実事求是(5)

創価を否定しても、御本尊様への絶対心が揺らがなかった私は
覚醒後も暫くのあいだ、遥拝ごん行と唱題をしていました。
期間で約7ヶ月。
偽の曼荼羅に向かうのはイヤだったので、リビングの東壁に向かってしていました。
続けて行く中で、御本尊様は「胸中の肉団におはしますなり」だから、これで何の問題も無いし
もう御本尊様+仏壇は要らないな、と思うようになりました。

又、この期間、御書の全編拝読も開始。
女子部時代にも全編拝読はしてますが、たださらっと文字の上っ面をなでるように読むだけで、
ひとつひとつの意味を考えた事は無かったのです。
創価の御書講義は、創価にとって都合のいい部分だけを切り取り、組織の活動打ちだしに
正当性(?)を持たせるための都合のいい通解をつけたものでした。
それでは本当の大聖人様の御心なんかわかるわけない。 
なんだかんだ言っても、私が「正しい」ことの根拠にしてきた教学は創価のものだから、
これはいちから学習をやり直さないと、錯誤があるかもしれないと思ったんです。

御書拝読を開始し、自分で勉強するって本当に大変だ、と痛感しました。
組織にいる時は”パッケージ学習”で、楽だったw
与えられたテキストを読み、そこに書いてある通解を読んでわかったふりをしてました。
それが「創価にとって都合のいい内容」だなんて知りもしなかった。
ただ、部長時代に御書講義をするにあたって、抜粋部分の前段に書いてある内容に触れようと
したとき、担当幹部として招いていた圏主から「それは言わなくていい」と制された事がありました。
あくまでも「御書学習」として聖教新聞に掲載されている範囲だけやってくれたらいいって。
私はその時、なんで?と思いましたが、その場で「納得できません!理由は何ですか!」と
幹部を問いただす事はしませんでした。
又、時間が無いという理由で御書の解説をはしょって読んだくせに、池田老人がその御書に言及した
指導は全文読むといった幹部もいて、それも内心解せませんでした。けど文句は言わず。
これが創価の「御流儀」なんだ、と無理やり納得し、黙っていたのです。

自主的な拝読と学習を進めて数日で、なぜに創価がパッケージ学習を推進していたかが
よくわかりました。
日蓮大聖人は日本古来の神様(天照大神、八幡大菩薩)を敬っています。
たびたび繰り返し、そういった表現が御書のあちこちに登場します。
日本は「神国」とも仰っている。「神を敬い仏を崇ぶ国」であるとも仰っている。
創価では神道を長い間「外道」と教え、神社参拝を禁じていました。最近はソフト路線で
変わったようですが。
結局、私が学んだ創価教学からは、末法の御本仏たる日蓮大聖人と御本尊様へ、果ては「師弟」へ
崇敬を一極集中しないとダメだという強い意志がみてとれました。
他に正しいものや敬うべき対象があったら困るって感じです。
”神社は感謝の対象で、ご祈願対象ではありません”これは牧口先生のご指導で
このくらい教えてくれても良かったと思うのですが、池田老人率いる創価が日本古来の神々を
「感謝の対象」なんて言うわけないですよね。
創価における(報恩)感謝の対象は、あくまでも池田老人ただひとりだからw

また、日蓮大聖人が愛国者だということも、御書を自分で読めばひしひしと伝わってきます。
国家鎮護を自身の命題としていたのも、国が平らかで豊かでなければ、その国の民が
幸福であるはずがない、という考えだったんでしょう。
大聖人と思いを同じくするなら、まず祈念すべきはその事。
世界平和とか段飛ばしするんじゃなく、まずは足元(国家鎮護)からじゃないの?私はそう思いました。
だがしかし、こんなこと創価じゃ教えてくれませんでした。
日蓮大聖人の精神を受け継ぐ・直結と言うのならば、ここはすごく大事な部分だと思うのですが。
実家の仏壇の前に置いてある、組織が配っていると思われるご祈念立て(?)にも
「大勝利」だの「先生奥さまの健康長寿」だの書いてあるだけで、国家鎮護的なフレーズは
一回も見たことがありません。
なんだよ、大勝利ってw
組織さえ・自分たちさえよければそれでイイっておかしいんだよ。
”公明党の支援が国家鎮護に繋がる”などという、トンデモ説は却下です。

よく、創価から覚醒した人(法華講含む)が右傾化してコワイという書き込みを見かけるんですが
日蓮大聖人の御書を創価解釈では無く普通に読めば、それはコワイ事じゃなく、自然の流れだと
いう事がわかります。 大聖人はまぎれもない愛国者だとわかるから。
創価が「愛国心」を削ぐ教学指導を徹底していただけの話で、創価にとっては国家鎮護が命題だと
具合が悪かったわけです。
あくまでも「師弟不二」じゃないと、権力と金を上層部に集約しても文句の出ない構造に
ならないからです。
日蓮大聖人のやらんとしたことは世界平和以前に「国家鎮護」でした。
そんなこと創価ではひとこともいいませんでしたよね。
創価のロジックにはまったままだと「右傾化」と感じやすいのではないかと思います。

自力学習を始める以前(覚醒の2-3年前)から、私は日本史やそれにまつわる本
(主に神信仰、天孫降臨について)を読んでいました。
時同じくして東北大震災が起こった事・この一大事のときに民主党ど素人政権下にあったこと、
この日本国の窮状は、人智を超える何か(神)の「警告」ではないか?と感じていました。
その後、創価の矛盾に気付き、日蓮大聖人の御書を学び直すことで
日蓮大聖人が「国家鎮護」を命題としていた事にハッキリと気づき、全て偶然ではあったけれど
自分の中で同時性と合致を感じ、やっぱり創価から覚醒した事は意味があったと思っていました。
そして、組織に依らずとも個人信仰を続けようと決意。 今年の初めの事です。

覚醒後、アンチ系ブログをいくつか読む中で、創価をやめると同時に御本尊様への信仰も
あっさりとやめられている方が多い事を知り、信じられない・そして残念な思いでした。
創価と、日蓮大聖人様の教えは全くの別物だよ?
そこを一緒にして切り捨てる人に対して「勿体無い」と思ってました。
せっかく出会えたご本尊様と、日蓮大聖人の仏法なのに!と。 いま思えば大きなお世話ですがw

私が創価の活動を拒否し・脱会決意ができても、
御本尊様への絶対心を揺らがせなかった・信仰は続けようと思った理由は
親からの「刷り込み」プラス自身の猛烈な「思いこみ」によるものでした。
それがはっきりと自覚できるまで、覚醒から10ヶ月かかりました。

「日蓮大聖人様は素晴らしい」と言う、幼少期からの母親による刷り込み。
その崇敬が高じ、女子部時代に佐渡へ行きました。
富山・新潟へ旅行のついで、1泊で寄ってみたのです。
御書と創価テキストのなかでしか知らなかった「佐渡」という地へ実際行くと、
ジェットフォイルで新潟の港から2時間もかかるその島が、とてつもなく遠く感じました。
大聖人ご在世当時、木造船しかありません。
初冬の時期に徒歩で新潟まで移動され、木造船で数日かけて佐渡へ渡られた、その事実だけでも
スゴイ事だなという印象をもちました。
また、離島で生きながらえ、大聖人ご自身が「生きて帰れないかもしれない」と信徒への手紙の中で
心情を吐露される中、重要な御書を認められ、生きて本土に帰る事が出来たのも
日蓮大聖人が「末法の御本仏」たるゆえんだろうと、感じ入りました。
ちなみに、ゆかりの地やお寺も尋ねましたが全部が「日蓮宗」だったのが意外でした。
日興上人もお供した土地なのに、日興門流の寺院が無い(正確にはあるのですが、昭和に入ってから
立てられた寺でした)というのが不思議でしたが、理由を特に調べたりもせず。
時期が夏だったので「極寒」は経験できなかったですが、ゆかりの地なわりに観光地化されてなく
ひなびた・のんびりした雰囲気のお寺だったことも、なんだか意外でした。
(その後、2007年に塚原の跡地を日蓮正宗が買いとって施設?を作ったと最近ネットで見て知りました)

ただ、覚醒の数年前に私は日本史に関する本を読むようになって、
古くは小野妹子、遣唐使や遣隋使、日本に仏教を持ち帰った最澄や空海も、船で当時の中国へ渡り
日本に戻ってきたという知識を(小学校の授業で習った内容を)思い出しました。
それを佐渡に行った当時は、何故か全く思いださなかった。
流罪と遊学では違うにせよ、大聖人以前の時代に、佐渡よりもっと遠い大陸(しかも外国)へ行き・
戻って来れた日本人がいた事実。
つい、大聖人だけを「特別にすごい・偉大な・超人的存在」と思いがちだったバリ活当時の私w
マインドコントロール下では視野が狭まると言うか、常識的な事柄もすっかり抜け落ちてしまう事を
怖いと感じました。
こんなことが他にもあったんだろうなと思います。

次に、思いこみ。これが最大の難所でした。

私は、3度命をおとしかけています。 
2度は記憶の無い時期の事で、1度は青年部時代のある経験でした。

生後数カ月の時に原因不明の高熱で入院をし、医師からは「もって1週間の命」と宣告されたそうです。
母方親戚一同で御題目をあげ続けたところ、奇跡的に回復し退院できたというもの。
医師も「こんなの奇跡ですね」と首をかしげて言ったらしいです。
これは、おじおばからも事あるごとに、幼少期から聞かされ続けてきました。
「ご本尊様のお陰で助かった命なんだよ!」と、幼子が周りの大人たちみんなから言われ続ける。
それを信じないわけないですよね、こうして絶対心を植え付け・育てられた。
また、大人になってから聞いた話なのですが、私を妊娠中に母は流産の危機にあったとのこと。
結果的に1ヶ月早産で生まれました。
早く生まれたから身体が弱かったという事も幸いにして無く、体躯の成長に関しても標準的で
母はその事に関しても「功徳だった」というのです。
2-3歳の頃に交通事故にも遭いました。これについても記憶が殆ど残ってません。
小学校高学年の頃、夢か現実か、自分が車のバンパー下にいて、運転席の男性を見上げるような形で
運転手の男性の「しまった!」といった表情をみてしまうというシーンがフラッシュバックする事が
あって。
母に尋ねたら「やっぱり記憶あったんだね」と、幼少期に交通事故にあったことを聞きました。
状況としては、停車中の車の正面で私が三輪車にのって遊んでいたところ、気づかなかった運転手が
車にのりこみ、発進させたところで私に気付いて即ブレーキをかけた様です。
一歩間違えば死んでいたかもしれません。横転したけれど幸い骨折もせず、大事に至らなくて済んだ事を
母は「功徳だ」と言っていました。
子供が3人いて、妊娠中~幼少期に一番お題目を上げたのは私に対してだ、とも語ってました。
命を落としかけたことが3度(流産の危険・生後数カ月で大病・2000年の出来事)あって、
そのたび”ご本尊様に助けて頂いた・母や一族の信仰のお陰で功徳で助けられた” 
そう聞かされ、自覚もし、信じ切って40年以上、生きてきました。

バリ活のときも・そうじゃなかったときも、
何度か悩みにぶちあたって「いっそ死んだ方が楽では?」と、自殺を考えたことがあります。
私なんて、生きててもなんの役にも立たないしなと。 これは自己肯定感の低さの仕業です。
育ちに大いに問題・関係があると自覚しています。
でも、自殺を考えるそのたびに私は「御本尊様に助けられた命だから、自殺はダメだ」と
思い直していました。
きっと、こんな私でも、3度も命を救って頂いたのだから生きるに値する理由があるんだ、と。
その「生きるに値する理由」は、仏法を広め・語ってゆく事に違いない、
それが私の使命で「生かされてる」に違いないんだ! と、自殺を思いとどまったのです。
理由としては大きな勘違いだけど、思いとどまれた事は良かったかもしれません。

「御本尊様に命を助けてもらった=恩返しこそが私の生きる理由・私の存在価値」
と思いこんでいたがゆえ、それが揺らぐことは無かったんです。

創価が社会悪だと気づいた時、組織への執着心は全くと言っていいほどありませんでした。
婦人部に対して辟易した期間がある程度長くあったことも、功を奏したと思います。
私は、バリ活当時から組織や池田老人を「報恩感謝の対象」と思っていなかった。
あくまでも私の「報恩感謝の対象」は、御本尊様であって、御本尊様をかきあらわしてくれた
日蓮大聖人だったのです。

今だから言える事ですが、私は創価を否定しつつも、40年以上その世界にいたがゆえ、
創価の独善主義・誇大妄想から抜け切れていなかった。 
御本尊様への信仰だけは別だと考えていたが、それも実は誇大妄想だったことに
暫く気付けなかったのです。

「誇大妄想」=御本尊様を信じる者だけがすごい体験(経験)を持っている、出来るという
特別感です。
私はその誇大妄想に長い間、取りつかれていたのだと、あるきっかけで今年に入って気がつく事が
出来ました。
次回その事を書きます。
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