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白蓮の頃(1)

女子部の活動に参加するようになり、私のスケジュール帳は組織の会合予定でびっしり
埋め尽くされて行きました。
アフター5に出かけるという事が、気軽に出来なくなります。
19時から始まる会合に遅れないように出席しようと思えば、退社後即帰宅というパターンになるため。
なんでこんなに会合だらけなんだろう?と疑問に思うことはあっても、何故かそれらを「さぼる」という
考えはおきませんでした。
ひとつひとつの会合・活動がすべt仏道修行と、組織で教わったからかもしれません。
休んだら、休んだ分だけ、自分の宿命転換が遅れて行くんだーというような指導があり、それを真に受けて
いたのです。 
いまおもえば、なんの根拠もないそんな言葉を盲信してただなんて、非常にアホらしいのですが。

会合でがんじがらめに縛りあげる事も「囲い込み」の手法だったと思います。
そうやって、組織以外の人間関係を薄くさせて行くのです。
まるでオウムが信者を出家させていたのと変わりません。 
実際、女子部の活動をはじめてから友達が減りました。創価だとカミングアウトしたせいもあると思いますが。
外部の人よりも、組織の人間と過ごす時間が長くなれば、組織活動に日々行く事が普通になります。
肌感覚として組織の常識=世間の常識みたいになっていくのです。これ又恐ろしい。

活動を開始して半年ほど経過したころ、白蓮Gの面接を受けてみないかと
女子部幹部から持ちかけられます。
白蓮Gは、幹部養成ともいわれていた人材グループ。
幾つかルールがあり、絶対強制ではなかったけれど、私たちの時代はロングヘアは禁止で
ショートカットの黒髪と決まっていました。
会館へ行く時は常にスーツかワンピースを着用する事、平常の会合でもジーンズ(デニム)で
行ってはいけない、スカート姿で行きなさい、などと規則もありました。

そして、恋愛禁止(大笑)。
当時は白蓮Gにも年齢制限があって、班長や委員長でもないかぎり、ヒラ班員の上限は25歳。
20-25歳という、女子にとって一番華やかで楽しい時期の1年間(在籍期間、もっと長くなる人もいた)を
恋愛禁止・ショートカットで過ごせという・・・時代錯誤もはなはだしい。
(いまおもうとこんなしきたり、将軍様の喜び組みたいでキモい)

そういえば、当時の女子部ではメンバーが恋愛しているとわかると幹部がうるさかった。
信心が歪むから、20代は恋愛なんてせずに、学会活動ひとすじで信心を積むべきだという指導も
実際ありました。
「信心が歪む」ってどういう意味なのか。
組織の活動にでなくなることを指すのだと思いますが、それを「信心が歪む」と表現して
普通の(会員以外の)年ごろの女性が普通に送っている日常生活を禁じるようなことを指導し、
従わせようとしていた。
人権蹂躙でしょう、こんなの。
池田老人の書いた「女性抄」という本にも、恋愛で信仰をおろそかにするようなことがあってはいけない・
若いうちは迷いやすいから云々と書いてありました。
そういうテメエは20代前半の女(ヨメ)と結婚したじゃん・・・と今なら突っ込む。
日蓮大聖人様が、いちどでも若い女子は恋愛禁止なんておっしゃったこと、あるのだろうか。ないと思います。
たぶん創価の将軍様(池田老)の意向だったんでしょうね、ああキモい。

そんな白蓮Gに入ると、忙しさはさらに輪をかけました。 
通常の会合に参加のかたわら、会館任務につき、課題もいろいろとあり(人間革命全巻読了、任務前日は
かならず一万遍唱題)本当に時間がなくて。仕事の時間以外は組織に時間を奪われる状態。
自分の時間なんてほとんどありません。
この当時は、それをイヤだとか不満に思う事は不思議とありませんでした。
そうして忙しくしている自分に酔っていたのです(大笑)。
広宣流布という崇高な目的に向かって自分は進んでいる。
その功徳は無量なんだ、今遊ぶことも・恋愛も出来なくても、未来に御褒美があると思いこんでいたから
平気でした。 脳内花畑だったのです。

恋愛禁止は強制ではなかったので、班員には彼氏もちの子もいました。
そういったメンバーに対して、幹部の指導は無駄に長かったし、非常に厳しかったです。
毎回別れろとハッキリ言ってました。仏道修行の邪魔だからと。
泣きながら指導を受ける班員、少し離れたところで他の班員は御書をよみながら指導が終わるのを待ちます。
8ユニオンといって、白蓮Gひと班のメンバーは8人なのですが、毎週班会があって
全員の指導が済むまで帰ってはいけないというルールがあったのです。
私のいた地域は厳しかったので、うちだけのルールだったかもしれませんが。
私は彼氏がおらず、8人のうち2人の班員が彼氏持ちだったのですが、この2人のせい(?)で帰宅が遅くなります。
内心、イライラしていました。口に出す事は無かったけど。
別れて無くても、嘘でもいいから「もう別れた」って言っちゃえばいいのにーと思っていました。
いまとなれば、こうして恋愛無関係のメンバーまで居残りにして見せしめのような指導を行っていたことにも
意味があったんだとわかります。
周りに迷惑をかけてるんだぞ、と恋愛しているメンバーにプレッシャーをかけていたんでしょう。
そして恋愛していないメンバーに対しても、恋愛するとこうなるぞと見せしめていたんでしょう。
暴力こそなかったけど、精神的総括・粛清でしょうこんなの。
当時はそれがあたりまえというか、組織における日常でそれほど違和感もなかったのだけど
いま遠くから眺めるように思い返すと本当に怖いし、ただただ異常。
カルトと言われても、仕方が無いと思います。

白蓮Gは「率先垂範」がモットーとされていました。
私は瞬発力に欠ける方で、グループでいるときに幹部から何かを指示されても
まず頭で考えて行動してしまうほうでした。そして、そのことを毎回幹部から注意されていました。
「頭で考えるよりもまず行動せよ」「信心は能動でなくてはならない」
自分では、対話数もあがっていたし折伏の成果もあり(任期中に本流しました)、ちゃんとやることやってるよ!
と思っていたのですが、幹部は誉めてくれない。正直不満でした。
幹部が誉めるのは、成果などろくにあがっていなくても、ただ従順に、愚直に幹部のいうことを聞き、
打てば響くとばかり一声かかれば鉄砲玉のように飛び出していく、瞬発力のあるメンバーでした。
当時はなぜ、そのようなメンバーばかりが誉められるのかまったくわかりませんでしたが、今はわかります。
要は、創価の組織で重用されるのは
「意味はわからなくても上からの号令に反発せず行動できる」人なのです。
いちいちまともに考えてたら、つじつまの合わない事だらけだから。創価の活動の打ちだしなんて。

私が白蓮をしていた当時、創価で御本尊様の授与が開始され折伏戦が活発になった頃でした。
いま思えばぎょっとするような、組織はやっぱ腐ってたなとおもうような事柄を見聞きしました。
そのことは次に書きたいと思います。
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