未活時代(5)

子供が2歳を迎えると、ママ友の間で幼稚園選びの話題が出るようになりました。
選択肢の多い地域ですが、産院で知り合ったママさんの大半がプレクラスのある幼稚園に入れると
いうので、私も同様にすることにしました。
その幼稚園は、宗教系です。入園に際してテストと面接がありますが、プレクラスに通っておれば
選考有利になります。
主人に相談したところ快諾してくれ、3歳を迎える年度から入園しました。
当然、組織の人には言いません。おまけに、実家の母にも言いませんでした。
今から30年近く前の話ですが、当時の創価では進学先が宗教系だとNGという教えがありました。
兄の大学がそれで、入学式まで知らなかった母は激怒していました。
邪宗の大学に通う=学費や寄付金をおさめる=謗法にあたるという理由だったようです。
私が高校生の頃も、高等部担当者の女子部のおねえさんが「なるべくなら宗教系大学は避けてほしい」と
話していました。
が、私が女子部長になった頃、高等部担当者に聞いてみると「現在そんな指導は聞かない(していない)」
とのことで、実際キリスト教系の女子校を出た若い部員さんもいて、ソフト路線でいつの間にか
条件緩和されたのだと思います。
宗教系の園に子供を入れる事は謗法に当たらないと私は判断。
しかし母の認識は変わらないだろうし、文句を言われるのもイヤだったので黙ってました。

この園に通わせることにした最大の決め手は、ママ友の口から出たなにげない一言です。
「こういった一般よりお金のかかる教育機関に子を通わせるのは、スクリーニングにもなる、
 変な宗教の勧誘や、意識の低い親(子)に遭遇する可能性が下がるから良い」と言ったのです。
彼女は「変な宗教」と言いましたが、私は瞬時に”創価の事だ!”と思いました。
私はこの地域で婦人部の活動に出るつもりが金輪際なかったので、子を介して横のつながりで婦人部から
つついてこられる事を懸念していました。
これは先に結婚した女子部時代の友人の経験談から。
彼女は未入会のご主人の手前、婦人部の活動に出ていなかったのですが、園ママに他支部のバリ活がいて
「あなたの地域のOOさんから聞いたんだけどー」と話しかけられ、会合に出るよういわれたそうです・・。
未活婦人部の子供(未来部)がどこの園や学校に通ってるという情報を把握し、支部・本部を超えて
同じ学校に通うバリ活の親から声かけするケース。主に選挙の内確がとれない時に使われる手だそうで。
そういったバリ活は、創価の話を一般人の前ですることに何のてらいもなく、平気なので
周囲に内緒にしていたのに勝手にカミングアウトされた状態になり、腹立たしかったとも言っていました。
そういった煩わしい事を避けるためにも、宗教系幼稚園はうってつけでした。
実際、創価の人に遭遇することはなく、選挙を頼まれることも一回もなかったです。

新たに知り合った園ママさん達からも、私は良い刺激を受けました。
産院つながりのママさんにも自宅おもてなしの得意な人がいましたが、園に上がると更にその数が増え。
聞けば皆さん花嫁修業で、さまざま習いごとを経験。結婚後も学び続け、それぞれ得意な事がある。
既に講師として自宅でお菓子の教室を開いている方も居ました。
恥ずかしながら、私は独身時代そのような習い事を一つもしたことが無かったのです。
彼女らの経験を聞くにつけ、自分は一体何をしてきたんだろうと、己の独身時代を振り返り寒くなりました・・。
それでもこのコミュニティから脱落せずなんとかついていけたのは、職場で知り合った主婦友達のおかげで
出産直前まで手工芸の習いごとを続けていたから。
経験を話すと「教えて欲しい」と請われ、皆で集まって一緒に作ったりしました。
文化的活動を共有できることは強みです。 
もし私が、習い事をあの時(婦人本部長に辞めろと言われた際)やめていたら、引け目を感じまくりで
このコミュニティに居られなかったと思います。
続けて良かったと、誘ってくれた主婦友達に感謝しました。

そういえば20代の活動期、一般の友人達は習い事やエステにジム通いなど、余暇を自分磨きに
使っていました。
当時の私は、そういったことを「いいなぁ」と思いはしても、自分もやろうとは何故か思いませんでした。
おそらく「私は学会活動で生命を磨き、福運を積んでいる」という誇りwがあったからだと思います。
いま思えばそんな事、何の為にもならないのに・・。
活動をドロップアウトした時期も、習い事よりは社交に興味を向け、スポーツサークルの活動に
没頭し、遊んでばかりいました。
それまで夜は学会活動ばかり。抑圧されていたせいか、飲みに行ったり食べ歩きをしたりと
遊ぶのが楽しくて仕方なく。「学び」は抜け落ちていました。 
世間一般のOLさんと比べたら、何もかもが周回遅れ。
一般の友人たちが、幸せな結婚生活に向けてOL時代に努力を重ねてきたのは、こういう事だったんだと
園ママに教えられました。
花嫁修業的な習い事は日程(曜日)が固定されているので、女子部で役職を持つ人は中々できないと思います。
私も条件面で最初からあきらめていたかもしれません。
また、周囲の女子部員にも習い事をするような人はいませんでした。活動で忙しくて皆、それどころじゃ
なかったんですね。
女子部に居たら、こじゃれたお菓子や料理を作れなくても、お花がいけられなくても、な~んにも困らない。
それを恥だと思わずに済む世界でした。
きっと婦人部でバリ活やっていても同じくで、教養なんかなくても信心は一流です(キリッ!なんて
私は思っていたかもしれません。 
そうならなくて、本当に良かったです・・。

また、おもてなしが得意なママさんの子供が「ママの作ったおやつ」を誇らしげに、美味しそうに
食べているのを見て、心をわしづかみにされました。 
これこそ子供の幸せだよね、と。
(私がパン教室に通い始めたのは、このお子さんの姿を見たことがきっかけでした)
自分の育ちを振り返ると、物ごころついた時に母は学会活動で昼間不在。
学校から戻り、自分でカギを開けて家に入ると、食卓の上に袋菓子やビスケットの箱がそのままおいて
ありました。 お皿に移し替えるでもなく、パッケージのままポンと放置。
手作りのおやつなんて食べた記憶、ほぼありません。夕飯も、父不在時はお惣菜のでる率が高かった。
そんな環境下で育っていたので、我が子に市販品のおやつしか与えた事がありませんでした。
自分で子供に作ってあげよう・上げたいと思った事が一度も無かったんです。
女子部時代、創価のセミナーで聞いた話ですが、親って自分が子供時代に親からしてもらった事しか
次世代(自分の子供)にしてやれない。 経験が無い事は、行動として出てこないって話でした。
いいことだけではなく悪い事もで、虐待をする親は、必ず自分も子供時代に親から虐待を受けている。
当時はなんとは無しに聞いていたけれど、本当にその通りだと愕然としました。
自分の感覚が正しいと思っちゃいけない。自分を疑うくらいで丁度いいのかもしれない。
(余談ですが、blogタイトルは「自分を信用しない」ところから真実を探ろうって意味でつけたんです)
私はいびつでおかしな家に生まれ育った、この経験をベースにすると子供に悪影響が出るだろう。
だから尊敬出来て・いいなと思える他人の子育てから学び、取り入れようと思ったのもこの経験からです。
・・というか。いま思えば、こんな内容を創価のセミナーで話してたって言うのも皮肉ですよねw
2世3世の大半は、毒母(=婦人部)に育てられていると思いますし・・。

実際、地元組織で不登校になったり・問題行動から高校中退・引きこもりになっている3、4世の話を
耳にします。その数は少なくありません。
母親は私と同世代の、女子部時代からバリ活で、結婚後もバリ活婦人部。
赤ちゃん時代から子供を学会活動にひきずりまわしてきた人達。
0歳児の頃からそういった子たちの姿を見てきた実家の母はいいます
「あの子たちは幼少期、昼間公園で遊んだ事なんてないだろうね」と。
これは幼児教室の先生から聞いた話ですが、就園前(~3歳)までに公園で遊んだり運動習慣
(スイミング等)のない子供は、筋力も少なく、運動能力が発達しておらず、集団生活に入ったとき
差が生じやすいとの事。
運動能力が3歳までにどのような経験をしたかであらかた決まり、4-10歳が伸びしろになると
いう話で、これは脳科学に基づいた話だそうです。
活発な子供は園生活の中で遅れを取り戻し、周囲と足並みを揃えますが、そうでない子は小学校に
入学した時に、またどんと差がついてしまい、本人も消極的になり様々な事に影響を及ぼす。
身体能力の向上のためにも、公園で適度な時間遊ぶことは子供の成長に重要だということでした。
運動が出来ない事で消極的に・・というのは、私も子供時代に経験しているので、頷ける話でした。
上のきょうだい2人は、会合に連れまわされた記憶が無いようですが、運動は得意でした。
私はうっすらと会合に連れて行かれた記憶あり、運動は苦手でした・・。
(注・社会人になってスポーツサークルに入りましたが、マネージャーをしていました)

また、身内の話ですが幹部をやっていた親戚の子は非行に走りました。
一人はのちに組織について現在幹部をしていますが、一人は他の宗教に入り親と縁を切りました。
素直に育ち、学生部で活躍後、有名企業に入ったけれど鬱を患い、大人のひきこもりになった人もいます。
現状、組織に就いているいとこは自己実現できなかった人が大半です(私もその仲間です)。
はなから親と自分は信じるものが違うと、組織につかなかった人の方が自己実現出来ている。
これは偶然ではない気がするのです。
うちの一族だけかもしれないけど、信心をすれば、ダメな子でもうだつが上がらなくても親は手放しで
受け入れてくれる。
信心をしたくなければ、自分が頑張るしかない。親を頼らず生きて行かざるを得ない。
どこもそんな親子関係だったんじゃないかと、大人になった今、親戚を見渡して思います。
信心に頼らず、地位を築き上げた子供達を「信心・祈りのお陰で立派になった!」と親は自慢に
しています。
本人信心してないじゃん!非活じゃん!と、毎回突っ込みたくなります・・。

私が女子部当時に見ていた、夜の会合に連れて来られる小さな子供達は、どんな会合でも、
大人の邪魔にならないよう部屋の隅で声も出さずに遊んでいた。
小学校に上がる前の子供の興味は、最大で30分しか続かないと聞きます。
1時間以上にわたる会合時間を、限られたスペースに拘束され、聞いてもさっぱり解らない話の場に
同席させられることは、退屈でたまらないでしょう。 
小さな子どもにとってこれも十分、精神的虐待じゃないのかと私は思います。
赤ちゃん当時から連れて行っておればそのような環境に慣れるのかもしれないけど、それでもちょっと
普通の事ではありません。
一般家庭に育つ子供なら絶対に経験せずに済むことです。
子供らしいのびのびとした時間を奪う事が、成長を伴うにつれ歪みを生じさせるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、永遠の幸福境涯や・三世にわたる福運功徳や・世界平和や・
師匠の理想の実現のために、一番身近な幸せの集合「家族」を蔑ろにしてしまう事は、人間の所業では
ありません。
ここでも池田指導の矛盾を感じます。
「ひとりの友を救えずして、広宣流布はなし得ない」そう言っていたけれど、
友達はおろか、一番近くにいる身内を幸せにせずして、世界平和なんか成し遂げられるわけがないんです。
友達より家族の幸福の方が先だろう。 まちがい教えんなよと、私はそう思います。

創価では「恩を忘れるのは畜生、人間以下」と教えていました。
しかし、本来恩を向けるべき家族家庭をすっとばして「師匠」や「組織」に恩を向けろなどと
こんなものは国賊の教えです。

ママさん世代にこそ、一日も早く、覚醒して欲しいと願います。
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