被害者

「報恩感謝1・2」で書いた、バリ活婦人部との対話中に、地元の部員さんの
気の毒に思える話を聞きました。

約20年前に友人から折伏を受け入会した活動家の女性。10年前まで同じ地域で活動していました。
上からの頼まれごとは一切断らず、何でも素直に引き受けてやろうとする人で
「水の信心」と幹部が誉めたたえるほど。
凄いなぁと思う反面、本心を押し殺しているようにも見えて、私は時々心配だったのです。
彼女の頑なさが「NOを言ったら願いが叶わなくなる」という強迫観念からくるものなのでは?と
感じることが度々あったから。
(そこがちょっと、うちの母に似ているなと感じていました)

彼女には夢があり、その夢を叶えるために入会。
現実的な努力+学会活動を頑張ることで、絶対に叶えたいと、決意発表を聞いた事が何度かあります。
同じ夢を持つ周りの仲間が、事もなさげに叶えて行く彼女の「夢」。
なぜ自分だけうまくいかないのか、不条理も感じると、複雑な胸の内を語る事もありました。
私はそのことに対し、ただ思いを聞くだけで意見(アドバイス)することはできなくて。
内心はこう思っていました「他の事に目(興味)を向けてもいいんじゃないのかな?」。
途中からは「夢」と言うより、固執し過ぎて別の何かに変わっているようにも思えました。
けど、祈りのなかで自分の心境が変化してゆくこともある。
彼女にとって、一番良い方向へいつかたどり着ける、それが「ご仏智」。
きっと彼女にもご仏智と思える何かがあるか・本当に夢をかなえるんだろうと思っていました。
(覚醒後、この心境変化をご仏智ではなく「納得できる妥協」であったと結論しています)

彼女はずっと活動家として頑張っていました。
直接連絡をとる事はありませんでしたが、時折知人を介してどうしてるか様子を聞いており。
まだ夢を追いかけているという事もそのたびに聞いて、すごいな、執念だなって思っていました。
ただ、既に彼女も私と同世代の40代。
チャレンジに年齢は関係ないというけど、彼女の夢は、年齢が大いに関係してくるもの。
(年齢だけでは無い他の事も)
約20年間、その夢の為にと頑張ってきた彼女ですが、諸事情から絶たれる状況に昨年末なって
いたのです。
それを聞いて、私はすぐには言葉が出ませんでした。
直接会う機会も今はないけど、もし会ったにしても、かける言葉が見つからない。
もし自分が同じ状況だったらと考えると、暫く寝込みそうな気がしました。
そして、無気力感が続きそうな気がする。
うつ病になってもおかしくないと思うほど、私にとってもショックな内容でした。
事実、彼女は活動に出て来なくなった様子でした。
連絡はとれるけど「もう少し待ってください、元気になったら行きます」という返事。
その傷の深さ、悲しみの深さ、本人にしか解らない事だけど、傍目でこの20年を見ていた
(知っていた)者からすれば、彼女の気が済むまで、そっとしておいてあげたくなりました。
ていうかもう、組織の活動なんかしなくていい。
彼女を夢に固執させてしまった原因の一端が、信仰と学会活動にあるんじゃないかと、
私はそんな気がしていました。

こう言ってはなんだけど、彼女はどこか浮世離れしたところがありました。
私の周囲で、これほど長くひとつの目標を追っている人は内外ともに見当たりません。
皆、30歳くらいで目途をつける。そんな中にあって少女のように純粋に夢を追っていた。
スゴイと思う反面、大丈夫なのかな?と心配でした。
夢をあきらめるも・あきらめないも本人の自由。
誰にも発表しなきゃよかったんだよ、本当はね。
それを、組織の皆にも話していたし、そのために入会しましたなんて大きな会合で壇上に立たされ
(折伏のリレー活動報告)、なまじ真面目なもんだから、引っ込みがつかなくなったところも
あったのかな?って気がしたのです。 
同志の激励っていつも無責任。
「諦めましたー」って言っても、周囲は「あっそう・また別の目標に向かって頑張ろうね!」で
実はあっさり終わるんだけど
まじめすぎる彼女は、それ(諦める)が言えなかったんじゃ?と思いました。
もちろん周囲のせいだけではない、彼女の心の問題が非常に大きいのだけど
創価と出会ってしまったことで「夢をかなえる」事に異常に固執してしまったんじゃないかと。
なんといっても「願いとして叶わざるはなし」の信仰だから。
どこで諦めたらいいのかも、わからなくなっていたのではないか。私の勝手な邪推ですが
彼女をみてきた者としてそう思ったのです。

この経緯を教えてくれたバリ活の彼女は言ったのです(電話での会話でした)。
「今、彼女は落ち込んでいるけど、必ずこの経験が生きる時が来る。何も卑下しなくていい。
 むしろ、その夢が叶わなくてよかったんですよ。もう年なんだし。
 諦めさせてくれたって事で、彼女にとってはこれが新しい人生を開く契機になっていくはずです」と
いかにも創価脳な言葉をすらすらと並べたてました。

私は、そんな言葉を軽々しく吐くバリ活な彼女が信用ならないと思い。
20年間、追い続けた・叶えたかった夢なんだよ?
そりゃ私だって、内心「難しいんじゃ?」と思ってたよ、10年も前に。
だけど、本人はずっと一途だったわけじゃん。
その夢の為にと、(夢と直接関係もない)組織の活動も頑張って来たわけで。
それを軽々しく「新しい人生を開く契機」とか、それ他人が・特に同じ組織の人間が言う事じゃないから。
本人の口からそれを聞くのならまだしも。
なんでそんな簡単に片付けるかなー? 所詮は他人事だからだろ(怒)。

思わず「それ、御本人に向かって言ってないよね?」と確認してしまいました。
彼女は「え?なんで?」と私の質問の意味が解らなかったみたい。 呆れました。
組織の人は「同苦」とかいうわりに、簡単に人の悲しみをないがしろにする傾向があると思うのです。
同苦って、無責任に励ますこととは違うんだけど?
そして、バリ活な彼女は
「彼女に一日も早く活動に復帰してほしい。戻ってくることで元気になる。命が躍動する」と。
私は「それはどうかなぁ?そんなの、あなたが決める事じゃない。彼女が決める事でしょ。
なにで元気になるかなんて、人によって違うよ」と返しました。
彼女は、私に何を言っても無駄と思ったのか、醒めた笑い声でその会話は終わりました。

真面目すぎる人に限って、信仰に対し病的なまでに固執する。宗教依存症になりやすい。
そう感じたことが女子部時代にもありました。
部長をやっていた時、ひとり精神的に不安定な部員さんがおり、私の一つ年上。
私がドロップアウトしている間に、どこかから引っ越してきた一人暮らしの女性でした。
彼女は常に口元にハンカチを当てており、目がうるうるしていました。
簡単に言うと彼女は「かまってちゃん」。
当時の私は、彼女が少し普通じゃない事は解っていても、イライラすることが多かったのです。
「信心してるのに何故そうなる?」と思っていました。 
いま思えば、ひどく乱暴な考え方ですが、まさにマインドコントロール下にあった故です(言い訳)。
彼女は、幹部に直接指導を受ける時(公開)、話が長引く事で有名でした。
「でもでもだって」でエンドレスです。自分が聞きたい答えがあって、それを聞くまで絶対に納得
しないのです。
ああいえばこういう、で、途中で静かにキレた幹部もいましたw
彼女の性格を知っている幹部は「OOさんは会合が終わってからゆっくり聞くね」と
はなっから、後回しにしたほどで。
会合時間中にうっかり聞いてしまったら、他のメンバーの話を聞く時間が無くなるからです。

また、彼女はひとこと発言や活動報告も、話し始めると長く、起承転結もはっきりしない。
ネガティブでオチが見えない話をえんえん続ける事もあり、周りで聞いてる若いメンバーには
下を向いて携帯をいじりだす子もいましたw
私は彼女の背景を知るまでは、不思議でたまらなかった。なんのために活動やってんの?
信心していて、活動家なのに、これだけ愚痴っぽく、前を向けない人なんか見たこと無いと。
口では辛いと言いつつも、ずっとそこに留まって居たいように見えたんです。
あるとき本部長に呼ばれました。彼女が私の事でクレームを入れたのです。
「大変だろうけど、彼女の事は特別にあたたかく見守ってやって欲しい」といわれて。
理由を尋ねたところ、彼女が大きな心の傷を創価によって受けていた事がわかりました。
その理由が、結婚式をドタキャンされたというものでした。
相手の両親がアンチで、結婚に猛反対。
彼が数日前になって「白紙にして欲しい」と伝えてきたとの事。
結婚するから女子部を離れたが、入籍前だったので、女子部のまま。
彼女は直前まで部長を務めており、かなりの頑張り屋で将来有望と目されていたそうです。
当然地元の組織に戻る事はできず(新しい部長が立っているから)こちらに引っ越してきたとの
ことでした。
そういえば、私が部長になったばかりの頃、やたら上から目線のアドバイスを彼女からうけた
ことがあり、そのような背景を知らなかった私は、正直腹立たしく思っていました。
部長の心構え的な事をメールでおくってきたんです。
彼女も元部長だったから、言いたい事がいっぱいあったんでしょうね。
私は師弟観もなく、先生命の彼女からしたら「幹部のくせに先生のお心で行動ができてない!」と
腹立たしかったのでしょうw
また、私が活動に戻る以前に、彼女はこの部で部長をやりたがっており、幹部に直談判していたと
聞きました。
やらせてあげればよかったのに(?)、組織では本来婦人部にうつるところ、異例で女子部に
据え置いていたので、役職は難しいとの回答だったと本部長から聞かされました。
そんなのってあり? と思いながらも、この話でそれまでの謎が解消され、彼女への対応も
気をつけるようになりました。

が、腫れ物に触るように扱う幹部に対し、彼女はよく喧嘩を吹っ掛けていました。
中には「全ては信心です」と、指導の回答をむりやり切り上げた幹部が居たのですが、
彼女は納得がいかないと、さらに上の幹部に「あの幹部は信心がなっていないと思います」と
クレーム申し入れをしてみたりw
「自分に耳あたりのいいことだけ聞きたいなんて、それは指導じゃないのにね。彼女、指導受けるのが
 大好きなんだよね。かなり、歪んでるんだろうね、可哀相だけど」と、同期の圏幹部も若干呆れて
いました。

幹部をまじえて話した時、「彼女、ちょっと休んだ方がよくないですか?」と言いました。
みんな困った顔で「自分たちもそう思うんだけど、彼女は休みたくないって言う」と。
彼女がいつも口元にハンカチを当てているのは、人と会うと吐き気がするからだと言うので
「それって、会合に出ることでますます悪化しませんか?」と幹部に尋ねると
休むともっと、自分の精神状態が悪くなっていく・信心が足りなくて辛い目にあった自分を
責めるようになってしまうからと、本人が活動を休むことをよしとしないのだと。
活動に出ないと不安が高まる、だったら出ている方が良いのではないか?との周囲の判断でした。
結局誰も本気で救おうとしない。あくまでも本人任せ。
これは大変だ・・と思いながらも、彼女を中心に運営するわけにもいかないし、と
ある程度割り切るようにしていました。
そして会合にはなるべく彼女お気に入りの幹部に入ってもらい、根気よく話を聞いてもらうように
しました。
そうでもしないと、こっちまでおかしくなりそうだったからです。

私が結婚で引退と同時に、彼女も婦人部への勇退を決めました。
新部長が20代前半と若返ったため、やりづらくなると予想しての事だと察します。
数年後、彼女は結婚・出産をし、そのまま地元に住んでいました。
母を通じて、時折彼女の近況を聞いていました(同じ地域でした)。
御主人は壮年部。人柄のいいお方で、暫くは落ち着いていたようですが、出産を経て
育児ノイローゼになって以降、育児が出来ず、子供は実家のお母さんが引き取り育てているとの
話でした。
母は、地域の役割も受け持っているので、彼女にたびたび関わっていましたが
「あの人だけは、どうしてなのかと思うね。信心しているのに」と複雑な表情で言うのです。
その後、環境のいい田舎に引っ越すとのことで、転居したそうです。
落ち着いた状態を取り戻してくれていると良いのですが。

先に述べた夢をかなえられなかった彼女も・かまってちゃんな彼女も、創価の被害者だと
私は思います。

子供のころから「叶えば功徳・叶わなければそれが自分に必要じゃなかった事柄」と、
信じたり・都合よく諦めたりをルーティンで訓練されてきた学会二世、三世とは違い、
大人になってからの功徳信心は、誤魔化しが利かないのではないでしょうか。
勿論それだけに「やっぱ願いなんて叶わない、やめた」と傷が浅くてすむ場合もあるでしょう。
夢をかなえられなかった彼女の場合は、逆方向に作用したのではないかと感じました。
意固地になるというか、自分が望んでいる完璧な結果が得られないと満足できなかったのでは?
誤魔化しが利かないからこそ、妥協を許せず、あきらめきれなかったんじゃないかと。
別の人の話ですが、学会1世の女性で、恋愛成就のために入会したと話していた方がおり
10年にわたって一人の男性にアタックを続けたが、振られ続けていたと聞きました。
当時聞いた時もドンビキでしたがw 彼女は真剣でした。
彼が別の女性と結婚したことで諦めがついたと語っていましたが、結局非活に転じてました。

かまってちゃんな彼女は、創価のせいで結婚が反故にならなければ、精神を病まなくて
済んだかもしれない。
精神を病んでもなお、活動を休む事が出来ず、活動にすがり続けたのだって
「活動をやめたら不幸になる」という幼少期の刷り込みから、恐怖感で、追い込まれて
いたのだと思います。

まじめで、まっすぐな人ほど、不器用で、害を受ける。
もちろん、悲しい事があっても
(彼女と同じように、外部との結婚を婚約破棄された経験ある内部の友人が居ますが)
乗り越え前向きに、すべてを拓いて行った人もいました。
こういった人は、信心活動云々の前に、もともと「胆力」があるのだと思います。
だから乗り越えられた。 (そして、このテのタイプは、創価がなくても生きられる)
だけれども、彼女らのようなタイプには創価の教えや存在が仇になったのでしょう。
宗教依存症になってしまうことで、自分の心や現実を冷静に見つめることが
出来なくなってしまっていたんじゃないかと思うのです。

きっと、内部の人は「組織はひとつも悪くない、本人の資質の問題」と言いそうですが
絶対そうじゃない。
創価の教えそのものが、自己矛盾だらけで、組織に都合のいい事ばかりになってるにもかかわらず
「願いとして叶わざるはなし」と、甘い言葉で誘いこむ。
藁をもすがる思いの人は心が弱っています。冷静な判断もできない状態で、盲信する。
「疑う事は悪」だと教わることで、さらに自分を追い込む、真面目な人ほどそうなる。
そこを思い通りにならなかった時「信心が足りない」などと、組織の理論で簡単に片付けんなよって
思うのです。
全ての人が等しく願い事をかなえられる訳ではない。個性と同じく、個人差があるのです。
甘い言葉で誘いこんでおきながら、功徳は自分持ちだよ励みなさいと無責任に煽る。
みんながみんな、器用では無い。 御都合信心が通用しない人も多いのです。
信心ですべてを乗り越えられるほど、世の中は甘くない。
信心ですべてを乗り越えられたって人は特別運がいいか、胆力があって創価無しでも
大丈夫な人です。

この当時にみたテレビ番組で、心理学者が言っていました。
「洗脳とは、暴力・脅迫行為などで従わせることを指す。
 マインドコントロールとは、こちら側へいらっしゃい、楽園だよ?と呼びこんで本人の意思で
 入るようおびき寄せ、管理していくことを指す」と。

創価のやってる事は、洗脳+マインドコントロール。どっちもあてはまるじゃん!
恐ろしすぎる、実に巧妙だ・・と背筋が寒くなりました。

この信心で救われる人もいるけど、救われない人も大勢いる事はもうハッキリしています。
「創価の信心が一番正しい!絶対勝っていける! 幸せになっていける! 悩みを解決していける!
 夢や希望をかなえていける!」
そんな甘い言葉にそそのかれて、組織の黒い魂胆(金と権力集め)に巻かれる被害者が
これ以上増えないことを願っています。
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