非活決意 その後(30)

姉に電話を入れたのは、私の帰国から3-4日経過した頃でしたが
まだ姉は帰国しておらず嫁ぎ先の両親が暮らす場所(海外)に滞在中でした。
手短に話せる内容でもないので、姉が帰国し落ち着いてから連絡をもらう事で一旦おき。
直後に長子の小学校生活初の体育祭があったり、春先に購入が白紙になった不動産取得が
より良い条件の物件を紹介して頂いたりと、日常に良い変化が訪れたことで
私は母との確執問題をいったん棚上げにしました。
全くげんきんなものですが、実家を遠く離れて暮らして居るため、母を四六時中思うでもなく。
もうこの頃、日常的に学会員と触れ合う機会も無ければ仏間は「開かずの間」と化していました。
「創価(信仰)」は遠くなりにけり、でまったく視界に入れず生活できる状態にあれば、
心は波打たず穏やかなもの。
この時は一瞬、帰国直後の憤懣はどうでもよくなっていました。

姉から電話がきたのはほとぼりが冷めた頃。
カーッと頭に血が上った状態からすっかり平常心になっていたので、態々連絡をもらって
なんだか申し訳ないと思いながらも、旅先であった母とのやりとりをざっくり話しました。
「それでもう、すごく腹が立って。どれだけ私たちがお母さんに迷惑かけられたかわかってる?
創価のせいなんだよって言ってやろうかと思った」と姉に言うと
「それはどうなのかな」と考え込むような声が返ってきました。
姉は「確かに活動にどっぷりハマらないで欲しかったって母に対し残念な思いはある。
でも、私は”迷惑かけられた”とまでは思ってないんだよ」と。
ええっ?!
まさに晴天の霹靂です。
被害者意識をもっていたのは私だけなのかと、信じられない気持ちで
「じゃあお母さんが創価信仰を続けても、押しつけてこようとも、全然いいの?
それ(信仰)がなかったら親子の縁も危ういような関係っておかしくない?」と姉に聞きました。
姉の答えは「もちろん信仰の押しつけは嫌だけど、自分自身がしっかりしていれば問題ない」で
私の問いかけ(親子の縁も危うい)については「私にはそれが解らない」と答えました。
つまり姉と母のあいだには「信仰上の絆」なんて最初から無いので、私のいわんとすることが
解らないのだと。
姉の答えを聞いて、私はどーんと突き放されたような気持になりました。
姉と私では次元が違うのだ、と思いました。
姉に話しても理解できないだろう、と懸念はありましたが「被害者意識」に関しては
共通していると思っていたのです。
同じ家で育っていても、マインドコントロールから逃れた人間と・どっぷり浸かった人間とでは
感覚がまるで違うことを再び痛感し。
それは父の葬儀方式で揉めたときにも感じた事でした。
友人葬を反対する兄姉に対し、当時MC下だった私は「わかってないなぁ」と
がっかりしましたし、信仰の有無がネックで家族だろうと解りあうことができないことは経験済みでした。
しかし、私は「覚醒した」はずなのに。
姉との感覚の違いは、履歴の違い。私の人生の黒歴史(バリ活盲目時代があった)は姉にない。
私がいくらその黒歴史を無かったものにしようとしても「経験」として刷り込まれている人間のそれと
何も無いまっさらな人間とでは違うんだとの、どうしようもない差異を感じることになりました。
この件は後からじわじわ精神的にくるのですが、そのことは後日書きます。

私は、自分が子育てをはじめてから母親のおかしさに気付き、覚醒に至ってそれが「人の尊厳」を
失ったものだとハッキリわかって愕然としたと話しました。
姉はうんうんと聞いてくれたあと
「で、自分が母親になるの、怖くなかったの?」と聞いてきました。
どきっとしました。 
長子を妊娠していたとき、嬉しくて仕方がないというテンションでなかったことは確かなのです。
不安と戸惑いの中、淡々と受け止めていました。
姉はもともと子供嫌いで可愛いと思えなかった・
自身が母親になる事は考えられなかったし恐怖だった・自分は子供なんて生んではいけないと
思っていた。
上手く育てる自信も無かったし、自分は虐待だってしかねないと思ってたと言いました。
それを友人にいうと「どうして?」と聞かれたが、明確な理由が言葉では出てこなかったのだと。
後に本を読みその理由が(姉と母の)母子関係にあったと解って腑に落ちたと教えてくれました。
初婚の際、不妊治療にNOをつきつけたことが相手との離婚理由でしたが
相手に真の理由を言えず、子供より仕事優先だと嘘をつき続けていたとも。
”結婚したら子供をもうけるのが当然”との意識で結婚した前旦那に申し訳ないと思ったから、
最初に話さなかったから「詐欺だ」っていわれかねないしと。
「だからあなたが子育てをしているの、すごいなって思って見てた。同じ母親から生まれていても
恐怖感とか無いんだなって。お母さんとの関係がいいからなんだろうなって」と。
私は「そんなことない」と、常に不安と戸惑いがあった事や、母を子育てのお手本にしては
いけないことをかなり早い段階で気付き、周囲の友人や義母に倣ったと話しました。
姉は意外だったと言い、自分と同じ思い(母への不可解な思い)をしていたのならと前置き
「親に期待しちゃいけないんだよ。そんな考え捨てた方が楽になるんだから」と言いました。
姉曰く、信仰の絆うんぬんで親子関係をおかしくしてしまう母親にあれこれ突きつけようと
している私は、明らかに母に期待しているというのです。
”母を変えたい・気付かせたいと思ってる訳じゃない、残酷な現実だけ突きつけたい”だなんて嘘だと。
明らかに、母がそのことで何かを気づく事を「期待している」んだと思うよと。
もし本当に母を傷つけたいだけなら、それを聞いた母がおかしくなってしまったらどうしようなんて
心配しない。 
あなたはちゃんとお母さんのこと考えてる。そこには期待があるんでしょ?
私(姉の事)はお母さんに一切期待して無い。
自分の母親がこうだったらなと、他人(目上の女性)に対して思った事は何度もあったが、そんなこと
求めるだけ虚しくなる。
もう、自分が親になるような「いい年齢」なのだから、母の事は甘えの対象でなく
ひとりの人として受け止める。
家族だからどんなに(創価信仰のせいで)残念でも縁は切れない。
だからそこはうまくつきあっていくしかないんじゃない?と。
姉は私の事を「幼稚、大人になりきれてない」といい、
いまさら過去の不満を母につきつけたって仕方ない。その不満が何由来だろうと関係ない。
あなたが母を反面教師にして、2人の子供のいい母さんになれたら、それで上等なんだよと諭したのです。
私は痛いところを容赦なく突かれ戸惑っていましたが
姉に対し「すごいね、達観してるわ」と感想を述べました。

姉は簡単にそうなれたわけではない、と話してくれました。
思春期~20代の頃、どうにも母が嫌いで、父に「別れたら?」と言った事もあった。
相談相手はいつも父で、母になにかを頼もうとか(甘えたいと)思った事が一回も無い事。
母への不可解な思いを抱え続けてきたが、母子関係の本を読んで「これだったのか」と
霧が晴れるように納得した事。
納得しても、鬱屈とした思いを隠せない時もあったが、ある年配女性の話を聞いて深い感銘を受けた。
その方は周りに常に老若男女、人が集まってくる。
いつも柔和で自然体、誰からも信頼されており悪口を聞いたことが無い。
「どうやったらこんな素敵な人になれるんだろうか」と姉は常々尊敬していたとのこと。
父が亡くなった後、その方と食事に行ったそうです。
母との確執がある・身内で近隣住みは自分しかいないので、今後どうしたものかと頭が痛いと
打ち明けた。
その方は「あなたはお父さんに愛された記憶があるか?」と聞いてきたそうです。
姉は「ある」と答え「だったらよかったじゃない、十分よ」と返ってきた。
「誰からだっていい、愛情をもらった記憶があるなら幸せなこと。その愛情を今度は周りに
配るのよ。親とか他人とか関係ない。固執しない事が幸せの早道」と。
その方は、母親を恨んで恨んで生きてきた・母親が亡くなった時「やっと終わった」と思い、
涙も出なかったとの経験を語ったのだそうです。
その方は主に祖母に育てられた、複雑な生い立ち。
時に「あんたのせいで私の人生が狂った」と子供に向かって激しく毒づくような母親だった。
早く縁を切りたいと思い、若くして結婚し主人と起業。
その仕事がうまくいっていると聞きつけた母親から金の無心が長らく続いた事。
最終的には痴呆を患って介護施設のお世話になっていたが、見舞いに行っても毒づかれ
「私の人生をめちゃくちゃにしたのはあんただ」と言い続けられたと。
その方は
「唯一母親の事だけが残念だったが、私は祖母から大きな愛情をもらってきた記憶と自覚がある。
そして主人からも大きな愛情をもらった。だから生きて来られた。
今度は私がみんなに愛情を配る番」と心がけ、周りの人に接しているとの事。
その方にはお子さんがおらずご主人も先立ち、いずれ仕事は血縁のない後継者に引き継ぐが
財産は全て孤児支援の財団に寄付すると決めていると。
姉自身も子供をもつことは考えておらず、どうせならこの方のようにひとつ乗り越え、
自分が母から愛情をもらえなかった事を悩むのでなく、父からもらった愛情を誇りに
生きたいと思うようになったと語ってくれました。
この話を聞いて「そうだったのか!」と納得したのは、父逝去後の姉が本当に柔和になった
ことでした。
それまでどこか冷たい雰囲気を私は感じており、姉が実家に一番近い場所に住んでいるとはいえ
母を気にかけた行動をとることは期待できないと失礼ながら見ていました。
しかし姉は月命日のお墓参り、母を車に乗せて一緒に行ってくれたり、身の回りの事も気をつけて
くれていました。
信仰問題について、父の逝去後に母から「御弔いのためにもご本尊様を受けたらどうか」と
いわれたことがあったのだそうです。
以前の姉なら感情的にはねつけたでしょうが「私は自分なりに冥福を祈ってるから心配ない」と
断ったそうです。 このエピソードは初耳でした。

そして姉は私の事を「なにより無償の愛を子供達からもらってる」と言いました。
「勿論主人やその家族からももらっているだろうけど、だから良かったじゃない。
あなたはもうなんにも、お母さんに固執しなくていいんだよ」と。

既に憤懣の勢いが緩やかになっていたのもありますが、この姉の諭しは私に大きな影響を与えました。
なにより、創価信仰なんてもたなくたって、実の親から辛い目に遭わされた経験の持ち主が
「愛情を配り」自他共の幸せを築いている事に感銘を受けました。

創価の世界が唯一麗しく、人間味や情もあって暖かく、血縁関係などなくても「創価家族」として
励まし合い関わり合い、落ち込んだ人を立ち直らせたり、再起させ蘇生させる、
すばらしい友愛の世界なのだとずっと思い込まされてきた創価脳の頃。
創価外の一般社会(世間)は、濁悪で世知辛くとことん冷たいものだ、くらいの認識しかなかった。
知ろうともしなかったし(姉が話してくれたような素晴らしい人物のことを)知ったにせよ
「そこに生命哲学がないなら、そんなものは根なし草だ」とかなんとか、斜め上のカンチガイで
切って捨てたかもしれない。
生命哲学がなんだっていうんだろう。ていうか、生命哲学って何だw 
身の回りレベルの「自他共の幸福」は、何も大それたことではなく
宗教団体や特定の教えを介さなくたって、ごくシンプルな心がけで実現できるものでしょう。
そこに見えもしない三世や師弟をいれるから話がおかしくなるのです、たぶん。

この姉との会話を思い出すたび、覚醒できて本当に良かったとしみじみします。
もし私が、未だ「婦人部は大嫌いだけど創価は絶対」と盲信していたならば
こんな話を姉とする事は絶対に出来なかったし、姉との関係も微妙なままだった。
そして何よりも、私は自分を取り巻く環境や人間関係に「深く感謝」できなかったと思います。
姉との電話のあとに感じ入った事は、姉がとてもいい人たちに巡り合っていることの喜びと、
私自身も数々のすばらしい外部の人たちに囲まれ、こんな私でもおつきあいしてもらっている、
ありがたいなぁという心からの感謝でした。

姉の言葉に癒された私ですが、姉の言うように
「母に期待しない」
「母を母と思わず、ひとりの人間として受け止める」を心で反芻してみても、
どうしても無視できない・引っかかってくるのが創価信仰でした。

(31)に続きます。

非活決意 その後(29)

2013年6月
帰国後の私はいつもなら必ず行う「無事家に着いたよ」メールを母に送信しませんでした。
おとなげないと言われても仕方ありませんが、空港であのような言葉を投げつけられて
何も無かったかのように普通に接する、そんな心の余裕がもてなかったのです。
また、この問題を「些細な親子げんか」として流したくない、という意志もありました。

しかし、私は母に旅先で、今までにない勢いで自分のこれまで抱えてきた不満を
ぶつけてはみたけれど「核心・本丸」に触れずじまいでした。
私がぶつけた数々の不満の元凶とは、創価信仰であり、それは母から叩き込まれたものだった。
母の思考回路の基盤となっている創価信仰が全ての不幸の始まりなのだということを・
家族の不幸の原因だということを、なにより母自身を貶めていると言う事を、私は母に言わなかったのです。 
というより、言えませんでした。
それを口にすれば親子関係が終わる・ぶち壊しになると思うと言えませんでした。
そして、私がそのような核心を包み隠しながら言葉をぶつけていたことを、母は全く感じていない風に
見えていました。
私は内心、期待していたのです。
核心そのものずばりに迫らずとも、外側からじわじわ攻めて行くように
語れば気がつくのではないか、そう思いながら不満(子供時代にしてもらえなかったこと云々)を
羅列しました。 が、母はそれを「父のせいだ」と言い、自身が学会活動に没頭しすぎたせい・
功徳信心をもとめるあまり暴走していたせいだとは全く自覚していない事が露見しました。
これはどうしたものだろうかと、私は悩ましく思い。
私の本心はすっぽり覆い隠したまま、母と距離を置くべきなのだろうか。
それとも母にずばり核心を突きつけて、親子・家族関係が崩壊してでも「解らせる」べきなのか。

この「解らせる」とは、母を覚醒させるという意味ではありません。
創価信仰が、我が実家の皆皆に対してどれほど「害毒」だったかを突きつけることです。
それは家族のだれもが試みなかった、いわばアンタッチャブルでした。

40代になって創価の矛盾に気がついた私が、子供時代から得体のしれない苦しみ・悩みを
すべて「宿業」と位置付けて生きてきた、そのことの間違いと愚かさに愕然としたこと。
悩み苦しみを創価信仰で解消すべく活動していたが、実は苦しみの元凶は創価信仰で叩き込まれた
(巧みに組織隷属のために語られる)教義そのものにあったこと。
また兄姉や亡き父とも、創価信仰さえなかったらどれだけ家族として良い時間をすごせたのか・
母ひとりが気付いていないだけで、他のみんなは創価信仰のせいで「迷惑している(いた)」、
そして従順に従ってきた私も、覚醒してしまったあとは被害意識が強くある、という現実を
突きつけたいという意味でした。
以前にも書いたとおりですが、
私の母は(創価信仰を継続する限り)一生成し得ない「一家和楽」を掲げて信心・学会活動をしている。
母の考える「一家和楽」とは家族全員が創価信仰をすることであり、なんだったら活動家になる事であり、
それで家族仲が保たれる事です。
父存命中、父や兄姉に学会理解してもらいたい。信心して欲しいと母は熱望していました。
そして父亡きあとは、兄姉(やその配偶者)が信心に目覚め・継承する事を祈り活動をしているのです。
アンチで現実的な考えの持ち主である兄姉には、残念ながら母の願いは通じません。
母が信仰の話を持ち出すほどに、親子の溝は深まるばかり。
また、生存中の父でいえば夫婦間の溝も深かったと思います。
母はそんな、創価信仰になびかずはっきり拒絶する父兄姉のことを「一闡堤」と評した事もありました。
しかし、そうやって創価信仰に反抗する姿を母にみせることで、母は「自分に題目をあげさせてくれている」
とも捉えていました。
これも、非常に良く出来た創価ロジックです。
「反対されればされるほど、この信心は正しいんです!間違いないんです!大聖人がそう仰っている!」
活動経験のある方なら誰でも、こんな幹部指導を聞いた事あるんじゃないでしょうか。
「教義」という実は限定的なルールを振りかざすことで、人の冷静な判断力を喪失させるのです。
反対されるからには、それ相応の理由があるのに。 その理由を「全く考えさせない」
思考力を根こそぎ奪ってしまう。 それこそが「思考停止」でしょう。

過日、幹部のおばと話をしたとき、ちらりと創価の矛盾点をぶつけてみたところ
「これだから教学のない人は・・」と、困った顔で言われた事がありました。
自分たち世代ほど、教学をしっかりやってないから若い子は信心の軸がぶれるんだよとw
また、母についても同じくで私が創価に対しあからさまな批判(というより事実)を話すと
「あんたは教学がなってない。教学がしっかりしていたら、そんな考え方には絶対ならない」と言います。
親世代の”不幸”をここにハッキリと感じとることが出来ました。
戸田先生時代を知る人達にとって「教学」とは、非の打ちどころのない・間違いも一切ない・
自分たちの行動指針の全てになっているのです。
当時(昭和30-40年代)の創価の、リアルな現場を知ることは中々できませんが
(捏造小説は全くあてにならないしw)実家に置いてある仏教大辞典や御書講義集のボリュームを見れば
当時いかに会員が教学研鑚中心でやっていたかが解ります。
現在のような、会長書籍頻発・老人賛美なんて時代でなかったことは確かです。
そして頻繁にあったという教学試験が、当時まだ大学進学が現代ほどメジャーでなかった世代にとっての
「プライド」になった一面も確かだと思います。
大学を出なくても「教授」「師範」になれるのですw これが選民意識をさらに高めたのではないかと。
しかしそれは、創価の狭い世間だけの資格(?)。世間一般には当たり前ですが通用しません。
だけれども教学を深めることで、自分自身が引き上げられてゆくような喜びを感じた親世代は
かなり多かったのではないでしょうか。
モノも情報も、今ほどない時代です。向学の喜びが大きくあったと想像します。
(当時、現役京大生だった矢野氏でさえ「大学では絶対に学べない学問」と、夢中になったと
いうくらいですし)
結果、創価教学が「この世の中で唯一絶対正しい教え・生きる規範」だと思いこんでしまった親世代は
それを世法にも通そうとするし家庭に持ち込み、子育てにも反映させた。
学会指導を真面目に守れば人生は安泰と信奉し、家族にもそれを押しつけた。
総体革命は、こうして着々と草の根的に広がって行き数百万という数の会員を擁し、
現在の宗教企業体としての創価があるのでしょう。

教学で頭でっかちになっている人ほど、洗脳も深いのかもしれません。
私たち世代の教学試験は、日々研鑚の積み重ねなんてものではなく。
数年に一度、試験があるよと組織から知らされ、試験範囲を勉強会に出席し学び
記憶するだけのものでした。
期間限定で、ただ渡されたテキストを読みこんで解答を覚えただけ。
その「正答」も創価サイドの解釈です。 日蓮大聖人の本意とかけ離れているものもあるでしょう。
覚醒が進んだ事もあるんでしょうが、どの御書が試験に出たのかすらもう記憶にありませんw
ただ、そのような学習機会であっても、自分にとって都合のいい教えだけは記憶に残るもの。
手持ちの御書を開いてみると、ふせんが貼ってあったり折り目をつけたり、マーカーでラインが
入っている個所が幾つもあります。
そこを読むと、その御書を学んだ時、どんな壁にぶつかり・何で悩んでいたかが思い出せます。
日蓮大聖人の言葉を単純に「励まし」と捉え、実生活を前向きに頑張っていこうとするのなら
それはごく普通に「いい心がけ」だと思います。
ただ、創価に罹れば大聖人の言葉を借りた上で実生活以上に「学会活動」に励むよう
組織に利する行動をとるようにと仕向けられていくのが問題なのです。
教学で頭でっかちになったうえ、池田老人との「師弟観」がそこに組み込まれれば完璧なる
洗脳の姿になる。 
”学会を出て幸せなどない、師匠を離れて幸せなどない”と、自縄自縛に陥るのです。

幸せになりたくて学んだ教学が、実は組織隷属の為の手かせ足かせとなっているなどと
洗脳のきいた人達は思いもしないでしょう。 
私だって数年前はそんなこと解らなかったし全然気付かなかった。

今ふと思い出しましたが、部長時代に幹部がこんなことを話していました。
組織運営で悩みにぶちあたった時は「こんな時、池田先生ならどう行動されるだろう?」と
考えてみたらいいと。
池田先生の行動をまねれば、必ず道が開ける。良い方向へ進んで行くものです。
考えても解らなければ、それは師匠を求める心がまだまだ足りないという事。
師匠を求めるためにも、毎日新聞に掲載されている「新・人間革命」を心して拝さなければ
いけない。 読んでいれば、必ずヒントが転がっている。行き詰まりなどないはずだ、と。
活動家に人革の切り抜きを奨励しているのも「教祖崇拝」を深めるためなんでしょう。

当時、上記を聞いて、そんなものなのか?と思いながら、自分にはまず出来ないと思いました。
聖人君子すぎる小説の中の池田老人と、俗っぽい私とでは人となりが違うから
真似なんてできない・真似したって同じこと(結果)にはならない、とw
池田老人を師匠だと思えず・神格化もできなかっただけに、そこは冷静な判断が
出来ていたのだと思います。
内心そう思うだけで、誰にも言った事はありませんでしたが、幹部にそんな思いを伝えたら
どんな説教が待っていたのでしょうか。
いや、すがすがしい笑顔で・目をきらきらさせながら
「大丈夫!先生を真似すれば、人間性も素晴らしく変わっていくから!」なんて
逆サイドきめられたかもしれませんねw
洗脳のきいた幹部に限ってファンタジスタでしたから・・女子部という集団は。
今、冷静に考えると”そんな馬鹿な話あるか!”と激しく突っ込みたくなります。

そして、近頃非公開コメントで寄せて頂いた、創価幹部と活動家のあいだで語られている
事柄を読ませてもらい、創価は単なるオカルト集団になっていると気が付きました。
覚醒した私からすれば「それ何て都市伝説w」と思う様な事柄を、活動家諸氏は真剣に受け止め
それを信じ切っているのです。 
例を上げれば
「東日本大震災が東京震源地でなかったのは、池田先生のおひざ元・学会本部があるから」
「東日本大震災で関西が全く何の影響も受けなかったのは、池田先生の愛する常勝関西だから」
「大阪が自然災害に見舞われないのは、師弟誓願の地だから」
こんな事柄が、まことしやかに語られている組織。
被災地や、自然災害で甚大な被害を受けているかの地の同志や組織のことを一体なんだと思って
このような事を”したり顔”で語るんでしょうか?
組織内にあっても選民意識や優越感をもちたい意識の現れなのだとしたら、それを恥ずべきです。
その姿勢は、学会員という以前に「人」としてどうなのか、よーく考えてみる必要が
あるでしょう。
まさに愚の骨頂としか思えません。

話を元に戻します(話が中々先に進まなくてすみません)。

核心を母につきつけてやるべきなのかと考えた私ですが、それを衝動的に行動に移すことは
しませんでした。
高齢者で一人暮らしの母。 決して健康体では無い母。
ショックのあまり、どうにかなってしまうかもしれない。
何かあった時、すぐに駆けつける事の出来ない遠方住みの私が無責任な事はできない。
迷惑をかけてしまうのは、実家にいちばん近いところに住んでいる姉になる。
そうなってしまったら姉に申し訳ない。
こんな思いが駆け巡った時、この問題を私は自分と母「2人だけ」の問題だと捉えてきたけれど
実は家族の問題なのではないか? 
私は最初からこの問題に姉(や兄)を入れず部外者にしていました。
なぜなら、理解できないだろうと思ったからです。
兄や姉は家族でありながら、学会員という意識はゼロだから。
私が覚醒した・脱会も考えていると姉にカミングアウトした際、姉の反応は
「お母さんには言わない方がいい」でした。
きっと、私が核心をつきつけたいなんて言ったら「馬鹿な事やめて」と言うだろう。
それでも、私がそこまで思いつめているという事を、どうしても姉に聞いてもらいたくなり
私は姉に電話をしました。

(30)に続きます。

非活決意 その後(28)

子育ての姿勢を母から批判され、遂にキレた私。
自分の気持ちをぶちまけました。
「あなたに何が解るっていうの?
丁寧に子供に関わっていくことがどれだけ大変か知らないでしょう?」
そこから堰を切るように、子供時代の私が母から「してもらえなかった事」を挙げました。
私はそれらを親になってから、身近なママ友であったり・義母さんの言動で知る事となり真似を
しながらいま子供を育てている。
子供に丁寧に関わっていく事が、自尊心を育てるのだと学んだ。
私にはそれが無かったから、自尊心が低く苦しんだと子育てを通して解った。
なんでもかんでも「御本尊様にお祈りしなさい」で片付けず、悩み迷える子供に親として
どう方向を指し示してあげたらいいのか、共に悩んで答えを出していく事が重要なんだと初めて知った。
私にはそれがなかったから、随分長い間生きづらかったんだと、子育てを始めて解った事。
学生時代も・OLになってからも、学会以外の世間で「私って変わってる?浮いてる?おかしい?」と
感じたことがどれほどあったか。 
また、普通にみんなが出来る事や簡単にクリアしていくことが自分には煩わしく・難しく思われた事。
「常識」を知らず数々恥をかいたことなどなど、自分がそれまで思い出さなかったような事まで
次々と出てき、泣きながらまくしたてたのです。

断っておくと、母がネグレクトだったわけではないと思います。
当たり前に食事も着る物も揃っていましたし、父のお陰で物質面で不自由さを感じた事は
ありませんでした。
ただ「声かけ」に関しては全くと言っていいほど不足していたと感じますし、
子供に対し”時間や手間”を省く傾向にあったと感じます。
それもこれも、時間があるなら活動に惜しみなく使いたいとの考えからだったのでしょう。
最近思い出しましたが、私がある楽器の習い事をしたいと希望した際、レッスンに親の付き添いが
必須だとの理由で「諦めなさい」と言われた事がありました。
また、幼少期~小学生時代、ずっと髪をのばすことを許されず肩までのボブかショートヘアでした。
これも最近になって理解しましたが、小さい子供は自分で髪を結えません。
親が朝、手入れしてあげるしかない。 それさえも「面倒くさい」と母の都合でショートにさせられて
いたのだなと。
長い髪を編み込みにしたり、可愛いヘアアクセサリーをつけている友達が羨ましかった。
でも、母にそれを言えない自分が居ました。
無意識のうちに我慢する癖がついていたのかもしれません。
そういった事柄が、もういくらでも出てきます。長くなるので別の機会に書きます。

いま自分が子育てをしているから解ることは「母は子供(わたし)に興味が無かった」のだと
いうことです。
そして高校生になってから急に過干渉になり、私は大いに戸惑いました。
今までほったらかしだったくせに何?と内心思っていた事を最近になって思いだしました。
これも別の機会に書きます。

このとき言わなかった件ですが
私自身が子育てに関して常に「母に相談したって仕方ない」と思って来た事・
相談すれば必ずや
「子育てに行き詰まるのは、学会組織についてないからだ!さっさと活動に出なさい」と
言われるに決まってる。
だから言えなかった・なんでもかんでも信仰と学会活動に直結させてしまい話にならない。
実の親なのにいざという時あてにならない・・といった不満もありました。

いつもと違う状況を察した子供は私に静かに抱きついてきました。そこではっと我に返りました。
母を見ると、苦虫をかみつぶしたような表情でした。
ショックを受けているというよりも、娘からダメ出しされたことを忌々しく感じているような顔でした。
私が話し終わるのを待って、母は「全部お父さんのせいよ」と言ったのです。
はぁぁ?
私は椅子に座っていましたが、椅子ごとコケそうでした。

なぜにそれが父のせいになるのか?
母曰く、父が母をいつもいつも悩ませ・困らせるような事ばかりしてきたからなのだと。
それは信仰に理解を示さなかった事をはじめ、兄姉のいいなり(これは母の表現です)となって
私立へ進学させた(そのため煩雑な事柄が母にのしかかってきた)こと、
父の性格(冷徹だった)問題など、母は常に悩みが山ほどあったと訴えました。
昼間の活動と折伏に励むことで一家の宿命転換をしなければと気張っていた・
私は年が少し離れて生まれているため、ちょうど兄姉の受験期間(中高大)に小学生期間があり
小さな私にかまっている暇はなかった、あなたは犠牲者だったね・・と言うのです。
以前書きましたが、父亡き後に姉から「お父さんが、祥蘭はお母さんの被害者だったと言ってた」
と聞かされた事がありました。
覚醒する1年前でしたが、この言葉には不思議と癒された思いがありました。
自分が被害者なのだと、感じた事がそれまで一度もなかったにもかかわらず
「父は私の事を解ってくれていたんだ(心にかけてくれていたんだ)」と感激したような思い。
今だから言えることですが、私は深層心理で「自分は母の人形だ」と不満を抱えていたのかもしれない。
だから父が「母の被害者」と発言していたことに反発や悲しみを感じず、癒されたのではないかと
思います。

しかし母が私を、父や兄や姉の「犠牲者」だったと言ったことについては、絶望的な思いしかせず。
「自分(母)はひとつも悪くないのか・人のせいにするのか・・」という落胆と。
そして両親から「犠牲(被害)者だった」なんて言われるとは・・と、私は目の前が暗くなりました。
40歳を超えて自分のアイデンティティが崩壊するような気持ちです。

「お父さんのせいにするなんてずるいよ。もうこの世に居ない人なんだよ」と
私は母を窘めました。
ここで母に
”あなたが功徳信心にとりつかれていたせいで家族が不仲だった・おかしくなったんだ”と
言ってやりたい衝動にかられましたが、思いとどまりました。
そこが海外であることや・姉の慶事で来たこと・次子も同伴していること、もろもろの状況を考えて
今言うべき事柄ではないと判断。
子供は私の尋常でなく興奮した様子を見て完全に委縮しており「どこにも出かけたくない」と言い、
母は見かねてフロントに連絡を取り、一人で行ってくれました。
母が出かけて少しすると子供も落ち着き「おなかすいた」と言うので2人で食事のため外出。
そのあと街を散歩がてらお土産を買いに行き、子供にすっかり笑顔がもどり私もホッとしました。
3歳児と見知らぬ街を歩きながら考えた事は、私は誰のせいにもしない子育てをしたいという事でした。
親として至らない事はいっぱいあるだろうし、完璧でもない。
もし成長後の我が子から「お母さんのこんなところがイヤだった」と突きつけられるような事が
あったとして、それを誰かや何かのせいには絶対にしたくない。 
素直に「悲しい嫌な思いをさせちゃったんだね、気付けなくてごめんね」と言える自分でありたいと。

そして、母がなんでも他人のせいにすることについて「そういえば」と思い当たる事がありました。

この旅行中に度々あった違和感なのですが
”母ってこんなに愚痴っぽかったっけ?”と思う事の連続でした。
出国前の空港で話していたF活動についても、嬉々としては居ましたが
外部の友人が少ないという婦人部員が自分のF活動についてきたがって「ずうずうしいのよね」とか。
また、30年来で仲良くしていた学会員夫妻がいるのですが
その奥さんに対する悪口をえんえん続けた後「最近、老人骨折したのよ、罰があたったのよね」と
言ってみたり。
その奥さんに母は下種先(折伏しようと狙ってた独居老人)を横取りされたと怒っていたのです。
その夫妻と同じ友好サークルに入っていたのですが、母が別の習い事を開始するにあたり
サークルを辞めたところ、悪口をその奥さんからいいふらされた(サークルに残っている知人から
そう聞かされた)など。
正直、私からすればレベルの低い話というか幼稚で、どっちもどっちで感心できず。
母が同志の悪口をいうなんてこと、昔はありませんでした。
私が覚醒したから急に気になりだしたという感じでもないのです。
もし、私が覚醒前にそんな話があったとしたら私は確実に母を窘めたはずです
「同志の悪口は言っちゃいけないんだよ!」とw
母との学会話題は、常に明るい事が中心でした。こんないい功徳体験を聞いてきた・誰それの折伏が
実ったんだって・こんないい指導があった・・erc
「あの婦人部、性格悪い」的な話をした記憶がありません。
これはどうした事だろうと、疑問に思いながらも宿へ帰ると母もすでに戻っていました。
私に会館でもらったパンフレットを見せて「すごく良かった。一緒に行けばよかったのに」と言いながら。
午前中の会話は無かったことのように、普通に過ごしました。
夜、子供は疲れた様で早々に寝入り、母と2人でテレビを見ながら過ごしていました。
そこでも母は組織の話をしたのですが、またも同志へのダメ出し。
ここ一年地域で折伏成果をあげているのは自分しかいない、みんな口先だけで出来ない人ばかりだと
こき下ろすのです。
私は気のない返事をしながら、えんえん続く愚痴話を右から左へ聞き流していました。
母が「ほんと、まったくもうって感じなのよね(地域)」とため息をついたので
「思ったんだけどさ、(父亡き後)学会活動が朝から晩まで思う存分に出来て私は幸せだっていうわりに、
出てくる話は愚痴だらけなんだね」とストレートに感想を言いました。
母は”しまった!”というような表情を見せ
「そうよ。まわりが結果ださないから私がやるしかない。出来る私は幸せだと思ってるのよ」と
苦し紛れな言い訳をしました。
私はお酒を飲んでおり、リラックスした状態で軽く言いました
「あなたの話を聞いていると思うんだけど、基本自分以外の人が嫌いなんだね、不満ばっかじゃん」と。
母は大慌てで「そんな事ないわよ」と否定し「心外だ」と怒りだしました。
私は「そんなこと無いと思うよ。誰に対しても、愛情を感じない。いつも自分だけが可愛いんだよね」と
感情を入れずに言いました。
素面だったらこんな事は言えなかったと思います。
おそらくこれが感情的な語気であれば、母は激しく反発したでしょうが、たんたんと話したので
母は「そうかなぁ?」と、急に不安になったように考え込みました。
「うん、昔はお母さん悪口や愚痴なんてひとつもなかったよ。昼夜活動にでるようになってからだよ。
自分で気付かなかった?」と冷静に言ってみせると
「おかしいじゃない。学会活動で、心を磨いてるはずなのに」と苦笑いで自嘲気味に言いました。
その言葉に答えず、眠くなったので寝るわと会話を切り上げました(本当に眠かったのです)。

翌日は帰国日でしたがフライト中、3人とも映画鑑賞をし会話らしい会話もせず。
おそらくですが、母に前夜の会話が刺さっていて、無意識に愚痴や悪口を言ってしまう事を懸念し
(私に上げ足とられると)話すことを回避していたのではないかと察します。
空港到着し解散する際、母は
「あんたも色々思う所あるんだろうけど、とにかく信心だけはおろそかにしちゃだめだからね。
人に対して不満を突きつける時っていうのはね、自分の信心が歪んでる時なんだよ。
わかってるよね?」と私に釘をさすように言って別れました。
この期に及んで言うか・・と呆れました。
「人に対して不満を突きつける時っていうのは、自分の信心が歪んでる時」
ものすごい誤変換で責任回避の言葉を繰り出してきちゃったな、と落胆を通り越して笑えてきました。
”そっくりそのままその言葉、あなたにお返しします”
今ならそう言えますが、この時そんな機転はききませんでした。

信心一筋な母は唯我独尊。 なにも、ひとつも悪くないらしい。
「(創価)信仰」を何もかもの免罪符のように考えているんじゃないだろうか、この人は。
だとしたらもう、つける薬は無い・・。
私はそう感じ、自ら母との絶縁を考えるようになりました。

(29)に続きます。

非活決意 その後(27)

2013年6月、姉の挙式翌日は観光をする予定でした。
しかし次子が朝起きようとしません。
到着3日め、子供は疲れていたのです。
私はそのまま寝かせておきましたが、次第に母がイライラし始めました。
「せっかく来たのに時間が勿体無い、無理にでも起こせばいいのに」と言うのです。
私は内心呆れました。 
大人の都合で連れてきた3歳児、観光といってもオプショナルツアーに申し込んでいた訳でもない。
自分たちで自由行動するだけのこと。
だったら子供にあわせてやるのが親心というものじゃないでしょうか。
無理をさせて体調を崩したら帰りの飛行機にも乗れません。
小さい子連れの旅は、気を使いすぎるくらいで丁度いいのだと私の持論です。
ちょっと待ってあげようよ、と言うにとどめましたが、母は我慢ならなくなったのか
子供をゆり起そうとしたのです。
すっとんで行って止めました。そして「時間勿体無いなら一人で行ってくればいいじゃない」
と伝えました。
母が行こうとしていたのは、創価の会館でした。
海外旅行に何度か出かけている母は、その土地にある創価の会館へ訪れる事をステータスと
しています。 地元地域にそんな人(何か国もの海外会館訪問者)は皆無だからです。
母は「そんな意地悪よく言うわね!」と怒りだしました。
慣れない土地(といっても、日本人観光客も多いところです)で高齢者をひとり行動させる気か?
酷い娘だ!というような口ぶりでした。
しかし私からすれば、そんなものは年寄りのワガママでしかないのです。
母親の私が、子供と高齢の母とどっちを優先するか。当然我が子です。
宿のフロントに日本人担当者がいたことを思い出し、その方にお願いしてタクシーを手配して
もらおうか?(会館と宿を往復してもらう)と母に提案してみましたが
「一人で行くんじゃ意味がない」と言うのです。
おそらくですが、創価を否定している私をその場所に連れて行くことで「やっぱり創価は素晴らしい!」
海外同志と触れ合うことで、そう思い直させようとしたかったんだと思います。
というのも、2012年にも母と私はハワイの会館を訪れています。
そのとき私が現地の同志に会った感想を
「日本の会員と全然違う、人の振る舞いを大切に丁寧に考えている気がした」と母に述べた事があります。
これはその時の正直な感想ですし、今現在も”心配りがあった”という点は認めるところです。
ただ「SGIメンバーだから」というよりは、その方が本来もっている人間性が出ていただけなんだと
思います。
一人で行ってよ・いやだ!・・そんなやりとりを続けていると次子がむくっと起きました。
母は起きた!と大喜びし、早く支度しなさいと次子にいうのです。
時差ボケで寝起きもよくない次子はぼんやりしており、すぐに支度が出来る状態ではありません。
そこを母が矢継ぎ早に「時間が勿体無いのよ!顔洗ってきなさいよ」などと声をかけ。
遂に私はキレました
「だからそんなに早く行きたいなら一人で行きなよ、子供には子供のペースがあるんだから」と。
(母が急いていたのには理由があり、この国の会館は随時解放ではないらしく
アポイントを前日電話でとっていたのです。)
それを聞いた母は「前から思ってたけど、あんたどうしてそんなに過保護なの?」と、
私の子育ての姿勢を批判しはじめました。
そんなに子供に気を使ってどうするの。子供には我慢を教えないといけない。大人に合わせる事を
いま教えなきゃ、親が子供に気使ってどうすんのよ?将来ナメられっぱなしになるわよ。
最近はひきこもりになる子供が多いけど、全部親の過保護が原因なのよ。
親が可愛いがりすぎたせいで、外の世界に出た時、現実に心が折れるの。そうなってもいいわけ? 云々。
上記以外にも言葉があったのですが、それらを聞いて、創価の矛盾やエセ一神教だと気付いて以降、
私が母に抱いていた違和感の全ての答えが解った気がしました。

この人は決定的に母性が欠如している。
母性が全く無いとまでは言わないが(私やきょうだいは育ててもらったし)
母性以前に強欲が勝ってしまう人なんだ。
その強欲は功徳信心と直結していて、功徳信心のためなら何でも二の次後回しに出来るし
情も捨て去ってしまう。
「人の尊厳」を蔑ろにしてでも、功徳が欲しい人なんだ、と。

これが創価脳な親の特徴、と断定はしません。 
母の人格に問題があるのは否めませんから。
ただ、こういった人格を持った人が、排他主義のエセ一神教を信仰し・創価の最凶婦人部になると
その家族に確実に苦悩の連続が訪れることは間違いありません。
何を差し置いても活動優先・仏事優先。
家族子供が大人(創価)の都合に振り回されるのは当然・創価を中心に世界が回るという思考回路を
もってしまう事に関しては、創価脳のなせる技だと私は思います。

なかには家事も子育ても抜かりない上で、暮らす事を大切にしながら、学会活動に東奔西走している
婦人部員も居るのかもしれませんが、残念ながら私はそのような人をみたことがありません。
慈愛にみちあふれた人にも残念ながら会った事が無い。
女子部時代の幹部は綺麗で弁舌さわやかだったけどまるで人形の様、魂は無くハリボテだった。
婦人部の幹部はドあつかましいだけ。
こんな風になりたいと憧れとなる人や、尊敬できる人はただの一人も居なかった。
こうはなりたくない・・と反面教師・悪い手本になる人はいっぱいいたけどw
むしろ、外部のご婦人のほうが遥かに尊敬できる・学ぶところのある人物が多い。
今思えばですが「いい人」は沢山いました。
けれどその親切心であったり思いやり・熱心なかかわりには「組織の手先」感があったことは否めず。
創価の同志だから・後輩だから優しく暖かく接してくれただけではなかったか。
それは私自身にもいえることで、バリ活時代に関わった未来部や女子部員に対する熱心な接遇の
発露はやっぱり「人材を育てなければ」という一点でした。
人材=バリ活ということです。 ただ、当時の私はまかりまちがっても創価が巨悪団体などと思いもせず
実態も全く知りませんでした。
創価の活動に励むことで、その人が幸せになる・無限の可能性を開く・不可能を可能にしてゆくと
信じ切っていたからこそ・100%相手の「ため」になると考えての導きで、善意の行動でした。
後継を育てるという「崇高な目的」に自分は携わっていると、カンチガイの誇りを胸にタダ働きを
していたのです。 いや、当時はその行動に「福運功徳」が積まれると信じて疑わなかったのだから
タダ働きではありませんでした。愚かな夢をエサにしていたのです。
面倒見の良さが”創価の麗しい世界”として語られがちですが、その先輩の心根の底に
「創価の組織に後輩をつける・信仰から離れないようにさせる」という魂胆あるかぎり
それは麗しい事でも何でもありません。 
見返りなど求めない。極端にいえば熱心に関わった後輩や会員さんが
「自身の考える幸せ」を見出すため、創価以外の宗教に改宗したり脱会しても「裏切り者!」と
けっして言わない。
”あなたが幸せだと思って選んだ道ならば”と、寛容に認めることができる、
そんな純粋なる親切心からの「関わり」ならば、麗しい世界といえると今の私は思います。
しかし、そうはいかないのが創価の実態です。
他宗に改宗や創価脱会は「堕地獄」という思いこみをしているから、それを許すことなんて
絶対出来ない。
活動家が自身の考えから未活や非活を選んだ時も同じ。創価の組織から外れないようにと、
”あなたのためを思って”なんて、思いこみの正義感から阻止しようとする。
組織幹部からの引き留めは、多くの覚醒者が経験していることでしょう。私も経験者です。
このブログを現役バリ活会員が読んでいる確率は低いと思いますが、もしここを読んでいたなら
胸に手を当てて考えてみて欲しいものです。
あなたの考える「絶対正義」は、万人共通思想ではない。組織から離れる事が幸せか不幸なのかは
その本人が決める事であって、創価学会やその組織人が決める事ではない。
”地獄に自らおちようとしている人(非活になろうとしている人、脱会しようとしてる人)を
 見過ごす事なんてできない。そんな無慈悲な事はできない”
正義感に貫かれたように見えるこの考えが「絶対正しい」と言える根拠は何なのか?
現役活動家で引き留めに躍起になっている人は、自分の言葉でそれを説明できるのでしょうか。
池田老人や日蓮大聖人の言葉や誰かから聞いた話に依らず、自身の経験と言葉だけで説明できますか?
それが無理なら、あなたの「絶対正しい」根拠を考え直す必要があるという事です。
一方的な借り物論で、ひとりの人生の決断に横やりを入れるような事はしないでもらいたい。
それは「大迷惑」でしかないのです。

私もバリ活当時に後輩が退転などしようものなら確実に困惑・怒り狂ったと思います。
私の時間を・砕いた心を返せ!忘恩の輩め! くらいのことを言ったかもしれません。
覚醒してしまえばそれはいかにおかしなことなのかが良くわかります。
麗しの世界には「下心」なんてあってはいけないのです。

話を元に戻します。

母に子育ての姿勢を批判された私は、我慢の限界に来てしまいました。
「あなたが言わないで!」
母に向かって、あなたが子育てについてとやかく言えた義理じゃないでしょう?と言いました。
母は顔面蒼白になってしまいました。


(28)に続きます。

非活決意 その後(26)

2013年6月、姉の挙式出席のため、母と私と次子の3人で海外へ行きました。
(主人と長子は仕事・学校があるので留守番でした)

この海外挙式出席は、2月に決まったことでした。
姉は2度目の結婚ですが挙式は初。また、お相手の家族が海外在住という事情から
親きょうだいの顔合わせも兼ね、私たちも参加することになりました。
5月に私が日蓮仏法と御本尊様への絶対心を失った事で、楽しいはずのこの海外旅行が
非常に苦痛な予定に変わったのです。
日が近付くにつれ、母にどんな顔をして会えばいいんだ・信心の話をふられたら
(というより、私たち母娘の会話の8割は、それで成立していたといっても過言では無い)
どう対応したらいいんだ?
また、前回書いた母親に対する絶望的な怒りもあり、それをどう抑えるか・又はその憤懣を
賢くうまく母に伝える術はあるのか? などなど頭を悩ませることになりました。

出発までの短期間、母に対する恨みというか・残念な感情も、子供とのなにげない日常で
フラッシュバックし困惑していました。
ある日、長子を学校へ迎えに行った帰り道。長子の表情が冴えませんでした。
わかりやすい子なので、エキサイティングな事があれば興奮気味に話してくるし・
何も無かった日は穏やかでのんびりした表情。
これは何かあったんだろうな・・と感じ「今日は学校、どうだった?」と尋ねました。
長子は答えず。 
もう一度、お友達の話題をふってみたところ「もう、うるさいって!」とふてくされた表情に。
いま触られたくないんだなと判断し、それ以上はなにも聞かずにおきました。
このような事は特に珍しいことじゃありません、日常茶飯事です。
だのに何故かこのとき急に、私が小学生の頃のことが思い出されたのです。
全く楽しくなかった小学校生活。
嫌な気持ちを引きずったまま帰宅した日も多かったと思うのですが、学校から帰っても
母は活動にでており、ほぼ不在でした。
(補足:最近になって判明したことですが、母は昼会合のあとに行きつけの喫茶店へ寄るのが
日課になっており、そこで知り合った人を次々折伏していたようです)
母が17時ごろ帰宅するとまず夜のごん行を慌ただしく済ませ、そこから夕飯の支度。
気ぜわしさでいっぱいの母の背中を思い出します。
私は母に学校であったことを話したことが多分殆どなかったと思います。
気を使っていました。いま話しかけちゃいけないな、など。
母から「今日は学校どうだった?」なんて聞いてもらえる事もありませんでした。
そのせいか、提出物や学校へ持って行く用品(工作の材料など)が間にあわない事も多々。
学校でいじめに遭った時も、母に話す事が出来ず。
あるとき洋服を墨汁で汚され、それを見て気付いた先生が家に連絡したことで母に初めて
いじめの事が知れました。
その時「どうしてもっと早く言わなかったのか」と母から軽く責められました。
遠い記憶ですが、いじめで悲しい思いをしている間も、私は御本尊様に祈念することで
解決しようとしていた。
いじめといっても完全孤立したわけでは無く友達も居たので、学校へ行かない(不登校)事は
無かったのですが、 早くこの時間が過ぎないかな、とただただ憂鬱でした。
はっきり自認していたわけではありませんが「母親に話したところでどうにもならない」との
諦めがあったのかもしれません。
長子が私に不機嫌な態度をとってみせる、それは親子として「らしい事」なのだと思いました。
そして私は”あのころ、八つ当たりする相手も居なかったな”と思い返したのです。
私には御本尊様しかいなかったな、と。
そして、学校で面白くない事があっても、八つ当たりする相手(=私)がいる長子は幸せだな、と
思ったのです。 
長子は帰宅後落ち着いて、学校で友達とある事の取り合いになった・相手が強引に
それを取ってしまったので気分が悪かったと話してくれました。
「悔しかったね。でも、譲ってあげたって思えばいいんだよ」と声をかけました。
長子は「譲りたくなかった!」と思い出し、また怒りだしたのですが、次のチャンスに賭けると
前向きになってくれたようでした。
こういった、何気ないやりとりを子供とするたび私は「発見」します。
自分の子供時代に流れなかった親子の時間・やりとりを感じて、はっとさせられるのです。
そして、私と母のあいだにあった時間についてどんよりとした気持になります。

私が創価の巨悪に気がついたことで、それまで失っていた「人の尊厳」を取り戻したばかりに、
それまでなんとも思わなかった・問題にならなかった事柄がクローズアップされていく。
母だけが悪いわけではない。
私だって、創価脳だった時は「人の尊厳」なんて失っていたんだ。だから母とわかりあえていた。
なんと皮肉なことだろう、と再び絶望的な怒りと悲しみが湧いて来るのです。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが
「創価を憎んで母を憎まず」 そう思わなければ、やっていけないと思いました。
今現在もこの考え方は変わっていません。

どうしてこのタイミングで気付いてしまったのか、私?と自分を責める思いもありました。
気付かないままでいられたら、何も考えず笑って姉の挙式に参加できたのにと。
憂鬱な気分のまま、出国日を迎えたのです。

母と空港で落ち合いました。
搭乗まで時間があったので食事をすることになり、入った店で母がおもむろに始めた話題は
「法戦前に5日間も海外にいくなんて、組織の人に申し訳なくってねぇ」だったのです。
翌月の参議院選挙を意識した発言でした。
私はのっけから絶句です。
なんのために行くのか。遊びではありません。身内の・娘の「慶事」なんです。
どっちが大事なのか?という話です。
半分キレながら「何言ってんの?大事な用事で行くんだから。申し訳ないなんて思うなって話だよ。
選挙活動があなたの仕事なの?違うでしょう?だったらそんな風に言うのはおかしいよ」と返し。
母は、ややひきつった顔で「それはそうだけど」と私の言葉に不服そうでした。
その後も、母は空気を読まずに創価話題を続けます。
店内は混雑しており、両隣の席にもお客さんがいましたが、そんなの母はおかまいなし。
小声でもなく堂々と、F取りエピソード話を続けるのです。
羞恥心というものがありません。創価学会員であることに「誇り」を感じているからでしょう。
余談ですが、昭和30-40年代の創価学会員は鶴丸のバッジを身につけていたそうですね。
財務部員になるともらえるもので、活動に出る際、それをつけるのが当たり前だったそうです。
鶴丸バッジをみれば、相手が創価学会員だとわかる。見ず知らずでも街中で偶然会って会話が弾む・・
そんな時代もあったそうです。 恐ろしすぎます。何の罰ゲームでしょうかw
母が嬉々としてF活動の話を続けるのが恥ずかしい私は「その話はもういいわ」と遮って
別の話題に変えたのですが、母は適当に受け流しながらも、また自分のしたい創価話題へと
もっていくのです。
これが続く様ではたまらない・・と思い、機内では即、寝たふりをしましたw

現地到着し、翌日が挙式。
先に到着していた姉・兄と合流し、夕飯を家族水いらずで採りました。
こんな時くらい、信心の話は止めて欲しいな・・と思ったのですが母はやっぱり創価脳です。
「こんな風に子供達と、海外で食事が出来るようになるとは若いころ、想像も出来なかった。
 信心も50年を越えると自由自在になるっていうの。証明したわね」と。
兄姉は薄笑いで何も言いません。私も無言でした。
なにも今回の事は、母ひとりの信心のたまものではないのです。
渡航費は姉夫妻が負担してくれたため、宿だけ自分たちで取ったのですが、兄の会社が提携している
宿だったので格安で泊まることが出来ました。
それは兄や姉のこれまで積み上げてきた努力や実績の結晶だと思います。
また、私自身も主人が快く送り出してくれたから参加する事が出来ました。
そんな事情はすっとばしで、何もかも「自身の信心のお陰」お手柄だと思っている事に呆れました。
母からすれば、家族・子供達は信仰のパーツでしかない。それは以前から感じていたことです。
兄姉はアンチ創価だけれど、世間的に属性の高い職業についている。
母はそのことを自慢にしています。たとえアンチであろうが、子供達が立派になったことは
「母親である自分が信心をしていたから」だと思っています。
これも以前に書きましたが、子供達に良い事があれば「お母さん祈ってたよ」と言いますし・
悪いことがあれば「それみたことか!信心をおろそかにするからだ」と言う。
子供たちの努力以前に「信仰の力」のお陰で成し得たという考えが母のスタンダードです。
功徳信心を刷り込まれたおかげでたいした努力もしてこなかった私はさておき、
正しい努力のみで自分史を作り上げてきた兄姉にしてみれば、これほどの愚弄もないでしょう。

翌日の挙式は天候に恵まれ、素晴らしいセレモニーでした。
父のかわりに兄がバージンロードをエスコート。
その姿を見て、父が生きてくれていたならと、涙が止まらなくなりました。
誰よりも姉の花嫁姿を見たかったのは父だろうと考えると、堪らないものがありました。
余談ですが、キリスト教式を母が何も言わず受け入れたことにほっとしました。
(20年前の兄の挙式の際は「ありえない!私は出ない!」と激怒していました)
ご主人の家族も素敵な方たちで、姉の幸せが嬉しく・安心しました。
そして私が創価脳だった当時、姉に対し抱いていた非常に失礼な考えを思いだし猛省したのです。
姉が両親から反対されるような初婚をした際、私は「信心してないからそうなるんだ」と思いました。
姉が離婚したときは(私自身、前主人が嫌いだったので)別れて正解と思ったと同時に、
「やっぱり信心してないからこうなったのでは?」と思ったのです。
それを面と向かって姉に言った事が一度もなかったのが幸い(?)でしたが、私の内心は
態度に出ていた筈でとても恥ずかしく、いたたまれない・消えてしまいたい気持にもなりました。

森羅万象全てに通じる、大宇宙の法則。そんな思想を植え付けられたからこそ
信心やそれにまつわることがらを基軸としてしか物事を捉えられない・考えられない状態だった。 
そのような感性では人生の機微も解りませんし、時に非常識な言動にもつながっていきます。
創価脳当時は全てを解ったような気になっていましたが、それはとんでもない勘違いだった。
事あるごとに、その現実を突きつけられ、過去を思い出し苦しくなります。

話が少しそれますが、
まちがいに気付く事が、全ての創価脳にとって良い事だとは限りません。
人それぞれ、置かれている立場の違いや動かしようのない現実があり、大なり小なり苦悩が
ついてまわると思います。
私とて全てが吹っ切れた訳でもありません。 
40年以上も習慣化している考え方の癖は抜けず、ほんの些細な事柄に心をいつまでも引っ張られる、
いまもそんな傾向にあります。
創価脳だった時はお題目をがむしゃらに上げることや、御書を読むことで解消された(誤魔化すことが
できた)それを、別の方法で消化するにはどうしたらいいのか?と、困惑がありました。
最近になって実践しはじめたのは、自分の肩をぽんぽんと叩いて「大丈夫だよ」と声に出して言う事。
自分で自分を励ますのです。
そして心でつぶやきます”世の中はそんなに悪いものじゃないよ”と。
単純で子供だましの様ですが、頭で考えすぎて疲労する私にはこのくらいシンプルな方法のほうが
効果があります。
あとはいい意味での「忘却力」を身につけたいと思っているところです。

覚醒後、心の置きどころがわからず不安に苛まれるというコメントも多数拝見しています。
心の置きどころは、自分の中です。
学会2,3,4世で、MCで自我を塞がれてきた私たちはまず、自分自身と向き合い
自分の本心を観察する事から始めるのが、遠回りのようで早道だと私は感じています。
それは特定信仰にどっぷり浸からず普通に生きてきた人達なら、子供時代からやっている事です。

結局、めんどくさい自分の面倒をいちばん見ることができるのは自分自身。
創価脳だった時は、その面倒を”エセ一神教”がみていてくれたってことでしょう。
(面倒見てもらってるつもりが、実にうまい具合に組織にもろもろ搾取されていたという酷い話。)

人それぞれに、心穏やかになれる事があると思います。
それが何かは自分で見つけるしかありません。
パッケージされている宗教に頼りきりだった私たちは、何も無いところから考える事・探求する事を
煩わしく感じる傾向にあるのかもしれません。 だから解りやすい「教え」に依ろうとしてしまい、
手っ取り早く宗門を選ぶ方も多いのではないかと、私の勝手な一考察です。
(考え抜いた上で宗門を選ぶ方も当然いらっしゃるでしょうけど)

そんな自戒も込めながら、上手に自分の面倒をみれるようになれたらいいなと思います。

(27)に続きます。