報恩感謝(1)

今年の初め頃、バリ活婦人部と対話&メールのやりとりをしていました。
女子部時代の同志です。

正月帰省時、地元のショッピングセンターでばったり再会。
彼女の勘違いで、私の居住地域の婦人幹部が創大の先輩なんですよ~云々話しかけられて、
(県は同じなんですが、エリアが全然違いました)
私がそんな人は全然しらない、っていうか全く活動していないんで幹部名とか解らないです。と話すと、
ショックを受けた様子で、信じられないって顔してました。 
互いに家族も一緒だったので、立ち話は数分ですぐ別れましたが、翌日彼女が実家に来たのです。
彼女の家と実家は近所ですが、なんてフットワークがいいんだろうかと驚いてしまいました。

私が組織活動を全くやらないことに対し、彼女はその理由を知りたがったので
「組織ぐるみでなくても信仰は可能」と答えました。
ここで、組織の本質が金集めだとわかったからという核心部分は黙ってました。
帰ってくる答え「それはネットのデマです!」が解りきってたんで、敢えて最後まで言わずにおいて、
ゆるりと質疑応答して、バリ活の思考回路を覗いてみようという、ちょっと意地悪な魂胆で話しました。

「組織についていなければ、先生のご指導に触れたり(同中のことを言ってる様子)、
 メンバー同士で励ましあったりできないのに、信心をたもちつづけていくのは不可能。
 組織なしでの信仰なんてありえないでしょう」と彼女は言いました。
私は内心思いました、それはあなたの考える「信仰」で、私の考えと違う。
私は、仲間との慣れ合いなんかなくても信仰をたもっていられる。ましてや池田老人の指導、必要ないw
そんな気持ちを込めながら
「あくまでも、日蓮大聖人を信じ、法華経を信じ・行じていくことが重要。
 一人でもそれは出来ますよ」と答えました。
すると彼女の目がキラっと光って
「そうですよ。法華経を”信じる”だけじゃだめなんですよ。法華経は”行じる”んですよ。
 だから、一人じゃ無理じゃないですか」と。
彼女は、学会活動こそが「法華経を”行じる”こと」だと言いたげでした。
「そんなの組織ぐるみじゃなくたって出来ますよ。友人への仏法対話なんて組織は必要ないし」
私はこう答えました。
彼女は「折伏のことですよね?だったら、折伏はまぁ可能として、御本尊様(本流)は
 どうするんですか? まさか、宗門で頂く訳じゃないですよね?」と。
此処でも彼女は、あくまでも「創価のお貸し下げするご本尊様が一番正しい」と言いたげで
「ご本尊様がなければ折伏はできない」と思っている様子。
私は「方法あると思いますよ。どんな方法かは言いませんが」と答えました。
そして「創価のご本尊様じゃなきゃいけない理由って、何なんですか? 何をもってして、
創価のご本尊様が正しいと思うんですか?あなたの言葉で考えで答えてください」と返しました。
すると彼女は
「宗門のご本尊様には血脈なんかないんです。でも学会のご本尊様は大聖人直結です。
 だからまちがいないんです」と答えたのです。
いやいや、全然納得できませんけど、そんな教科書通りの中身の全く無い答えはw
私は「それは、どこに証拠があるんですか?大聖人様が仰ってる事ですか?だったらどの御書に
 かいてあるのか教えてもらえませんか?」と聞きました。
彼女はあたふたしつつ
「大聖人様が、広宣流布するといわれた。そのとおりに、学会が世界にまで広げた。だから
 大聖人直結です」と答えた。なんと苦しい返答w
私は「別に、学会だけじゃないですよ?広めたの。立正佼成会だって海外拠点はありますし。
日蓮宗寺院だって海外にあります。南無妙法蓮華経を広めたのは学会だけじゃないですよ」と
返しました。
彼女は「それは違う」と小さい声で言うのです
創価の南無妙法蓮華経とその他が広めた文字では違うと言いたいのか?
最終的に彼女は「私はこれが正しいと思ってやってます」と。
そんなことで組織が一番正しいと信じろなんて、無理な話ですけどw
結局、すっごい自信満々なのに、基本的な事詰められて答えに窮すのは、思考停止の証明。
挙句の果てに「これが正しいと思うからやってる」という、思いこみ論で片付けるだなんて。
だったらもう、なんだっていいじゃんw
思いこみで正しいってなるんだったら、ウサギやタヌキのぬいぐるみだって信仰対象になるよ。
これは、相手には言いませんでしたが。

もうひとつ、突っ込んでみました
「宗門と蜜月時代は、宗門お貸し下げのご本尊様は血脈相承があるから間違いないって
 言ってたのに、破門されたらとたんに”相承なんて無かった”と言い始めたのも、私は納得が
 いかない。
 だったら謝罪が必要だったんじゃないのか。片棒担いでた事はまちがいないのに。
 あくまでも、組織側も信徒も被害者ですって立ち場で大本営発表されているのも信用ならない。
 少なくとも私は、組織がそのことで(片棒担いでた事)会員に謝罪したなんて聞いた事ないし。
 そのあたり曖昧に、昨日の友を今日の敵に急展開ですり替えた事も納得していない」
と言いました。
相手は明確な返答もできず、たじたじになってました。

彼女は、組織を離れてどうするの?宗門?顕正会もダメですよ?と、「次の行き先」について
あれこれと探ります。
私はあくまでもフリーの立場で、どこの教団にも属さないで個人信仰をしていくつもりだけど
(相手には言いませんでしたが)なんでどこかに入って・属してないと「信仰」と捉えることが
できないんだろう、この人は?という疑問がわいたのです。
組織の人、みんながみんな彼女と同じ思考回路ではないと思いますが、こういった考え方を
する人達は「宗教=どこかの団体に属するもの」という概念なのかなぁ?と。
大聖人は、そんなこと仰ってない。
絶対団体に属さなきゃダメ、団体に属さず個人信仰は信仰とは呼ばない、だなんて言って無い。
少なくとも私はそんな御書知りませんし。あるんだったら教えてほしいです。
こういった「会に属してないとダメ」というのも、ひどく偏狭な考え方だと思います。
そして、彼女の言葉は彼女の頭で考えた結論というよりは「組織の為」に紡いでる言葉としか
思えず。
そこには自分の頭で考え抜いた理論なんてものは無いんです。
だから私は、彼女の話が納得できないし肯定もできません。
それは自分の考えじゃないでしょ?
組織から教えられた植え付けられた叩き込まれた”条件反射”でしょ?

私自身、部長時代に活動家が非活に転じたことで説得に行った事がありました。
理由の多くは、組織内人間関係のもつれと、幹部の指導に納得いかなくて、ってパターン。
組織そのもの・大本営が嫌になったとか、現実を知って、という状況では無かったです。
会う回数をあげて、徐々に様子を見ながら誘って行けば、また立ち上がるという状況も
ありました。
でも、この時の私の場合、もうそういった「信頼関係」や「安心感」「人間関係の修復」は
意味を成さない。
創価大本営がイヤなんで、同志がいい人だろうが悪い人だろうが全く関係ありませんでした。
そこを理解してほしいと彼女にも伝えましたが、彼女はこう言ったのです。
「わかってもらえるまで、私は祈ります!(キリッ」
いやいや、そういうの、もうやめてw
その祈念があなた自身にブーメランのように返って、私みたいに大本営の矛盾に気がついて、
目覚める事を、私は祈ろう・・そう思いました。

(2)に続きます。
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