未活時代(9)

長子の入園式は義両親だけ来てもらいました。
母に宗教系幼稚園に入れた事は黙っており、母は学会活動が忙しくて行けないと言うのでこれ幸い。
いきなり「お祈り」があったので、呼ばなくて正解でしたw
しかし隠し通せるはずもなく、帰省の折に子供が「幼稚園でお祈りが毎日ある」と話したことで
宗教系の園に入れた事が母にバレました。
母は感心しないと不機嫌でしたが「最近の創価ではOKみたいだよ、OOさんも・・」と、
地域の女子部がキリスト教系の学校を出ていると話すと「そうだったの?でもなんか変ね。
いつの間に変わったの?」と不満げでした。
私は実質的な活動が女子部時代(1993年~2004年)だけなので、この期間に創価の教えが
ガラリと変わってしまったな、と思った事ってさほどなかったんですが
親の年代はまだ戸田先生の指導が色濃く残っていたでしょうし、創価ルネサンス以降の流れについて
認識も低く、違和感を覚えて当然だと思います。
でも、違和感を覚えても「おかしすぎる」と反発しないのは、功徳信心だからでしょうね・・。
反対意見を持つことで功徳が消されてしまうと本気で信じてますから、おかしいとは思いつつも組織から
はみ出そうとか・異を唱える事はしないのです。
戦後の貧しい時代を経験している母からすれば、経済成長の上げ潮に乗り、現代の豊かな暮らしが
ある事は「功徳以外の何ものでもない」と感じているみたいです。
こう言ってはなんだけど、その年代(戦前生まれ)は、頑張れば報われる時代の人達でした。
財テクの利率も良い時代だったし、年金も60歳から満額でもらえてます。
そこに信心の有無は、それほど関係ないと思います。
でも、そのおかげだと思いこんでもう半世紀以上なので、なかなかマインドコントロールが
解ける事はありません。

第2子出産の際、前半数週間は義母さんが来てくれ、後半の2週間を実家の母がやってきて
世話してくれました。
(注:里帰り出産をしないことは、父の存命中に決め、サポートして欲しいとお願いしていたので、
 父の遺言?に沿って母は学会活動を休んでくれました)
私は2人目の妊娠も組織の人に伝えず、家庭訪問も完全に居留守を使っていました。
出産までの期間、短期で実家に帰る事も多く、車移動メインだったこともあり組織の人に
近所で遭遇する事も無かったのです。
このときも無視したかったけれど、うっかり母がインターホンに出てしまいました。
私を部屋に呼びに来たので、応対に出ると、新しい支部婦人部長と、地区婦でした。
「人事が変わったからご挨拶に」と。
私が2人目を出産したばかりだというと、驚かれました。
新しい支部婦は年齢が私とほとんど変わらない、数ヶ月前にこちらに引っ越してきた人物でした。
婦人部ヒエラルキーを思い出した私は”こりゃ、女子部で大幹部だったにちがいない”と直感。
地区婦が「そういえば、幼稚園はどこに通ってるの?Oさん(発達障害ママ)が気にしてたわよ」
というので、園名を答えたところ「えっ!あそこって・・」と、地区婦は絶句してました。
創価のくせになんでわざわざ宗教系の園を選ぶか?という反応です。
私は教育環境の良さで選んだ、と返事をしました。
選挙が近かったので、チラシと日程表を置いて帰りました。
余談ですが、母が「あなたのいったとおり、ここの婦人部の人たち、華が無いわね」と印象を述べて
いました。

第二子の宮参りも義実家の氏神様でしてもらいました。
のちの七五三なども、そちらでしてもらっています。
夫もその神社で七五三をしており思い出の場所で、義両親にとっては感慨深いようです。

その後、支部婦が一人で家庭訪問にくるようになりました。どうしてもあなたとお話しがしたいと
不在時にメモがはさんであり、1回くらい話してみるか・私が活動に出る気が一切ない事も、
このさいだし話しておこうと思い連絡をしました。
家庭訪問にやってき、私に対して
「女子部時代がんばっていたのに、どうして休んでるの?そろそろ起きてもいいころじゃない?」と
言いました。
説明するのも面倒だったので、今は活動がしたいと思わないしその必要もないと返答。
すると「福運貯金の話、知ってるでしょ?」と切り出しました。
ああ、知ってますよ。女子部時代、耳にタコができるくらい聞かされましたね、と答えると
支部婦は「女子部卒業して何年?6年、だったらそろそろ貯金も切れる頃だと思うけど」と言うのです。
どういう尺なんでしょうかw 6年でそろそろ切れるとか。誰がどういった基準で決めているのやら。
(注・支部婦は私が結婚直後にワークをしていて、1年ほどで未活に転じた事を知っていました)
「6年も本格的に活動しないで、よく平気で生きていられるわね、私だったら無理だわ」と、
馬鹿にしたように言うので、おや・・?って感じでした。
こんな幹部は初めてかも、ちょっと今までとタイプが違うなと思ったのです。
私は「べつにそんな事(福運が切れたと)感じてないです」と答えました。
すると「あなた自身がそう感じていなくたって、だんなさんや子供に障る事もあるんじゃないの?
どんなかたちで宿業が出てくるかなんて、誰にもわからない。孫の代で出たら、後悔しない?」と、
悲惨なたとえ話を続けました。
この人、怖いとおもいました。 こんなのただの脅しだよと。
「信心の確信がないわけでもないんでしょ?だったらそろそろ起きないと。
 本当に、怖い事になってからじゃ遅いわよ」と、どこまでも脅しを貫こうとするのです。
本当に私って、幹部運がないのかもと思いました(そう母にいわれたんです・・)。
喧嘩してもよかったんですが、なんとなく厄介なタイプだと予感した私は
第二子も生まれて間もないことだしと前置き、
「活動に出たくなったらこっちから連絡するので、そっとしておいてください」と伝えました。
支部婦は次の予定時刻が迫っていると、すんなり帰って行きました。

しかし、これで終わるはずもありません。毎週のように支部婦が家庭訪問にやってくるように
なりました。
私が留守の時間帯に来る事が多く、しめしめと思っていたのですが
子供を幼稚園に送った帰り、駐車場に戻ってきたところを待ち伏せされました。
怖かったです。 どうしてそこまで?と思い。
寒い季節、まだ赤ちゃんだった2人目を抱っこのまま、足止めを食らうのは気分のいいことじゃ
ありません。
会うたびに「調子はどう?福運貯金、まだあるのね」とイヤミを言うのです・・。

幼稚園では、朝の見送り時でもママさんがたは綺麗にお化粧をし、髪を整えています。
軽やかなダウンコートを羽織って、ファッション誌から抜け出てきたようなママさんも多いです。
そんなママさんがたと会った後に、支部婦と会うとその落差に愕然とします。
バブル時代に買ったものなのか、肩パットの入った分厚いウールのコートに、
白髪交じりの髪はつやがない。
それでも表情がまだイキイキとしていれば見どころあるけれど、はりついたような笑顔は目が怖い。
”「福運貯金」て、何?”と、支部婦を見て失礼乍ら思っていました。
見た目だけで判断してはいけないにしても、ギスギスした雰囲気・口を突く言葉は罰論と脅し。
「幸いは心より出でて我を飾る」とは真逆じゃんか。
そんなあなたが福運貯金がどうのこうの言っても説得力がない・・と思いました。

残酷ですが、女性の40代って気をつけないとすぐに老けこみます。
個人差はあっても、老いは確実に身の上に起こり、何もしなければみすぼらしくなっていきます。
若いころとは違い、ある程度のお金と手間をかけないと、普通に見せる事すら難しい年代。
池田老人が指導集に書いていた
「女性の本当の幸福は40代できまる。若い時にどれほど華やかで、きらびやかであっても
 40代になった時に不幸であれば意味がない。
 そのために若いうちは信心強情に福運を積んで行くのだ、そうすれば40代になった時に
 勝利の人生が待っている」という内容。
私は20代終わりにこの指導を読んで、私の40代はどうなっているんだろう?と想像しました。
途中で活動さぼった時期があるから、あんまりかもなとかw
そして、わき目もふらず創価一筋の同志(幹部)は、すごい福運を掴んで幸せになってるんだろうなと
脳内花畑だった当時の私は想像していました。

だがしかし、現実は池田老人の予言(?)とは違うものでした。
父の葬儀で久しぶりに再会した大幹部の先輩方は、活動に疲れ切ってか、眉間に深~い縦じわを
作っていました。 
ストレス過食なのか、別人のようになってしまった人も。
同期に至っては、結婚しないまま婦人部へ勇退し、メンタルを患った人・人間関係を絶った人もいる。
私から見て「福運掴んだね!」と思えるような同志が一人も居ないのです。
むしろ、結婚後に未活・非活に転じた同期のほうが幸せそうです。
この支部婦、白蓮経験者。女子部でもかなり上の役職者だったと言っていました。
40代前半で支部婦に上り詰めた。そんな福運長者?が、見るからに古い重たそうなコートを着て、
生活やつれした姿で、目の前に現れ「福運貯金がなくなったらどうする気?」と、私を脅す。

「勝利の人生」って一体なんなのだろう? 
バブル後期を経験した私は、俗物的で、幸せを「見た目」で判断するところがおおいにあります。
”勝ち組”なんていう言葉もこの当時、メディアなどで盛んにいわれていましたが
勝利の人生=勝ち組、でいいのだったら、私の目の前に現れる信心強情で・女子部時代に
わきめもふらず学会活動にひたすら励んできた幸福王女は、どうみても「勝ち組」ではない。
子供の通う、幼稚園のママさんがた(30-40代の、一般のご婦人)は確実に見た目「勝ち組」だけど。

十数年を経て、数々の池田老人指導が、悪徳商法のカタリのように思えてきました。
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