という組織じたいに村社会を感じ、疑問を覚えていましたが
それでもまだ「脱会」を考えるような事はありませんでした。
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