内外相対

創価で教わった五重の相対のうち「内外相対」で、神社神道は外道とされていました。
低い教えなので用いてはいけない・帰依してはならない。
神社参詣を禁止する理由もそこからきていると聞きました。
私がこの教義を教わったのは任用試験の勉強会で高校生当時(20年以上前)のことです。
いかに法華経が優れた・一番正しい教えであるかの論拠の説明に終始していました。
内外相対が一番さらーっと流された印象で、神社神道がどのようなものであるかの解説は一切
ありませんでした。

先のブログに書きましたが、私は一般社会で神社神道がこれほどまで広く受け入れられている事を
活動家の時代は意識したことも無かったし、知る環境にありませんでした。
活動家時代は見ることが出来なかった(丁度会合の時間だったので)19時から放送の
NHKのニュース番組を日々見るようになって気づいたのですが、神事をよく取りあげているのです。
日本各地の神社でどのような神事があったかを映像と共に紹介しています。
季節の風物詩として伝えているのでしょうが、公共放送のニュースで紹介されるという事は
それだけ国民の関心も高い事柄なのだと思います。
また、テレビドラマを見ていても、商店や会社のセットに神棚が祀ってあることがわりに多い。
(余談ですが、「あまちゃん」でも事務所のセットに神棚があります)
当たりまえに日本文化として馴染み、市民権を得ている神社神道。
創価の教義で育った私にしてみたら、どうしてこんなに「外道」がもてはやされているのか不思議で
ならなかったのです。 「邪宗」扱いでしたから、創価では。

歴史の本を読みあさるうち、自分の無知・無学がはっきりとし本当に恥ずかしかったのですが
私はつい2-3年前まで「神仏習合」を知りませんでした。
神社とお寺が一体化した宗教施設(あえてこう呼びます)が、その昔は普通に存在していたこと。
それを明治政府が「神仏分離」で分けてしまった事を初めて知りました。
神道には教義が無く、「外道」の文字通り「内道=個人の内なる心の問題」を解決する術や個人救済は
説かれていないそうです。
神道の基本は始祖崇敬で、成仏や救済を求める信仰とは違い、ましてや現世利益などを求める類の
ものではないと解りました。
その昔、貴族や権力者は死後の世界を恐れていました。神道ではそれらを解決できない(専門外)ので、
死後の世界や成仏を説いている仏教が、宗教祭祀として取り入れられた流れで、寺と神社が同じ敷地内に
建っている状況が生まれたと知りました。
神道と仏教が日本の国で長らく共存してこれた理由は、日本人が「餅は餅屋」の精神で使い分け
(的確な表現ではないと思いますが他に浮かばないので敢えてこう書きます)してきたからでしょう。
全く専門が別れてるから共存できたということだと、私は理解しています。
そしてこの「使い分け」こそが、日本人特有のしなやかさであり、自国の文化を大切に守りつつも
他国の文化も柔軟に取り入れていける国民性であり、素晴らしいと書いてある文章に出会った時は
感動しました。 その通りだと思いました。

よく、創価の折伏現場では「日本人の宗教観はめちゃくちゃだ」というロジックが使われていました。
生まれた時は神社で宮参り。正月は神社で初詣。だけど葬式とお盆は寺まかせ。
結婚式はチャペル式で12月にはクリスマスだと騒ぐ。こんなのめちゃくちゃでしょ?って
外部の人に問いただすのです。
キリスト教のイベントはさておき、神社とお寺を使い分ける事は決して「めちゃくちゃ」ではなく、
神仏習合~分離という歴史背景を知れば、当然の流れだという事が理解できます。
創価の人で、そこまでわかっている人が果たしてどのくらい居るんでしょうか。
覚醒後、神道について現役創価の活動家に聞いてみましたが、説明できた人は誰も居ませんでした。
青年教学1級をもっている人でも無理でした。外道は外道、そこで終わっているのです。
それは組織が五重の相対を単なる「絶対心を煽るためのツール」としてしか教えてない結果じゃないかと
思います。 

日蓮を冠した宗教は「一神教」だと仰る歴史・宗教学者の方が多数います。
それは間違いじゃないと思います。
折伏相手が「日本人は宗教デパート」ロジックに納得しない場合、今度は海外事情を持ちだすのです。
たとえば欧米ではキリスト教・イスラム圏ではイスラム教と「一神教」で、日本人のような節操無しじゃ
ないんだよ?
アメリカじゃ無宗教というと馬鹿にされるし信用してもらえないんだよ。
宗教をたもつこと=アイデンティティなんだよと畳みかけるのです。
(そして「だから君も諸外国と肩を並べるがごとく、日蓮仏法に帰依したまえ」と続く)

創価でバリ活だったときは上にあげたロジックが納得のいくものでした。
だけど、歴史を知ってゆく中で、この説はちょっと違うな。日本人にはなじめないものだ、と思うように
なりました。
そして、内外相対で外道(神社神道)を切り捨ててしまうことじたいが、日本文化に馴染まない事柄であって
否定している間は、広宣流布はなし得ないんじゃ?という疑問がわいてきました。
だって、一般社会への(神社神道の)浸透は想像以上の物があります。
神棚を焼き払えと言って、はいそうですかわかりましたなんて、戦後の混乱期ならいざしらず
これだけ社会が成熟した今じゃ無理でしょ?と思ったのです。
焼き払え、とまでいわなくても、祀ってあるものを撤去することは「始祖への崇敬」を意識している人には
ありえないことだろうなと感じたのです。土着文化で、日本古来の風習なのだから。
日本文化、日本人としてのアイデンティティを捨てろと言うに等しいと思ったのです。

ただ、そこに気がついた時点でも、まだ私が覚醒する事はありませんでした。
理由は、私が子供のころから培った御本尊様への「絶対信」と、
巧妙に使い分けられるアメ(功徳)とムチ(仏罰)にがちがちに縛られていたからです。
自分が正しいと40年以上も信じてきた、人生のバックボーンを、そんなに簡単に否定できない。
ましてや、友人たちに「これが一番正しい」とさんざん語ってきたのにと。
困惑した私がどうしたかと言うと「もう絶対折伏はしないでおこう」と心に決めましたw
自分が納得していない・説明できない事を他人にすすめるなんて出来ません。
バリ活時代の私は20代ー30代前半と若かったし、折伏対象も同年代でした。
周囲に宗教に関して理論武装できて居る人(外部)はいませんでした。
だから創価のトンデモ教学を教わった通りそれが正解なのだと断定してしゃべってればよかった。
無知だったからそれでもなんとかなったのです。

ここで創価教学の破たんを認めて、脱会を決意しなかったのは、私が「現世利益」を強く信じる人間だったから。
御本尊様を疑う事だけはしたくないと思いました。イコール創価を疑う事につながるのだと、まだこの時は
思っていたのです。 全然ベツモノなのに、一体と考えていました。
せっかくいいところに気がついたのに、マインドコントロールは解けませんでした。
好きな人に対して、どうしてもひいき目になってしまうことがありますが、それと同じで
私は日蓮大聖人や御本尊様をずっと信じてきただけに、なかなか認めることができませんでした。

その半年後、好きでも嫌いでもなくひいき目には見れない池田老人がきっかけで私は覚醒できたのですが
この話は別の機会にします。

尚、最近ネット検索中に得た知識ですが
日蓮大聖人ご在世当時がまさに「神仏習合」の時代だったことから、他の仏教宗派・寺院が
神社を管理している状況下だったので、神社神道を「外道」とし参詣してはならないとしていたと
いう説を読み、これは歴史背景に照らして納得できるものでした。
氏神や日本古来の神様を全否定している訳ではないとの見解に、ちょっとほっとしました。
創価が教えている「低い教えだから」という単純な理由よりも、しっくりきます。
明治時代以降、神社と寺院は別れたので
氏神様や、伊勢神宮等に対する「始祖崇敬」のための・祈祷を伴わない参詣(ごあいさつ)だけなら、
日蓮大聖人の教義的にもOKということになるのでは?と私は思うのですが
創価や、その他の日蓮を冠する宗派ではいまだ「神社参詣はNG・謗法にあたる」となってる様子です。
それは「低い教えに迎合する必要はない」という切り捨て主義なのか?
神社に行かれては困る(自分たちの主義主張の整合性が取れなくなる)からではないでしょうか。

日蓮を冠する宗教が過激でカルト的だったということは、今に始まった事じゃありません。
「天文法華の乱」という史実でもわかるとおり、日蓮仏法以外は劣っている・排除してしまえと
他宗の寺社を焼き討ちにしていた時代もあるのです。
もっとも、それをやったのは正宗ではなかったので「うちは関係ない」と正宗や、正宗の教えを踏襲している
創価学会は否定するんでしょうけど。
しかし、宗祖はたった一人なのに・のちのお弟子さんがこれだけ様々な解釈で宗派を分かち
世間一般常識から大きく逸脱した教義を展開して「弘教拡大」なんて言っているのって、特異ですよね。
日蓮大聖人の教えは、誤解されやすいのではないかと思います。

こんな現状に、宗祖の思いや如何に?と考えてしまうのは、私だけでしょうか。
Category: 覚醒の伏線

気づき

「なんでも願いが叶う御本尊様」物ごころついた時から母にそう教わったことで
私は子供の頃から様々御本尊様にご祈念していました。
幼稚園年長から子供用経本を与えられごん行も開始。
子供にとっての導入部は「世界平和(広宣流布)」なんていう壮大なテーマではなく、身近なラッキー。
全ての願いが叶った訳もなく、割合にすれば3-4割だったと思いますが、
叶えばそれは「御本尊様のおかげ」そうして依頼心を強めて行きました。
私の基本は幼少期に培った絶対的な御本尊様への「信」です。
そこを揺るがせてはならないという気持ちが、組織の矛盾と向き合うことを拒絶していたと思います。

どうしても叶えたかったことが叶わず、不信を覚えた事もありましたが、そんな時に親や先輩から
「あなたにとって本当に必要でない事柄は叶わない。叶わなかった時もちゃんと意味がある。
それは後からわかるんだよ」と慰められ、素直に「そういうものなんだな」と信じていました。
40代を過ぎた覚醒した頭で考えると、べつにそれが(祈念の対象が)御本尊様でなくても・
学会活動じゃなくても、なんでもよかったじゃんと思います。
結果論なら、何処の宗教だってなんとでも言える。 納得の仕方、単なる楽観主義じゃないのかと。

親の家庭教育が、のちの人格形成に多大な影響を与える事を思うと、創価活動家の親にもとに生まれる事は
毒であり不幸だと思います。
私の場合、母の認識が根本から間違っていたにもかかわらず、それを「一番正しい」と教わった。
日蓮大聖人を崇敬し、御本尊様を信じることと・創価の存在やそこで活動する事を同列に置き、
創価の活動が仏道修行になるのだと(現実は全く別物なのにもかかわらず)。
間違った公式を「これが究極の正解でまちがいないんだから一切疑うな」と押し付けられ、
常に疑問をさしはさまないよう「功徳」や「仏罰」という言葉で封じられてきました。
気づきのきっかけは、これまでにも山ほどあったと思います。
親切に創価のカルト性や教学の破綻を教えてくれた外部の友人もいましたから。
けれどそんな忠告を私は「魔が競っている!」と捉え、創価お得意のトンデモ教学で拒絶しました。
こちらの言い分は存分に主張するくせに、相手の意見に耳を傾ける姿勢はまるでなかったです。

ヒヨコがはじめて視界に入った動くものを「親」と認識するがごとく
親から教わった事を愚直に真実だと信じる幼子時代に、この宗教が一番正しい・他は全て受け入れてはならない、
全否定しなさいと教わる事は、可能性・視野・一般社会や日本文化と接する機会を狭める
とても残念なことです。
結婚後に痛感したのですが、一般社会では神社参詣の作法は常識であったということがショックでした。
神社を見学はしてもいいけど詣でるなと言われて育った私は、参拝方法(拍や礼)を知りませんでした。
当然、初詣にも行ったことがなかったです。禁じられてますから。
そういった事柄について一般社会人と話したり、参拝しないといけない(観光やら会社行事で)シーンに
立ちあった時も「信仰上、禁じられてますんで」としらっと言うことで切り抜けられましたが
それは厚顔無恥な創価活動家の間(独身時代)だけでした。
当時の周りの人たち(一般社会人)は、そうなんだ~、とスルーしてくれましたが
内心は「非常識」「育ちの悪い子」と捉えていたと思います。
私は結婚後に未活動に転じたことで、新天地で出会った一般社会人の友人と「一般社会人のふりをして」
つきあうことになりました。
思えば、結婚前までの私は創価であることをカミングアウトしていたし・同じく創価の家で育った友人が
多かったので「非常識」を容認してもらえる環境下にいました。
それが、創価であることを隠してつきあうとなると神社や神事は避けて通れない話題なのです。
初詣はどこに行ったか。子供がうまれると宮参りや七五三のこと。
また、居住地域近くに有名な神社があることから、そちらのお祭り(神事)について
季節ごとにあたりまえのように日常会話に出てきます。
氏神様を大事にしている(定期的に詣でる)人が多いことにも驚きました。
民度の高い人たちが、日本古来の神様を大事にする傾向があることにも気が付きました。
地域社会にて、これほどまで「神社」や日本古来の神が生活の一部として寄り添っている事を、私は結婚で
この土地にくるまで知らなかったのです。 
結婚前までは、創価の人脈の中で生きていたからわかりませんでした。

私は結婚相手(外部)を折伏し、形だけの入会をしてもらいました。
主人の実家は一般的宗教観をもつ家庭で、菩提寺もあるし氏神様にもお参りします。
子供が出来た時、私は未活動ではありましたがまだマインドコントロール下にあり、神社参詣に対して
強い拒絶感がありました。
だけど、うまれた子供は主人の実家の姓を名乗る「主人の家系の子供」。
家という単位でとらえたとき、私の一存で・私の信仰だけでそれを「やりたくない」と言うのは我儘だと
考え。
なにより創価の私でも温かく受け入れ接してくれている義両親に申し訳が立たず、宮参りと七五三は
義実家の氏神様でやってもらいました。
ただし、私の実家には知らせず内緒でやりました、母はいまだにこのことを知りません。
ママ友とそんな話題(どこの神社でしてもらったか)になる時、さらっと「主人の郷里の氏神様」と
言えた事は、一般社会になじもうとしていた私には有り難いことでした。
創価が世間からいかに遊離した、隔絶された村社会なのかを強く認識できるようになったのは
外部との結婚・出産で一般社会との接点ができたおかげだったと思います。
また、婦人部が大変居心地の悪い組織で私にはなじめない処だった事も、結果として良かったと思いますw

まさに「創価の常識は世間の非常識」
それを一般社会の人付き合いになじもうとする中でヒシヒシと感じ、焦り始めた私は
組織で「外道」のひとことで切り捨てられてきた、神社(神道)について知りたいと思い
日本史を中心に読書を開始しました。3年ほど前のことです。
そのときは、組織で教わった教学を疑うというよりは、自分が信じてきたことが揺らぎ始めたので
強固な裏付けが欲しくて勉強しようと思ったのです。
また、公明党議員がとある政治バラエティ番組に出演したさい
歴史認識についてパネラーから容赦なく突っ込まれ、たじたじになっているのを見て落胆したことも
きっかけとしてありました。
(自分の意見を持たず、党から用意されたセリフだけをしゃべっていることがよくわかった瞬間でした)
ここで組織の書籍に依らなかったのは、日本の歴史・風習(神信仰)の中で日蓮仏法の立ち位置を
客観的に描いたものが私の手持ちに無かったからです。
私が結婚で家を出る際に実家から持って来た本は池田老人の指導集(もらいもの)と、御書だけなので。 
日本という国のあらましから知らないことには無理だと思い、図書館に通うようになりました。

歴史を知ると、目からうろこの事柄が山ほどあり「無知は罪なり」だと思う事の連続でした。
社会で創価学会員が情弱だとか頭弱だとかいわれますが、否定しません。
不勉強だからこそ簡単に騙され、搾取され続けて、それでもなお「尊い使命に、師匠と共に生きる喜び」
などと嬉しがっているのです。

長くなったので、歴史を学んだ中での「気づき」については次に書きます。
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