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実事求是(2)

創価と縁を切る決意をし、次にやったことは自宅にある創価書籍を捨てる事でした。
結婚のとき持って来た本はそれほどなく、主に贈呈でもらったもの。
押印がしてあったり、非売品の写真集などなど・・。
どうでもいい余談ですが、押印本を贈呈する際の司会者や幹部の異常なテンションの高さに
私は当時からついていけてませんでした。
「押印頂いております!」 場内、わーっと歓声+拍手がわいてましたが
”そんなの、職員が押してるんじゃん。池田老人が自分で押すわけないだろ”と思ってました。
あれって「テンション高く紹介&贈呈すること」とかマニュアルあるんでしょうかね?w
私は部長どまりでしたんで、そういった内情を知りません。
書籍全てを一か所にまとめ結束バンドで止めて、本の回収日に出すべく納戸に入れていました。
でもすぐには捨てられなかったです、なんとなく。
まだ罰論を気にしてたんです。

しかし、意外なきっかけで全て捨てる事が出来ました。
それが「偽本尊」問題です。

私は創価が社会悪の団体だと解っても、御本尊様への信仰はまったくの別物だと思っていました。 
宗門から破門を受けたさい、その信徒団体である創価に自分の意志関係なく残る形をとってしまった。
私は創価を辞めても信仰を辞めるつもりはありませんでした。
御本尊様への絶対心は揺るがなかったのです。
そうなると自動的に「私は法華講に行くべきでは?」と考えるようになりました。

インターネット歴は10年以上ですが、宗門の事を調べようと思った事なんて一回も無く
初めて検索してみました。
すると「偽本尊」というキーワードが芋づる式に引っ掛かって来ました。えっ?何?どういう事?
ひとつのサイトを開いてみて、絶句しました。
創価が勝手に発行している本尊がカラーコピーで云々書いてありました。詳細は略。
驚きました。
印刷だって事は解ってました。しかし、カラーコピーってorz
表装部分までコピーされている事も、改めてみて「ほんとだ!」と気がついた次第です(お粗末)。
偽本尊・・いわれてみれば。 私には思い当たる節がいくつもありました。
当時心に浮かんだ事をありのまま書きます。
私の実家にあった御本尊様は日達氏の筆によるものでした。
その御本尊様でお題目を上げる時は、すんなりとあがるというか、全然しんどいと感じた事が
なかったんです。
私にとっては子供時代から親しんだご本尊様で、お題目を上げて行くうちにすっきりしたり
寂しかった気持ちが暖かな物に変わったりと、願いが叶ったのとは違う意味でも、随分助けられたと
思います。
私も母もたいへん気に入っていたのですが、あるとき幹部が
「創価の御本尊様に御取り換えした方が良い」と話をもちかけてき、2000年に御取り換えを
しました。
その直後に非常にショックでネガティブな事がおこりました。どんなことかは伏せます。
ただ、命を取られなくて良かったと思いました(察してもらえればと思います)。
幹部は当然こういいました「転重軽受だったね!」
ただの偶然といわれてしまえばそれまでだけど、おとりかえをした一年の間に親戚が数人亡くなりました。
皆さん50-60代で急死でした。 学会員も含まれます。
また、私はこの創価の御本尊様で初めての100万編唱題を約半年間であげたのですが
挑戦中「どうして?」と思うほど、悪いことが続きました。
仕事のトラブルだったり、プライベートな事でも騙されたりと、本当にろくなことが無かった。
同時期、同じく半年で100万遍に挑戦しているメンバーが他にも居て、ネガティブな出来事が
おこっていました。
「きっと魔が競ってるんだね、そんなの跳ね返そう。みんなでやりきろう」と励まし合った事を
覚えています。
そしてなかなかすんなり(気持ちよく)お題目があがらなかったのです。
あげている途中で心が停まる感覚がありました。祈っていると虚しくなってくるんです。
早く時間が過ぎないかな・・と、時計ばかり見るような。
こんな事は誰にも言いませんでした。

部長時代、拠点にお借りしていたお宅の御本尊様が好きでした。
境智冥合しやすいというか、幾らでもお題目が上がるんです。全然しんどくならない。
あまり見たことのない筆致でした。
そちらの御本尊様も、会場用の大きなものに御取り換えがあったのですが、それからすぐに
拠点としての使用NGになってしまいました。
理由は、組織内の人間関係でそのお宅のお母さん(婦人部)がメンタルを患ってしまったから。
学会員出入り禁止になってしまいました。
後日、御取り換え前の御本尊様が日顕氏のものであることがわかり、ビックリしました。
婦人幹部は「謗法の御本尊の害毒は、後から出るからきついし恐ろしい」と語っていました。
本物の御本尊様は、お題目があがりにくいものなんだ・謗法の御本尊は何の魂も入っていないから・
力が無いからいくらでもお題目があがるんだよ・・と実家の母も話してました。
本当にそうなんだろうか? 逆じゃないのか?と、偽本尊と知った私は考えました。

そして我が家にあるご本尊様(2004年に主人の名前で受けた)も、創価発行の御本尊様ですが
やはりというか、お題目がすんなりと上がらなかったのです。
長子の妊娠時・父危篤の知らせを受けた時がそうでした。

偽本尊は開眼してないから云々・・と、法華講の方がやっているサイトに書いてあって
この時「だからか!」と、妙に納得してしまったんです。

だけど、実家の(偽)御本尊様に願って叶えた(と思っていた)こともあって、
主人との結婚はまさにそれでした。
決して悪いことばかりでは無かったのです。

話を元に戻します。
「偽本尊」の文字を見てしまってから暫く、お仏壇の内扉を開けられませんでした。
仏間に入るのも嫌だったくらいです。
本当に私はどんだけ臆病なんだろう。今となってはお笑いです。
「偽」と知ると、御本尊様だけじゃなく、創価にまつわるもの全てが忌まわしく・気持ち悪く
感じられてきたのです。 それで書籍を捨てる事が出来ました。
書籍をゴミ捨て場に持っていた後、家に入ったら淀んでいた空気が綺麗になった気がしました。
とっても単純です。

しかし、御本尊様はどうしたらいいものか?
今すぐなんとかしたい!と気は焦りますが、具体的にどうしたらいいか解りません。
そこでまたネットで検索しました。
ゴミとして捨てたって人もいれば、お焚き上げをしてくれる神社寺院へ持って行った人、
正宗寺院に持参した人、脱会届と共に創価本部へ送りつける人、いろいろでした。
私は迷いました。
ご本尊様に、お水がえと御供えを欠かしたことがありませんでした。
ごん行が抜ける事はあっても、御供えだけは毎朝整えていたんです。 
それをやることで「一家の安泰が守られる」という、私なりの儀式でした。
しかし、「偽」といえどご本尊様をどこかへやってしまったら、儀式ができなくなってしまう!
それは困ると私は思いました。 すっかり習慣化して、やらないと落ち着かないし不安になるからです。

けれど、家の中に「偽」があると思いこんでしまったら、平常心ではいられず。
やはり私は法華講に行ったほうがいいのだろうか。そちらで正宗の御本尊様を頂いたら
いいんじゃないだろうかと、調べました。
正宗のサイトは中々よくできていると思います(デザインとか)。
創価とたもとを分かった件についてのテキストを読んでも、非常に納得ができました。
大石寺の桜の写真(近影)を見て感動しました。綺麗でした。
日顕氏が嫉妬に狂って(創価って「嫉妬」って表現好きですね・・w)桜の木を全部切ってしまったと
バリ活時代に聞かされて、ひどい話だと思ってましたが、全部というのは嘘だったようですね。
小学生の頃、大石寺に行くのが旅行気分で楽しかった。
そんな思い出もあり、一度行ってみたいな、桜の時期にと考えました。
御開扉は法華講員でなければ入れてもらえないと知り、
居住市に寺院がないので、近隣市のどの寺院に行くかを真剣に検討したりもしました。

だがしかし、残念なことに(?)法華講個人のブログを幾つか見て私は幻滅してしまいました。
法華講がどのような活動をしているのか全く知らなかったので、調べたのです。
これじゃちょっと移れないなって思ったのは、偽本尊問題のビラをポスティングしているという話。
それがお寺主導なのか・創価脱会者で現法華講員有志が自発的に(勝手に)やっている事なのかは
文章を読む限りわからなかったのですが、一地域の話ではなく、各地で同じ活動をしている様子。
私は、そういった活動はもうたくさんだ、と思いました。
私が望む信仰スタイルじゃないって感じたんです。

また、法華講員が創価学会を敵対視していることも、ぞっとしました。
人にもよるのでしょうが、憤怒に狂ったようなブログ(文章)を綴っておられる方もちらほら・・。
正宗はれっきとした「本山」なんだから、そこに属する法華講の皆さんは、もっとクールで
クレバーでも良いのでは?と感じたんです。
個人的に創価に恨みのある人が、極端に多いのかもしれませんが、異様に感じました。

創価で、団体行動にはもうウンザリでした。 敵と戦うのも、おなかいっぱいです。
宗教って信仰って、そういうものなんでしょうか?
宗教戦争があるくらいだから、戦わなければホンモノじゃないって言われそうですねw
だったら私は宗教・信仰なんていらないよって思う。

私の望む信仰スタイルは、静かに自分の内なる世界を見つめる事。
心穏やかに暮らすために在って欲しい、そう考えました。
ご本尊様にひとり祈念する時間はまさに「自分自身との対話」でもありましたし。
集団に所属して、さまざまな上からの打ち出しを受けて活動するというのは私の望む信仰スタイル
ではない。 
だったら、法華講に行ってもしんどい思いをしそうだなと考え、法華講に移ることは没になりました。

今すぐご本尊様をどうこう出来ないと判断した私は、徹底的に調べ・探そうと決めました。
どこの御本尊様だったら私が納得できるのか・心を落ち着けることができるのかを。

そして相変わらず内扉は開けず、相貌を見ないようにし、お水がえだけ続行。
御供え(ご飯、果物、お菓子)はやめました。
創価の(偽)御本尊様にお供えをすること=謗法供養になりそうでイヤだという理由で。
ちょっとしたこだわりでした。
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