さわらぬ神に祟りなし(1)

いつも拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
また数多くのコメントありがとうございます。

貴重な体験談、ご意見、感想を読ませていただき、ブログをたちあげて良かったと思います。
私の初期衝動「仏罰や罰論を恐れている人達に、大丈夫だよと伝えたい」
たった一人でも、私と同じ怖れを持った人の気持ちを楽にできるならと、書き始めました。
そう思ったきっかけは、なんといっても自分が驚くほど仏罰にがんじがらめに縛られていたからです。
創価や池田老人に対するマイナスが感情・矛盾する教義をブログに綴ろうとした時の
尋常でない指の震えと、手の先に血の気が通わず冷たくなって、頭のなかが真っ白になるあの感覚は、
これまで40年以上生きて来て、初めての経験でした。
頭では「私は覚醒した!もう絶対、社会悪の創価学会などと関わらない!」
などと息巻いていたにも関わらずです。
心と体がバラバラというか、相反する状況に在ったと言う事は、深層心理の呪縛・恐怖感が
ダイレクトに身体に出たという事だったと自分なりに理解しています。

バリ活であればあるほど、自己否定は辛いことだと解ります。
しかも、そのこと(学会活動と呼ばれるすべての行動)を「極善」だと思い込んで(思い込まされて)
やっている。
会員の間で創価は”世界一の極善団体”ということになっています。
二世、三世ともなれば生まれた時から親にそう言い聞かされて育つため、親に従順な人ならば
まず疑う事はありません。
一般外部の方々からは、信じられないかもしれませんが現実なのです。

そんなバリ活と結婚を考えている外部の方は、たいへん悩まれることでしょう。
世間一般常識が通じない相手と、その親家族への対応。
学会員が100人いれば、100通りのパターンがあって、全員が同じ思いで組織に居る訳ではありません。
唯一つ共通項は、全員が創価の信仰を「悪」だと思ってはいないということです。
「悪」だと思っていない。いいことをしている、という意識のもとなので、それをやめろと言われたり
社会悪だといくら周囲から言われても、信じませんし、殻にこもりますし、反撃もします。
というか、反対されたり否定的意見をぶつけられるほどに「この信心は正しい!」と確信を深め
ますます頑なになって行きます。
わけがわからないと、一般の方々は思うでしょうが、これは教義によるものです。
創価では日蓮大聖人の教義を組織の都合いいように会員に教えています。
「この信心には難がある。正しいからこそ難が起きる」と、日蓮大聖人ご在世の法難(と呼ばれる事件)を
もちだして教えます。
あたかも宗祖と同じ目に自分は遭っている、反対や批判に遭遇する事=仏になるチャンス!くらいに
捉えさせるのです。 ありえないでしょう?しかし本当の話です。

タイトル「さわらぬ神にたたりなし」とは、私に対する外部(主人や義両親、義家族)の態度をひとことで
あらわしたものです。
以下、私が結婚~覚醒に至るまで約8年間の周囲の対応について記します。
尚、以前の記事に書いたこととだぶる内容も出てきます。
また、私の結論はそれほど外れていると思いませんが、すべての創価脳に当てはまるとも言い切れません。
ひとつの参考として軽い気持ちで読んでいただければ幸いです(外部の方へ)。

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主人の実家は浄土宗ですが神棚もあります。
義父さんが神社好きで、全国の有名な神社に行くのが趣味。 
近県の主要神社も時折訪れているようですし、初詣は必ず決まった神社へ3か所行ってます。
それが義父さんの「信仰」なのだと思います。
義母さんも義父さんの神社巡りに付き合っています。日本古来の氏神信仰が普通に生活に
溶け込んでいる、実に日本人らしい宗教観をもつ家庭です。
そんな家庭で育った主人に、さほど信仰心は無いと思います。お寺や神社が好きなわけでもないし、
義両親が買って来る車のお守りを車内にぶらさげて居る、その程度。
交際当時の話ですが、私は主人の車に乗るのがイヤでしたw お守りがあるから。
創価ではお守りは邪宗の金儲けグッズ、忌み嫌うものでした。
それをどうしようが主人の勝手なのに、私は言いました「そんなの(お守り)意味無いよ」と。
そんなお守りで交通安全できるなら誰も事故に遭わないよ、くらいの事を言ったのです。
主人は「え?」って感じでしたが「でも両親が買って来てくれたものだから大事にしてるんだ」と
答えました。
主人にとったら、お守りの効能を信じて車内に吊るしているわけではない。あくまでも両親の
「安全を願う心」を受け取ったから車内に置くんだ、という解釈です。
↑これは今だからそう理解できます。マインドコントロール下にある当時はこんなこと思いませんでした。
それ以上言えば喧嘩になることは解っていたし、主人が両親を大事にしている事も知っていたので
内心「お守りなんか飾らないでよ」と思いながらも、黙っていました。

主人は私の学会活動や信仰に関しては「全然かまわない」と交際当時から容認派でした。
私は部長をしていたので、平日はほとんど会合で潰れ、土曜や日曜も午前か午後に会合が
入る状況でしたが、もういい年齢(30代半ば)だったこともあり、週1回会えたらいいのでは?
という感じで、束縛は一切なかったです。
主人は多趣味で、趣味繋がりの友人も多く、自分も束縛されたくなかったのだと思いますw
そんなわけで活動が忙しすぎ、会えないことで疑われたり・嫉妬されるなどは一切なかったです。
それも私にはありがたかった。
同じく女子部で外部の彼と交際している人がこぼしていたのが「そんなに会合があるなんておかしい」
「浮気しているんじゃないのか?組織にも男(男子部)がいるんだろう?」という不理解から来る
嫉妬で、喧嘩になるという話。
年齢が若くても・おっさんの域でも(すいません)そういった嫉妬心をもつ男性がいるようです。
健気に・自他共の幸福を願い活動している女子部員からすれば、このような疑いを向けられることは
耐えられないと思います。喧嘩になって当然です。
本当に、外部の方には想像できないと思いますが、活動家は忙しいのです(最近は変わったかも
しれませんが)。 わけのわからない会合がいっぱいありますw 
出陣式だの決起集会だの、なんだかんだと。法戦前と折伏戦の時は特に忙しい。
本部幹部以上になれば数のすり合わせ等のミーティングも合間に入るので休日がまるまる潰れる事も
珍しくなく、夜の会合で会った幹部の友人が「今日、朝9時に会館にきて此の時間(20時過ぎ)まで
ずっといるんだ~」なんていうほどで。
しかしそれを決して「嫌だ」と思ってやってない。
多少シンドイと思いながらも「福運を積むため」「広宣流布のため」酷い場合は「師匠のため」と
思ってやっています。
外部の方には到底理解が出来ない事でしょうが、わからないなら口も出さないのが賢明です。
私は静観してくれる主人を「最大の理解者」だと有り難く思っていました。

いまだから解るのですが、マインドコントロール下にある時の心理状態は
外部に対し「敵か味方か」で相手を判断するところがおおいにあります。
たとえ恋人であっても家族でも、創価をあからさまに否定してくる人間は信仰の「敵」です。
創価が世間一般から良い印象をもたれていないことも、2世3世は理解している。
だからこそ、頭ごなしに否定しない・容認してくれる相手の事は「理解者」と感じ、安心する。
別に入会なんてしなくていいのです。「君がやってること(信心)はいいことだと思う」と言うだけ。
ここでまちがっても創価(団体)や池田老人を賛美してはいけません。そんな事すると誤解されます。
入会してくれと躍起になります。
あくまでも、「信仰を持っている君」を自分は認める。 それだけでいいんです。
しかし決して、創価や池田老人を貶してもいけません。全く誉めなくていいんですが、貶さないことも
大事です。
創価や池田老人には無関心←これは言葉に出して言う必要はありません、あくまでスタンスです。
「君の頑張ってる事だったら応援してるよ、がんばって」と。
あくまでも本人を認めている、ということを伝える。これだけで本当に安心するものです。
バリ活創価脳だった私ですが、組織に対して冷静な主人だったから、結婚に対する迷いもほとんど
ありませんでした。

交際中、主人を折伏しようと対話を試みるも「いいことだとは解るが入会はしたくない。必要ない」と
断られ続けていました。
結婚に際しても、信心をやめてほしいというような言葉は一切ありませんでした。仏壇や御本尊様を家に
入れないでくれ、というようなことも言われず。
私の両親は、父がアンチで母が創価脳でした。 きょうだいが2人おりますが(兄と姉)、
2人の結婚の際に母は「御本尊様をお受けすべき」と迫りました。
ただ、2人はアンチで学会員の自覚もなく、活動に参加した事もまったくなかったのです。
そんなアンチな子供(とその婚約者)に、母がなぜ信仰をごり押ししたのかといえば、
(これは今だから私もわかるのですが)母という創価脳な人物にとっての子供を思う最高の愛情が
「信仰を持たせること」だからなのです。
結婚生活は楽しい事ばかりでは無い。晴れの日も雨の日も嵐の日もある。
そんな艱難辛苦の長い年月を乗り越えるためにも「信仰」を支えにして欲しい。
我が子が人生の新しい局面を迎えるにあたって、一般の親御さんがお守りを我が子に持たせるがごとく
創価の親は、その子供がアンチであろうとも御本尊様をもたせたがるのです。
外部の結婚相手を入会させたがるのも、そこに理由があると思います。
親もマインドコントロール下にあるわけなので、創価の信仰こそ「幸せの直道」という思考です。
それが全くもって的外れな事であっても、創価脳の親的には本気なのです。

私は活動家だったので、母はその時点で心配していなかったのか(主人が信心容認派だった事もあり)
主人を絶対折伏しなさいとは言いませんでした。
また、主人が理解者だということも解っていたので結婚も反対されず。
おまけに、私の父が「相手の親が創価の信心を理解しているのか、了解しているのか。
承知しないと言うなら彼に会う必要もない」と、まず先に外部である主人の両親に対しスジを通そうと
しました。
実際、義両親に会いに行き私から「創価の信心をしています。
それでも(結婚を)認めていただけるんでしょうか?」と尋ねました。
義両親は、自分たちも信仰をもっている。お互いの領域を侵さないように、互いに押し付け合うことなく、
尊重し合っていきましょうと返事をくれました。
これも私にはとても有り難いことでした。
以前書きましたが、私は20代半ば頃に外部との結婚話がでたとき、相手の親御さんから
「創価の嫁はいらない」とハッキリいわれ、結婚をあきらめた事があります。
そのトラウマもあった為、いくら主人が創価の信心を容認してくれても、親は別だから油断ならないと
思っていたのです。
ただ「お互いの領域を侵さないように、互いに押し付け合うことなく」この部分には気を引き締める
思いでした。
結局「義実家で創価の話はしてくれるな・家庭内折伏はダメだよ」と念を押された様なものだから。

ここまでのまとめです。

・創価脳の本人およびその親は、創価を「極善」だと思っている。
 まちがっても社会悪だとは思っていない。騙されている自覚も当然ない。そこを理解する。
・創価脳にとって、創価を否定・批判するものは即「敵」となる。
 あくまでも「あなた本人の味方である」という立場を強調し、安心感を与える。
・「あなた本人の理解者」であることを強調する。 創価や池田老人に対しては無関心のスタンスで。
 創価や組織を賛美してはいけない。当然池田老人賛美も不要。
 ただし貶しても絶対いけない。 そこは冷静に、存在自体をスルーする。
・入会をせまられても「できない」と思うなら、ハッキリ伝えて良い。
 ただし、相手の信仰は邪魔しない、尊重すると強調する。そのかわりこちらの信仰も尊重せよと
 交換条件を出す。

中にはまれに「あなたが入会してくれないなら結婚自体をやめる」などと乱暴な事をいう創価脳も
いると思います。
そういった相手との結婚は、諦めた方が身のためだと私は思います。
おとしどころを探ろうという姿勢もない人間です。
たとえマインドコントロール下にあるといえども、持って生まれた「性格」が出ているのです。
そういった人の多くは、覚醒しませんし、覚醒したとしたら振り幅が大きすぎてきっと大変な事に
なります(心の病で)。
相手が狂おうとも添い遂げたい、それほど好きだ!自分は生涯をかけてサポートする!という
情熱があるなら止めませんが、あなたが先に壊れてしまわないか?
私はそっちが心配です。

マインドコントロール下であっても、人間の心をかけらでも持ちあわせていれば、
外部の相手とのおとしどころや、着地点を探そうと努力するものです。 
そういった相手ならば、たとえ創価脳であってもその後の信頼関係が成り立つと思います。

(2)に続きます。
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Category: 覚醒の伏線