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未活時代(10)

第二子を出産した年の財務時期、これってどうなの?と思う事がありました。
夕方、見知らぬ電話番号で携帯が鳴り、悪い予感がしたので出ませんでした。
留守電が入ったので聞いてみると、OO支部のしらゆり長をしているOOですと。
私が女子部時代に折伏をした友人の地域の人でした。
友人の事でききたいことがあるんで、連絡もらえないでしょうかとの事。
なんだろう? とりあえず友人の携帯に電話してみたところ、電源が入っていない旨の音声。
何かあったのかと、SNSを見ました。
彼女も私も、頻繁に更新しており近況を知るにはそちらを見る方が早かったのです。
すると前夜遅くの更新に「子供が高熱、救急に行ってきます」とありました。
更新から既に半日以上経過していました。新たな更新が無く、携帯に出ないと言う事は入院かも?と
直感。
私もこの時期に長子がRSウイルスをこじらせて入院した事があり、彼女の子供も小さかったので
そう思ったのです。
SNSに「落ち着いたら連絡頂戴ね」と書きこんでおきました。
そこまであたりをつけてから、電話をくれたしらゆり長に連絡。
彼女と連絡が取れなくて困っている・財務の入金報告がなかったので、どうしても今日中に
連絡を取りたいんですというのです。 私は驚きました。 
そんなことで、紹介者にまで電話してくるんだ?!と。
既に夜の8時をまわっており、その日が財務の最終振込日でした。
私は、彼女の子供が風邪をこじらせて、おそらく入院しているので携帯つながらないんだと
思いますよと伝えました。
しらゆり長はうろたえていて「どうしよう~、どうしよう~」と困った声で呟きます。
私はイライラしてきました。どうしようったって、どうしようもないじゃんか!
「確認が取れないと、そんなに困るんですか?」思わず尋ねました。
しらゆり長は「ええ、万が一納金できていない場合は”事故”になりますから・・」と答えました。
「けど今更電話連絡がついたところで(万が一、入金してなかったとして、これから入金は無理だし)
 同じですよね?」と私は話し。
おそらく大丈夫でしょう、彼女からの連絡待ちましょうよと、しらゆり長をなだめました。
「ご迷惑おかけしてすみません」と、しらゆり長は電話を切りました。

財務の納金が完遂されていなければ「事故」 こんな事、初めて聞きました。
まるで、金融機関の与信みたいですよねw 
なぜに”真心の財務”が未納金だった場合を「事故」と表現するのか。
兼業主婦時代、営業事務を経験しました。客先から予定の日時に入金がなかったり、手形が不渡りに
なればそれは確かに「事故」と呼んでました。
だけど、財務は商取引じゃありません。あくまでも個人の意志による「寄付」という行為のはず。
そこに「事故」という表現を持ちだすこと自体、組織のどす黒い魂胆がミエミエです。
そして、納金すんだよの連絡がなく・本人と連絡がつかなければ、紹介者のところにまで電話で
確認してくるなんて。
闇金よりひどくない、これ? と、ドンビキしました。

翌日、彼女から電話がありました「心配かけてごめんね」と。
私の予想通り、彼女のお子さんは肺炎手前で即入院。
24時間点滴で、慣れないことでお子さんも落ち着かず、母親はずっと付き添わないといけなくて、
旦那さんや身内と連絡をとっているうち、携帯の充電がなくなったとのことでした。
しらゆり長から悲壮な声で留守電が何本も入っており、私に連絡を入れたと言っていたとのこと。
財務の納金については1日前に済ませていて、連絡しなきゃと思っていたが子供の急病でうっかり
忘れていたと話してくれました。
ほっとしたと同時に、こんな家族の緊急事態の時にまで「カネカネ」言って来る組織ってなんなの?
と、許せない気持ちになりました。

この直後に実家帰省の折、幹部のおばに会ったので苦情方々訴えてみました。
するとおばは「しらゆり長が勝手にやったことで、その組織の長の意識がそうさせた」と
あくまでも、地域が悪くて、大本営が悪いとは言いませんでした。
当時も釈然としない思いでしたが、今ははっきりこう言えます。組織の長をそこまで追い詰めるほど、
大本営からのカネ集めへの圧力がきついって事じゃないのかよ!と。
なんでもかんでも現場のせいにして、池田老人と大本営を「聖人君子」にしようとする組織は
腐っています。
上がおかしいから、下ももれなくおかしいんです。 なぜそんな簡単なことがわからないんだろう?
マインドコントロールでしてやったりでしょうね、大本営は。

私も、「財務の納金が済んだら必ずメールして欲しい」と言われていたクチです。
普段活動に出ないから、信用ならないって事なんでしょう。
一昨年も「納金が済んだら必ずメールお願いします」と言われたのですかさず
「それって、学会本部からの御達しなんですか?」と地区婦に尋ねたら「そんなことないですよ!」と
何故か大慌てで否定してました。
組織ぐるみで集金に必死、そう思われてはならぬ・・みたいな感じなのでしょうか。
財務集金が完全なる創価学会の「生業」になっていること、もうみーんな知ってるよ、今更隠すなと
思ったりしました。

2011年、年明けに主人に異動の内示がありました。
やっとこの地域から抜け出せる!という喜びもつかの間、通勤圏。
長子の幼稚園を変わるのもどうかと思い、引っ越しはしませんでした。
私はこの転勤で引っ越しがあれば、統監を地元に戻してもらおうと思っていました。
姉が離婚した際、実家に帰らなかったのに統監は転居先ではなく、地元に戻した経緯があり
自分も同じくしてもらいたかったのです。
この地域がダメでも、引っ越し先で活動を頑張ろうという考えは数年の間にもう無くなっていました。
その理由は、時折母から送られてくる活動報告メールで、婦人部の戦いの流れを知っていたから。
”新聞・新聞ってうるさい、やれ折伏はじまった、婦人部総会で多忙、いついつ選挙がある”云々。
ルーチンワークですね、と思いながら読んでいました。そしてその活動のどこからも楽しさが伝わって
こないのです。むしろ、苦しそうでした。
母は私に心を許して組織内の愚痴を吐いていたのでしょう。
結びの句はいつも「一家和楽の為、頑張るね(ハートやガッツポーズなどの絵文字入り)」
しんどいけど、やりたくないけど、なんでこんなことしなきゃならない?だけど
「一家和楽」という自身の命題のため母はいつだって一生懸命。
そんな、やりたくない事をしなくても、お母さんが「信心しろしろ」って兄姉にいわなければ
(自己完結の信心をしてくれれば)一家和楽はすぐにでも達成可能なんだけど?と私は思うように
なっていました。
でもそれは、絶対母に言えないことでした。

組織の活動に冷ややかな目を向けるようになっても、私が脱会を考える事はありませんでした。
脱会は無間地獄に落ちると(実際見た事もないのに)聞き、それを信じて疑わなかったからです。
活動しなくても組織に籍だけ置いて、御本尊様をお守りしていけばそれでいい。
母亡きあと学会葬を出すために、私一人が細々とでもこの信仰(創価)を背負って行けばいいと
考えるようになっていました。

また、子どもを介して知り合った一般のママさんがたと過ごす時間が長くなり
私が「一般の感覚」に慣れ親しみ、創価婦人部の異様さを全く受け付けなくなった事も大きいです。

あいかわらず福運貯金の支部婦は待ち伏せ、自分のものではない携帯から電話をかけて来て
在宅確認したうえで家庭訪問にくるなど、ストーカーっぽい行動をとっていました。
支部婦に会うたび、脅し文句で揺さぶられます。
その場では「はいはい」って感じで受け流しますが、訪問を受けたあと数日、身の回りで何か
悪いことがおこると”活動にでていないから?”と、一瞬不安になるのです。
悪いことと言っても、子供が転んでけがしたとか・うっかり料理のときに切り傷を作るとか、
家具の角に足の小指をぶつけるとか、そういった類の、普段なら気にも留めないような事柄。
数日間、身の回りのネガティブを数えて不安に陥ります。
これは創価脳の人に多い傾向じゃないでしょうか。
福運を感じ、嬉しくてたまらずに活動を続けていると言うよりは・不安に駆られ、罰論がちらついて
活動から抜けられない人の方が多いような気がします。

私が不安に陥っていたのは、未活であるがゆえの「負い目」がその原因。
活動を頑張った時期があるだけに、未活=福運が切れて自分や家族の身に悪い事が起こる、という
刷り込みを刺激されると、忘れていた古傷がうずきました。
女子部時代、活動をドロップアウトしたから職場をリストラされた、と思いこんでいました。
それが古傷です。
べつに、負い目なんて感じなくていいのに。
自分の人生です。活動やるもやらないも、自分がきめればいいこと。福運は自分持ち。
じゃあ一体誰に負い目を感じていたのか?
それを突き詰める事を、私は長らくしてきませんでした。
覚醒後、アンチ系ブログで「思考停止」と目にして、まさにそう・その状態だ!と思いました。
じゃあなんで思考停止するのか。私の場合だと、それはやっぱり「罰論」に行きつきます。
私はあくまでも日蓮大聖人の教えと御本尊様を信じてきました。
だのに「組織の活動=仏道修行」との大間違いを教わってしまったのがまずかったのです。
「組織の活動を拒否すること=信仰を怠ること」という刷り込み。
日蓮大聖人は、御書の中に一つも「会合に休まず出席しなさい・新聞推進しなさい・選挙の応援を
しなさい・折伏とは組織に入会させることです励みなさい」とは書いていないのです。
だのに、どういうわけか、学会活動こそが仏道修行と組織から教えられ、信じ込んでしまった。
それが全ての間違いの始まりでした。
こんな単純な事に、40年も気づけなかったのです。

実家の母とは、電話で話したり、帰省で会ったりするたびに
「まだ寝てるの?そろそろ起きて活動をしないと、いろんなことに障るわよ」と、これも罰論で
脅しをかけてこられました。
私はそのたびに「御本尊様を粗末にするような事はしていない。大事にしている。
活動にでないことが不幸の因をつむことなんて思わない。”日蓮は慈悲広大”なんでしょ」と
母に反論。
それに対して母は
「あなたは今、自行化他の”自行”さわりの部分しかやってない状態で化他がない。
 それでは功徳はいただけない。どちらも揃ってこその仏道修行だ」と返す。
こんなやりとりが実家を離れて以来ずっと続いていました。
喧嘩にならないよう、わかったわかった、と返事をして穏便にすませてきました。
自行化他という言葉についても、「化他」部分が新聞啓蒙や選挙活動というのがどうにも違和感です。
折伏に関しても、「日蓮大聖人様の教えを広め、御本尊様に出会わせてさしあげる」ここまでの
行動ならまだ許せます。
それと引き換え(?)に「組織に入会」させることは、どう考えても折伏行ではありません。

御書にひとつもかいていないことを、それが正しい・それこそが仏道修行で幸せになる為の道筋だ!と
いうのならば、もう、本尊(本仏)や御宗祖を「日蓮大聖人様」というのはやめたらどうでしょう。
立派な「永遠の指導者」もいることですしw

看板を借りて巨大搾取システムを構築。
詐欺集団と言われても、仕方が無いことだと思います。

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