未活時代(13)

2012年8月。
またまた財務の申込用紙がまわってくる季節になりました。
気の弱いしらゆり長から、家庭訪問に行きたい・希望の日をしらせて欲しいとメールがきたので、
在宅日時を伝えました。
しかし、内心は「どうしても、財務ってやらなきゃいけないのかなぁ?」でした。
前年の実験により、財務をひとりぶん・1口に減らしても、家庭の経済基盤はおかしくならない事も
実証済みでしたし。

”真心の財務には功徳が現れる”という指導を繰り返し聞きました。
だったら、私の今の財務って何?
まったくもって「義務」なだけ。
くだらないことでまた、こっちの組織から実家の親に電話を入れられたくないって、それだけ。
真心なんて、かけらもない。それは昔(活動家時代)からですけど。
そんな私が、どうして財務をしなきゃならない?意味無いじゃん。漠然とそう思ったのです。

真心のかけらもない人間からも「会の決まり」として、申込書を書かせ、1口一万円からという
高額な金額を集める。
そして後日、領収書を地域組織の人間を通じて手渡しする。
これについても「衆人環視手法」だと嫌悪感を覚えました。
結局、納金しないと地域組織にバレるよって構図なんですよね。
プライバシーなんてまるで無いんだなって。
財務、申し込んだけど気が変わるって事もあると思う。
それを許さないために、わざわざ地域の役職者を通して配布させているんだろうなぁと。
あくまでも領収(受領)証なんだから、直接個人に郵送してくるくらい配慮してしかるべきだと
思います、本来ならば。
創価学会という団体と・いち個人信者間のやりとりなのだから、他人を介して受領書を渡すなんて
おかしい。
長子が通っていた幼稚園へ年度はじめに寄付金を納めましたが、領収(受領)証は
役員から手渡しなんて事、当然ながらありません。
振込用紙が受領証となり、お礼状は後日個人(主人)宛に郵送で届きます。
それが寄付金に対しての通常の事務処理でしょう。
私が会合に出なかったせいもあるのですが、毎回あの領収書は半年以上経過してから受け取ってました。
手渡し以外の受け渡しがNGという理由で。
ポストに入れてくれと頼んだ事もあったのですが、うちの組織の人は絶対OKしてくれなかったから。

貰っても一切嬉しくない広布基金の記念品代と、領収書の発送費用なら、発送費用の方が安くつく
はずなんだから。記念品辞めて個人に郵送に変えればいいじゃないかと思ったりもしました。
あの貰っても迷惑なだけの記念品だって、どうせ創価系企業が作って儲けているのでしょうね。
自分たちの利益になるところにばかり無駄金使って、肝心なことはきちんとしないなんて
本末転倒も甚だしいと思います。 が、活動家の殆どが脳内花畑だから、そんなこと問題にする人も
いないのでしょう。 
大本営は、いつも「してやったり」でほくそ笑んでいるんでしょう。 全く腹立たしいです。

どうしてこのときまで、上記の事に気付けなかったのか本当に不思議ですが、
このとき初めて猛烈に財務というシステムに対し”腹立たしく”なったんです。
疑問では無く、明らかな怒りを覚えたのはこの時が初めてでした。

女子部時代、実家の母が話していました
「ある程度の時期が来たら、財務は無くしますって、以前幹部からきいたこともあったんだけどね。
 正本堂が終わったらなくなると聞いてたけど、ずっと続いてる。
 国外にまで布教活動してるから、お金がいるんだろうね」と。
この言葉を、そのタイミングで奇跡的に思いだしたのです。
そこで、ピーンときました。
これって、徳川幕府の朝鮮出兵と同じじゃないのかとw
幕府の統治が行き届き過ぎて、戦の機会をなくした武士たちの仕事を作るがために
わざわざ”必要のない国外への戦”を企てた。
武士たちの鬱屈勢力が幕府へ向かう事のないよう、国外(仮想敵)へ目を向けさせる為の
ひとつの政策という見方があると、丁度その頃、歴史の本を読んで知識を得ていました。
SGIで海外にも広宣流布とかいってるけど、あれは、国内で金集めの理由がなくなったから、
海外へ、世界へ打って出るため・広宣流布のために浄財が必要です!という壮大な話を出してき、
単純に財務を継続するがための大義名分にしたかっただけじゃないのかと、私は思ったんです。
世界は広いのです。際限なく集金し続ける理由・大義名分となります。
「戸田先生のご遺命」とか言ってるけれども、それもどうだか・・?
戸田先生の名前を出せば、古参会員は喜んで浄財を投げ打つだろうって、詭弁だったりして?!
(補足・後日、ぐぐってみたらこの世界広布は「戸田先生と私の2人だけの場で残された遺言の
 1つとなった」と池田老人が本部幹部会で語ったらしいのですが、瀕死状態の戸田氏の病床には
 常に看護の女性が数名つきっきりだったそうで、池田老人と戸田氏が「2人だけ」になど
 なれるはずがなかった・池田老人との間に「遺言」は無かったと、石田次男氏証言が出てきました)

うわぁ。最悪だ。

気の弱いしらゆり長とは約束しちゃったから、今年の分は仕方ない。私の分だけ申し込もう。
でも、来年はもう絶対やらない。そう決めて家庭訪問の日を迎えました。

しらゆり長が一人で来ると思っていたら、福運貯金の支部婦も連れてきました。
半年以上ぶりの再会です。
最悪。会いたくなかった・・と思いながらも、しらゆり長から用紙を受け取ってサイン押印を
玄関先ですることにしました。
支部婦はひきつった笑いを浮かべながら「昨年から、財務ひとり?どうしてなの?」と尋ねてきました。
私は答えずに支部名やら書きこんでいました。
すると
「ご主人のお仕事、うまくいってないのかしら?福運貯金が、とうとう尽きてきたんじゃない?」と
お門違いのことを言いだしたのです。
私は、それも無視しました。
腹が立ったけど、この女とは、話す気にならないそう思って。
書き終わったので、用紙をしらゆり長に手渡し「じゃあ」と強引にドアを閉めようとしました。
支部婦は「ちょっと待って」と、玄関に体を割り込ませて家の中に半分入ってきたのです。
私は気持ち悪さで、「不法侵入ですよ?警察呼びましょうか?」と言いました。
しらゆり長は驚き、大慌てで、支部婦の腕をひっぱって「帰りましょう」と促しましたが
支部婦はひきつった笑顔のまま
「まったく、残念ねぇ。夫婦そろって、池田先生のお手伝いが出来ないなんて~」と馬鹿にしたように
私に言ったのです。

はぁ?!いまなんて言った。 池田先生のお手伝い、だと?

私はそんなつもりで財務をした事、ただの一回も無い。
あんたは、池田老人の手先になって金集めしてんのか?それが正しいと思ってんのか?

だけど、ここでそんなことをまくしたてたって仕方がない。
支部婦を睨みつけ、ドアを閉めてやりましたが、その後しばらく体の震えが止まりませんでした。
「池田先生のお手伝い」
この言葉が頭のなかをぐるぐると回って。
詐欺に遭った時、きっとこういう心境になるんだろうなと思いました。
私にそのつもりがなくたって、池田老人のお手伝いをさせられていた(?)という事実に
身の毛がよだちました。ありえないと。

本当に私は何も見えて無かったんです、40年以上も。
周囲がどんなに池田マンセーでも自分は違う・・私の師匠はあくまでも日蓮大聖人様だ、なんて
思いながら学会に居続けた。
けどそれはとんでもない勘違いで、場違いだった。
私は、組織に居るべきではなかったんだ。

会員が、池田老人のためにとお金を貢いでいたなんて、この時までまったく解りませんでした。
(100%がそうだとは思いません・・私みたいな人も中にはまだ、いそうな気がします)
池田老人を師匠と思ってない私が、なぜに池田老人の手伝いなどしなきゃならないんだ!
おまけにどうして池田老人の手伝いをする事(財務)がイコール、福運や幸福境涯に繋がるって
言うんだよ?
頭おかしいだろう、というか、それを気づきもしないでやり続けていた自分・・。
無知は罪・無知は悪をうむという言葉があります。
私の場合は「騙された」というよりは、あまりにも創価学会に対して「無知」でした。
学会3世として生まれ、母親から功徳信心を叩き込まれ教育され、御本尊様と信心なしでは
生きられないそんな人間に育っていました。
そして、宗門から創価学会が破門を受けた時点で、創価を離れるべきだったところ
母親やその一族が創価に残ったことで自分もなにも考えなしで創価に残った。
創価は、日蓮大聖人の仏法を根本とする宗教団体だと私は「誤解の解釈」をし、
そのまま20年余りも居続けた。
私は、このとき・この瞬間まで創価学会を「誤解」していた事に気付けなかった。
日蓮大聖人の精神を受け継いだ団体だなんて解釈、とんだ間違いだったんだ。
行き先の違う列車に乗っている事にまったく気づかず、現地に到着して「ハァ?!此処どこよ?」となった、
そんな心境でした。
尊敬のかけらもなく、どちらかといえば冷やかに見ていた池田老人が頂点の創価学会に
見事に「してやられた」。
考えれば考えるほどおぞましく、嘔吐しました(汚い話ですみません)。

私はその夜から、ネットで創価の真実を探り始めました。
そして、自分が気付いた事(金集めのための大義名分)に間違いが無さそうだという事や、
組織の機関紙を内部で山ほど取らせている(マイ聖教や贈呈等)ことについても、
組織の金集めに他ならない事を知って愕然としました。
また、組織全体の「ありよう」が、金集めの為、政治力を手中にするため、会員を外へ流出させない為の
宗教(教義)を使った狡猾なマインドコントロールであることにも気づき、怒りでハラワタ煮えくり返り。
罰論は、組織から逃げられなくするためもっとも都合のいい刷り込み。
幸福とか、福運を積む為とか、功徳だとか、そんな言葉の全てがまやかしだったと解ったのです。

ネットで書かれている事はデマだなんて、もう思いません。
とっかかりを自分で気づけたから、ひとつひとつ納得でき、合点もいったのです。
それに、組織の機関紙なのに外部に購読させろというのは、私には活動家時代から納得できない
事だったから。
だって一般人が読んだって「ハァ?!」な、トンチンカンな内容が殆どw
なのに、推進しろしろって、おかしいと思ってたんだ。

おい、ふざけんなよ。

そうじゃない、すべて誤解で、言いがかりだ!というのなら、財務は即刻廃止せよ。
会館で受け付ける善意・自発の「公布基金募金箱」にでも変更すればいい。
その会計内で維持できない会館・学校・会社は全部潰せばいい。不要ってことなんだから。
これまでの収支報告も行うべき。
そして、聖教新聞を1家庭で数部も購読させるような・マイ聖教という搾取行為はやめろ。
これは完全におかしい。
全くもって広宣流布になんて繋がって無い。資源の無駄なだけ。

そして強制的な選挙支援活動も即廃止せよ。票とりも会員にさせるな。
議員どもは自力で闘ってみろ。
自分がドブ板選挙してみやがれ。功徳をエサにそれを会員にさせるな。 
自分では出来もしない癖に。
その一議席が本気で政治を志す人間の邪魔になるんだ、自覚しろ。
強欲じいさんに貰った「使命」で議員になんてなるな。そんな奴はとっとと議員辞職すべき。

あと、”永遠の指導者”を池田老人とするのなら、すべての会員に「踏み絵」を義務付けろ。
私はちゅうちょなく踏めるよ。足蹴にするよ。
そして踏むような奴は即退会ってことにしたらいいんだ。
それをせずあくまでも「日蓮大聖人」を大看板に掲げるようなまやかしをするな。
どこが仏意仏勅なんだよ?
本当のところは外部の言うとおり”池田教”じゃねーか。ふざけんな。
そして池田老人を尊敬できない会員(私)からも金や票をまんまと巻きあげるなんて、
それこそが詐欺集団たる所以なんだよ。

こんな社会悪の団体に、一切カネも労働力も供出なんかするのやめよう。脱会しよう。
そう決意した2012年夏の終わりでした。
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