創価か宗門か 選択

先にも書きましたが、私の母が草創の家の生まれで私は学会3世です。

母の両親が仕事の関係で知り合った人から話を聞き、入信。
ただ、当時はあくまでも寺院に所属(?)するというかたちで
もとは浄土宗だったところを改宗し、御本尊様を御貸し下げ頂いて、日蓮正宗寺院との関係が
できたとのこと。
ふつうの仏教宗派なら「檀家」になるところ、紹介者が創価学会に属している人だったので
自然と創価とも繋がりをもったということのよう。

祖母については、学会マンセーという雰囲気は全くありませんでした。
祖母の家が同県内にあったので、時々遊びに行ってましたが(祖父は私が生まれた時には
もう他界していた)
祖母は創価の会合に出る事もなく、ただ朝夕のごん行を欠かさないという、ごく普通の信仰でした。
一緒に菩提寺や、大石寺へいったこともあります。
でも、創価の会合や会館へ一緒に出かけた記憶はまるでなし。
高齢で、組織の活動は達者な者がやればいいという感じだったのかもしれません。
同居の長男夫妻は、組織の地域役職をしていました。
その祖母の死相が大変綺麗で、自然死で95歳の大往生だったことが、一族の自慢。
「信心強情なばぁちゃんだったから、見事に即身成仏した!」とかなんとか
法事のたんびに聞かされて。
ただ、祖母は「創価の活動」に熱心だったわけではなく、日々御本尊様にご祈念申し上げていただけ。
なのに子供たち(母とそのきょうだい)は都合のいい脳内変換をし
祖母の死相が学会正義を証明したんだなんて言いやがる。
おばあさんも創価ひとすじだったというような解釈をしているのが、どうにも解せない。

母の兄弟は全員、創価学会の「活動家」で、県幹部もいました。
中でも伯母が池田命ともいえるほど心酔しており、この伯母が一族を牛耳っているように見える。
宗門問題が勃発し、寺につくか・創価につくか決める際も、伯母の一声で右へならえと
寺を切り捨てたのです。
そこには身内が何名も創価組織で幹部をしている手前、寺につくなんて”忘恩の輩”といわれてしまう、
という面子もあったと思います。
この宗門問題表面化の頃、祖母は既に他界していました。
もし生きていたら、どうだったろう。祖母はお寺につくことを選んだのじゃないかなと。

私の母は、伯母のような「池田命」ではありませんでした。
大聖人様と御書についての話はよくしてくれたけど、池田氏を称賛するような教育は全く無し。
部屋に写真を飾るような事もありませんでした(色紙はありましたが・・・)。
このことは私にとって、不幸中の幸いといえます。
師弟だなんて、思った事も考えた事も無かったから。
女子部に上がっていきなり「池田氏を師匠と呼びなさい」といわれても、ハァ?って感じでした。
きっとなにもわからない、幼稚園小学校あたりから、池田命を親から刷り込まれていたなら
なんの疑問も持たずに「師匠!」と、崇めていたでしょう。
そして今も、活動家として頑張っていたかもしれません。

のちのち知り合った(女子部時代)同年代の女子に、先生と奥さまのツーショット写真を手帳の表紙に貼って
「いつも私たちを見守ってくださってるの」とウットリ眺めている子がいて。
神格化もはなはだしいと、ぞわっとしたのを覚えています。口には出せなかったけど。
同じ創価の組織にいながらも、私はこの感覚がまったく理解できなかったし、ドンビキでした。
彼女の両親は組織幹部で、家の仏間は四方、池田氏と奥さまの写真パネルが飾ってあるような環境。
英才教育を受けると、こんな風に育ちあがるんだ~、恐ろしいことです・・・。

余談ですが、創価小の面接で
「池田先生はいま、なにをしておられると思いますか?」という質問があると聞きました。
6歳そこらの年長児に、こんな質問をして、どんな答えが模範回答かというと
「世界平和のために行動されています」「世界平和のため御題目をあげてくださっています」◎
「昼寝」「散歩」「あそんでる」「ごはんたべてる」「テレビ見てる」 は当然×
右も左も良く解らない就学前の子供が、何も教わらないままで模範解答をいえるわけもなく
これも親が「先生は日々、世界平和のために行動なさってる」と教え込んでいるからこそ出てくる言葉。
家庭内プロパガンダの恐怖。
北朝鮮となんらかわりない気がするのは、私だけじゃないとおもいます。

話しが横道にそれましたが、平成3年に日蓮正宗が創価学会を破門したさい
すべての学会員(=檀家)が、どちらにつくか選択を迫られました。

いまになって思うと、この破門って、創価的には「してやったり」だったんだろうなと解る。
大半の会員が聖教新聞を購読しておりプロパガンダはばっちり、がっちりと地域組織でタテヨコ
おさえこみに成功。
宗門側の言い分をまともに受け止める土壌なんてなかったから。
囲い込みに既に成功しているぶん、宗教を使った巨大搾取機構が「笠」いらずとなり
総本山(=宗門)にマージンとられなくてすむようになるんだから、ウハウハだったんだろうなと。
むかつきますね、ほんと。 

ちょっと落ち着いて考えれば、宗門につくのがここではスジだったと理解できたはずなのに。
私は当時まだ親の庇護のもとにある学生で、それほど組織のこともわからず(未活動だったし)、
家の宗教なんだから、親がきめたことにしたがうのが当然というか・・・いえ、まったく深く考えて無かった。
お寺に行けなくなるのは嫌だと思いつつも、さほど問題にしていませんでした。

そして私の母も、身内(創価の大幹部のきょうだい)が言うなら従っておこう~くらいの
ノリだったのでしょう。
このとき地域組織・親族関係という「しがらみ」に目を塞がれて、重要な真実を見落とした会員が
ごまんといると思う。 創価は村社会そのものだから。
はじかれては困る、孤立したくないという思いも、組織へと向かわせたんじゃないか。

私が今現在すぐに脱会手続きをとらない理由の一つは「親族とのしがらみ」です。
宗教は心の問題で、家族といえど口出しはできないというか、個人の考えを尊重されてしかるべしなのに。
こと創価組織となると絶対にそれが許されない空気。 そこもカルトといわれる所以だと思います。

昨年、私が覚醒したさい初めて母を問い詰めました。
なぜあのとき、お寺につかなかったのかと。創価なんかを選んだんだ?と。
母はいいました
「だって、お寺は何もしてくれなかった。教学や御書をおしえてくれたのは学会だった。
 学会がなかったら、御本尊様にも巡り合えていなかったんだよ。
 最初に紹介して下さった人が創価の人だったのだから、そちら側につくのが当然でしょう」と。
なんたる不幸。
組織への依頼心を強める為だけのトンデモ教学なのに・・・。
お寺は何もしてくれなかったって、なんじゃそりゃ・・・。
たとえきっかけは創価関係者からの紹介だったとしても、信仰において本山を切り捨てるなどと
悪魔の乗った神輿を担ぐようなもんじゃないか。
信徒団体ってナニ。本丸(本山)の無い信徒団体なんてありえないよ。
日蓮大聖人が御宗祖とうたっているわりに、会館には御宗祖をかんじられるもの・絵画の一つもなし。
日蓮の教えは偶像崇拝NGだからってもっともそうにいってるけど、じゃあなんで池田老人の写真は
飾ってあるのよ?(大笑)。
本山を捨てた時点で本丸が狡猾に池田老人にすり替えられてしまっていた事、私は昨年まで気づけなかった。
それは幼少期から刷り込まれつづけた
「この信心は絶対」「学会を(先生を)裏切ったら地獄に落ちる」という恐怖心から
真実を・疑問を追及する意欲をがっさり削がれていたからです。
いわゆる「思考停止」に陥っていたからです。

のちのち本山のことも調べてみたら「おや???」と首をかしげるような事が多くあり
宗門もどうなのかなぁと疑わしくなったので、今現在お寺につく気は一切ありませんが。

ただ、この20年間、創価学会にいいように使われ搾取されてきたことを思うと、納得がいかない。
遅くはなったけど、昨年気づけて本当に良かった。

40歳不惑を過ぎて、ちょっと考えられるようになった今現在は
どちらか選ぶなら、あのとき宗門につくべきだったと非常に悔やまれます。
創価につくよりは絶対マシだったと思うw

しかし、なりゆきのまま、お寺につかず創価の女子部にあがった私は
「仏道修行=創価の活動」という、大間違いを信じ込んで活動家となってゆきます(つづく)。
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