非活決意 その後(2)

2012年も終わりの頃、姉から電話がありました。
父方親戚の法事の件だったのですが、その時に思いきって「創価をやめようと決意した」と
カミングアウトしました。

9月以降、組織の矛盾について確認作業をしながら・自分のこれまでの人生を
非公開ブログに事細かに綴りながら振り返る中、無性に
「私の覚醒を誰か(リアルな繋がりのある人物)に聞いて欲しい」
という思いがわき上がってきたのがこの頃でした。
前回書いたとおりまずは夫に伝えてみたわけですが、あまりにもあっさりとした受容でw
なんだか肩すかしをくらったような気分だったのです。
実家方面に住む親友(外部)に電話しようかと考えた事もありましたが、唐突すぎるかな?と
躊躇もあり。
アンチ創価の姉に話すのは、かなり勇気のいる事でした。
なんせ、父の葬儀のさい創価が原因で揉めています。
「今更何を言うか!あんたは馬鹿じゃないのか!」などと罵倒される事も考えられる。
怒られるかも・一寸怖いもの見たさな気持ちと同時に、今言わなきゃ次いつ言うの?
(正月に実家で会う予定がありましたが、母がいるところで話せる事柄じゃないし)
という思いがわきあがってきたのです。
姉に「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」と切り出すと「私もあるんだ」というので
えっ?と驚き。
姉に先に話してもらうことにしましたが、再婚を考えている相手がいるとのめでたい話で
ホッとしました。
幸せでいっぱいの姉だから、きっと私の話もそう神経質に受け止めることは無いだろうと感じ。
私が姉の話を「よかったねー」と、あまり驚かずに受け止めたので
姉が「何?サプライズ感なかった?」と気にしていました。
そうじゃなくて、私の話のほうがたぶんビックリすると思うよ、と前置き
「実は、創価を脱会しようと思ってる」と話しました。
姉は「はぁ?」と言ったあと「嘘でしょう~?」と言い、げらげらと笑いだしました。
「絶対嘘だ~信じられないよ」と、笑い転げるのです。
私は本当だよ、色んな事に気付いちゃったんだよ、と言ったのですが、姉は「冗談でしょ?」と
笑いながらなかなか真剣に受け止めてくれないのです。
これまた肩すかしな反応でした。 罵倒されてもおかしくないくらいに思っていたので。
姉は「お母さんには言わない方がいいよ」と言い、私に対しては「無理しないようにね」と。
創価の思想に囚われず・マインドコントロールにもかからなかった人達ってすごいなぁ。
なんて懐が広いのだろうか、と感心してしまいました。
しかし後日姉と話したところ、この年末時点では全然信じて無かったらしいです。
何かのきまぐれで活動から離れただけで、また何かのきっかけで元に戻るんだろうと
思っていたとの事orz
さすがは身内というか、冷静だなぁと思いました。

年末からいつものように、主人の実家に帰省しました。
大みそか。年越し蕎麦をいただきながら紅白を見ている時、義両親にむかって
「初詣に行ったことが無いので、連れってもらえませんか?」とお願いしました。
義両親は顔を見合わせて意外・・って表情を見せましたが、すぐに義父さんが
「じゃあ明朝、OO様(氏神様)に行く事にしよう」と決定。
紅白を見終えてすぐ、義父さんは毎年恒例の某神社へ初詣に出かけました。
翌朝、朝ごはんを早々に済ませて義両親と私たち一家で初詣へ。
初めてのことなので全く儀礼もわからず、教えてくださいと義母に言いました。
じゃあ見て真似してね、と丁寧に教えてくれ、私も初詣(神社参拝)デビューしましたw
なぜ初詣に行く気になったかといえば、理由は様々ですが、親子ともども「一般常識人」に
なりたかったというのが一番大きな理由です。
子供は毎年、義両親との初詣に出かけていましたが、私は留守番でした。
長子は小学校入学前でもあり、記憶もハッキリしてきた頃。
「なぜかママはいつも初詣に来なかった」こんな訳のわからない記憶を残してもらいたくなかった。
その理由が「創価の教義上、神社参拝はNGだったから」なんて知られたくなかった。
この頃から、私は自分のそれまでの人生をふりかえってかなり落ち込んでいました。
創価学会員としてすごしてきた日々に対してです。
それら一切を「黒歴史」だと感じ、闇に葬り去ってしまいたいと思っていました。
別に神道に鞍替えしたとかそういうことではない。
ただ、日本人として一般的な常識や儀礼を知り身につけたいと強く願っての行動でした。
まだこの頃、ご本尊様への絶対心がありました。御書を自分で読み直し開始していたこともあり、
日蓮大聖人が神社参詣を単純に外道との理由で禁じていたんじゃない事を理解していました。
創価の教義が、大聖人の考えを歪曲したものだとわかっていたので、私は神社に「帰依」はしていない・
あくまでも年の初めに土地の氏神様(主人の実家のですが・・)に「年始のごあいさつ」に
きたまでだ、と思っていました。 だからお願い事はしていません。
「これから心を入れ変えますのでよろしくお願いします」くらいは念じたかもしれませんが。

この氏神様は地元では大変著名で、元旦とありかなり混雑していました。
お参りのあと、義父さんが御札などを買いに・義母さんと主人は子供を連れて出店を見に行き
私はひとりで神社内の由緒看板を眺めていました。
そこには「OOで御利益を頂きました」という体験談のようなものが書かれてありました。
創価脳バリ活だった当時は、こういったものを心底ばかにしてたよなぁ、としみじみ思いつつ。
此の時はそんな風に、馬鹿にするような気持ちは心に浮かんでこなかった。
創価も神社も、人々が現世利益を求めてる時点でおんなじだな、という感想でした。
それを優劣・勝敗をつけて、法華経が一番正しい・一番御利益がある・福運がつく・だから創価が
ナンバーワン! みたいに思いこんでいた自分を、なんとも頭弱だったなぁと思い返していました。

義両親は私が初詣に行きたがった理由を一切聞いてきませんでした。
午後からは夫のきょうだいが帰ってきて宴会をします。
いつものことながら、和やかでみんながにこやかで、きょうだいの配偶者同志も親しく
おしゃべりをしまさに「理想の家族」だなぁと思っていました。
私の実家では、考えられないお正月の風景なので。

2日、朝ごはんを頂いてから義実家をあとにし、私の実家へ向かいます。
義実家とは小一時間の距離です。
父亡き後、母ひとりになってしまったのでお正月といえど寒々しい実家。
年末まで多忙だったので大掃除もできなかったと言い訳する母。
玄関の上がりかまちの端に、山のように開いた痕跡の無い聖教新聞(贈呈用)と
創価新報が積み上げられているのを目にし、なんともいえない気持ちになりました。

到着後、一息ついて父のお墓参りへ行きました。
ちなみに、墓地は創価の墓苑ではありません。母方の親戚は全員、創価の墓苑を買っています。
しかし居住県にはないため、墓参り=小旅行だと親戚談。
父はそれだけは避けたいと思っていたようで、仕事をリタイヤした年に一般の墓地を購入しました。
たいへん賢明な判断だったと思います。
年末に姉が墓参りと掃除をしてくれたおかげで、綺麗な仏花がまつってありました。
母はそれを見て苦々しい表情で
「色花はやめてほしい。うちの宗派はおしきみだって言ってあるのに」と。
なんだっていいじゃん、綺麗にしてくれてるんだしとなだめました。
どうでもいいけど、おしきみにこだわりを見せるわりに、創価では造花おしきみを使う家庭も
多いですよねw
実家でも、一時期使用していました。埃がつくのが嫌だという理由で生に戻したようです。
何故にしきみなのか考えたこともなかったですが、wikiを見ていたら中国から日本にしきみを持って
帰ったのは鑑真との説があり、弘法大師が青蓮華の代用として密教の修法に使った、とのこと。
密教の修法に使われたおしきみを供える、という事を始めて知り、さらに密教のwikiを読んでみると
日蓮大聖人の教義にも出てくる言葉・概念が出てきました。
今現在、まだユダヤ教の本を読んでいるところですが、いずれ密教や天台宗についても
知識を得てみたいと思います。

話を元に戻します。
3日に姉が実家に来、皆で近郊のショッピングセンターの初売りに繰り出しました。
そこで以前の記事に書いたバリ活ちゃんと遭遇。
子供達・夫・母の4人で映画を見ると言うので、姉と私でゆっくりお茶をしました。
その際に姉から「再婚相手を母に会わせる前に、あなた会ってくれない?」と持ちかけられ。
相手に母が創価の猛信者で、結婚の挨拶をしに行った際に信仰をごり押ししてくる可能性がある事を
話したところ、お相手が創価のことを殆ど知らない為、まったくピンと来てない様子だというのです。
そんな人っているの?!と驚きましたが、お相手は帰国子女で大学以降も長く海外生活を経験。
日本における密な人間関係がさほどないとのことでした。
ぶっちゃけ属性の高い人なのですが、そういった育ちだと創価遭遇率が極端に低いのだと
解った気がしました。 姉の同級生(私立の中高一貫校で所謂お嬢さん学校でした)にも、創価の人は
皆無だったとのこと。
(いたかもしれませんが、おおっぴらにはしなかったんでしょう)
大学や職場には若干いた様ですが、姉は実家が創価だということはひた隠しにし
「私、創価って大っきらい」と宣言し、蹴散らしていたらしいです・・。
此の時に私がどうやって創価の矛盾に気がついたのかなど、洗いざらい話しました。
姉はうんうん聞いた後「よかったよ、気づけて。あなたとは一生わかりあえないと思ってた。
宇宙人だと思ってたから」とふつうに言いました。
「宇宙人」 これが姉の中での、折り合いの付け方だったんでしょう。
価値観も・文化も・何もかもが自分と違うと弁えれば腹も立たない、そんな感覚なのだと思います。
再婚に対する姉の懸念(母がうるさいのでは?)についても、私からお相手にアドバイスすると
いうことでまとまりました。
姉に対し、父の葬儀でもめた負い目があるので、再婚の件(母対策)に関し全力でサポートしようと
ひそかに決意しました。

そして夜、地元の女子部時代の後輩に会いました。この記事に書きました。
帰宅すると夫子供はもう寝ており、母がテレビを見て待っていました。
私が女子部時代の後輩と会うと話して出かけたので、待ち構えていたと言ってもいいと思います。
彼女が活動に全く出てこないことについて、母は日ごろから文句を言っていたのです。
同じブロックで唯一の女子部員、子供時代から知っているということもあって。
また以前はバリ活で本流経験もあり、そういった過去の栄光を見てきているだけに寝ている事が
勿体無いという、創価の婦人部にありがちな独りよがりの考え方です。
相手の立場など完全無視で、組織の都合だけで片付けたりモノをいう、盲目バリ活にありがちな姿です。
「何の話だったの?」と母が突っ込んできたので
「久しぶりに会いたかったんだって」と誤魔化しました。
本当は外部との結婚に関する相談だったけど、地域の人間にバレては困るから当然母にも内緒に。
母は「なんで活動に出て来れないのか聞いてちゃんと指導したの?」と言いました。
これには私、苦笑しました。何故に私が「指導」?とw
私が婦人部に行った時点でもう女子部の上下関係はなくなっています。単純に年上の先輩って
それだけの話。
私が信心指導するような立場にないんだよ、と母に言いました。
母は「そんな事は無い、いつまでたっても信心の先輩・後輩には変わりない」と言いだしました。
けど私は婦人部未活。そんな人間に説教する資格なんてないじゃんと答えると
母は「あ、そうだったわね」と妙な納得をしていました。
そして、そんなつもりはなかったのに、ここから母と「ああ言えばこういう」合戦を始めました。
母が「今の地域の人たちと合わないのは仕方ない。でもね、それはあなたの誤解かもしれないのよ?
自分が動けば周りが変わるの。知ってるでしょ?」と、組織のやつらが気に入らなくても活動に出れば
「法力で変わるんだ、自体顕照だよ」と言うのです。
きたきた、と思いながら「私は組織の人間が気に入らないから会合に出ない訳じゃないよ」と言いました。
母が「じゃあなんなの?」と聞くので「創価の活動は、御書に書いてない事ばっかりだから。やんなくても
いいんだよ」と言いました。
母は、はぁ?あんたナニ言ってんの?という表情で「具体的にどんな事を言ってるの。選挙?
だったら立正安国論に書いてあるじゃない。大聖人様の仰せ通りのことよ」と、ありふれた洗脳回答を
したのです。
私は「どこに結党してその政党を応援しろとある? 大聖人様の時代に政治政党なんてないよ。
立正安国論はあくまでも、国主諌暁でしょ。時の権力者に対して法華経を用いよと言ってるだけじゃん」
と反論。
母は「それを現代解釈したら選挙になるのよ」と、つらつらと創価で習った教義を述べました。
でも右から左へ受け流しました。到底「なるほど」と頷ける内容ではなく、単純なこじつけでしたから。
そして母は「私は教学部教授なのよ。女子部時代、どれだけ勉強したことか。
他人にすすめる(折伏)んだから、間違いがあっては困るって、相当勉強したの。それで間違いないって
確信があるから、ぶれないのよ」と自慢げに言いました。
その「相当勉強した」経験に於いて、勉強を教えたひと(=創価の幹部)とテキスト(=創価の書物)が
マチガイだとは母は全く思わない。疑いもしない。
いったい正しさの根拠がどこにあるのか?と、つっこんでみたい衝動にかられましたが、
私は母を悲しませたくないと思っていたから、そこは口をつぐみました。

ただ、選挙戦や新聞啓蒙に必死になり・時間と労力とお金を奪われ・疲労で寝込んでしまう事も
ある母に、そんな無駄な行動をしてほしくないとの思いが強くあり、新聞啓蒙の矛盾について話を
変えました。
このとき実家で5部とっていました。
1部は自宅用。1部は母の友人が家族がアンチ創価で新聞を入れられないので、預かってほしいといわれ
実家に入れてもらってる分。残り3部は母が贈呈用に配る分という内訳でした。
これをおかしいと思った事一回もないの?と母に尋ねると、母は
「思わなくない」と。 新聞に関してだけは嫌な思いがあったようです。
毎回、新聞長が目標数値を下してくるたび、まっさきに母に「お願いしますよ~」というらしく。
母はたまりかねて「やりますけど、新聞長も絶対やってくださいね?」と釘を刺したそうです。
ちなみにこの新聞長、いわゆる非正規労働者です。
高齢のおばあさんを含む一家全員活動家ですが、一家の暮らしはおばあさんの年金が命綱らしく
「ばあちゃんに一日も長く生きてもらわないと、自分たちは暮らしていけない」というほど。
そんな新聞長も家族全員分の聖教を購読しているとのこと。
私は母に言いました「ねえ、その姿の何処に福運があるわけ?」と。
母は目を泳がせて言い淀みましたが「でも、おばあちゃんがボケもせず健康長寿のおかげで
(年金が入り)家族の生活が成り立ってるんだったら、それは福運なのよ。
本人たちもそう言ってるんだから」と言うのです。
ごめんなさい、ハッキリ言って、なんですかそれ。下を見ればきりが無い的な解釈じゃん。としか
思えません。
”幸せは心の持ちよう”とは、よく言ったものだと思います。創価なんてまさにそれじゃないでしょうか。
池田老人のいう「永遠の楽観主義」とはまさにこの事でしょう。
以前記事にもしましたが「ポリアンナ症候群」そのものです。
宗教団体に属さずに、マインドだけならそれもありだと思います。
鬱鬱として暮らすよりは、小さなことでも喜び楽しんで前向きに、今ある事に感謝して暮らせる事の
ほうが、精神衛生上いいと思うからです。
だけど創価は違います。
数多くの方がコメントして下さってるように、創価は「搾取」します。時間もお金もです。
永遠に手に入ることのない、永遠の幸福境涯という、だれもみたことのない人参を鼻先にぶら下げて
文字通り馬車馬のごとく無報酬(どころか借金作る場合もある)で働かせるんです。
なんなでしょうかそれ。 新聞を家族人数分、購読するお金を貯蓄に回すとかしたほうが
いくらか老い先のため・家族のためじゃないのか?と、私は思いますが。
本当に、どれほど愚かしい事か。一日も早く多くの方に覚醒してほしいと望んでいます。

(3)に続きます。

追記:沢山のコメントいただいております。ありがとうございます。
   お返事は12日(夜)にさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
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