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未活時代(6)

初めての土地での子育ても、周囲の環境に恵まれそこそこ楽しくやっていた私ですが
全く悩みがなかったわけではありません。
長子の成長過程では、悩みの連続でした。
過ぎてしまえば、どうってことなかったなって思える事ばかりだけど、初めての子供に対して
神経質になりすぎていたと思います。
今でも苦い思い出となっているのが、離乳食がなかなか完了期にならず焦っていた事。
周囲のママ友から聞く、「あれを食べた・これが好物」という話を聞くたびに焦っていました。
うちの子はフォローアップミルクが大好きで、液体でお腹を満たしたいという欲求が強く(?)
ごはんをわざと食べないような気がしていました。 
まだ言葉が出ない時期だったので、真意の程は定かではなく。
そして、子供が自分の思い通りの成長を踏んでくれない事に、ものすごく落胆していました。
保健士さんに相談すると、身体的に成長曲線どおりだし標準だから心配は無いけど、1歳半までに
哺乳瓶をやめないと虫歯になりやすいですよと指摘があり、そこでまた焦りを感じ。
すでに1歳5か月だったのです。
やめさせようと、あれこれしてみるのですが、ジュースやお水はコップを使って上手に飲むのに
コップに入れたミルクは飲もうとしないのです。スパウトや、あれこれ試しても、イヤイヤと言い、
哺乳瓶がある戸棚を指差します。
入れかえてくれないと飲まないって事です。
「だめ、これで飲んで!」と言うと、号泣されます。
そんな時、私がどういう行動をとったかといえば、子供を暫く無視していました。
本当に最低な行動だったと反省しています。
無視すれば、諦めてコップで飲むんじゃないかと思っていたのです。
けど子供にしてみれば、何故哺乳瓶に入れてもらえないか理由もわからず、要求が満たされなくて
悲しくて、コップ入りミルクは飲まず、泣き疲れて寝るという状態でした。
後日このことを保健士さんに話すと注意を受けました。
それは泣き疲れじゃないんですよ、子供は自分の処理能力を超える出来事が起こると寝るんです。
つまりパニックに陥っている、ということでした。
なんと酷い事をしてしまったのかと、自分を責めました。子供には沢山謝りました。
そして、理由をちゃんと説明して、軽く儀式のような演出も取り入れて、子供に納得してもらった上で
辞めることができるよう、計画を作ってもらいました。
保健士さんにいわれたとおりにやってみたら、子供はあっさりと哺乳瓶から離れることが出来ました。
哺乳瓶をやめると、フォローアップも要らないと意思表示するようになり、お腹がすくからか食事を
シッカリ食べるようになって行ったのです。
もっと早く相談すればよかった・・と思いました。
そして、自分が「子供が思い通りの行動を取ってくれない時、無視してしまった」事について考えました。
この先また私は繰り返すかもしれないから、そうならないよう原因を探りたかったのです。
その時思いだしたのが、母がやはり、子供が思い通りにならない時、無視する人だったという過去でした。

私はわりあい、母のいうことを聞く方だったのですが、それでも日常生活で母の言いつけに反する事を
やると、暫く無視されることがあったのです。
信心のあった私でさえこうなので、兄や姉はもっとひどかったです。
ずっと無視されるわけではなく、ほとぼりが冷めたらいつもの母に戻ります。しかしそれでもいい気はしません。
私は、無視されたら母の機嫌をとろうと必死になるほうでした。
父に頼れないので、母しかいなかったからです。
しかし兄や姉は父と仲が良く、母が無視してきたって全くへっちゃらって感じでした。
私が常に、母親の顔色を見てきた事を自覚して、これってどうなのだろう?と考えました。
ただ、この当時(6年前)、まだマインドコントロール下にあった私は、こんな親子関係に創価のフィルターが
かかっている事を全く自覚していませんでした。
そして私がこうなった背景・原因は父にあると考えました。
父が私に冷たかったから、母親を頼るしか無くて、母親の顔色ばかりみて家族の中で生きるしかなかったと。
すると、父が冷たい原因=信心・創価への不理解となります。
ここで「創価が悪い」には絶対ならなかったんです。あくまでも、信心や創価を理解しない父が悪人です。

我が子に、私のように育ってほしいかと言えば、答えは当時から「NO」でした。
主人は仕事が忙しいながらも、子供の面倒はよくみてくれるタイプです。
基本甘やかしなので、ママより絶対パパがいいと、休日は主人から離れないほど。
そして、義両親も孫には甘いのです。多少お行儀が悪かろうが、多少危険を伴う事をしようが、我儘だろうが、
一切叱りません。
声かけはしますが、基本にこやかに眺めているのです。
(余談・うちの母は、孫を容赦なく叱ります)
私はそういった環境にもなじめなくて、いつもモヤモヤしていました。なんで注意しないの?って。
私が注意をすると、子供はとたんに不服そうな顔をします。それを義両親が「まぁまぁ」って感じでなだめて
圧倒的に孫の味方です。 こんなのどうかしてる、と不満に思っていました。
ママ友に話すと「うちもそんな感じだよ」と言ってくれるのですが、皆、それを「当然」として受け止めており
私みたいに苛立ちや不満を持っていない様子で、おや?と思いました。私がおかしいのか、と。

幼稚園に上がって、父兄向けの講演会で聞いたのですが、10歳まで子供は甘やかして育てて当然と。
本人・他人の命を伴う危険なことだけはしっかり教える必要があるけど、それ以外の事は自由にさせてあげる。
親から見てマイナスと思える事柄に対しても、子供に対しポジティブに導く言葉をかけられることが大事で、
大人の理由でやみくもに叱りつける事は、脳がストレスを感じ、子供の可能性を狭めると言うお話でした。
甘えてもいいんだ、という状況が自己肯定力を生むという事。
幼稚園や小学校では、子供といえど外に敵ができる。いいことばかりでは無い。自分の考えや行動が
受け入れられない時もある。子供はそういったマイナスな事象からも、実はしっかり学びとっている。
家庭はシェルターで、自分を受け入れてもらえる場所があるということがどれだけ子供の自信に繋がるか。
外でマイナスになった部分を、家の中で補ってプラスに。そしてまた外へ出て行く。
この繰り返しが心の体力づくり(寛容性、耐久性)に重要なのだと。 
それが、外で凹んで帰ってきているのに家庭の中でガミガミ・否定的な言葉を投げかけられると、
子供はますます委縮してしまう。
そうならないように、幼少期から親子間の信頼関係を築くことが重要ですという話で、目からうろこでした。
義両親や主人がやっていたことは、理にかなってたんだと気づきました。
そして私の育ちといえば、家庭の中で母は優しかったけれど、「甘える」という感じでは無かったのです。
信仰上の師匠と弟子みたいな関係だと思います。 条件付きなんです。
信仰があるから優しくしてもらえるけど、無かったら優しくしてもらえないのです。
この件については、覚醒後にいきあたることになるのですが、それはまた別の機会に書きます。

子育てを通じて、子供から教えられた事は数限りなく、全てを要約すれば
「私が育った環境は不幸だった」ということでした。
経済的に困った事は父のお陰でなかったけれど、心はいつもさびしかったです。
我が子を見ていて、羨ましくなることが多々あります。
私は子供時代、父親に甘えるなんて考えられませんでした。何かクレームをつけられるのではないかと
いつもびくびくして接していました。
けれど、辛い思い出ばかりというわけではないです。母が実家に用事で行って不在のとき、父が
子供達を連れて外食に連れて行ってくれる事がありました。
そんなときの父は、きょうだい分け隔てなく接してくれましたし、普段生活の上でも、なんでも3人が
平等になるようにと心がけてくれました。そういった面は、父の深い愛情と受け止めています。
家族団欒、5人が揃って楽しく食事をしたという記憶が一回もないことが本当に残念でなりません。
常にだれかが不機嫌でした。私が物心ついた時は兄が反抗期だったので険悪でしたし・・。
自分の子供が、食卓で笑顔で居てくれると涙が出そうになります。
私は実家でこんなに笑ってご飯を食べた事なかったなって(暗い話ですみません)。
出かける際も、下の子が歩き出すまで長子は必ず私と主人の間に入って両方と手をつなぎたがりました。
そんな事も私は経験がなかったし、なんというか、本当にさびしい育ちだったんだなって事を
自分が子供を産んでから実感した次第です。
そんな事、子供を産むまでまったく感じていなかったし、問題にも思わず、自覚がなかったです。
物質的に恵まれていたので、むしろ自分はいい育ちをしてきたと、勘違いしてました。

「無償の愛」という言葉があります。子供に向けられる愛情こそ、この言葉にふさわしいと思います。
報われなくても、見返りなんてなくても、子供のためにと心を尽くす。親なら当然のことでしょう。
私はそんな無償の愛を、母からもらったことが無かったと気づきました。
母の愛は、見返りを求めています。 創価の信心ありきの優しさと愛情なのです。
それはもう、ハッキリしています。

学会員を見ていると、子供を親の従属物みたいに捉えている家庭が多い事に気付きます。
もちろん100%とは言いません。中には子供は自分たちとは違う、ひとつの立派な人格者と尊重し
認めている関係もあると思います。 が、少ないでしょうね。
子供が信心をしなくなったり、捨てたりしたら、縁を切ると言い切る親の多さ。
血族よりも、信心・学会組織・永遠の指導者が大切だという認識のもとにあるからそんな発言が出るのでしょう。

また、子供に対して信仰上の強制をはかるあまりか、子供がいい年して独身という家庭も多いですよね。
私の身内(いとこ)も50代独身でした。
学生時代に交際した女性と結婚を考えていたようですが、相手が入会を拒否したため、親が結婚に反対。
いとこは、若い時そこそこ頑張って幹部をしていましたが、壮年部から非活です。
親は幹部をしていて「こんな立派な息子なんだから、絶対に女子部の嫁にきてもらう」と、
組織内お見合いをさせていました。
それも”初婚・大卒”と相手を限定したお見合いです。親の理想の高さで、子供の結婚のハードル上げて
しまってどうするんだろう?と、私は感心しないなと思っていました。
けれど、いとこは元彼女が忘れられなかったみたいです。どんな縁談も断って、遂に見合い話も来ない年齢に。
一人っこ長男なので、親の希望に沿う相手以外と一緒になることが難しい・親を裏切れないとの思いから
そんな年齢になったのだと思います。
そこの親(おじ)は「友達(当然女子部)で、誰かいい人いない?」とたびたび私に尋ねてきました。
50代近くなると、縁談話もなくなったようです。
親として、責任を感じないのだろうか?と、私はおじおばを軽蔑していました。
数年前、おじが他界。 おじの奥さんは結婚を機に入会し、つりあい人事で幹部だった人です。
昨年、いとこは50代半ばにして結婚しました。 お相手は外部で、入会はしていません。
結婚式は2人で海外であげ、ハガキが送られてきましたが有名なチャペルをバックにしたものでした。
おじの奥さんはきっと、信心強情なおじとそのきょうだい(母やおば含む)に遠慮して、息子の本当の幸せを
考えながらも、おじ存命中は息子の背中を押し切る事ができなかったんでしょう。
おじが亡くなったことで、いとこも奥さんも足かせがはずれたのかもな?と思いましたし、おじの奥さんに
普通の親心があった事、私は嬉しく思いました。
しかし、うちの母やおばたちは「兄が死んでから信心がおかしくなった」というような陰口を言っていました。
あんたたちのほうがおかしいよ!と思いながら、苦々しくこの会話を聞いていました。

まがいもの宗教や、それに騙されている親が足かせになり、自身の幸福を選びとれないなんて、不幸にも
ほどがあります。
創価の信心のせいで、何かを諦めたりする必要はありません。
親は大事ですが、マインドコントロールに罹っている親は本当の「親心」や「人間愛」を、悪魔に奪われて
いる状態です。 
そんな親の思いに沿う必要なんてありません。
自分の考えで、思いで、行動して欲しい。
もし迷っている人が居るなら、私は背中を押してあげたい。
創価や信心やそれを信じてる親に、何の遠慮もいりません。
そんなもの振り切って、あなた自身の幸せを全力でつかみに行ってくださいと。
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