スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

革命

購読停止したにもかかわらず、暫くの間、新聞やグラフが入っていた話を先日書きました。
大白蓮華も、読む気も無ければ・会合に行く機会もないくせに、惰性で取り続けていました。
これもグラフ同様ぱらっと見てから捨てていましたが、せっかくなんで読んでみることに
しましたw (注:昨年12月の話です)
マインドコントロールのとけた頭で読むと、恐ろしいことがごく普通に書いてあることに気付いて
驚かされました。

巻頭言は、池田老人でした。おそらくゴーストライターによるものでしょうけど。
もう秋谷会長じゃなくなったんですねw それいつの時代の話だよ、って思われそうだけど、
私の中では巻頭言といえば秋谷さんのイメージがあります。
座談会でよく朗読させられたものですw@女子部当時。
そういえば秋谷さんが重病で、脱会して宗門のお寺についてると、ネットでこの時期に見ました。
もし本当なんだとしたら、手記を出版するとか、なんらかアクションをおこしてほしいものだと
思います。
新年の歌には「勝利の大城」という文言がw 選挙意識したものでしょうね。
そして、大リーガー(岩隈投手)のインタビューも載っていました。
さらっと読みましたが、先生から激励を受けて云々がクローズアップされた内容で残念でした。
好きな御書の一節とか、ないのかよ?と。
有名人が信仰体験を語ってるのを見聞きして、組織の人は確信を深めがち。
その活躍を、まるで自分の手柄のように会員が語るのって恥ずかしいなーと、バリ活当時から思って
いました。
どうでもいいけど、婦人部になってしばらくした頃、当時のしらゆり長がオーランドブルームの
写メを送りつけて来て
「彼もSGIメンバーなんですって!みんなに自慢しちゃいましょ(浮かれた絵文字)」と
書いてあり、私は全く他国の俳優に興味がなく、オーランドブルームが誰なのかも解らなかったので
大変イラっとしたことを思い出しましたw

さらっと流し読み中、これは怖い、と引っかかった内容がありました。
「新入会の友と語る座談会御書」というページ。
種々御振舞御書の通解(一部分)をモチーフに、組織の活動・その意義を新会員に説いているのだけど
そこに池田老人の指導が挿入されており
「私たちの運動が、日本の根本的な文化革命、人間革命、精神革命なのです」という一文を見て
ぞっとしました。

大見出しは「私たちの運動は根本的な一切の革命なのです」とある。
革命=世直しって事だけど、
文化革命といえば、中国の「文化大革命」がまっさきに頭に浮かぶ。
池田老人・・やっぱりかよw
指導にさらりと入れてくるあたり、確信犯だと思いました。自分も毛沢東になりたいって事か。
徹底したプロパガンダ・神格化。 全くやっている事が同じでビックリ。

wikiを見ていたら、個人崇拝の例として、毛沢東がマンゴーを各工場に与えた話が載っていて、
ある工場長はマンゴーを祭壇に御供えして一日一礼。腐ってきたマンゴーを茹でた煮汁を従業員
全員でのみ、その後、マンゴーのレプリカを祭壇に飾ったとありました。
これと似たような事をうちの親戚もやっていたんですw
とある会合に出席したおば(幹部)が、池田老人からどら焼きを頂いたので食べに来いと連絡して
きました。
(注・私が小学生のころなので30年以上前のことです)
おば宅に行くと、どらやきは直径20cmくらいの大きさ、たった1個しかありません。
まず仏壇に御供えし、全員で勤行唱題をしてから、そこに集った人数分に1個を切り分けて
(一人当たり3cm角くらい)
かけらを、勿体無い!というかんじで、有り難くいただいたのでした。まるでなにかの「儀式」。
おばは子供たちの頭をなでまわして「先生に握手して頂いたの。頭が良くなるよ!」と言いました。
その後、おばの家の定番の御供え品はどらやきになり、常に仏壇にはどらやきが御供えされています。
当時の私は、3cm角のどら焼きを食べる為だけに電車に乗っておばの家に連れて行かれたので
内心、がっかりしていました(1個まるまるもらえる・食べられると思ってたので)。
このようなおばの狂乱ぶりを見ても、プロパガンダは大成功。
大白を読むまで、こんな記憶は封印されており、これまで思いだしもしませんでした。
まだまだこんなエピソードあったと思います。

そもそも、日蓮大聖人は「革命」を望んでいたのだろうか?と疑問が浮かびます。
世直しは望んでいたと思う(国家諌暁)。
だけどそれは、池田老人の言う革命とは性質も意味も違うものだと感じる。
日蓮大聖人は、世直しは望んでも、自らを崇めろとか・自分が為政者に変わって独裁国家を
作ろうなんて事は標榜していない。
また、誰か(日蓮大聖人の生きた時代で言えば、上級武士など)権力者の背後にぴたり寄り添って
院政を敷くような、そんな行動もありませんでした。
(武家に手厚く守ってもらっていたようではあるが、それは院政じゃない)
もし、日蓮大聖人がそういった革命思想を持っていれば、日蓮寺院がその時代に武装集団に
なっていてもおかしくありません。
比叡山延暦寺並みになろうと、力と金を貯えようとしたと思います。
鎌倉時代は、寺社が強力な権力・知力・財力を持ってた、それが当たり前な時代。
歴史をみても、日蓮大聖人の御在世当時は、一揆や挙兵を大聖人主導で行うような事はありませんでした。
大聖人滅後に天文法華の乱は起こったけれど、それも大聖人の命に従ったというものではありません。
後のお弟子さんvs天台宗の争いです。
大聖人は、厳しい破折を行う・激しい人だったようで、身命を惜しまず法を弘めようと行動を
してきた人だけれども、その姿勢がただちに「革命」というコトバと結びつくとは思いません。
もしそのような思想性があれば、先頭に立ち煽動したでしょうが、そんな史実は私の知る限り
ありません。

池田老人は、院政を敷いたよね。
公明党を結党、自分が立候補したり・党代表に収まる事はしないけど、オーナーとして
陰で党を操り意のままにしてきた。現状は組織トップがそれをやってるんでしょうか?
あくまでも組織の益を護るために政治力を利用しようとしているだけでしょう。
表向きは「平和と福祉の党」だけど、自民党に協力してる時点で自己矛盾が生じています。
寄らば大樹の陰、それも智恵。従うように見せて従える、そんな方法論で会員を納得させようと
しているけれど、無理がありすぎです。
改憲の際には、池田老人のメッセージが新聞に載るんじゃないですか?
時代の流れに沿って平和の解釈も変わるんだよ的なw 盲目信者は、池田老人がそうおっしゃるなら!と
まわれ右してくれますもんね。
でも、世論からは袋叩きにあうでしょうねw それでもいいと思う。

wikiの文化大革命から以下抜粋:

・・・・・・・
毛沢東の1927年に記した
革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、
刺繍をしたりすることでもない。そんなにお上品で、おっとりした、みやびやかな、
そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえ目のものではない。
革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。
・・・・・・・

池田老人のいう「革命」は、この毛沢東思想に非常に近いものじゃないかと感じます。

大白の本文には
「私たちの一人を大切にする行動は、すごく遠回りなようだけど、一切を根本から変えているんだ。
 だからこそ、この道にはいやがらせがある。難があるんだ。
 どんな社会も、いつの時代も、そこには必ず人々を支えている考え方や価値観がある。
 それを根本から変える物が現れると、たとえそれが正しくとも、一斉に反動が起きるのは
 当たり前だよね。」とあり。

あくまでも、自分たちの行動を正当化。
学会活動にはいやがらせがある・難がある・・いやいや。それはいやがらせでもなければ
難でもないのよ「世間のまっとうな評価」ってものなんだよ。
自分たちに都合良く、御書を引用しないでもらいたい。
「種々御振舞御書」を創価的に解釈したら革命になるなんて、変だよ。
新入会者をプロパガンダしようとしているみたいだけど、これを信じ込むって相当な馬鹿しか
いないのでは・・若い人たちが賢明である事を祈るばかりです。

「私たちの運動は根本的な一切の革命なのです」

これは何度読んでも、物凄い違和感があります。
なぜに、根本的な一切の革命をやらなきゃならないのだろう?
自分たちが「世直し=いいこと」やってるんだ、と会員に思いこませようとするのだろう?
ハッキリと書いてないけど、これって選挙活動のことを指しているんでしょうか。
政治を変える役割を、公明党を支援支持する私たち学会員が担ってるんです!という
「政治改革」的な意味合いなのか。
いや、それだけではない気がします。もっと大きな枠組みの事を言っているような気がするのです。

”根本的な一切の革命”
日本社会や歴史までも、全否定してるようなこのフレーズ。
私は、日本はなんだかんだいっても良い国で、国民性も素晴らしいと思っています。
政治経済社会環境問題・課題は山積しているけれども、そんなの諸外国も同じ。
自己肯定の上で、国を良くして行こうという努力ならば「革命」という言葉はふさわしくないと思います。
wikiを見ると保守革命を「維新」と呼んだ的な事が書いてあって、妙に納得してしまいましたw
「根本的な一切の革命」とか言われると、従来を全否定の上で、何らか全く新しい秩序の打ちたて・
クーデターが思い浮かんでしまいます。
日本の文化、人間、精神革命だなんて、どんだけ大風呂敷なんだか。
”日本人はダメだから変えてやるよ”という「上から目線」を感じ、受け付けません。
彼の国の人の発想としか思えませんw そんな噂がネット上には山ほどあふれておりますが・・。
真偽はわからないけど、誤解を生むような事ばっかり本人(組織上層部?)がやってることは
事実ですね。

前にも書いたけれど、私は日蓮大聖人は愛国者だと解釈しています。
そんな日蓮大聖人が革命やクーデターを望んだり、弟子に教えたり、煽動したりすることは絶対に
ないでしょう。
日本の国を守りたいから、良くしたいから、立正安国論をあらわされた。
そこには上から目線なんてない。 厳しくも、大慈悲の視点と言葉。

自分が、何も分からずに、親に入会させられたというだけの理由と、マインドコントロールによって
所属し続けた宗教団体が、表向きは世界平和を掲げて御立派そうにしているが、
実際は日本亡国を目的にした組織だったのかもしれないと、2012年の暮れに思いました。
組織が金集め集団だったという事が解った時よりも、さらにショックだったかもしれません。

この大白を読んだ後、「革命」が頭を離れませんでしたw
そういえば、昔ナポレオン展、やってたなーって思いだして。
なぜに創価がナポレオンを扱った展覧会をひらくのか?当時は意味がさっぱり解りませんでした。
どういう繋がりがあるのかと。 説明があったかもしれないけど覚えがありません。
ただ、池田老人や創価が世界に信用信頼を得ているから、門外不出のお宝が日本にやってくるんだ・
それを一般人に広く見せてやれるのだ、という、いかにも権威主義な話を幹部がしていた記憶は
鮮明にあります。
ナポレオンといえばフランス革命。 
そっか、池田老人は「革命」が好きなんだなwって気がつきました。

しかし、革命って、どぎつい言葉だと思います。
根底から覆す、それまでの価値観を無にし、根こそぎ変えるようなイメージ。
革命=洗脳とも、言い変えることもできると思います。
何故に日本人(いや、世界も)を創価池田思想で「革命」しないといけないのか?
そんなことになったら、本当に日本国の伝統がなくなってしまうじゃんね。
神社仏閣は潰してしまえって事になる。 天皇家の存在意義もなくなるよね。
いったい、創価はなにがしたいんだ???
「革命」なんて言葉を、自分たちの活動になぞらえているが、これは軽々しく使っていい類の
言葉では無いと思いました。
生まれた時から身近に「人間革命」なんて本がごろごろある環境で生まれ育ったせいなのか、
これまで40数年のあいだ「革命」という言葉について考えることなんてなかったんですが
知らず知らずのうちに、取り込まれていたって事じゃないかと、ぞっとしたんです。

池田老人は、はなから「革命」をおこすことを望んでいた。
日本の国をひっくり返し、我が物にするという野望w
そんな池田老人率いる団体のどこが「日蓮大聖人直結」なのだろうか?
愛国者である日蓮大聖人が、一国の独裁者になろうというような革命を望んでいたとは
まったく想像ができません。
というか、目指されたところはそんな下種で野蛮な次元の話じゃ無いと思います。
創価が標榜する「革命」とは、下種で野蛮な部類のさまに私には思えたのです。

また、この時期の私はNHKの大河ドラマ「平清盛」を毎週夢中で見ていました。
(前にも書いたと思いますが、私は歴史が好きです)
テーマは「絶対的権力との対峙」
天皇家(貴族)と言う、生まれながらにして日本国における絶対の、崩される事の無い頂点に対し
平清盛は武士として、同じ地位(日本の棟梁)に就こうと、高みを目指して挑戦していく。
最終的には源氏に追い落とされ、源氏も統一を果たせないまま時代は移っていく。

戦後、天皇家が「日本国の象徴」という独特な位置づけになり、誰が絶対的権力者になるのか?
覇権争いが始まったその最中に、創価という新興宗教運営に携わった庶民たち。
戦後、価値観が一掃され、混沌と渇望の世の中で、のし上がろうと試みた庶民達の中で、
何の後ろ盾もなく、宗教だけを道具に裸一貫であそこまでのし上がった、バイタリティあふれる
戦後最大の野心家=池田老人ではないのかなと。
池田老人は、首長公選制を推奨していたそうで、ものすごい野望を持ってたのね、と思いますw

平清盛は「理想の国づくり」を標榜し、手段を選ばず勢力拡大をしていった。
たぶん初心はまちがっていなかったと思います。民衆のため、武士の世を作るというところ。
だけどいったん権力を手にし、公卿に入ると、自分たちは元々そちら側(絶対的権力を持つ側)に
居たとの錯覚を起こし、「武士の世」を作ることよりも自分たちの繁栄のため、意のままに組織を
操るようになって行く。
広く「武士の為の世」ではなく「平家の為の世」を存続させようと見誤り、失脚。

これって、創価と似てると思ったんです。
最初の出発点は、庶民を宗教の力で・信仰と強い思想をもつことで、幸福に・豊かにして行く
事だったと思います。
牧口先生、戸田先生あたりまでは、まともだったというか、良心があったんじゃないでしょうか。
ところが、代が変わった途端に組織を狡猾に「わがもの」とし、数の理論で金集め・票集め。
男がある程度のお金と権力を手に入れると最後に欲しくなるのは「名誉」らしい。
実際、顕彰集めに走ってます。わかりやす過ぎますねw
次に欲しいのはなんだろう。
ノーベル平和賞、今もらっても表に出て行けないからwもらいたくないでしょうね。
国民栄誉賞なんてもらえるわけがないし、天皇陛下から頂戴する「叙勲」もどうだか?
よくわからない賞は山ほどもらえても、誰にでもわかるすごい御褒美は、お金のチカラだけじゃ
絶対もらえそうになくて、本当に残念。でもそれは「道理」です。

世界平和を標榜しておきながら、池田老人が本当にやりたかった事は「日本を支配下に置くこと」
だったんじゃないのか?
そんな風に最近は思います。
戦後の日本近代史(裏歴史)を語る上で、創価は外せない存在になりそうですね。
政治の世界にまでがっつり入り込んでいるんですから。
しかも政権与党って。オーマイガー!です・・。

わけのわからない革命を、功徳や報恩というコトバに煽られ、知らずのうちに手伝わされている
その自覚を、バリ活はもつべきです。 
日本を良くするために本当に必要なのは一個人の欲望のための革命では無く、常識的な行動です。

一日も早く、見識を広く持ち、さまざまなことを知り、覚醒して欲しいと願っています。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。