使命

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ブログ拍手にコメント機能があることに、一昨日初めて気が付きました!
気づくのが遅くて済みません。
ひとつひとつの貴重なコメント、読ませていただきました。同じ思い・経験をした方が
覚醒しておられる事を、嬉しく心強く思いました。
そしてこの声を私一人が読むのでは勿体無い、悩める人へ励ましになるのではないかと思った
次第です。
これからも宜しくお願いいたします。

@@@

「使命がある」
組織で繰り返しつかわれていた言葉です。
何か辛い局面で、その場から逃げだしたくなったり、不本意な立ち位置にあるとき
幹部は必ずと言っていいほど「使命があるから(その場所で)頑張れ」というような事を
言っていました。
以前書いた「意味のない事なんてない」「全ての事には意味がある」と同じく、
「使命がある」も現状に疑問を抱かせないように・全てが組織の都合がいいように・どんな結果が
出ようとも すべてを「功徳」と受け止めさせるための詭弁だったと、覚醒後に気がつきました。

私はこの「使命がある」という言葉が、青年部時代すっごく好きでしたw
”君には君にしか成し得ない使命がある”そんな事言われて、喜んでいました。
まるで自分が特別な誰かになったような気分。つまんない自分でも、使命があるんだ。
私はきょうだいの中で猛烈な学歴コンプを感じていました。自慢できるような経歴も何も無くて。
だから尚更、創価のいう「使命がある」に心をわしづかみにされたんでしょう。
どんな場所にあっても自分にしか成し得ない使命があるなんて、素敵だと思ったんです。
ただ、その使命とは、結局のところ組織への帰一に終始します。
使命が「友を救うこと」=折伏=組織へ入会させることだと教えるのはどうかと思う。
また、それにまんまと騙されてしまった、脳内花畑だった私も本当に馬鹿でした。

あるとき、子供を送迎の帰り道、運転しながら考え事をしていました。
どうしてこの街にきたんだろうな?と漠然と思ったんです。
主人と結婚し転勤で引っ越してきましたが、私は当時はまだマインドコントロールの最中にあり
この転勤にともなう遠方での新生活も「使命がある」のだと、思いこんでいたんです。
そのときに、ずっと忘れていた事を思いだして自分でも驚きました。
実はこの転勤、断ろうと思えば断る事も・他地域に行く事も出来たんです。
主人の一存で決まった事でした。
私は内心、別の地域(希望を出せばそちらにもいけた)のほうがいいのになーと思いながらも
主人の打診に、嫌だとも、こうしてほしいとも言わずOKしてしまいました。
なんでそうしたのかはもう忘れてしまって。 
反対意見を言う事で衝突を避けたかったのかもしれないし、今ほど職種や会社について理解も
していなかったので、従っとけば楽だと思ったのかもしれません。
そこではっとしたのです。
私は何につけ「自分でしっかり考え抜く」という作業をないがしろにしてきたんだなと。
なりゆきまかせを、とりあえず「使命がある」と誤変換し、正当化してきただけだったと。
これに気がついた時、思考停止しましたw
あまり深く考えすぎると、いろんなことを後悔しなければならなくなる、ヤバイ・・と。

組織で使われる「使命がある」は、現実を見据えず、現状維持が一番と正当化する手段でした。

私が部長だった時代、メンバーのひとりが仕事をやめたいと相談してきました。
彼女は白蓮Gの任期中で、無職になる事は絶対ダメでした。そういう決まりが当時はあったんです。
「社会で実証を示す・白蓮は女子部の模範でなくてはならない」という、組織の方針で。
どうして仕事を辞めたいのか聞いてみたところ、いわゆるパワハラに遭っていました。
急な部署異動を命じられ、倉庫整理の作業員に。その仕事も午前中には終わってしまう。
午後はひたすら社内・社外を清掃。
「辞めて欲しいって事だと思うんです」と、涙ながらに彼女は話しました。
私は彼女に「使命あってその場所にいるんだから、簡単に去る事を考えてはダメ。
会社の人からやめろと言われてないんだったら、大きな顔して居続けたらいい。
掃除も、完璧にやってみたらいい。どんなことも経験だから。とりあえず(白蓮)卒業までは
頑張ってみよう」とアドバイス。
彼女を励ましつつも、実際は組織の体面上、仕事は辞めないで欲しいという部幹部な願いでした。
転職も離職も個人の自由だし個人の問題で、組織がとやかくいうなんて本当におかしいのだけど
当時の組織では、部員が仕事を辞めたらその上に居る部長まで幹部から注意を受けることが
あったのです。
職業を組織に把握され、無職やフリーターなんて御法度な時代もありました。
仕事を辞める=甘えがあるせいだと厳しく戒められました。
この頃は、もう景気が下り坂な時代で、フリーターの女子部が珍しくない時代に移っては
いましたが、だからなおさら正社員を辞めるなんてことは許されない空気だったんです。
結局は、財務部員が減ったら困るってそれだけの理由なんでしょうけどね・・。
余談ですが、私は女子部時代に転職をしており、幹部に何の相談もなく応募。
採用が決まったところで勤務地が変わりましたと伝えたところ、お叱りを受けた事がありました。
2年ほどしか前職にいなかったので、「なんの実績も残さないで、次の場所に行っても絶対に
勝利はできない。信頼を勝ち得るために次の職場は最低でも5年勤務しなさい」といわれました。
当時は、それが創価の御流儀なんだと思って素直に「わかりました」と返事。
だがしかしいま思うと余計な御世話だろう!って感じです。
何かにつけ、幹部に相談が必要で、そのたびに使命だの何だのと「私らしさ」を殺ぐ指導をされた。
女子部の、幹部がみんな張り付いた能面顔をして全員同じように見えるのは、個性を殺されているから。
桜梅桃李なんて言ってますが、それは限られたメンバー(芸術部など)に限って許される話。
一般OLの女子部員には画一化を求めているのです。
「女子部は”先生の娘”としての振る舞いを」とか、幹部がしょっちゅう言ってましたね。 
池田老人は息子3人で、娘が居ないから「理想の娘コンプレックス」があったんじゃないかと、
今ふと思いましたw
25歳までは恋愛するなとか、髪の毛を伸ばすなとか、わけのわからない決まりもそれだったんじゃ?
めちゃくちゃ、キモイです・・。

話はそれましたが、件の彼女はそのまま職場に居続けました。
すると3ヶ月後、会社が倒産。すぐに失業保険がおり、退職金も少し出たのです。
もし、思い立ったが吉日とすぐに退職していたら、失業保険は3ヶ月後、退職金は殆ど出なかったと
いうことで、これを「功徳だ!」と一緒に喜びあいました。ただの偶然なんだけど。
そのエピソードを圏の会合で活動報告したのですが、聞いた別の部の幹部が同じく職場で行き詰った
メンバーにこの話をし、退職せずに頑張れと指導。
その部員さんは自律神経を患って退職する羽目になり、活動に出なくなったという事がありました。
人によりけり、で、私の部員さんとは状況がまったく違ったのだと思います。
単なる偶然を「功徳体験」として語ってしまった事も、いま思えば罪でした。

「使命がある」これは素敵な言葉のようで、実際は非常に厄介な言葉だと思うのです。
たとえば、学校でいじめにあっている子がいるとして。今は転校も可能。
いろいろと手続きはあるけど、そこさえクリアできれば新しい場所で子供はやり直すことが出来る。
そこを、組織根性で「その場所に使命がある、学校に居続けろ!いじめから逃げるな!」なんて
縛りつけたらどうなるか?
イマドキの子供なら、簡単に命をおとしてしまうんじゃないかなって気がします。

また、組織内でも、心身の不調を訴えて役職をおりたいという人に対して
「使命がある」と続投を促すこともあって。
組織への忠誠心を「使命」にかこつけて煽るのです。
変に責任感の強い人だと限界に近づきながらも「使命があるから」と頑張り続け、
無理をきたす事が実際にありました。

なぜに、縁もゆかりもない老人に「君の使命は広宣流布」などと決められなきゃならないのか。
そう思いこむことが「幸福への道」になっているなんて、どー考えたっておかしい。
その押しつけ「使命」は、組織の金儲けのためのコマになるって事ですからね。

また、もうひとつ「負の側面」があり、先にものべましたが、なりゆきまかせを「使命がある」と
誤変換し、これが以前書いた「ポリアンナ症候群」と繋がって行きます。
どんな結果がでようとも「これが自分の使命だった」と思いこみ納得する。
その出来事の負の面から学ぶという事をしないのです。
突き詰めてものごとを考えなくなるのです。 思考停止です。
結局、諦めるための都合のいい「いいわけ」にしてしまえるから。
不本意になっても与えられた場所で頑張る、それはそれで良い事で、自分にとってプラスになった
事もありましたが、私の場合、途中で「おや?」と思う事が多かった。
自我が「使命」だけで完全に抑え込まれているわけじゃないからなのでしょうね。
途中で「違う」って思いはじめ、もがく。 新しい事に挑戦する。
自分で考え抜いてないから、負の側面から学べてないから、安易に挑戦したくなるんです。
結果が不本意でもやっぱりまた「これが自分の使命だ」と思いこむ。
若いころ、そんな事の繰り返しだったと思い返します。
けれど昨年、覚醒の前後に子供の進路を通して、私がこんなにブレてちゃどうしようもないと
気づかされました。 子供の人生に私のこんな「ブレ」を反映させたらとんでもない事になる!と
意識を変えたのです。
その件については、機会があったら書きたいと思います。

青年部時代、外部の友人から言われた事があります
「創価の人って切り替えが早くていいよね」と。
彼女はとあるテスト合格を目指しており、最終選考に残り、同じく合格を目指す仲間に
創価メンバーがいて、結果、彼女もメンバーも不合格でしたが、一番「あの子はダメだろう」と
思われていた人物が合格を貰ったそうです。
彼女はひどく落ち込み、しばらく何も考えたくないと思ったけど、創価メンバーは別のテストを
受けることにしたと、すがすがしい顔をして明るくて、すごいなぁと思ったと。
当時の私はそれを「でしょう?」と、まるで自分の事のように「創価メンバーは不屈の精神だから」
なんて自慢しましたが、いま思えばそういう類の物ではないような気がします。
なんというか・・負けを認めないんですよね。 絶対勝利主義だから。
全ての創価脳が、このパターンだとは言いません。中には挫折や失敗と正面から向き合い
多くを学ぶ人もちゃんといます。 そういう人は、創価が無くても大丈夫な人です。
「どんな場所にも使命がある、自分が今置かれている状況も使命」と思わされている、
それが良い作用をうみだすことも、時にはあるのでしょうが、芯から納得ずくではなくても
「使命」でスルー・あるいはショートカットしてしまえば、自分の心に大きなツケが回ってくる事も
あるのではないかと私は考えます。
落ち込む暇も無いくらい明るい、というのも、冷静に考えたら「人間らしい感情」を殺がれてるって
それだけですからね。
   
組織における「使命がある」は、思考停止のひとつの号令。
自分の使命は、誰かから言われたものじゃなく、自分が感じ自分で決めたらいいことです。
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