家族という魔(3)

家庭内の対立軸が、実家における大問題で、母の教育ですっかり創価脳に育っていた私は
「父やきょうだい2人が信心をしないから・学会理解をしないから、うちの家族は仲が悪い」と
つい一昨年まで、ずっと思っていました。
あくまでも、信心や学会組織を理解しない父や2人のきょうだいが悪いのであって、
対立の原因を「母と自分が信心しているせい」にした事はなかったんです。
そして、私の青年部時代の活動モチベーションのひとつが”両親の不仲解決祈念”でした。
それには父の創価への理解が不可欠だと思っており、
あくまでも父に「こっち側」に歩み寄ってもらう事でした。

私は外部の主人と結婚してさまざまな気づきがあり、覚醒に至る下地が出来ました。
主人の家族を見ていて、私が育った家庭が随分といびつなもので、私自身がその影響を大きく受けて
生きづらさを感じるようになっていた事に気が付きました。
義実家は、日本人らしい宗教観です(浄土宗で、神社も参拝)。
当然のことながら、誰も宗教祭祀・政治思想でもめる事はありません。
最初は、単純に義実家が仲良し家族なんだろうと思っていました。しかし長く関わるにつけ、これは
宗教の問題ではないか?と思うようになりました。
創価が私たち家族の和楽の邪魔をしているのでは?と気がついたのです。

結婚の際、私の父は主人と会う前に
「相手の親御さんが創価の信心を了承しているのか?無理なら結婚はあきらめなさい。
 親御さんのOKが取れていないなら、会う必要はない」と言いました。
アンチ創価の父の口から、こんな言葉が出た事に驚きながらも、私は主人にこの件を話しました。
私から直接義両親に尋ねる事になり、実家を訪れた際
義両親は「若くして信仰を持っているなんてすばらしい。私たちも信仰を持っている。
おたがいの信仰を尊重し、押しつけ合わず、侵さないようにしましょう」と言ってくれました。
つまり、容認はするが、家庭内折伏はしてくれるなという意味です。
それでもはっきりと「創価の嫁なんていらない」と言われなかっただけ、私はありがたいと思いました。
父にこの事を話すと「最初が肝心なんだよ。あとでわかってそんな嫁いらないって、返品されても
 困るからな」と言っていました。
いま思えば、父は一般人の良識をもっていたからこそ、私や母が創価の信心を持っていることで
一般家庭の人と無用なトラブルをおこさないように、最初に筋を通し・注意を払ってくれたのでしょう。
また、私が新しい家族の中で、信仰のせいで悲しい辛い思いをしないようにとの、娘を思う親心だったと
思います。

独身時代、実家に住んでいた頃、父と和やかに会話をした記憶が殆ど無く、結婚後やっと普通に
話せるようになりました。
父は、私の主人や子供(孫)を前にすると、本当に柔和なリラックスした表情で、笑顔で話していました。
そんな父をみたことが、独身時代一度も無かったので本当に驚きました。
父の笑顔を引きだしてくれた、主人と子供たちに感謝しました。
だけどいま思えば、父は誰に対してだってそんな笑顔を向けられる人だったんです。
母と私が「創価学会」という組織に属し、猛信的色眼鏡で父をみていたから、父も私や母に対して
厳しい姿勢で挑み、お互いにわかりあえなかっただけなんだと、脱会を決意して以降に解りました。

父は、私たちに「目を覚ませ!」と、言い続けてくれていました。
「お前たちは、組織にだまされている」と、しょっちゅう言われました。
一番身近な父のその言葉を、父の存命中、全く素直に受け止める事は出来ませんでした。
そこには母の刷り込み
「この信心は正しい。正しいが故に魔が競う。
 お父さんの強固な反対姿勢は、その”魔”なのだ。
 お父さんに魔が入って、私たちを怒鳴ったり脅したりして、信心をためしているのよ。
 だけど、それに恐れをなしてひいてはいけない。一歩も引いてはならない。それは不幸の始まりになる。
 私たちが、反対に屈せずに信心を貫けば、お父さんが理解する日はきっと来るのだから」と。
これも、おそらく、母が幹部から聞いた指導のウケウリでしょう。
私は、こんな組織に都合のいい教えを、幼少期から叩きこまれていました。
なので、父の言葉を「魔のたわごと」と受け止めていたのです。

家族の反対を「魔」扱いするなんて、そもそもどうかしています。
女子部時代に聞いた体験発表で、アンチ創価の父に最後まで活動を反対され続け・その父が病死したとき
「父が猛反対してくれたからこそ、私は強い信心を貫く事が出来た。父に感謝した」というものがありました。
当時は、そんなものかなと思いながら感心して聞いてましたが、こんな発想じたい、おかしい。
究極どっちが大事なの?って話で、生みの親よりも信心=この時勢では学会と師匠の池田老人って事でしょう。
こんな結論、人の尊厳を完全に失っています。
これのなにのどこが「人間主義」なのか。もう、理論的に破綻してる事は解ってるので問い詰めませんが
親や家族に反対されても創価の信仰を貫くなんて、そんな事は馬鹿げています。
そんなことしても幸福になりません。損はしても得は一切ない。
人生において、取り返しのつかない後悔が増えるだけです。
もし、親や家族に信心を反対されながらも「永遠の幸福境涯のため」「世界平和のため」「一家和楽のため」
と、創価の言いなりに信心に励んでいる人がいたら、すぐにやめて欲しい。
家族と良好な関係修復に努め、笑顔で向き合う時間を過ごす方が、人生においてどれほど建設的かと思います。

父の急逝時、私はまだマインドコントロールのさなかにいました。
最後まで組織理解を示さなかった父の死を、私は悲しいというよりも「残念」だと感じていました。
私の結婚後、やっと普通に話が出来るようになったのに。
もっと色々、話したかったと思いました。

マインドコントロールのとけた今は、父に申し訳ない思いでいっぱいです。
ずっと、本当の事を訴え続けてくれていた父を、色眼鏡で見てきた。
「この信心の凄さが解らない、可哀相な人」と、上から目線で思っていた。
けど頭が悪いばかりに組織に騙され、いいように使われ搾取されて可哀相なのは、私の方でした。
もっと早くに私が覚醒していればと、後悔してもきりがありません。
あらゆる出来事を思い返すと、鬱になりそう。だからもう、私はそれら煩わしいことに蓋をすると決めました。
私には私の家族や家庭があって、子供は日々育っていて、つまらないことで成長を見逃したくない。
立ち止まっている暇はないからです。

そして、父の死後と少し遅くはなりましたが、組織の矛盾に気付けて本当に良かったと思っています。
父が一番心配したのはきっと、私が新たに主人と築く家庭を、実家と同じものにしてもらいたくないって
事だったと思うので。
私と主人が信心で対立し、子供の一番身近な存在である私が子供に洗脳教育をし、創価一色にし、
父親を「学会や信心を理解できない、可哀相な人」なんて思わせてしまう、そんな不幸な歴史を
繰り返してもらいたくはない。
父が私に訴えたかったことだと思います。

40年以上かかって間違いに気がついた。
戻らない過去を悔いるよりも、前を向いて、やり直したい。
それが、ずっと真実を訴え続けてくれた父への供養になると信じています。

家族という魔(2)

私の母の、信心におけるスローガンは50年近く「一家和楽」(の信心)で、未だ達成されません。
池田老人が書いた色紙も、実家の仏間に飾ってありますw

母における一家和楽の信心とは、家族全員が信心をすること。
創価の活動を理解し、参加する事です。
地元にそんなご家庭がいくつもありました。お父さんお母さんは地域の役職を持ち、
子供たちも従順に活動に就いている。いつもにこにこ・家族みんなで座談会に出席。
母の理想の家庭像で「いいわね、うらやましいわ」といつも話していました。

私も母の英才教育を受けていたので、家族全員が信心をすることが一番の理想なのだと信じて
疑いませんでした。
しかし女子部にあがると、親の反対をうけながらひとり入信し頑張るメンバーがいたり・お父さんかお母さんの
どちらかが入信していて、片方は反対で、迫害(?)を受けつつも活動に参加するメンバーがいました。
そういったメンバーに対して幹部は
「家庭のなかでたった1人でいいんだよ。たった1人でも信心を頑張っていれば、三世にわたる功徳がある。
先祖も、今の家族も、孫末代も福運で飾られていく。
一人でも頑張っている事が尊いと、池田先生が仰ってます。だから大丈夫ですよ」と励ましていました。
ムムッ、そういう事?
「じゃあ、一家和楽の信心って何ですか?」私はすかさず質問しました。
幹部は「家族全員が喜んで信心をできること」と答え、究極はそこを目指していかなくてはいけない。
自分たちの振る舞いで、創価に反対する家族の心を変え、導いて行くことが大事なんですと答えました。
当時はこの回答に納得しました。
その場では「よし!」と思うのですが、家に帰ると「無理でしょ」となります。
活動家になった私と母が、居間で会合や指導の話で盛り上がっていると、父が怒って雑誌や本を
投げてき、「俺のいる前でそんな話するな。よそでやれ!」と怒鳴るのです。
聖教新聞も居間に置けませんでした。仏間が定位置です。
父が在宅時の夜のごん行は声を出さずにしていました。うるさいからやめてくれとの要望で。
私が活動に出ることについて大きな反対はありませんでしたが、帰宅が遅い事については常に怒ってました。
創価学会は夜に若い女性をほっつき歩かせてどういう了見なのかと嫌味を言っていましたし、
「お前に何かあったとしても、個人の過失だと言って創価学会は責任を取らないぞ?」と言われる事も
ありました。
これに関して、現在はほんとそのとおりだ、と感じます。
余談ですが、私の実家の周辺は住宅地ですが極端に街灯が少ないんです。
夏休みに実家に帰った折、ひとりで夜8時にコンビニに徒歩で行ったんですが、人通りも少ないし
暗いわで、行き帰りものすごくドキドキしました。
今、通り魔に遭っても、誰も気づかなくてもおかしくないよねって感じで・・。
女子部で頑張ってた当時はコンビニもまだなく、もっと暗い夜道を、近場の会合の際は自転車や徒歩で
22時すぎに平気で帰宅してました。 若さゆえだったのか、怖いと思った事は無かったです。
父からしたらそりゃ心配だったろうし、非常識に感じ、非難しても仕方ないと納得しました。
実際、県で事故もありました。
そこから女子部は帰宅21時厳守になったんですが、部長以上の会合は平気で21時からとられてましたし、
圏幹部になると22時に会館ってこともありましたから、本当に創価って非常識だったなと今になって思います。

選挙になると揉めるので、それも憂鬱でした。
父は政治討論番組が好きでよく見ており、本や新聞(一般紙)を常に読んでいて、政治の知識は学会員の
数百倍あったと思います。
なので、母や私が公明党の政策はすばらしいだの、組織からおりてきた話をそのまますることに
我慢がならなかったようで、しょっちゅう喧嘩してました。
政治に宗教団体が介入する事を父は絶対におかしい、お前たちは騙されている!と毎回言ってました。
私は父の話が始まると、あースイッチ入っちゃった・・ってかんじで、だらっと聞いてました。
そんな姿が余計に怒りを増幅させていたと思います。 
そして母は、父が公明党になんて絶対票を投じないというと「罰が当たるわよ」と平気で言いました。
こんな環境下で、一般常識人の父が狂わなかった事は奇跡だと思います・・。

一家和楽なんて言葉に、母がとらわれず、「家庭の中で、たった1人でもやっていれば尊い」を採用し
他の家族に押しつけずに居れば、まだ良好な関係を保てたのかもしれません。
家を離れた兄や姉に対しても、母は新聞を贈呈してみたり・時折電話を入れて近況を聞いては
最後に「信心や学会から逃げていてはダメ。つまずいてからでは遅いのよ」と呪文のように言うのです。
ほとぼりが冷めたころ兄嫁に創価の書籍(かねこ抄)を送りつけたりしてましたし。
きょうだいに喜ばしい事があれば「良かったじゃない、お母さん、毎日祈ってたわよ!」といい
マイナスな事があれば「それみたことか」です。
信仰に依らず、本当に真面目に現実と闘い、社会で実証を示している兄や姉からすれば
なんでもかんでも信心と絡めてくる母親と話すのは、徒労・苦痛以外の何ものでもないでしょう。
兄は結婚後ほとんど実家に帰ってきていません。
母は兄の子供たち(孫)にも殆ど会った事が無く、父の葬儀の際に会えたのですが、すっかり青少年に
なっていたので「可愛げがないわね」なんて言っていました。
小さくて可愛い時代に会えなかったのは自業自得なんですが。自覚が無いようです。

創価が標榜する「一家和楽の信心」とは、囲い込み・精神的に追い込む言葉だと思います。
家族の誰かが非活や未活であることに負い目を感じさせる作用が確実にありました。
創価の地域組織って結局、相互監視社会だから。
私がバリ活だったころ、壮年部のおじさんたちが、父に会合に出るよう頼んで欲しいと言ってきました。
家庭訪問NGだったので、壮年部から頼めなかった故です。
私は「言ってもいいけど、うちの父は来ませんよ」と答えていました。
すると壮年部のおじさんが「そこは娘の信心でお願いしますよ~」というのです。
毎回こう言われて、むっとしました。いや、すんごい腹立たしかったです。
うちの父にそんなもの通用しないんだよ・通用してたら苦労しないよ!と心で叫んでいた。
まるで父親が創価の活動に出て来ないのは、家族の責任と言われているようでむかつきました。
で、そういった壮年幹部の子女に限って未活非活だから笑わせんなよ、でした。
逆に言ってやることもありました「じゃあ娘さんおねがいしますね、お父さんの信心で」って。
おじさんは苦笑いしてましたw 

実家の母は、非活の父や子供たち(とその配偶者)に信心をやってもらいたい一心で
信心・活動を頑張ってきたといっても過言ではありません。
父は逝ってしまいましたが、遺された家族にわかってもらいたいと今も一生懸命です。
折伏のご祈念板には、兄嫁と孫の名前も並んでます。それを組織の人も知っているから、いつ出来そう?
頑張ろうね、みたいにいわれて、それがプレッシャーになっている気がします。

私も覚醒前までは、母の狂おしい思いが伝わってきて、早く家族が解る日がくればいいなと思って
いました。
だがしかし、覚醒してみると、母が創価の標榜する「一家和楽」を手放すことができれば
あっというまに家族の仲は良くなって、普通に楽しく過ごせるんじゃ、と思うようになりました。
なんといっても、私が覚醒後、姉との関係が格段に良くなりました。
一生分かり合えないだろうと思っていたのにです(向こうも、私の事は宇宙人だと思うようにしてきた
らしいです)。

「一家和楽」という言葉が強迫観念になって、家族やその配偶者・孫の入会に躍起になる親世代も
多いと思います。
無理強いすればどんどんこじれる関係もあるのに、「絶対感」を持つ創価の親はそんなことおかまいなし。
「信教の自由」という国の定めも、絶対感の前では何の力も持ちません。
創価の組織内だけ治外法権なのかと思うほどです。

創価のサイトには
「一家和楽の信心」とは、
この仏法が、自分一人だけでなく、一家、一族の繁栄を実現するものである、ということです。
「和楽」とは、仲が良く、楽しいことです。

こう説明がありました。
はっきりと「家族全員が創価の活動家になる」とは書いてないんですね。
指導上、逃げを作っておくためでしょうか。

余談ですがこの一家和楽の信心は、戸田先生が「永遠の三指針」として示したうちの1つ。
面白い事が書いてあり、2003年に池田老人が2つ加えて「永遠の五指針」になったそうです。
それを「師弟の合作」と表現していましたw どうなんでしょうそれ。
2003年当時、おもいっきりバリ活やってたのに、知りませんでした。

追加の2つが「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」
池田老人の願望がありありと出ていて、苦笑してしまいます・・w

(3)に続きます。

家族という魔(1)

私の家族について。
少し前にも書きましたが、機能不全家庭でした。
父はアンチ創価。兄と姉は父と考えを同じくし、母の事を煙たがっていました。
母は熱心な創価学会員です。私は母の影響で御本尊様と信心は絶対だと思って来ましたし、
母と同じく、この信心がわからない父やきょうだいを「かわいそうな人達」と見下していました。

兄姉と5歳以上の年齢のひらきがあり、私は末っ子です。
最近、姉から聞いて解った事なのですが、母が婦人部の活動に熱中しはじめたのは
私が幼稚園生の頃だそうです。
兄、姉ともに、会合につれまわされたという記憶がないらしく、ごん行を覚えなさいとか
朝夕、必ずお仏壇前に座って御本尊様に御挨拶(三唱)しなさいと言いだしたのは、家を新築して
仏間ができた時期(=私が幼稚園の頃)だったということでした。
それで納得しました、兄や姉がアンチ創価で生きて来られた訳がw
私は自我がはっきり芽生える前から母の英才教育を受けた形です。兄姉は、もう小学校高学年。
母の押しつけをはねかえすだけの意志をもっていたのです。

父は仕事が忙しく出張がちでした。
母のきょうだいに幹部が多く、昼夜を問わず会合へ出かけ、子供だけで留守番させているのを
父はよく思っておらず(のちに非行に走った子も多かったので)
母に「夜の活動は一切禁止」していました。見張り役は兄と姉です。
母はそれを苦々しく思っていたようで、その反動か昼~夕方までいつも不在。私たちは鍵っこでした。
そのせいで、翌日学校へ持って行く物が揃わなかったり(お店が閉まった後で買えなかった)
しました。
兄や姉はそういった事柄を、逐一父に報告して、たびたび母は父から怒鳴られていました。
私はそれを見るのが辛くて、母が活動で遅くなって私が迷惑被るような事があっても
絶対にそれを誰にも言いませんでした。 母を庇っていたんです。
ただ、一度どうしようもなく辛い出来事がありました。
小学校の宿泊学習から戻り、親が学校まで迎えに来ないと帰れないという事がありました。
初の宿泊学習なので、担任から親に直接引き継ぎというか、一言お話しするという趣旨です。
私の母はプリントを見落としていたらしく、学校に迎えに来なかったのです。
中にはお仕事しているお母さんも居て、解散時間から遅れてお迎えに来る人も居たので
私も居残り組にまじって待っていたんですが、とうとう最後の一人になってしまいました。
当時は携帯電話もありません。先生が自宅に電話をしても、出るのはきょうだいです。
結局、先生が私を自宅へ送ってくれました。 父は出張中でした。
そこへ活動を終えた母が自転車で戻ってき、先生が母を説教しました。こんなの前代未聞ですよと。
母は平身低頭謝罪してましたが、私は疲れと・迎えに来てもらえなかった悲しみと・母が先生から
怒られているという慣れない状況で、号泣してしまいました。
当然これを黙っている兄姉ではありません。帰宅した父に報告。父は激怒し、母に暴力をふるいました。
それを見た瞬間、私は「自分のせいだ」と思い、父に謝りながら止めに入ったのです。
そしてきょうだいのことを罵倒しました。「おまえらが余計な事しゃべるからいけないんだぞ」と。
きょうだいにしてみれば、私を思って(?)の行動なのに、私が怒りをぶつけた事に憤慨しました。
もう、家族全体、怒りの方向がバラバラで、しばらく家の中は険悪ムードでした。
この経験から、きょうだいにも親にも、自分の本心を言わなくなりました。
心の中で悪態ついても、ぶすっとした表情だけ見せる。 気に入らない事は表現するけど言葉にはしない。
兄や姉から私が嫌われた事は言うまでもなく、家庭内いじめのようなこともありました。
子供にとって家庭がシェルターでなくなると、周囲との差異がでてきます。学校でいじめにも遭いました。
私の心のよりどころは御本尊様しかありません。
悔しい事・悲しい事があったらすぐ仏壇の前に座ってお題目を上げていました。
我ながら、精神的に可哀相な幼少期だったとおもいます。

心の休まることがない家の中で、自分の部屋と、締め切った仏間だけが落ち着く空間です。
兄姉は仏間に入ってきませんでした。入れば母から「ごん行するの?」って言われるから。
食事時などもいつも誰かが苛々していて、食べ終わったら逃げるように部屋に帰っていたほど。
家族団欒なんて経験したこと、ありませんでした。
兄も姉も大学は県外で実家を出て行き、私の心の平和は中学生の頃に訪れました。
一人っ子状態で、わがまま放題です。暗かった性格も明るくなりました。
父は相変わらず出張がちで、母と私で夜の会合に行くようになりました。
母は私が小学生時代、辛い思いをしていたのを知っているので言いました、
「祥蘭ちゃん、これを”冬は必ず春となる”っていうんだよ」と。
なんて良い言葉だろう。大聖人様ってすごいなぁ、私はそう思っていました。
この当時、父と母と私の3人でお正月に正宗寺院に行った記憶があります。
父はアンチ創価ですが、登山にも参加していたし、正宗寄りだったのかもしれませんがよくわかりません。
そういった話をしないままだったので。いま思えばもっと話せばよかったのですが、
私にとっての父は信仰の敵であり「魔」だったから、距離があったと言うか、ちゃんと話ができませんでした。
実の父親に対してそんなことを思うなんて本当に悲しいことです。覚醒後、この件については
思い返すたびに後悔で、涙が出てきます。一生この後悔は忘れないと思います。

兄姉ともに中学受験をし、有名私立を経て有名大、国立大へ進みました。
常々、優秀なきょうだいと比較されるようなことを父から言われるのも辛かった。
でも母は勉強なんかできなくてもいい、大事なのは信心だよって慰め励ましてくれる。
人間、楽な方に流れます。当然私は、優しい言葉をかけてくれる母が大好きで、現実的なことばかりいう
父が嫌いでした。
いま、親の立場になると、父の方が正しかったし、父の言葉の本意を見ようともせず楽な方に流れた
自分が情けないです。
これも、マインドコントロールのせいだと思っています。創価の人は「それは違う」って言いそうだけど
違いません。マインドコントロールのせいです。

私は向上心がなく、中学も地元だったし・高校も友達の多くが進む近くの公立校を選びました。
大学選びとなっても、偏差値の低いところしか狙えません。
私は手に職をつけた方がいいんじゃないかと考え、専門学校への進学を希望しますが、父から反対を受け
あっさり大学受験に変更しました。
母は「創大に行って欲しい」と熱望しましたが、私は興味が無く、父は創大にお金は出さないと言うので
却下でした。 
母は、子供が3人も居て1人くらい創価教育を出したかったと、いまだに言います。
孫の一人でもいいから行って欲しいと、私に勧めてきますが、絶対に行かせたくありません・・。
一人暮らしをお前にはさせられない、他の2人と違って根なし草だからと父に言われ、実家から通える
距離の大学を選んで受験しました。
なんとか合格した大学に通いながら、バイトと遊びに明け暮れていました。

そんな中、兄の結婚が決まり、暫く平和だった家の中が宗教によって荒れました。
兄は創価の自覚なんて、ありません。活動に参加したこともないし、大学・就職で地元を離れ
遠隔地で生活していますが、統監カードは地元に置いていました(無用な家庭訪問を避けるため)。
母も、兄が頑な事はわかっていたのですが、なにせ長男だし・結婚の時は分所帯で御本尊様を
うけるべきだと主張しました。
しかし、兄が聞き入れないと解ると、婚約者に「うちの宗教は創価です。嫁に来るんだから入会するのが
あたりまえです」と直接連絡を取り言ったのです。
兄は、婚約者に創価の事は話してませんでした。婚約者の親御さんはアンチ創価でした。
破談にしてほしいといわれ、兄が激怒し、親子の縁を切りたいと父に連絡してきました。
父と母のケンカの原因は、9割が創価の事なのです。
私は、この当時はマインドコントロールにかかっていたので、なんで兄や兄嫁や父が創価を理解できない・
認めようとしないのかが、わからなかったし、そっちが歩み寄ってくれれば解決する簡単な話じゃん!って
思ってました。
あくまでも、相手が歩み寄るべきで、自分たち(創価の信心ごり押し側)が歩み寄る気はさらさらありません。
その背景は「絶対感」です。
この信心が、絶対的に正しくて、世の中に2つとないものだから。歩み寄るのはそっちの方だ。
そんな考えを平気でしていました。
これって、とっても恐ろしい事です。話し合いの姿勢なんてありません。こっちが絶対に正しいって
思いこんでるから、話し合いにならないんです。
三つ子の魂百までもといいますが、幼少期からの刷り込みは大悪、害毒です。
私の場合、御本尊様や信心が絶対である事は、太陽が東から昇り西へ沈む「法則」同然になってました。
理屈じゃないんです、もう。

結果、父がお嫁さんの実家へ出向いて詫びを入れ、母の暴走だったこと・今後一切の連絡窓口は父が
おこなうことなど約束して事なきを得ました。
最近になって姉が話してくれたんですが、この当時の母は更年期障害が酷く、若干鬱ぽくもあり
向精神薬を服用しており、正気の沙汰ではなかったということでした。
姉は兄から電話で相談をうけていたので、父に「もう(母と)離婚したら?」とたまりかねず言ったそうです。
すると父から母のメンタルについて説明があり、そういった訳だから理解しないといけないと
いわれたとのこと。
私は、なーんにも知りませんでした。そして当時、創価や信心を理解しない家族たちがみんな敵で
「魔」だとおもっていました。とんだ間違いでした。

(2)に続きます。

広告塔

活動をドロップアウトしていた当時、勤務先に出入りしている営業マンに声をかけられました。
その人は女子社員のあいだで「王子」と呼ばれるほどのイケメンで、スーツ姿も他の営業さんと
比べると数ランク上でした。 いいもの着てる・靴やバッグや時計もお金かかってるなって感じです。
大手メーカーさんだったから、お給料いいんだろうねって噂していました。
でも、どう考えてもその年齢(20代後半)にしては派手って印象。
「きっと親がお金持ちに違いない」と皆、思っていました。
そんな王子から食事に行こうと誘われたのです、私は指折り数えて約束の日を待ちました。

王子と食事に行き、最初はたわいもないことを話していたのですが
突然「君、どっかで喋りの訓練受けてるの?」と聞くのです。驚きました。
どうしてそう思ったんですか?と尋ねると、発声が違うんだよねと。
仕事で私と電話のやりとりが多かったので、気になっていたと言うのです。
声が通るし、語気がしっかり・はっきりしてる。ナレーターコンパニオンとか目指してるの?と。
この時思いました、白蓮でうけた訓練の賜物だとw
何も目指してないです、と答えると、その声を生かさない?と持ちかけられました。
何かと思えば、ネットワークビジネスのサクラでした。

後日、とある会場に呼び出されました。行ってみると私と同世代の男女が集まっていました。
賑々しい音楽と共に男女の司会者が現れて、ビジネスで成功を掴んだ会員のお話を
聞いて頂きます、それではOOさんどうぞーと、一人の小奇麗なOL風の女性が登壇しました。
どこにでもいそうな、柔らかい雰囲気の女性です。
貧しい家庭に育って、就職してやっと落ち着いたかと思えば、男に騙されてなけなしの貯金を
奪われた。そんなとき友人からこのビジネスの話を聞いた。
半信半疑ではじめてみると、最初の月は10万円程度だったが、半年を超えるあたりから
収入が50万円を超えるようになり、進学をあきらめていたきょうだいの援助もできるようになった。
このビジネスと出会えた事を感謝している。
次は自分の上にいるリーダーを目標に月収3ケタを目指している。
先輩方の成功談を聞いていると、みんな私と同じく学歴もなく・親が資産家だったわけでもない・
一般庶民でもやる気と考え方の変革次第で富を得られることがわかる。要は気の問題。
このビジネスを始めることで、皆さんにも豊かに幸福になってもらいたいと、爽やかに訴えるのです。
決して芝居がかって無いところがまた、リアリティがありました。
女性の後は男性の登壇で、王子でした。
既にファンも居るのか参加者の女性から黄色い声援があがっていました。
時に笑いを交えながら成功談を語り、最近高級外車を買いましたと言って会場をどよめかせていました。

王子はこのネットワークビジネスの、登壇者(サクラ)をやって、会員を勧誘し報酬をもらって
いたのです。
本人はビジネスに手を染めているわけじゃないんです。あくまでもサクラなので。
年齢にふさわしくない持ち物は報酬で得たお金が原資だったと解りました。
そして王子は、私にもサクラをやらないか?と言ったのです。
あくまでも本業にせず、サイドビジネスとして勧誘しているので、大手・中堅企業に勤めている
普通のOLがやっている、というのも一般の人に対し「自分にもできそう」「間違いなさそう」という
信用力になるとのことでした。
勧誘がいやだったら、登壇だけでも1回5000円でどうかと持ちかけられました。

当時、このテのマルチやねずみ講が流行ってて、友人から誘いをうけたこともありました。
でもその時は、友人本人がハマっており(既にお金をいくらか投資した後で)リアルにやっている人間の
誘いでした。
まさかサクラがいただなんて知らなかった私は衝撃を受けました。
あの友人たちも、サクラ(実際にビジネスはやってなく、用意された台本を読んでる)に騙されて
始めたんじゃないかと思うと、いたたまれない気持ちになったし、世の中が恐ろしくなりました。
要は登壇者の”見た目”と”語り口”で
「自分もこのビジネスをはじめたら、あんな風になれるかも」と憧れを抱かせ、騙してるって事だから。
実際ビジネスで儲けてる人なんてほとんどおらず、上層部と運営側(サクラ)だけが甘い蜜吸ってると
いう事実。

やんわりお断りすると、王子はお金が必要になったら俺に相談してよ・この事は秘密にしといてねと
言いました。
その後、王子はうちの担当を外れて別の営業さんが出入りするようになり、後日上司から懲戒解雇になったと
聞きました。 密告者がいたようです。
私以外のOLにも、数多く声をかけていたと思われます。

この経験を通して、フラッシュバックしたのが20代前半バリ活当時のエピソードです。
父が仕事柄、海外出張が多く通常より安く手に入ると言う事で、私は分不相応なブランドの腕時計や
アクセサリーを身につけていました。20代前半のお給料では買えないものです。
また、私は活動が忙しいストレスを買い物で発散しており、とっかえひっかえ洋服や靴、バッグを
買っていました。 でも、おしゃれをして行くところは会合しかありませんw
白蓮になると会館へ週に何度も行く事となり、自宅から会館が遠かったので、自転車だと夜道が心配だと
いうことで、父が乗用車を買い与えてくれました。 
アンチ創価の父だったけど、娘思いでした。
こういった事柄を見て、メンバーの一人が
「祥蘭は折伏も出来てるし、信心強情だから功徳の出方が違うね。すごいわ。私も頑張らなきゃ!」と
笑顔で言ったのです。
私は当時その言葉に「え?これって功徳?」
そんな風に見る人もいるんだ、と新鮮な驚きでした。

また、当時の女子部幹部が地元で有名な不動産オーナーの娘さんで、ものすごく華やかでした。
朝・昼・夜、一日の会合なのに全部服が違うと話題だった程ですw
「信心頑張ったらあんな風になれるのかな」っていう人もいました。

しかし、こんなの功徳でもなんでもないのです。
女子部で信心や活動を頑張ったからそうなったわけじゃない。折伏ができたからでもない。
無一文から這い上がった、というのとは、訳が違う。素地・基礎体力の有無の話です。
こんな基本的な事も、盲信的になると解らなくなるのでしょう。
同志におこったラッキーな出来事も環境も、全部が「信心、功徳のお陰でそうなっている」と
見る人もいる。全ては信心の厚薄によると信じ切っている、そして自分も、と学会活動に励む。
これは厄介な構造だと思います。
他人を見て頑張ろうと思う事は悪いことではないけれど、組織の場合は努力の方向を間違うことが
往々にしてあった気がします。

女子部の圏幹部以上を思い出すと、皆さん学歴もお勤め先も立派でした。
毎回の会合では華やかなスーツを着こなされ、キラキラしていて、憧れの存在でした。
そういった方たちの親御さんももれなく幹部で、自営業者だったり・創価関連の仕事をする裕福な方達です。
壮年部の支部長クラスをみていても、ほぼ自営業者だった記憶があります。最近のことはわかりませんが。
壮年部はいがみあいがスゴイって話を30代の活動期に耳にした事があって、支部長になれなかったから
非活に転じたと噂される壮年がいました。
自分の方が信心強情なのに、社会的地位であいつのほうが上だから選ばれたんだ、悔しい・・的な話です。
当時はそんなことで役職が決まるとは思えなかったけど、覚醒した今は、その傾向は多分にあるだろうって
思います。
幹部=広告塔。
大福運を掴んでいると見えないと、下は当然ついてこない。

創価が宗教を笠に着た巨大なネットワークビジネスだと思われても、いたしかたないでしょう。
確実にもとおかれている「属性」を人事に利用してきた事は間違いないんです。
実家の母がいってました、昭和30-40年代の創価ではスーツを着た男性を「人材」と呼んだ、とw
ブルーカラーよりはホワイトカラー。高卒よりは大卒。
そういった属性の人はすぐ幹部に登用されたそうです。
創価は権威主義では無いと言いますが、大嘘です。
民衆、庶民って言うけど、属性の高い人を広告塔にしてきたことは間違いない事実です。

今年の選挙で新人議員を見ていても、見事に広告塔って感じでしたもんね。
若くて見た目もよくて、創大卒w 経歴も素晴らしい。
会員は、そりゃ応援しますよね。 
また、「創価家族」という言葉があるように、直接血縁関係が無くても同じ創価の仲間というだけで
そういった珍しく抜きんでている人達を”身内”の感覚で、まるで自分たちの誇りにします。
活躍している芸能人・スポーツ選手など有名人に対しても同じ感覚ですよね。
彼らも元々のポテンシャルが高く、そうなれたのであって。信心の厚薄によるものではない。
彼らの活躍を自身の手柄のように語る学会員が多いのも、私は活動家時代からうけつけませんでした。

近頃の創価の信心は、功徳や福運を求めないものになってきているとシニフィエさんのブログの
コメント欄で拝見しました。
みんな、そろそろ現実が見えてきたのでしょうか。
もう、広告塔にむやみにあこがれてみたり・惑わされること無く、自分の足元を見つめているのでしょうか。
そうであれば覚醒前夜だと思います。
次は、仏罰なんてないこと・罰論からの脱却ができれば、もう怖いもの無しです。

宇宙銀行

創価の命脈ともいえる3大活動のひとつが「財務」。
私が考える3大の内訳は「財務」「新聞」「法戦」
この3つさえ最低限おさえておけば、普段の会合に一切出なくても組織の人は何も言いません。
結局、具体的な信心(折伏や教学研鑽)なんかしなくても、会員はおとなしくカネと票だけ供出すれば
大本営的にはOKって事。私が未活婦人部約10年で気づいた事です。

組織では財務を「どこよりも利率のいい宇宙銀行」なんて言っていました。
広宣流布のために使ったお金は必ず倍返しで戻ってくるという言い伝え。
私はそういった言葉を信じられないタイプでした。
実家の母が「身の丈に合わない財務はしなくていい」という現実的な考えの持ち主で、
有り金一切合財やるような姿を見ていなかったのも影響していると思います。
その背景は、父がアンチ創価な上、一切の金銭管理をしていた故。
母は毎月決まった生活費をもらって家計をやりくりし、父の稼ぎの総額を知りませんでした。
貯蓄、保険関係も全て父が管理。まとまったお金を母にもたせないようにしていたのです。
父がそうしていたのは、母に家計をまるごと預けて創価にお金を持っていかれちゃたまらないと
思っていたからだ、と父亡き後に姉から聞きました。
そして私は恥ずかしながら、20代後半の活動期まで自分で財務をしたことがありません。
母が家族全員分をこっそりやっていた為です。
父にばれたら領収書出せとか、生活費を無駄遣いするなと大騒ぎになるのが予測されたので、
家の中で私に財務の話をして欲しくなくて、秘密裏にしていました。
地域の人に申込書を家族分一括でもらいサイン。振込用紙の控も、後日組織からくる受領書も
家に持ち帰った事は無く、いつもびりびりに破いて駅のゴミ箱に捨てていたらしいです。
アンチの父に気付かれないよう、徹底していました。

白蓮の頃、同じ班のメンバーが活動報告をしました。
「初めての3桁(100万円)財務させていただきました」という報告で、私は驚愕しました。
彼女も私も社会人2年目でしたが、当時私の貯金額が3桁なかったからです。
自宅から通うOLで、家にお金も入れてないのに(父の方針で、親が貯金しているとあてにするな、
自分で管理しなさいって事でした)私は買い物が好きでブランド物にも目が無い。
社内預金で細々貯めている程度だったので、とてもじゃないけど3桁財務なんて今出来ないと思いました。
彼女が活動報告をした後、登壇した幹部は
「女子部2年目で3桁なんてすごい」と彼女を誉めたたえ
「皆さんも必ず、女子部の時代に一度か二度は3桁財務に挑戦してください。3桁ができれば境涯が
確実に変わります。3桁を積み重ねればどんどん境涯があがっていくということです。
素晴らしい幸福境涯を、一生の基盤をこの女子部時代に築きましょう」と指導しました。
3桁ができれば「境涯」が変わるって、どういう意味なんだろう?
どんどん境涯が上がって行くって一体?

活動報告の後、彼女に「境涯が上がった実感ある?」と聞いたメンバーが居ました。
彼女は「うん。すっきりしたよ。何か違うって感じする」と笑顔で答えました。
質問したメンバーは「すごい!私もがんばろう」と決意した風で。
私は横でこのやりとりを聞いても、憧れるとか・自分も頑張りたいとかそういう感情は一切わいてこず、
ただただ、すごいな。でも私は絶対出来ない。そう思っていました。
何か「絶対的に超えられない壁」が私と彼女の間にあると思いましたw
私はきっと強欲なんだなと、業が深いんだなと思うしかありませんでした。

財務のたびに婦人幹部をまじえた懇談会があって、どのくらい出来そうか聞いてきます。
具体的な金額では無く桁数です。
私は母にやってもらってると言えないので適当に毎回「2ケタ」と答えていました。
就職何年目かも聞いて来て、年数が長い人だと「そろそろ3桁頑張ったら?」と言われる事もありました。
なんか毎回とてもいやーな雰囲気でした。
婦人幹部はあるときこうも言いました
「お金なんてものは、必要な時に必要なだけあったらいいんです。余分な蓄えなんかいりません。
たとえば、急に家電が壊れたとする。その壊れた家電を買い変えるだけのお金がその時手もとにあったらいい。
今そのお金がなくても、財務をしていれば必ず”間に合う””事足りる”境涯になるんです。
だから我が家は、12月は預金残高が¥0なのよ。 でも、不思議と必要な時に必要なだけのお金はある。
それを境涯っていうんです。 余分なお金は全て広布のために使って頂くという思いがあれば、生活は
必ず守られるもの。
結婚資金なんてためこまなくていいのよ。嫁入りに身一つで来てくれたらいいよって、お金持ちの男性と
結婚できるだけの福運がつくんだから」と。
私はこの話にも全然なびかなくて、そんな馬鹿な!と思っていました。
又ある幹部は、3桁財務で得られる「境涯」とは「お金に振り回されなくなる事」と表現しました。
お金がなくても悠々と生きていけるってことだったんですが、それを幸福だと私は理解できない。
これは世代的にバブル後期を経験しているせいもあるのですが、自分の欲しいものを我慢してまで
広布に使って頂くという発想にどうしてもなれませんでした。

20代後半から自分で財務をすることにし、母に一体私の分を毎年いくらしてたの?と尋ねたところ
10万円だというので驚きました。 もっと少ない額を予想していたからです。
母は未活のきょうだいの分、父の分もしており、一家の総額となれば結構な金額です。
10万円から金額を落とすような事をしてはいけないと母がいうので、しぶしぶ毎年冬のボーナスから
出していました。 月々こつこつためるとか、上乗せしようと頑張る事はありません。
保険料年払いみたいな感覚でした。
同志と財務の具体的な話をすることもあまりなかったのですが、30代になって同級生の活動家と
話していたら、彼女が25歳から毎年3桁をやっているとさらっというので、驚きました。
彼女は途中転職もしていて、仕事をしていない期間があったのですが、そんな時どうしても100に届かず
カードローンで補てんして3桁を納金したというので、たまげました。
どうしてそこまで出来るの?と素朴な疑問をぶつけたところ
「1回3桁やっちゃうと、意地になる。
金額を落としたら負けみたいに思えて、自分に負けたくない。だからなんとしてでも3桁やってやる!って
なるんだ」と話しました。
私はそんな考えが全く理解できなくて、ほぉー、と聞くだけでした。
彼女がそこまでして財務を頑張る理由は
「海外にもっと衛星中継の拠点を増やして欲しいから」で
「アメリカでは、同時中継を見るために車で5-6時間かけて拠点に集まっていると聞いた。
 もっと拠点が増えれば、アメリカのメンバーが先生のご指導に触れる機会が増えるでしょ?」と。
ただただ、すごいなぁって感心するしかありませんでした。
私は財務にそんな思い入れ、みじんもなかったから。

けど、彼女には言わなかったけどこうも思ったんです
「そんなのアメリカのメンバーがお金だしあってやりゃーいいじゃん!」と。ODAじゃあるまいし。
なぜに日本人がアメリカの同志のために財務を3桁、しかも借金してまで納めるのか?
余ってるお金をあげるのとは違うのに、と。

彼女は決して「宇宙銀行に預けている」とは思って無く、純粋に海外の同志のために3桁財務を
続けていたのだと思います。功徳欲しさではなしに。
私のような俗な人間からすると、あれほど財務を頑張っていたんだから、彼女は絶対すごい境涯を
つかむんだろうな・とんでもない大富豪と結婚するのかしら?と思っていました。
現在、彼女は独身で、仕事の傍ら親御さんの介護をしています。
婦人部に勇退してからは非活です。
以前は帰省の折にお茶に行ったりできたのですが、数年前に「通院してる。誰とも会う気がしない」と
断られ、そこから連絡を取り難くなりました。
組織やいろいろに、思う所あっての事だと察します。

私は結局、女子部時代マストといわれた3桁財務をすることはありませんでした。
というか正直、勿体無くて出来ませんでした。
結婚前年の財務懇談会で、婦人部から桁を聞かれ「2桁」と答えたところ
「限りなく3桁に近い2桁よね?だったらもう、3桁いっちゃいなさいよ」と促されましたが
苦笑いで切り抜けました。
30代以上だと貯め込んでいると思われるのか、3桁は当たり前という空気で話が進むのも
怖いなと思っていました。
中には、転職期間中なので今年は控えめに・・って言ってる人に対して
「そんなことだと運が離れて行く。運というものは、一歩前に出た時についてくるものなのよ」と
まるで貯蓄を切り崩せといわんばかりの婦人幹部もいて、あなた何様?って思った事もありました。
あの手この手で3桁させようと必死な婦人幹部。
尋ねた事は無いけど、支部でノルマでもあったんでしょうか?

当時の女子部は、正社員で働いてこそ一人前。フリーターやパートは「一日も早く社会で実証を」
と幹部がせっついて就職活動を促していました。
これも、今から考えると財務部員を増やしたいだけだったのね・・と呆れます。
会員は単なるカネ集めの道具にすぎない。
女子部なんて特にそうだったのかもしれない。
恋愛を禁じたのは、男目線を気にするあまりおしゃれや美容に無駄にお金をかけたり、早々に結婚されたんじゃ
集金期間が短くなってしまうからたまったもんじゃない。
大本営における女子部とは、3桁財務の顧客くらいの認識だったんじゃないかと思ってしまいます。
恋愛の自由を奪われるわ・真面目に働いて稼いだお金は吸い上げられるわ・
すべてが「永遠の幸福境涯」という、誰も見たことのない・絵にかいた餅のために行われていた。
こんなに人をばかにした組織もないなと、いまさらですが腹立たしくなってきました。
3桁をした事のない私が怒るのもなんですが、2桁だって積み重なったら3桁になる。
募金詐欺よりたちが悪いでしょうこんなの。
財務はあくまでも寄付だから、返してもらえない事は百も承知だけど、返してほしい。私と親のお金。

そして私の覚醒のきっかけがまさに財務でした。また別の記事で書きます。