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過去のこと(2)

後日、彼と会うと、遠隔地への転職にエントリーしたと打ち明けられました。
仕事が決まった段階で家出するというのです。
「親は別れろって相変わらず言ってる。でも、離れて住んだら関係ない。結婚しよう。
 二人で生きていきたい」と。
私はそこまで言われて、簡単に「別れたい」と切り出せなくなりました。

そして彼は私にも親や創価の信仰を捨てて欲しい、と言ったのです。
自分も親を捨てるから、君も捨てられるだろう?と。
私はそこで「絶対に無理」と答え、彼を驚かせてしまいます。
彼からすれば「自分は活動をしていない・親が熱心にやっている」と私が話したことで、私の信仰心は
ほとんど無いもので・彼自身の立場と同じだと思いこんでいたのでしょう。
「どうして絶対に無理なの?」と聞かれたので、私はご本尊様に3度命を救われた(と思いこんでいた)
経験を話しました。
そのようなこともあるから、御本尊様の無い生活は私には考えられないんだ、と。
「ご本尊様を、信心を捨てるくらいなら、結婚なんかしない」と言いました。
彼には青天の霹靂だったのでしょう。絶句していました。
「本気で言ってるの?」と何度も聞かれました。
今まで一度もそんなこと、言わなかったじゃないか。急にそんな風に言いだすなんておかしいよ!
心変わりでもしたんじゃないのかと、問い詰められたのです。
彼の混乱は当然だと今は理解できます。
私は普段から彼に信仰の話なんてしたことがなく、それは二人のあいだには「関係のないこと」で
私の内面的問題と思っていたから、敢えて言わなかっただけでした。
彼をぜったいに折伏しようとも思わなかったです。その理由は、未活だったからだと思います。
活動家であれば常に「折伏」が頭にある状態ですが(会合等でも発破号令かけられますし)
未活だと、相手がとんでもない不幸のさなかにある等でないと「救わねば!」とはなりません。
当時この信仰は私一人の心の問題だと考え、結婚に際し「容認」してもらえれば・もらえるだろうと
軽く・簡単に考えていました。
だけど、ここへきて互いの勘違いと温度差が表面化。
あまりにも急な変化でおかしいと、彼に受け取られても仕方ありません。

彼が私に「信心をやめて欲しい」と言った理由を尋ねました。
彼としては、母親が私を許さない点も・私の母親が彼を許さない点も「宗教」なのだから
お互いがクリアー(無宗教)になれば、多少互いの親の心証がよくなるのではないか?という考え。
彼ならではの考え方だと思いました。が、私には到底受け入れられるものではなかったです。

私は彼に「親と縁を切るのは現実的でない」ということも話しました。
少なくとも私は、結婚を反対する自分の母親を恨んでなく、縁を切ろうなんて思わない。
どちらかといえば、母に悲しい思いをさせて「申し訳ない」という思いでいたのです。
また、遠隔地に二人で行くという事も私には考えられないと伝えました。
親元を遠く離れるなんて無理だと思っていました。
学会を離れていても、母親依存症だったからです。
彼はどうかと言えば、親には感謝しているが、宗教を理由に結婚を許さないなんておかしい。
親と縁を切ってでも好きな人と一緒になりたい、という考えでした。
話し合いを続けましたが、こんな調子でどこまでいっても平行線です。
柔和な彼でしたが、ご本尊様や親を裏切れないと主張し続ける私に堪忍袋の緒が切れたのか、
「君は本当に人を好きになったことがないんじゃないのか?」と怒ったように言いました。
心外だ、と私が泣くと慌てて謝り「ごめん言いすぎた」と焦った様子でした。

「本当に人を好きになったことがないんじゃないのか」こう思われても仕方がありませんよね。
一般社会人の方々には、何よりも大切な物が愛する人ではなく、宗教で本尊だなんて
考えられない事でしょう。
しかし、広い世の中には、そのように刷り込まれて育った人間もいる。これは現実なのです。
狼に育てられた少年ジュマの話をご存知でしょうか。たぶんそれと同じです。
これはもう、理屈では無いのです。
私は人間らしさを失っていました。人の尊厳と呼べるものです。
何よりも誰よりも大切なものはご本尊様で信仰、そんな人間だったのです。
それゆえ彼を傷つけ、不理解で苦しませたと思います。
それに気がついたのは覚醒後です。 つい最近まで、そんな風には考えませんでした。

私の中で「親から反対されてまでも結婚する」という考えは、はなからありませんでした。
これは教義の問題云々以前のことで、私自身がそのような祝福されない結婚はイヤだったのです。
きょうだいが祝福されない結婚をしているのを見てきたこともあったでしょうし、
外部の友人はみんな双方の家族に祝福されて、盛大な挙式披露宴を行い、幸せそのものだった。
私だけが、そうなれないのはイヤでした。 挙式披露宴が出来ないなんて、みじめな事は嫌だった。
プライドが勝っていたんです。愛情云々よりも。 これは彼には言いませんでしたが。

今頃になって、彼がどうして親を捨てたかったのかその気持ちが解ります。
自分が納得もしていないのに宗教に勝手に入れられ、その教義上で異教徒との結婚は
許せないという親なんか、そりゃ捨てたくもなるよねって。
今だから解るというのがなんとも皮肉ですが、当時の私はマインドコントロール下にあったから
彼の「親を捨ててまで一緒になりたい気持ち」がわかりませんでした。
そこには創価の思想「(他宗派の親でも)話し合えばわかりあえる」もあったと思います。
でもエホバは一神教なので、話し合いで分かり合える訳ないんです、それは最近理解しました。
そして、彼が私に「創価を捨てて」と言ったのも、彼にとってのエホバが足かせだったように
私にとっての創価も同じなんじゃないか・楽にしてあげたいって思いだったのかもしれないと
今になってそう思います。
彼の気持ちに寄りそえず、寂しい思いをさせてしまった事は申し訳なかったな、と思います。

余談ですが、この2年後(彼と別れた後)会社の先輩の結婚式に出席した時。
ご主人の国籍問題で、先輩(新婦)の両親が結婚に大反対で、挙式披露宴に両親が出席しないという
ことがありました。
チャペル式でしたが、先輩はバージンロードを父親代わりの上司と歩きました。
とても素晴らしいお式と披露宴で、二人を見守ってきた先輩の同僚と共に涙・涙でした。
私はこのとき、件の彼の事を久しぶりに思いだして、なんともいえない気持ちになっていました。
このような、愛の貫き方もあるんだなぁ・・って。
でも、やっぱり私には無理だった、と思っていました。

話を元に戻します。

会うたびに喧嘩になることも辛くなり、私は彼に「別れて欲しい」と切りだしました。
このとき彼は私に対し、最悪ご本尊様をもってきてもかまわない(脱会しなくてもいい)と
譲歩しました。
が、私はそれでも前に踏み出す気持ちになれなかった。
理由は、彼の母親に会った時に感じた「妖気」です。
なにか、ケダモノがついているような、怨念というか殺気立った空気を母親から感じて怖かった。
彼の事は好きだけど、彼と居る限り、母親がなにかとついてまわるのは当然。
いくら離れて暮らしても、縁を切ろうとも、彼の母親であることには変わりなくて。
それに本当に縁を切るなんて無理に決まっている、と思っていました。
病気になったり、なにか事があれば、会わないわけにいかない。
そのときに自分があの妖気と対峙する自信が無かった。しかしそれを彼に言う事は出来ず。
彼は「あきらめられない」と言いました。
なかなか引き下がらない彼から、連絡が来ると断れず、ずるずると会い続けていました。
すると、彼から遠隔地の転職が決定し、転居するとの話が。
「最後のお願いだ、一緒に行って欲しい」と言われましたが、私は健康上の理由で不安があり、
親元を離れたくないと言って断りました(学会活動を休むきっかけとなったPTSD症状のことです)。
彼は、私に負担をかけまいと思ったのでしょう。
この転居は自分自身のためでもある。親から離れたいと前々から思ってた、だから君がついて
これなくても、なにも責任感じなくていいからねと。
転居の日、見送りに来て欲しいと言われましたが、私はそれも断りました。
彼に申し訳ないという気持ちはありましたが、見送りに行くことで気を持たせたくなかったのです。
そして私自身も、心が弱ると彼に甘える部分があったので、これを機にはっきり線を引こうと
思っていました。

彼と別れることになった、彼が遠隔地に行ったと伝えた時、母は喜んで泣いていました。
「祈りが通じた!」と。
ずっと、別れて欲しい・破談になる事を祈念していたと話してくれました。
娘の幸せを思っての破談祈念だったのでしょうが、別れた事を泣いて喜ばれたのは正直複雑でした。
この経験を通じ、結婚相手は学会の人か・未入信者を入会させないといけないんだとの、ゆるい覚悟が
生まれました。

別れた後、お互いに携帯電話を持ったのでたまに連絡をとりあっていましたが
私がスポーツサークルのマネージャーをするようになり多忙・彼も新しい土地で彼女が出来たのか、
自然に連絡は無くなりました。
翌年、彼の転居を知った(交際のきっかけを作ってくれた)友人から私に連絡が入り、
別れたと知って驚いた、てっきり結婚するんだと思っていたのに、どうしたの?と聞かれました。
友人は私が創価であることは知っていましたが、彼の親がエホバだという事を全く知りませんでした。
どうも内緒にしていたようです。 私は知らなかったので、ついうっかりしゃべってしまったのですが。
友人は「えーっ!」と、ドンビキしていました。
「それは、無理だよねぇ」と妙に納得もしていました。
その後、10年以上経過してから、彼が家庭を持ち、地元に戻ってきていると友人つてに知りました。

今思えばというか結果論ですが、彼とは「縁」がなかったのだと思います。
私が創価の信心をしていなかったとしても、彼の実家がエホバでなくても、何の障害も無くても
彼と結ばれる事はきっとなかったんだと思うのです。

彼と別れて暫くは、恋愛に臆病でした。いい感じになっても、また結婚の時に宗教問題が
でてくるのかと思うと、踏み込めなかったり。
また、交際を申し込まれた段階で「創価だけど大丈夫?」と聞いた事もありました。
相手は付き合う分には全然問題ないと言ったけど、じゃあ結婚するってなったらどうなの?と
突っ込むと「そのときは辞めて欲しい」と本音を漏らし、じゃあもうお付き合いはできないと
始まる事もなく終わったり。
だけど、恋愛を不意にしても惜しくないくらい、私はご本尊様への「絶対心」を持ってました。
願いが叶うご本尊様、私を外敵から護ってくれる(私に悪意をもって接する人間を、ことごとく不幸に
しちゃってくれる)御本尊様です。手放せるわけがない!と思っていました。
それが覚醒後は、すべてが思いこみで偶然で道理だったと解るわけですが。
でも、摩訶不思議な力を信じている時は、好きな人なんかよりも御本尊様が絶対だったのです。
今となっては、そんな自分はどうかしていたと思います。
だけどそんな私でも、今の主人と知り合い、義両親や家族や子供たちにも巡り合えました。
主人と巡り合ったのはバリ活時代でしたから「これぞご仏智」功徳だと、信仰と絡めて喜んでいました。
覚醒した今の解釈は、これが私の運命だったということです。

創価の恋人を前に悩む方は、まだお若いと思います。皆さんにはまだ見ぬ未来があります。
もし、創価の恋人が信心に盲目で、そのことが原因で恋愛がダメになったとしても
「縁が無かった」と思えばいいのです。
簡単に言うなと怒られそうですが、これは理屈ではありません。
運命の人なんて、どこにいるかわからない。
それが目の前の創価の恋人じゃないってことも、ありうるのです。
こればかりは、だれにも解らないことです。

いい意味でも悪い意味でも、恋愛がうまくいかなかったことを「創価のせい」にしないでほしい。
創価に負けたとか思わなくていいのです。 ご縁が無かった、それだけです。
縁があれば、相手が創価であなたが非創価でも、成就(結婚)というかたちになると思います。
縁が無ければ、相手が創価であろうがなかろうが、別れる運命だったということです。

これは乱暴な話(?)かもしれませんが、
私が居た地域のヤング婦人部は、ほとんど旦那さんとその両親から折伏を受けた外部の方でした。
私はすごいなぁと思っていました。愛する人のために入会するなんて。
逆パターンもあります。女子部から折伏を受けて入会したご主人。
我が家も無理くりでしたが、主人は入会しました(非活ですが)。
そのように折り合いをつける外部の方も、いらっしゃるということです。

私の知る限りですが、愛する人のために学会をやめたり捨てたりした人って、聞いたことが無いのです。
結婚を機に未活・非活は聞きますが、脱会は聞いたことが無いです。
それ何故なのか? おそらく、殆どの人が学会2,3世だからじゃないでしょうか。
結婚は親や家族が絡んでくることです。
外部との結婚が(非入会なら)ただでさえ文句をつけられるところ、自分が創価を捨ててまで結婚すると
いうことは、親家族との断絶を意味してしまうからです。
そしてバリ活になればなるほど、親とのつながりも深いため、親を裏切ってまで結婚などとは考えません。
結婚後、じょじょに覚醒していくパターンは多くありますが
これは結婚によって親元を離れ、冷静になる時間が増えるからだと思います。

悩める外部の方、少しでも気が楽になってもらえればいいのですが。

そしてあなたの愛する方が、一日も早く覚醒する事を願っています。
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