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お寺が好きでした

私が女子部にあがる少し前まで時代は「昭和」でした。
創価学会と宗門が表向きには蜜月を装っていた頃です。

宗門問題が表面化するまで、私の母やその親戚は、ほぼ毎年登山(大石寺)へ出かけていた。
(私が幼少期、初めて新幹線に乗っていった旅行先は静岡県wもちろん登山)

そしてお寺もわりと近所にあったので、たびたび出かける機会があった。
たとえばお正月はお寺に行くのが当たり前でした。
当時から創価の会館でも、新年GG会はやっていたと思うのだけど、我が家はお寺に行くのが当然で。
そして、記憶の中では中学生くらいまで父やほかのきょうだいも
年に一度、この正月だけは一緒にお寺へ行っていた印象が残っている。
組織に疑問を持つようになった昨年まで、はっきり認識したことはなかったが、父が嫌っていたのは
あくまでも「創価」という組織であって、宗教としての日蓮正宗までは否定していなかったのだと思う。

高校生になった私は、高等部の活動に積極的に参加。
仲良しの友人が部長をしていたので、一緒に部員会企画を考えたり
設営をやったりと、楽しんでいました。
そして私たちは唱題にも力を入れていて、よく放課後にみんなでお寺にいってお題目をあげていた。
高校3年生になると、受験突破を祈念しに行くように。
お寺がとても身近な存在。
このお寺、若い僧侶さんと奥さんがいつもいらして、私たちが御題目を突然あげに行っても
嫌な顔一つせず、笑顔で迎えてくれたのもありがたくて。
お布施をもっていくわけでもなく、常に手ぶらで行ってたけどw 高校生だったからかな?無問題。
だから私はお寺に対して(平たく言えば宗門に対して)全く悪いイメージを持っていなかった。
このため、後に組織で激しい宗門・寺叩きを目の当たりにし、常に複雑な思いをすることに。

時は平成に。
宗門問題(破門)が聖教新聞で大々的にとりあげられたのは、私が大学生のとき。
当時の私は、学生局には参加してなかった(通ってる大学に組織がなかった)。
かといって女子部の会合にも誘われず、宙ぶらりんな状態。
組織の活動に一切参加していなかった時期です。

母から「何度新聞を読んでも意味が理解できない、あなた読んで説明して」と手渡された新聞を読み
宗門から創価学会が破門を受けた事、もうお寺にいっちゃいけない(?組織をやめれば行ってもよし)
ということを知った。

このときの、私の率直な感想は「お寺にいけなくなるなんていやだよ!」でした。
お寺なくして、一体なにが信心なのよ?という思い。

しかし、それほどドップリと活動や信心に浸かっていたわけじゃない私は
この問題を深く考える事もしなければ、自分自身の問題として向き合う事もしませんでした。
あくまでも「家(というより母)の宗教」だから、親が決めたことに従うのが当然くらいに考えて。
この件で母は随分悩んだようだった。というのも、母もお寺大好き人間だったから。

母のきょうだいが創価で県幹部をしていた事が影響し、母方はみな組織についてお寺を切る方向で
まとまって。
その県幹部のおばが、いかに宗門が金に汚いか云々(当然それは上の組織から流れてきた話であって
自分で見て聞いたことではない・だけど、組織が言うなら絶対という「盲信」ぶり。恐ろしい)を
ぶちまけ、愛する先生(大笑)のためにも、私たちはお寺にいっちゃいけないと説得をしたようです。
母も、身内がそういうならと方針を決め、我が家は脱会することなく・お寺へ行くのを辞めました。

大聖人様の御書や・お寺が好きで、組織がいう「師弟」について全くなんの愛着も思い入れもなかった私は
その後、女子部へあがっても違和感の連続でした。

今、振り返ってみて。
親に従うのが当然、という自分の当時の考え方はもろマインドコントロール下だったなと感じます。
本来ならこんな大事な件・信条にかかわる事は自分で考えて結論を出すべき。
だのに「親任せ」にしてしまうとは。
学会2世、3世が抱える問題として「多少の疑問は持っても、結果的に親のいいなりになる」という点。
マインドコントロール下に居ると、それが当たり前になってしまう怖さ。
別居だとそれほどではないことも、同居だと精神的支配下に置かれやすい気がします。
自分の経験上そう思います。

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