現証について考えた

母が私に子供時代から教え込んできたこと
「法華経の行者を迫害するものは必ず滅びる」
聖人御難事の
「法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」
この部分を引き、小学校3年にして一節を暗記するほど、刷り込まれました。

そして実際、母のまわりでおこった「現証」を時折聞かされていました。
内部・外部問わず、母を故意に陥れようとしたり、信仰を誹謗した人間は現実に不幸になって
いるとの話。
若くして、事故で急死した人。病気で亡くなった人。自殺した人。経済的に不遇になった人。
リアルタイムで経過をみた出来事もあって、私は、ますます御本尊様を深く信じるように
なっていったのです。

法華経の行者に意地悪をしたり、悪い噂を流したり、危害を加えたり
陥れようとするような不届きな奴は必ず悪い目に遭っていく。
だから、アンチでも内部でも、こちらに「敵意・悪意」を向けてくる人間に何をされても気にするな。
こちらが清廉潔白なら、堂々としていればいい。
あえて反撃などしなくても、御本尊様はご覧になっている。必ず現証が出て、相手は不幸になって行くのだ。
そう母から教え込まれ・納得し・信じ切っていました。

自分自身も、実際にそのような体験があったことで、信仰への確信を深めていました。
以前のブログに書いた事を羅列します。

1・小学校時代の話(以前書いたこの記事
2・中学校時代にも上記と似た経験があり、相手が補導され、学校からいなくなった。
 (補足:以前のブログでは上記2件をミックスして記載しました。
  覚醒直後で身バレを極端に恐れていたため事実をぼかそうとしていたのです)
3・女子部時代、営業職をしていた頃の同僚である人物に仕事の足を引っ張られる行動をされた。
 その人物の親が多額の負債を抱えて失踪、債権者が会社に来たことを契機に退職し、いなくなった。
4・学生時代からの友人で、人の和を乱すのが得意(?)な子がいた。
 悪口を吹聴したり、仲間割れをさせたりする人だったが、ある日を境に消息不明に。
 既婚者だったが、男性とかけおちし、実の親きょうだいにも居所連絡なし(現在進行形)。
5・女子部時代、嫌な思いをさせられたメンバー(同志)がいたが
 久しぶりに会館で会った時、顔にやけどを負っていた(大きな痕が残っている状態)。
6・上記のメンバーにそそのかされ(?)私を説教した男子幹部が、病気で50代独身で亡くなった。

以前のブログに書きませんでしたが、これも現証だと思っていたエピソード

7・幼稚園選びに際し、嘘の情報を言いふらす人が居た。
 ライバルを減らしたいがためか周囲の足を引っ張り、他人の子供の弱点を突いていた。
 受験時期、突然なりを潜め、おかしいと思っていたら御主人の経営する会社が不渡を出して
 受験どころではなくなっており、姿を消した。

最近、これらのことを冷静に、よーく考え直してみたのです。
私はこれらの現実を「現証」だと思ってきたけど、本当のところはどうなのか?と。

すると、思い当たった事がありました。
どの人もみんな、普通に考えて、素行不良だった。精神性に歪みがあった。
あるいは家庭環境が複雑だったり・生活の基本がなっていないと言うか、生活が乱れがちだった。
法華経の行者うんぬん以前の問題で、一般常識から逸脱している人達だったということです。

前ブログに書いたことで言えば、1番2番の子たちは、親の都合で苗字が何度か変わっていました。
いまで言うネグレクト環境で育ったと思われます。
3番の人も家庭環境が複雑で、親とは縁を切ったと周囲に話していた事もあったようです。
4番の人はいわゆるエリート家族の中で一人だけ自己実現出来なかったタイプでした。
5番の人は中学時代、札付きのワルで地元で名前が知れていたようです。
6番の人は男子部の活動に人生をかけていたタイプ。身体的に無理を重ねていたのではないかと
察します。

7番の人も自己実現できなかったタイプで、有名女子校(一貫校)出身を自慢していましたが
大学はどこにも受からず、専門学校へ進んだことに強いコンプレックスがあったようです。

母を誹謗中傷し、若くして病で亡くなった人は、仕事が長続きせず、家族にも愛想を尽かされ
離婚。
子供と面会も許されずで、ストレスもあったんでしょう。
酒におぼれ煙草も増え、不節制に拍車がかかって結果、病に倒れた様でした。
自殺をした人も、勤務先での不正行為がばれて・・という経緯でした。

実際に「どういう人だったか」をよく思い出すと、こう言っては何ですが皆「悪因悪果」。
「法華経の行者に云々」以前に、みんな、自らまいた種を自分で刈り取っていただけなんですね。

”還著於本人”これも母や、創価の活動の中でよく聞かされた言葉です。
法華経に説かれている教え。 悪因悪果とおなじく、悪い行いは全部自分にかえってくるよという
戒めです。
まさに「仏法は道理」
本人が悪い心がけや行いに支配されていたから、結果不幸になったってそれだけの話。

別に、母や私(=法華経の行者)を誹謗中傷したり・陥れようとしたから結果そうなったんじゃない。
それを私の母は実に都合よく「法華経の行者(=母)を迫害した者に対する結果(現証)」と
思い込んでいたわけです。
母においては、現在もこの思いこみが継続中です。厄介な人ですw
たとえば仏法対話をはぐらかした人、新聞推進や贈呈を断った人によろしくないことがあると
「それ見たことか!私に反抗するからだ!」と、この調子です。
以前も書きましたが、ご近所の住民で80代の男性が癌で亡くなった事がありました。
選挙を頼みに行っても、公明党に入れる気はないなと言う人でした。
そんなおじさんが亡くなった時も母は「私の言う事を聞かないからだ」「檀家総代なんてやるからだ」
と言っていました・・。
なんでもかんでも、自分の都合の良いように解釈します。

たとえばおなじ事故や病気に創価の人と外部の人が遭遇するとします。
創価メンバーに対しては「大変だけど宿命転換のときが来た」「転受軽重だ」と前向きな捉え方を
見せる。
しかし外部に対しては「信心してないからああなるんだ」といった風です。
どこまでいっても、創価の信仰を持っている仲間はageで、そうでない外部はsageなのです。
私も、そのような面が青年部時代ありました。
バリ活が100%そうだとは言いません。中にはまともな人もいらっしゃると思いますが、
このような考え方を持つ人は少なくありません。 

そして、母のマインドは常に「下方比較」です。
信心などしなくても、常識的行動をし、平穏に幸福に暮らしている方はごまんといます。
というか、殆どの外部の方がそうだと思います。
しかし母は、そのような「信心なくして幸福な人」の存在を無視して暮らしています。
そのような人がいることは認識していてもあえて関わらず、どちらかといえば不幸な境遇にある人と
付き合い(=折伏先にするため)・幸福な人の、些細なマイナス点を見て自分をageるわけです。
身近なところで言えば父方の親戚がそうです。浄土真宗で・檀家総代もつとめる伯父をはじめ
父方のきょうだいは皆、経済的に裕福で、子供達も立派な経歴・肩がきを持ち、お孫さんたちも優秀。
葬儀方式で揉めたこともありますが、母は父の死後、父方親戚と一切の交流を絶ちました。
むこうから敬遠されている面もあるかと思いますが、母が本音をぽろっと漏らした事が、父の死後に
ありました。
母が創価の信仰をしていることを、父方の女きょうだいから結婚当時非難されたことがあったそうです。
母はそれを悔しくてたまらなかった、絶対見返してやると決めていたと。
しかし、祖父母の法事以来、数十年ぶりに父の葬儀で会った父方親族の立派さ・健康に愕然と
したのだと。
誰ひとり生活に困っているような人はいません。 余裕があります。
遠方からでしたが、80代の方まで、きょうだい全員が夫婦そろって参列してくれました。
母は父方親族とのつきあいを避けていました。もともと季節のあいさつや儀礼的な事が全くできない
(気のきかない)人なので、そういったことは全て父が引き受けていたのです。
学会活動に励むことで、自分の家庭を幸福に・一家和楽の自慢の家庭にするとひそかに燃えて
いたのでしょう。
しかし、父方のきょうだいは誰ひとり大病を患うことなく健康です。子供達もいわずもがな幸福です。
末弟の父が一番早く亡くなり、母は子供たちと反目しあうという結果となりました。
母としては、思う所がおおいにあったと思います。
だがしかし、それが覚醒につながる事はなく、ますますヤケになって創価の活動にハマって
いることがどうにも残念でたまりません・・。

話が少しそれましたが、創価のサイトに書いてある現証の説明↓

「現証」とは、その宗教の教義を実践した結果が生命や生活、そして社会にどのように現れたか、
ということです。宗教とは、観念的なものではなく、人々の生活や人生の側面に必ず大きな影響を
与えるものです。
そして、その現実の結果がどう生活や人生に影響を与えたかで、宗教の勝劣浅深を
判断していくべきです。


これを読んで気がついたのですが、
私の母やその他創価脳(法華講も)のいう「現証」って、おおむね敵対する相手にあらわれる
「不幸」な事象なんですよね。
良い事は「功徳が現れた」「功徳だね」と言う。 現証という言葉は殆ど使いません。
創価のサイトに書いてある説明で考えれば、この信仰で自他ともに幸福になった事でも「現証」と
呼ぶべきなのに。
現証にはふたつある・両極の側面があるという通念で使われていないのは何故なのか?
なぜに不幸ばかりを現証と呼ぶのか?
私も今回、創価のサイトで説明を読むまで、現証というものは
「法華経や、それを行じる人を貶めたり裏切った者に対する罰の現象をそう呼ぶ」
のだと思い込んでいました。

この事実に行きあたって、思い当たることと言えば、やはりこれもマインドコントロールの
ひとつの手法「呪縛」として現証を使っていたのだということです。
目に見えて不幸に陥った人を揶揄することで、信心への絶対心を植え付ける。
現証で解きあかす”法華経の行者最高最強説”は、イコール、”そうじゃなくなった時は無間地獄”
という意味をあらわす。
信仰が諸刃の剣であることを物語っているのです。
これは何も日蓮の教えに限ったことでなく、世界の他宗教にも戒律があり、裏切り者にはどんな
罰があるのかが説かれています。

しかし、創価がいう「現証」は、法華経や日蓮大聖人の教えを裏切ったというよりは
「学会員を裏切った」「先生を裏切った」「組織を裏切った」相手に向けられたもの。
その相手が不幸になったり病に倒れる事をもって「現証」と呼ぼうとする。
そして自分たちの存在の正当性を主張したがる。自分ageに利用するわけです。
これも一種のマインドコントロールだと思います。

今回は私の身近なところであった・現証と思いこんでいた事実を上げさせてもらいましたが、
私の知る限り、創価の人に向かって悪意を持ってハッキリモノ申すって外部や・足を引っ張る一般人って
おおむね元が幸福じゃない人のような気がするんですよね。
性根や心がけが悪いとも言うか・・歪んでねじれて、そう言う人は創価だけを敵対視してるわけじゃない。
さまざまな勢力や見えない敵と闘ってる人が多い気がします。
だから病気になったり、自滅するんじゃないでしょうか。
決してそれがオカルト的な「創価学会員を護るための不思議な現象」じゃないと、私は思うのです。

だいたい善良な市民になればなるほど、創価なんて相手にしないし問題にもしないのです。
厄介だから相手にしない。スーパースルースキルを持っていて、やんわりとうまーくかわします。
内心思う所があっても、賢い人たちはそういった感情をいたずらに当事者にぶつけたり
正面切って批判したりはしないでしょう。
何処から見ても完璧に幸せで柔和な人物が、脈略なく創価を誹謗中傷するような事はそうないでしょう。
あるとしたら学会員に危害を加えられたり、失礼千万なふるまいを受けた時じゃないでしょうか。
それは誹謗中傷では無い「まっとうな評価」です。

創価学会が仏敵としている人物(元内部を含む)を見ても、素行不良の「黒い」人物が結構多いような
気がします。
善良な市民とは違いますよね。元専属弁護士とかw
野党の政治家さんたちにしても、創価が仏敵としてきた人達に清廉潔白なイメージは残念ながら
ありません。 裏で創価と敵対する勢力と手を組んでいるような人とかね・・。
敢えて名前はあげませんけども。

創価脳は自分たちに都合のいいことしか信じない。
単純に、本人が素行不良で・健康に気を使わず・無茶ばかりした結果そうなっていても
「創価を貶めた仏罰だ!現証だ!」と言いたがるのです。
そういう風に教育されているから、これはもうどうしようもないのですが、厄介な話です。

創価でいわれているような「仏罰」もありませんが「現証」も、ありません。
それは創価を攻撃したからそうなったのではなく、ただの自業自得なのです。
不思議な力が働いたわけでも、何でもない。

もし、創価の活動をやめることで自分にそのような「現証」が出る事を心配していたり、
そのように思える事が実際にあった、という方は、いまいちど自分の生活を細かく総点検してみれば
いいと思います。
健康に留意しているのか・食生活を見直し・規則正しい生活ができているか・不節制していないか。
人付き合いに於いて不義理は無いか・やろうとしつつ後回し・棚上げにしている事柄はないのか。
部屋は片付いているか・要らないものをため込んでいないか・その他もろもろ。
功徳信心していると油断しがちで、隙だらけ。
案外こういった事柄に完璧に・四方八方気を配っている人は少ない。
かつての私もそうでした。
そういった綻びを正したり気をつけるだけで、少しは好転して行く状況もあるはずです。
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