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未活時代(8)

父の葬儀後、私と姉が10日間ほど実家で母と一緒に過ごしました。
この間、長子は義実家で預かってもらいました。
あまりにも急だったので、母がおかしくなってしまわないかと私たちは不安だったのです。
私は身重で、子供の入園準備もあるので先に戻ることになり、姉は1ヶ月程度実家から職場へ通う事に
してくれました。
この時点で、誰が母の面倒をみることになるんだろうかと考えました。
まだまだ元気ではあるけど、いつ介護が必要になるかもわからない。
兄は遠隔地で、すでに奥さん(一人っ子)の親御さんと共に住んでいます。
母を呼ぶ気もないだろうし、母が入り込む余地もないでしょう。 となると、姉か私しかいない。
そして、父の葬儀方式であれだけ揉めたんだから、母のもしもの時、兄が友人葬を出す事は無いだろう。
私は、それだけは阻止しなければいけないと思っていました。
母が人生のほとんどをかけて信じてきた創価です。亡くなった後の事は、死人にはわからないとはいえ、
俺には関係ないと、兄の一存で母が別の宗派でおくられることは、母が可哀相過ぎると思いました。
私が喪主になる事も、考えなければいけない。
そうなると、私がどんなにアンチ婦人部で・組織の活動に疑いをもっていようとも、私は創価を離れる事は
一生出来ない。そんな覚悟も生まれていました。

暫くして姉に連絡を取ると、1ヶ月を待たずして自宅に戻ったというので驚きました。
お母さんは何も心配ないよ。家族より学会仲間の方がいいんだよ。あの人はそういう人だよと
吐き捨てるように言うのです。
一時期、姉は同居も考えたそうです(この頃はまだ、再婚していませんでした)。
しかし2人で生活してみると辟易した、なんでもかんでも創価創価。せめて1カ月は喪に服したら?と
いうのも聞かないで、葬儀のお礼にいかなきゃと、私が帰った直後から夜の会合に参加しだしたと
聞きました。
父の存命時、夜の会合は殆ど出られなかったので(父が出かけている時だけ行ってました)
出たくて出たくて、うずうずしていたようなんです・・。
そりゃ、姉もいやになるだろうと納得しました。
余談ですが、私がまだ実家におり・未活だった当時の事。
地域の座談会の日になると、会合時間帯に地区幹事が家庭訪問に周り「5分でいいから出てきて」と
結集のために呼び出しをしていました。
夜の出席は無理と伝えているにもかかわらず、インターホンを鳴らす地区幹事。
母が「申し訳ないんだけど出れなくて、本当にごめんなさい。ご苦労様です」と丁寧に対応していると
父が怒鳴り声で「学会員か?こんな夜分になんなんだ。さっさと追い返せ」というような言葉を
投げかけていました。
そして、母は会合終了時間までじっとりと、掛け時計を眺めながらつらそうな表情を浮かべるのです・・。
その時間帯は夕飯どきです。いっきに夕飯がまずくなります。父が不機嫌になるからです。
私は、当時どうして母がそんなに夜の座談会に出たがるのか理解できませんでした。
昼間じゅうぶん活動してるんだから、月に1回の座談会をスルーするくらいどうってことないでしょ?と。
母に尋ねた事もありました。
すると母は「昼間は婦人部しかいない。夜は四者だから、いろんな話もきけるでしょう?
福運を積むチャンスをみすみす逃していることが、辛くてたまらない」と、涙ぐみながら話していました。
母にとっての会合とは、ひとつひとつが「福運を積む因」だそうです。
出れば出るだけ幸せになれる、と思いこんでいるんです。
それは現在もです。会合を休む事をものすごく嫌がります。
もはや強迫観念に近いと、見ていて思います。
そんな夜の会合に、やっと心おきなく出られる。父が亡くなった事を喜んでいる、とまでは言わないけれど
「やっと使命の時が来た」くらいに考えているようで、そのことが私も姉も、許せなかったりします。

姉は特に、父親寄りだったので父の死を受け入れがたかったと思います。
静かに粛々と、喪に服すのが当然と思っているところ、母親がいそいそ活動に出かけるんじゃ、
いったい何なの?と思って当然です。
この時期から、姉と頻繁に連絡をとるようになりました。

まだ私のマインドコントロールは解けておらず、父が亡くなる直前に最後の海外旅行へ一緒に出かけ
思い出をつくることができたのは「御本尊様のお陰だ」と思いこんでいました。
こんな思い出を作れたのは、きょうだいの中で私だけで、特別な意味があると思ってしまったんです。
しかし、後日姉から聞いて驚いたのですが、父は私がつわりで実家に戻る少し前に
兄の住む土地へ単身出かけ、兄一家と小旅行に出かけていました。
そちらが父の郷里でもあります。お墓参りをし、親戚のところにも顔を出したとの事。
「これが最後かもしれないな」というので、父方のきょうだいは”何を言ってるの、遠いけどまた来れば
いいじゃないか”と話していたというのです。
また、姉とも亡くなる1週間前に二人で食事に行ったそうです。
両親は仮面夫婦のため、母はこの事を知りませんでした。
父は死期を悟ってお別れをしていたのか、ただの偶然なのか。いまでも不思議です。

また、父の突然の死の意味についても考えていました。
創価では「全ての事には意味がある」と教えられていたから。この死に、どのようなメッセージがあるのかと。
マインドコントロール下にあった私が一番に考えたのは「私が学会活動をさぼっていたせい」でした。
”組織に戻りなさい”って、そういう事なの?と。
だけど父はアンチだったのです。 もしそうだとしたら、亡くなる前に学会理解を示すような言葉だとか
行動など、あると思う。 けれどそんなもの何もなかったです。
心が弱ると、信仰に戻りたくなります。悪いことがあると、信仰をおろそかにしたせいでは?と不安になります。
普通に生きている人は、そんな事のせいにしないで居られるのに。
生まれながらの英才教育で「洗脳」されていると、なんでも信仰と絡めて考えるのが当たり前になっている。
それが不自然で異常なことだなんて思いもしない・気づきもしなかった。
それまでの人生を、ネガティブな事柄があるとすぐご本尊様の前に座って唱題をし・学会活動を
頑張ることで乗り越えてき(たと思いこんで)ました。
父のお弔いのためにも、組織に戻った方がいいの?
そう考えたけれど、居住地域の婦人部員に連絡を取る気には全くなれませんでした。

その後、子供の入園までの数ヶ月間は毎月実家に数日帰省していました。
2月だったと思いますが、たまたま戻った時期に同中があって母が「一緒に行こう」と言うので
久しぶりに地元の会館で同中を見ました。
最後に見たのが2005年頃なので、5年ぶりの同中。
池田老人は椅子に座ったまんまで、殆ど声を発さなかった事に、私は驚いてしまいました。
原田会長?(正木氏だったかも)が立たされたまま、スピーチ原稿を読み上げし、それを横で時折
池田老人が茶々入れてました。
記憶があいまいなのですが側近が池田老人の言葉を聞きとって発表していたような?
スピーチ内容は全然覚えてませんw 原田会長(正木氏かも)がへこへこしまくりだったことしか・・。

母に「なんで先生は自分でしゃべらないの?」と尋ねたところ、
80歳を超えてご高齢で、スピーチは編集されているけど、実際常に1時間以上あるから
(って、本人が好き勝手しゃべってただけでしょうが)お疲れになる。
長生きして頂きたいから、後進が役割を担って行けるようにしているんだよという返事でした。
確かに、80を過ぎて小一時間も、時に血管切れそうに怒ったりしながらw訴えるようなスピーチは
無駄に体力を消耗するだろうな、と思いました。
しかし、新聞へ随筆や小説、書籍の出版も続々とあり、小一時間しゃべれない人がいったいどうやって
それだけの執筆をこなしてるの?パソコンは使えないだろうし(未確認ですが、なんとなくそう思いました)
ぜんぶ手書きだとしても、そちらの方が気力体力ともにキツイと思うんだけど?と母に尋ねたところ、
わからないのでおばに聞いといてあげるわ、と。
後日回答があったのですが「口頭で話したものを側近が原稿に仕上げてる」との事でした。
本当かどうかはしりませんけど、小一時間のスピーチが出来ない人が、あれだけの原稿量を「しゃべる」
というのも、整合性がとれないんじゃ?と当時不思議でした。
けれど、ゴーストライターがいるだなんてことは夢にも思ってませんでした・・。
マインドコントロール下だったので、そういったマイナスな事柄はイメージ出来なかったんだと思います。

同中時の池田老人の顔色はよく、体系もでっぷりしてましたが、健康状態はよくなかったのだろうと
今になって思います。声を殆ど発さなかったのもそのせいでしょう。
この3ヶ月後から一切姿を見せなくなったそうですね。覚醒後に知りました。
私にとっては、動く池田老人を見た最後の同中になりました。
というか、これが本当に最後の同中。 
以降、参加していないし、これからも参加するつもりはありません。

同時期、父の四十九日法要を行いました。
約束していた儀典長に急用(というか他の葬儀)が入り、法要の導師ができないと前日に連絡が
入りました。
母は大慌てで地域の幹部に連絡をし、地区部長しかつかまらなくて、導師は地区部長がやりました。
この地区部長、私が青年部時代に同じく青年部で頑張っていた人で40代です。
見た目が若いので、威厳がないというかw 
こんな席で導師の経験が殆どないのですが、一生懸命させていただきますと開始前に挨拶してました。
私が読経する方がいくらか上手なんじゃ?と思うくらいなんだかなでしたし、
兄は「なんでもありなのかよ」と苦笑し、馬鹿にしてました・・。 
父方の親戚も、遠方から来てくれましたが、内心どう思っていたのでしょうか。
一般的仏教で僧侶にお願いしておれば、こんなこと(キャンセル)ってまずあり得ないと思います。
誰でも儀式をとり行えるって、いいのか悪いのか、よくわからないなってこの時思いました。
時期は前後しますが、義実家の親戚が他界し、主人は子供時代から大変その方に可愛がられていたので
葬儀、四十九日、百か日、一周忌と法要に行きました。
浄土宗のご僧侶がいらして毎回厳粛な読経と、親族とお話の時間も設けてくださって、大変すばらしい
ものでした。
私は創価で「邪宗の坊主は宗教ビジネス、読経してお布施を貰ったらさっさと帰る」というような悪評を
青年部の頃に聞かされており、全く良いイメージを持っていなかったんです。
けれど違いました、彼らはプロなのです。
遺族からの質問に対しても平易な言葉で「仏様はこうおっしゃっていますよ」と教えてくれ、
高圧的でもなんでもなく、やさしく供養への心がけを語ってくれました。
私は感心しましたし、他宗派僧侶への認識を大きく変えました。
それに「故人の分まで先生にお応えしていこう!折伏、新聞拡大の闘い頑張ってまいりましょう」なんて
無粋な事も言いませんしねw
なんでもかんでも、組織の金儲けに結び付けて行こうとするよこしまな創価とは大違いです。
どっちが「邪宗」だか?って思います。
一般既成仏教を「邪宗」なんていう資格、少なくとも創価にはないと思います。

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