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未活時代(11)

2011年3月、大震災がおこりました。
私の居住地域は影響を受けませんでしたが、学生時代の友人が被災地域に嫁いでおり
なかなか安否の確認ができず、苦しい日々でした。
真っ先に浮かんだのは立正安国論。
民主党政権下でこのような大震災に見舞われてしまった国の不幸、そのことの意味を考えていました。
日々、内閣の茶番パフォーマンスを報道で見ながら、イライラしていたのです。

公明党が政権与党でなくなったのは、2009年の歴史的敗北が原因。
私は既に未活になっていて、F活動も殆どしていなかったけれど、実家の母にせっつかれて
地元の友人に電話でお願いしました。 これを最後にF活動は止めました。
友人から本音を聞かされたからです。
みんな選挙の時だけ「久しぶり~」と言って友人面で親しげに電話をかけてくるけど、それっきりだと。
なんなのかと、腹立たしいと言われました。
私はこの後、帰省して彼女をランチに誘い実際に会いました。変な話だけど、意地でした。
他の学会員といっしょにされたくなかったというか。
本当に彼女を友達だと思っているし、縁を大切にしたくて、票集めのための繋がりじゃないんだって
伝えたかったのです。 そこまでやってる学会員なんていないでしょうね・・w
なんせ、票を頼む事は「相手にも福運をつけてあげている」と組織では教えてますからね。
あくまでも”上から”な姿勢。 本当に、狂ってるしおかしいです。

この2009年敗北の際、池田老人が会員へ向けてのメッセージで「負けるが勝ち」と言ったと
聞きました。
これを知ったのは覚醒後だったのですが、賢明に票集めしてきた会員に向かって言う事じゃないだろ!
と、腹立たしく思いました。
そのことを昨年11月(覚醒後)母に言ったところ、とんでもない答えが返ってきたんです。
「前回の選挙は負けでよかったのよ。あなたわかってないわね。
民主党政権になって、何が起こった? 大震災、原発問題、領土・外交問題。災難続きよ。
こんなときに政権与党をやっていてみなさい、世間から、なにをいわれるか解ったものじゃない。
だから、”時機”ってもんがあるの。 政権与党にならなかった事は意味があった。
民主党が、全部難をかぶってくれたのよ」
私は絶句しました。
これが、母オリジナルの見解か・組織でささやかれている事なのかは解りません。
あんまりじゃないか、この言い草。
自分(の支持政党)さえ火の粉かぶらなければ、いいのでしょうか?
私は、震災当時、テレビ番組で被災地出身の自民党議員さんのドキュメントを見て、涙を流しました。
(現在、防衛大臣をやっておられる方です)
「自分たちが今この時に、政権与党であればと、これほど悔しい事は無い。
だけれども、出来る限りの事を歯を食いしばり、やっていくしかない」
この姿勢こそが政治家でしょう。
一番大変な時に、火の粉をかぶろうとも、最前線に立って仕事をする。
政治家は、その覚悟の無い人なら、なってくれるな・絶対やるな、やめてしまえ!と思います。
困難を避けるような人間は政治家になって欲しくない。
そこを、(政治家、政党を)支援してる人間が「難を被らなくて良かった」って一体・・。
池田老人がどういうつもりで「負けるが勝ち」と言ったか私は知りません。
しかし、後付けでこういった時の流れを見て
「やっぱり、負けるが勝ちだったよね~。先生の言った通りになったよ!
 いま政権与党だったらえらいことだったもんね!」と、鬼の首でもとったかのように言う支持者が居る、
そんな支持者が応援する政党は、ろくなもんじゃないと思います。

この頃、外を歩いていると、結婚当時にこの地域を担当していた元しらゆり長さんと
ご主人に遭遇しました。
ご主人は病を患っており、自宅療養中で一緒に散歩をしていたようです。
ベビーカーを見て、「2人目なの?お顔みせて」と駆け寄って来られました。
しばし立ち話をしましたが、ご主人も待っておられたし「ではこの辺で・・」と立ち去ろうとすると
「ちょっと待って。あのお友達どうなった?」と聞かれたのです。
あのお友達?思い出せずに居ると
「ほら、折伏したいって言ってたじゃない、お子さんが難病を患ってる・・」といわれ
「ああ」と思いだし。
私が女子部時代に仏法対話をしていた友人のことでした。
小グループの会合席上、折伏したい人はいるかと聞かれて、私が下種先として話していたのです。
友人は入決カードも書いてくれましたが、実家住まいで御本尊のご安置が出来ず折伏は見送って
いました。
後年、青年部で本尊安置が厳しい新入会者に、お守りご本尊授与される事になりましたが、
その頃に彼女はもう結婚してしまって、無理だったのです。
彼女のお子さんが難病を患っており、私の女子部時代に引き続き対話を継続していましたが、
本流には至らず。
いつかは折伏したいと、結婚当時は思っていました(しかしもう、この時はそんなこと考えて
ませんでした)。
しかし6年も前の話、話した本人ですら忘れてたのにwよく覚えてるなぁと、驚いてしまいました。
最近全然連絡してないんですと答えると、「そっか、また対話頑張って行かなきゃね」と励まされ。
微妙~と思いつつ、別れたのですが、そのあとなぜか”他人の不幸は蜜の味”という言葉が
脳裏に浮かんではっとしました。
別に、元しらゆり長がそうだといいたいわけではありません。
ただ、自分の主人が病で大変な時に、他人の折伏相手のことを咄嗟にでも思いだすって、
色んな意味ですごいなぁって。

偶然にもその数日後、件の友人から久しぶりの連絡がありました。共通の知人が亡くなったのです。
近況を話すうち、彼女のお子さんの病状が良くなっていることが解りました。
インターネットで発見した病院で、良い治療法を紹介され、そちらにかかってから快方に向かって
いるとのこと。
以前より声も明るくて、本当に良かったなと思いました。
長らく会っていなかったので、次の帰省時に必ず会おうと約束。
数ヶ月後、約7年ぶりの再会を果たした彼女と、いろんな話をしました。
お子さんの事は落ち着いたけれどご主人との関係で悩みがあると相談を受けました。
私は、そんなのどこだって一緒だよと同調しながら、彼女を励ましました。
すると彼女が私に向かって「今日は”祈ろうよ”とか、信心の話しないんだね」というのです。
え?どういうこと?と聞くと、結婚前の私は、悩みの相談を受けるたび
「祈って解決して行こうよ、私も祈るから」と毎回言っていたらしいです。
え?そうだった?と言いつつ すごく恥ずかしかったです。
「いつも励ましの言葉や、いい言葉を教えてくれて、最後は”祈ろうよ”だったよ」と教えてくれましたw
彼女は職場の先輩からも折伏を受けていました。現在進行形で、対話が続いているとの事で
「どうするの?入会するの?」と私が聞くと「絶対ない。主人が学会、大嫌いだから」とw
でも、祥蘭や先輩がかけてくれるいい言葉、いつも辛い時に思い出してたんだよと御書の一節を
言ってくれてジーン・・と、感動しました。
「入会はできないけど、信心がいい事だっていうのは理解してるよ。それでもいいよね?」と
彼女が言うので「全然いいよ!」と私は返事しました。

彼女に、やれ新聞推進だ・選挙だF取りだ・折伏だ・財務だなんて、させたくない。
婦人部の活動を知ってしまったら、入会なんて決してすすめられません。

それにしても何かがおかしい、組織って。
このとき彼女と話して改めてそう思ったんです。
信心は、もっとシンプルでいいはず。
日々の祈りを大切にすること・日蓮大聖人の教えを御書を拝して学ぶこと。
悩める人がいればこの仏法を教えてあげて、共に祈っていく。それだけでいいじゃないか。
どうして組織に加入させて新聞とらせて年会費(財務)おさめさせて選挙の応援させるの?
むだに毎週集まるの?いろんな敵と闘わなきゃいけないの?
怒られるからこんなことは組織の誰にも言いませんでしたが、 私は組織につくことも・
誰かを折伏(入会目的で)することも、もう絶対しないだろうと、このとき思いました。

いま思えばですが、子供を産んだ事もない未婚女だった私が
「信心で子供の難病もぜったい治る!だからやっていこうよ」なんて対話していたこと、
顔から火が出るほど恥ずかしいです・・。
真剣に悩んでいる彼女の思いを、きちんと受け止めていたかといえばそうじゃなかったです。
”当時はマインドコントロール下だった”という言い訳をしますが、
全ての悩みはご本尊様に祈念すること・日蓮大聖人の教えを信じ行じてゆけば、何もかも解決すると
私は絶対的に信じていました。
だから自分の置かれている立場と彼女の立場の違いなんて全く思慮に入れませんでした。
とにかく悩んでいる彼女と病気で辛い思いをしているお子さんを「救いたい」その一心だったんです。
そう組織から「思い込まされてきた」ともいえます。

身の程知らずと言うか、子供は生んでみなければわからない事っていっぱいあるし。
特に、子供の問題って、デリケートなんですよね。
「経験もないくせにあなたが上からモノ言わないで」ってこと、ありますものw
よく彼女も、腹を立てずに聞いてくれたものだと・友人として居続けてくれたなって、
その寛容さに感謝します。

自分が母親となり、ママ友とつきあう中で言えることは、子育ての悩みって概ね誰かに聞いてもらう
だけですっきりするものなんですね。
聞いた上で、自分の経験談や”こういう話をよそで聞いたよ”って助言をするのはアリだけど
得体のしれない方法(創価の信心)で「悩みを解決して行こうよ!」だなんて、大きなお世話。
誰もそんな事、望んでない。 
一般のひとたちは、相手に悩みをどうにか解決してもらおうなんて考えるほど浅はかじゃない。
そんな他人任せでしゃべっているわけではない。
だのに組織では、悩みを話してくる外部の事を「仏法を求めている人」と教えていた。
”折伏のチャンスだよ!こんど会合に連れておいでよ!”なんて、女子部では盛りあがっていたw
部長時代、私もそんなこと部員さんに言いました。
友人の悩みを解決へと導くための仏法対話(折伏)=善い行い、と組織から思いこまされてきたけど
実はそんな崇高な目的なんて、何もなかった。 
大本営は単純に新たなカネと労働力を提供するコマが欲しかっただけ。
自分の馬鹿さ加減にも呆れますが、なによりも純粋な人心につけ込むゲスな組織に憤懣やるかた
ありません。

誰かに悩みを話す時。みんなちょっと楽になりたかったり・別の視点を聞かせてもらうことで
突破口をみつけたかったり・迷っている事に対して背中を押してもらいたい(肯定してもらいたい)
というだけ。
信頼関係があるからこそ、話してくれている相手に、もっと敬意を払うべきでした。
その信頼につけ込むような「仏法対話」なんか要らない。 
心を開いて語ってくれる友人に、誠実にむきあうこと。それだけで良いのだと、最近は思います。
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