囲い込み

創価には未来部というカテゴリがあって、小学校~高校までの子供たちが名簿で掌握されている。
月に1度、部会の会合もあって、そこには未来部担当者という女子部のおねえさんが来ていた。
おねえさんは会合の連絡で家庭訪問にもやってくる。
12年間かけてじっくり人間関係を作り上げ、女子部(=社会人・金も票も供出できる年代層)へ
囲い込みやすくするための手段なんだと今はわかる。

表向きは「未来部は学会の宝」「後継の成長を願って」なんて言ってるけど、
実情は子供たちが立派な社会人・おとなになったとき、組織の手駒となって素直に従順に
動き・組織に利する人間となるよう、監視誘導しているだけ。

けれども、未来部担当者と呼ばれる女子部のおねえさん(や、男子部のおにいさん)は
そんなどす黒い組織の魂胆は全く知らない(気づいてない)。
心から「善の行動」として、それをやっている。
寸暇をおしんで家庭訪問に出かけては子供たちを励まし、会話でなごませ、時にはお菓子を配ったり
もする。当然「善意」です。組織からお金がでているわけではありません。
そうして身内でもないのに、おねえさんがたはこどもたちの「成長を見守って」いた。 
でも実際、これは大本営からしたら「とりこぼさないための監視」です。
組織でいう活動のすべてが、きれいごとのタテマエ&どす黒い大本営の本音のリバーシブルで出来ています。
大半の善良な会員は、どす黒い本音に気づいていません。
まさに人の良心につけこんだ、詐欺搾取機構で、社会悪です。

私も、ずいぶん沢山の女子部のおねえさんに関わってもらいました。
概ね20代半ばくらいの方たちだったので、私とは10-15歳年齢の開きがありましたが
私が女子部にあがる年代になってもまだ(独身で)女子部に在籍している方もおられ、
おおきくなったねー!と、驚かれる事もたびたびありました。

そして自分も、諸先輩方がしてくれたように、未来部員に接していきました。
先輩がくださった恩を、自分が今度は後輩たちへ・・・と考え。
当時の私は、そうして地域の小中高校生の女子たちと接し、会合へと連れ出して行くことが
「善の行動」で、彼女たちの幸福と成長を願えばこそと、思っていました。
組織からそう思いこまされていましたので。

私は生まれた頃から結婚で家を出るまでずっと同じ地域に住んでいたこともあり、
近所に組織の知り合いが多かった。
大卒後、社会人になってからも自宅から通勤だったので、家にはすぐ「女子部」のメンバーがやってきた。
そのとき部長をしていた人が、私が中学生のころの未来部担当者。
一緒についてきたのは、一足先に社会人になった同級生女子でした。
全く見ず知らずの人じゃないだけにタチが悪いのです。
むげに誘いを断る事も出来ず、会合に行く約束をとりつけられた。
私は学生時代、まったく組織活動に参加して無かったので(学生部のない大学でした)
すんなりと女子部の活動へ入って行けたわけではありませんでした。
誘われた会合に一度でたあとは、何かと理由をつけては避けていた。
しかし、草の根運動的に十年以上かけて出来あがっている人間関係。家庭訪問に居留守を使うような事は
出来なくて。
信仰心は多少あっても学会活動に興味無いのになーと思いつつ、家にこられれば戸口に出て会話してしまう。
悩み事ないの?と聞きだされる事もあったけど、特に悩み事などなかった時は「全然」と言えばよかった。

社会人になって数カ月経過した頃、職場の人間関係に悩み始め、タイミングよく女子部が会合に誘いに来た。
何か変わるきっかけがほしくて、参加してしまいました。
そこで自分が悩んでいる事をうっかりしゃべってしまい、だったらご祈念しながら活動もしてみようよ!と誘われる。
ご祈念だけではダメで、学会活動する事で「生命が磨かれていくんだよ!」と先輩方にいわれる。
高校時代、任用試験をうけていたので、信行学・自行化他という言葉は知っていた。
さあいまこそ、「行」=学会活動 「化他」=折伏(創価へ他者を入会させる)で自分の壁を打ち破っていこうよと
励まされた。
心が弱ってた+下手に知識があったものだから(トンデモ教学だったわけですが)、それもそうなのかなぁと
これをきっかけに会合に出るようになりました。

そうすると不思議なことに、悩みの種だった職場の人が季節外れの転勤になって居なくなりました。
そして、その人の担当業務が私にまわってき、まともに仕事をさせてもらえる環境になりました。
確か2ヶ月ほどで状況ががらっと好転したのです。
子供時代に「功徳だ!」と、はっきりかんじたときのこと思いだしました。
そしてどっぷりと、女子部の活動にハマっていくのです。
いま冷静になって考えると、この件は「功徳」ではあったろうけれども、それは私が御本尊様に
ご祈念したことで出た結果であって
決して、創価学会の活動で得た「功徳」ではないと思います。
だけれども、組織の中にいると、これは「組織の中で活動をし、ご祈念した功徳」と変換されてしまうのです。
組織活動と・ご祈念(信仰)はまったくのベツモノなのに、いっしょくたにしてしまう。
これが創価の悪だと私は思っています。

私の場合ですが、人間関係が希薄であれば、女子部の活動にハマることは無かったと思う。
活動に出ればかつての同級生が何人もいたし、みんな大人になっていて、同窓会ノリで会うのが
楽しかった。
こんなこと信仰とは何の関係もないのですが、仏道修行といいながらも
実際は組織に利する為だけの活動を、大勢の人を集めて行うためには
「楽しい雰囲気」「なんかよくわからないけどにぎやか」という空気が必要なのでしょう。
一種の祭り的な。 選挙戦なんてまさにそれですからね。
人間関係がある程度出来ているから、いったん活動家になってしまうと嫌になってもコミュニティを
抜けづらくなるという面もでてきます。 
引っ越しするしか、抜け出す方法は無い。まさに村社会そのもの。
子供時代から囲い込みを行うなんて、どこまでも恐ろしい集団だとおもいます@創価。

うちの姉に関しては、もともとアンチで小学生当時から部員会をブッチするほどだったのですが、
中学受験をし私立中高→大学は県外へ出たので、まったく地元・女子部に知り合いがいません。
だから誰が訪ねてきても「知らない人と話したくない」と顔をだすことがなかった。
知ってか知らずか、スクリーニング出来ていたという。
どうして同じ家で育ってこうも違ったんだろう。
不思議でなりませんが、私は創価に深く縁せねばならぬほど「業」が深かったのだと
思う事にしています。
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